7、誰かの所為にするのなら
父さんが死んだのは、自業自得。街中の人がそう言う中で、彼女だけはそれを否定してくれた。可哀想と言って涙を流してくれた。
「自業自得なんてそんな事無いわ。死んで良い人なんて居ないもの」
父さんは酒ばかり飲んでいる人だった。嘘ばかり吐く人だった。金を払わず飲み屋で飲んで、追い出されて転んで、朝まで放って置かれた。打ち所が悪くて即死だったらしい。
俺が9歳、彼女が6歳の時だった。
母親は、物心ついた時から居なかった。聞いても教えてもらえなかったから、結局どうだったのか知らない。でも多分、死んだか出て行ったか、そのどちらかだろうと思う。
だから、父さんが死んで1人になった俺を、父さんの妹が引き取ってくれた。けれども、そこではほとんど面倒を見てもらえなかった。たまにしか食事を貰えず、存在を無視されて、それでも畑仕事の手伝いだけはさせられていた。
良い事なんて何も無い。朝早くに叩き起こされて、畑に出されて、帰って寝るだけ。それだけの毎日。
誰とも話さない。目さえ合わせない。ただ生きてるだけ。それに何の意味があるのか、考えない日は無かった。
そんな中で、彼女だけが希望だった。
いつも傷だらけの俺を手当してくれた。自分の食事をコッソリ隠して持って来て俺にくれた。
俺に、笑いかけてくれた。話しかけてくれた。
俺を、好きだと言ってくれた。
何で好きになってくれたのかは分からない。でも、好意を持たれて嬉しかったし、彼女が存在してくれているだけで、俺という人間に意味がある気がした。
そんな彼女が、ある日突然姿を消した。
俺が19歳、彼女が16歳になったばかりの時だった。
俺は、畑仕事の合間に、彼女と時々一緒に過ごすようになっていた。彼女との時間を工面する為に、やらなければならない事を早く済ませたり、同じ場所での作業をまとめて移動の時間を節約したり、ありとあらゆる創意工夫をした。
今思えば、俺にとってその時間が唯一心弾む時だった。
彼女が俺を訪ねてくるのは、いつも太陽が真上を少し過ぎた頃だった。幼い頃に、隠れて持ち出し俺にくれていた食事の一部は、彼女の手作りの料理に変わり、「今日はタマゴを貰ったの」「果物は好きだったかしら?」そう言いながら一つ一つを俺の口に運んでくれた。
幸せだった。その時だけが、俺にとっての『生』であり、他は死んでいた。
それなのに・・・。
「また明日ね」
その言葉を最後に、彼女は姿を消した。
一緒に昼食を取って、片付けて立ち上がり、手を振って別れて、それっきり。
彼女の家の父親がやって来て、俺を問い詰めた。
「あの子をどこにやったんだ!」
と言って、俺を殴った。
知る訳無い。俺が知りたい。
日はとっくに暮れて、月も無い暗い夜だった。暗闇の中、街中の男達が彼女を探した。
俺も探した。
全ての家、全ての納屋、全ての店。物影、裏道、畦道、森の中。
そして、見付けた。
畑の脇の用水路に、うつ伏せに沈む彼女の姿を。服は破られ、ブーツは片方だけになり、痣だらけで、ふやけて、妙に白く膨らんでいた。
俺は泣いた。泣いて叫んで、彼女を呼んだ。
返事は無く、彼女の父親に「お前の所為だ!」と殴られた。
俺じゃない。けれども、
俺と仲良くした所為だったのかも知れない。
彼女の父親に何度も何度も殴られながら、心の中で俺は彼女に謝り続けた。
こんな事になるのなら、拒絶すれば良かった。目を逸らし無視をして、くれた食べ物をその場で投げ捨てれば良かった。
彼女の父親が彼女を連れて帰り、ボロボロになった俺は用水路の横に捨てられた。
誰も居なかった。たった1人、シンとした深夜の空気の中に沈んでいた。
「悔しい?」
突然、横から声を掛けられた。頭の中に直接響く、不思議な声。
真っ白い女だった。
白い肌に白い髪。浮世離れした、人間じゃ無いみたいに綺麗な女だった。
「ねぇ、悔しい?それとも憎い?」
その問いに、俺は答えられなかった。
「・・・よく、分からない・・・」
言いながら考えた。
悔しさでも、憎しみでも無い。俺の中に今あるのは、罪悪感。俺なんかいなければ良かったんだ。彼女は、俺に会わなければ良かったんだ。
申し訳ない・・・。
「苦しいね」
白い女はそう言った。
「苦しくて、そのまま生きていくのは辛いね」
そう、かも知れない。
そう思って目を閉じた。閉じた瞼の淵から涙が流れ出す。
「仲間が、いたらいいと思わない?」
仲間?
「みんな、あなたと同じ苦しみを知ったらいいと思わない?」
・・・同じ、苦しみ・・・?
「みんな、大切な人を失えばいい。そう、思わない?」
・・・。
「ずるいよね。何で、あなた1人が苦しいの?」
何で、俺だけ・・・?
