4、『時』
首が痛い。首だけじゃない、何やら狭い場所に押し込められているみたいで体中が痛かった。硬く冷たい感触と、柔らかく温かい感触がある。
目を開けて周囲を見た。少し高い所に窓がある。閉められたカーテンの隙間から差し込む光は夜なのか細く弱い。周囲を照らすには脆弱過ぎて薄暗くてよく見えない。見えない上に身動きが取れない。手首は背中側で合わせて、そして足首と、共にロープのような物で縛られている。
どうやら、俺はまんまと誘拐されてしまったようだ。トールはどうしただろうか。攫われる時、周囲が止まっているみたいに見えた。あれからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。俺の事を、探してくれているのだろうか。だとしたら、早くここから逃げ出して合流し、犯人を捕まえたい。
縛られたロープを何とか外せないかと体を動かしてみる。すると、背中側から声が聞こえて来た。さっきから感じている温かく柔らかい感触は、どうやらもう1人別の誰かが捉えられていて、俺と背中合わせでくっ付いているみたいだった。
向こうも身動きをした。すると、俺の肩や首がおかしな方向に引っ張られて痛くなる。
「イテテ。ごめん、そっちも痛かったよね」
と、日本語で言ってしまう。言ってしまってから、ああ通じないのだった、と思い出す。
だが、
「いえ大丈夫。これ今、背中合わせですよね。多分私の方が小さいので、何とかひっくり返ってあなたの手首のロープを解きます。少し我慢して下さい」
そう日本語で答えて来た。女性、というか子供の様な高い声。
「日本語、喋れるの?」
驚きながら、俺はそう言った。
「はい、勿論」
と向こうが言った時、恐らく体を返したのだろう。グッと背中と腰の辺りを強く押された。変な所からボキボキという変な音が響く。思わず呻き声を漏らしてしまった。
「失礼」
痛みに涙が滲んだところで高い声がそう言う。直後、両手首の辺りに緩くて温かい風が掛かり、それからロープの周辺を柔らかい物でくすぐられた。背筋がゾワッとして全身に鳥肌が立つ。
こういうのは苦手だ。
多分、歯でロープを解こうとしているのだろう。一生懸命やってくれてるのは分かるが、ハッキリ言って拷問。
声を抑えて我慢する事10分位だったろうか。まだか、まだ続くのか、と耐えていると、突然フッと上半身が解放された。結び目が解けたのだ。
「ありがとう」
俺はそう言ってロープを外し、起き上がって足のロープも解く。そして周囲を見回した。
薄暗いものの、カーテンの隙間に近付いた事によって少し明るく見える。硬い金属製の格子に囲まれている様だ。
その格子の隙間から指先を伸ばして、カーテンを摘んで細かった隙間を広げる。
月明かりが差し込んで薄暗かった辺りが明るくなった。どうやらとっくに日は暮れて、今は夜らしい。差し込んだ月光によって見える、自分の置かれた状況。
猫や犬を入れるゲージみたいな小さな檻。その中に俺ともう1人が拘束されて押し込まれていたのだ。
なんてこった。
思いながら、俺は後ろ側を見た。
と、そこには俺の拘束を解いてくれた人がまだ拘束されたままで横になって、目だけで俺を見上げている。
女の子だった。
高そうな豪華なドレスを着た、7〜8歳の女の子。
俺はまず、女の子の手足のロープを解いた。
「どうも」
答えて起き上がる女の子。
「カーヤの替玉?」
俺の顔を見てそう言った。カーヤと言うのは、俺が身代わりになった女性の名前だ。
「彼女の身代わりになったんですね。私がお嬢の身代わりになったように」
『お嬢』と言うのは、先に尋ねて門前払いを喰らったあの大きな屋敷に住む女性の事なのだろう。俺が女装をして身代わりになった様に、恐らくこの女の子もその女性の身代わりになったのだ。
「私はサリア。ゴローザ家の使用人よ。あなたが『異界の勇者』かしら。日本語を喋っているからきっとそうなのね」
早口で喋るその勢いに圧倒された。
小さいのにしっかりしている。
サリアのそんな様子に、以前見掛けた転生者の少女を思い出した。
「君も転生者なの?」
気付けば、そう聞いていた。
「君もって所が気になるけど・・・、違うわ。私は転生者じゃ無い。言葉は学んだの」
「そうか」
明確に答えてくれるサリアに、俺はそう言ってサリアの顔を見た。
頭の良さそうな子だ。
「ねぇ、私は名乗ったのに、あなたは名乗ってくれないの?」
「え、ああ、ゴメン。俺はアキラ。『異界の勇者』っていうのはちょっと違うと思うけど、異世界から来たみたい」
俺は慌てて答えた。サリアは、そんな俺を見て笑った。
「自分の事なのに他人事みたいに言うのね。可笑しい」
他人事、そう言われて俺は考えてしまった。
確かに、この世界にやって来てからと言う物、そこはかとなく非現実感が付き纏っている。他人事と言うよりは、夢物語といった方がしっくりくる。
「とりあえず、ここから出る事を考えましょうか」
サリアがそう言って、ゲージ(?)の周りを見回した。
「そうだな」と言いながら俺も見見回した。
「アキラは、自分が捉えられた時の事を覚えている?」
サリアが格子の継ぎ目を調べながらそう聞いてきた。
「ああ」
あの時、時間が止まっているように見えた。俺と、トールと俺の間に入り込んで俺を捉えようとした男と、そして背後から俺を殴って気絶させた人物、その3人を除いた全てが止まっていた。
「今迄の被害は全て屋外で起こってたから、外に出るのは危険でしょ?だから事件が起こり始めてからは、お嬢は家から一歩も出ていないの。その上で私がお嬢の格好をして、お嬢が男装して、その事は必要最低限の人にしか知らせずに過ごしていたのよ。それなのに・・・。まぁ、お嬢は無事だからまだマシなのだけど」
聞きながら俺は、ざっと格子を見て、開閉口に付けられた南京錠を見付けて手に取る。数字なのか記号なのか、得体の知れないマークが描かれたギアを回して3つ揃えて鍵を回す様だった。
「書類の整理をしていた時よ。突然皆んなが動かなくなったの」
南京錠を見ていたが、それを聞いて俺は固まった。そしてサリアを振り返る。
「俺の時も止まったんだ。俺と、多分2人いる犯人以外が全部固まって静止した」
俺の言葉を聞いて、サリアも手を止めて俺を見る。
「アキラあなた、『時』の加護を持っているの?」
そう聞いてくるサリア。
「『時』の加護?」
加護とは、神殿で授けられるアレだろう。ハザンと一緒に聖母神殿に行った時の事を思い出す。確かあの時、付与を代行した神官が「既に大きな加護が付いているから他の加護は受け付けない」と言っていなかっただろうか。
「恐らく、私達を攫った犯人は『時』の加護を持っているんだと思うわ。それを使って時間の流れを操作しているのよ。時間を止めて、若い女性を攫って逃げて、そして時の流れを戻すの。でもその力は同じく『時』の加護を持っている者には通用しない。屋敷で犯人がお嬢を攫いに来た時、私以外が皆んな止まったわ。私だけは『時の尊』の加護を持っているから影響を受けなかったの。殴られて気を失ってしまったけどね」
「一緒だ。俺も、俺だけ止まらなくて、それで背後から殴られたんだ」
そうなのだろうか。俺もその『時』の加護を持っているのだろうか。だから聖母の加護を受けられなかったのか。だとしたら、どうやって使うんだ・・・?
次々と疑問が浮かんで来る。
「何だか凄いわ。『時』の加護なんて持ってる人が、一度に何人も同じ場所にいるなんて。滅多に居ない筈なのに」
そう言って首を傾げるサリア。
「珍しいの?」
「ええ。『時の尊』はもうこの世には居ないのよ。だから加護を持っている人が居るとしたら、私と同じ様に『時の尊』が生きていた遥か昔に加護を受けたか、後継のどなたかから授かったか・・・。でも後継が人に加護を授けるなんて話は聞いた事が無いし」
サリアの言葉に俺は引っ掛かりを覚える。
『私と同じ様に『時の尊』が生きていた遥か昔に加護を受けた』?
「なんか、次から次へと情報が多過ぎて、頭が追い付かない・・・」
脳がパンクしそうだった。子供に見えるサリアが、実はもの凄い年寄りなんだろうか。とか、変な事を考えてしまう。
その時、さっき隙間を広げたカーテンが何かに引っ張られてザッと横に動いた。それは一瞬だけで、すぐに元の状態に戻ってしまったのだが、俺は見た。そのカーテンの外の世界を。
見覚えのある風景だった。
トールと一緒に塩を見付けて、ブーツと剣を買ってもらった。その最後に立ち寄った武器屋の横の店で、活性化しかかった魔物を見付けた。活性化を防いで、そのまま立ち去った、その店の店主の顔。その顔が見えたのだ。
あの時俺は、向かいの店のカーテンの隙間から白い指先を見なかっただろうか。
見直したらもう無かった。けれども確かにあの時・・・。
ここは・・・、
「真夜中の市だ・・・」