「手伝おうか?」
白い女が俺に向かって笑う。細い目が線のようになる。
この白い女は、人では無いのかも知れない。
そう思った。
人じゃ無い何者かが、俺を手伝おうとしてくれている。
「あなたに力を貸して上げる。それで、彼女と同じくらいの女の子を攫いましょう。街中の若い女の子、みーんな、消しちゃいましょう」
白い女が差し出す手を、俺は握った。
『止まれ』と願えば、時が止まった。止まっているうちに女の子を運び、真夜中の市で迎えに来た人買いに渡した。
最初は大した反応も無かったが、行方不明になる人数が増えるに連れて、街の中に何とも言えない空気が漂い始めた。攫われた若い女に近しい者達は、彼女を失った俺と同じ様に悲しみに明け暮れた。その周囲の者達は皆、不安と怯えに支配されて、互いに疑いを抱き始めた。
今、街はどこからともなく湧き出したマイナスの感情で充満している。針で突いたら割れてしまいそうな張り詰めた空気に覆われていて、みんな苦しそうだ。
俺と一緒だ。仲間だ。
割れてしまえば良い。割れるまで俺は、そのマイナスの感情を増やしたい。
みんな、もっと苦しめばいいんだ。
9人目まで攫い、人買いに引き渡すと、白い女がやって来た。
「そろそろ、終わりにしましょう」
薄暗いテントの中で、唐突にそう言われた。
何故そんな事を言う。まだ終わっていないのに。
「まだ若い女は3人いる。そいつらも攫う」
最後までやり遂げて、苦しみを与えなければ。
「なら最後に1人だけ。攫ったら街中でそのまま引き受けるわ。それでおしまい」
白い女は、言いながら指先でカーテンの隙間を少し広げて外を見た。向かいの店のオヤジが「冷やかしか、2度とくるな!」と誰かに向かって叫んでいた。
「約束よ、あと1人だけ。ね」
翌日、最後の1人を攫い、言われた通りに街中にやって来た人買いに受け渡した。
攫った女の母親の慟哭が聞こえる。高揚感と達成感が胸に湧き上がる。
白い女は来なかった。
これで終わりだと言われたが、時を止める力はまだある。俺を止める者はいない。
まだ出来る。
まだ、2人、いる。
2人のうちの1人は広い家に住む富豪の娘で、しかも家から外に全く出なかった。仕方が無いので、時間を止めて広い屋内に入り込み、時間を掛けて探した。
上の階の1番奥の部屋で見付け、時間を止めて運び出す。その時、いつもは微動だにしない筈の攫った女が少し動いたような気がした。なので念の為、後頭部を強く殴って気絶させて運んだ。
そしてもう1人、最後の1人だ。
多くの若い女が攫われたので、かなり警戒されているようだった。王都から来た近衛が警護に付いていたのだ。けれども、時間を止めれば問題無い。
俺はいつも通りに時間を止めて、女の手を掴んだ。
「・・・え」
女が声を出した。
時間が止まっていれば喋るはずがない。何故だ・・・。
周りを見れば、近衛兵も、風も、風に揺れる木々も止まっている。俺は驚きながら、女の片方の手首を掴んで高く上げた。
女が何かを喋る。が、何を言っているかは聞き取れなかった。
「お前なんで、止まってないんだよ」
俺はそう言って、女の手をより強く掴んで引き寄せようとした。が、振り払われて距離を取られてしまう。
「!」
その瞬間、女の後ろに大きな男が現れた。男は赤毛で、しっかりと鍛え上げられた逞しい体付きをしていた。釣り上がった目は鋭く、油断の無い身のこなしからも、一目で格の違いを感じる。
その赤毛の男が、前屈みになった女を殴って気絶させた。そして言う。
「何故まだ続ける。もう終わりだと言われただろう」
その言葉を聞いて、赤毛の男が、白い女の使いである事が分かった。俺が約束通りに人攫いをやめているかどうか、確認しに来たのだ。
「だって、まだいるのに。2人だけ無事だなんて、ズルいだろう?全員攫ってあげないと」
俺は言い返した。
「・・・ならば勝手に続けるが良い。もうあの方々は手を貸さない。人買いは自分で用意しろ」
赤毛の男は、少し考えた後に眉ひとつ動かさずにそう言って、そして気絶した女を俺に向かって投げた。女は思ったよりも重く、支えるのにも苦労した。手間取っている間に赤毛の男は居なくなっていた。
いつものテント、いつもの檻。違っているのは人買いだ。
白い女の所から来た人買いは、皆一様に黒いマントを被り顔を隠していた。深く詮索はしなかったが、時々チラリと見えたあのブーツは、東の国境近くにあるセーライ神殿の神官達が履いている物に似ていた。
今いる人買いは、顔を隠す事なく3人の護衛を引き連れてやって来た。南方の国の訛りのある言葉を使い、2人の女を安く買い叩いた。
別に金が欲しいわけでは無い。なので俺は、2人の女を言い値で売った。
お互い納得して、取引は滞りなく終わった。
全て、終了した。
・・・筈だった。