36、子供の心
赤黒い歪な光に手が届きそうだった。もう少し、あとちょっと。必死で駆け寄って、めいいっぱい手を伸ばす。
そうして頑張ってようやく手が届いた。
が、
スカッと音がしそうな程の空振りをしてしまう。
「はぁ?!」
「えっ!」
「アキラ!」
俺の疑問の声に被せて、ノワとトールの声が重なった。
そして、比較的そばに居たノワが駆け寄って俺をガシッとホールドする。
「アキラ、ナニ急にワープして来てんの?ビックリするじゃん!」
俺の体を支えながらノワが慌てた様子でそう言った。
ワープって何だ?
疑問に思ったが、ノワがすごい勢いで喋り続けるから、俺はそれについて何も聞けなかった。
「『冥府』の門に近付いちゃダメだよ。引き摺り込まれるよ」
そう言われて、俺は改めて水瓶の方を見た。よくよく見れば周囲の血や先程爆破された扉の破片が、水瓶を中心に渦巻く様な不自然な風に煽られて、中心にある水瓶に集まって中に落ちて行くのが見えた。
確かに、迂闊に近づいたら引き摺り込まれてしまいそうだった。
でも、だからと言ってこのまま見ていてはアラベルに逃げられてしまう。
しかも、体を持たないアラベルには、生身の俺では触れられないみたいだ。
「このままじゃ逃げられるよ」
アラベルは自ら進んで水瓶に近づいて行っている。引き摺り込まれるなら螺旋を描いて中央に近づく筈なのに、その動きが直線的なのだからそれは間違いない。
どうにかして、引き摺り込まれるラインに達する前にアラベルを捕まえられないだろうか。
考えて、俺は思い付いた。
さっき、セーライの中に入った時、俺は幽体、と言うか魂だけ体から飛び出して行ったとノワが言っていなかっただろうか。
今俺が魂だけになったら、アラベルを捕まえられるんじゃ無いか?
でも、どうやって・・・?
さっきは、セーライが「逃げろ」と言って、そしたらもうセーライの過去を見ていた。その状態が既に魂になっていた状態だったらしい。
思い出せ。俺はどうやって魂になってセーライの中に入ったのか。
考えながらアラベルを見た。赤黒い光の中の黒い部分を見詰める。
黒・・・。
そうだ。俺はあの時、セーライの目を見たんだ。
セーライの黒い目を見詰めて、その黒い目が視界いっぱいに広がって、そして、その黒い世界に飛び込んだんだった。
アラベルのあの黒い所は、別に目じゃ無いだろう。でも、セーライの目を見た時みたいに出来るだろうか。いや、分からないが考える暇があったらまずやってみよう。
そう思って、俺はアラベルの黒い所を見た。
見てるとそのうちにピントが合わなくなってくる。二重にズレて、四重にズレて、次第に視界が黒で埋まる。
ちょっと違うか、こういう感じじゃ無かったな。
と、思った瞬間、俺は一歩踏み出せた。
「えっ・・・」
俺を支えていたノワの圧力が消えていた。振り返るとそこには何も無くて、ただ真っ黒だった。
「出来た、のか・・・?」
1人呟いて、そして前を見る。
今迄赤黒い歪な光があった辺りに、うつ伏せに倒れ込んで前に向かって必死に手を伸ばすアラベルの姿が見えた。
いた。アラベルだ。
俺は走り出した。走ってアラベルに追い付いて、そしてその肩を掴む。
触れた・・・!
アラベルが気付いて俺を振り返った。一瞬驚きに目を見開いて、そして俺を睨み付ける。
「何をしに来たんだ、役立たずの勇者が」
吐き捨てる様にそう言うアラベル。俺はアラベルの腕を掴んで、そのまま取り押さえるみたいにして床に肩ごと顔を押し付けた。
「痛い!何すんのよ!離せ!」
「逃げるなよ!」
俺は、抵抗して暴れるアラベルを力一杯押さえながら言った。
「自分が何をしたのか分かってんのかよ!」
「私は何もしてないって言ってんでしょ!全部セーライがやったのよ!私は何もしてないんだってば!」
この期に及んでそんな事を言うアラベルに、半ば呆れながらも俺は言う。
「そうやって人の所為にして、やった事をセーライに押し付けて、自分だけ逃げるな!全部セーライの所為にするなんて、どう考えても無理があるだろ!そんな事言われて信じる馬鹿は1人もいない!全部お前の所為だ!アラベル、お前が自分の為に人を殺したんだ!」
「違うわ!貰ったのよ!好きにして良いってプレゼントされたの!殺した相手の良いもの全てを奪えるからって、私にくれたのよ!異界から使えそうな人間を連れて来たいから力を貸してくれって。やってくれるならもっと沢山あげるって言われたから。だからやったの。欲しかったのよ。ドニになって、お兄様にもどってきてほしかっただけなの。いわれたとおりにしただけなのに。わたし、なにもわるくないもん!ぜんぶ、ぜんぶおねえさまが、おねえさまが!」
喋るにつれてアラベルの声が高く細くなっていった。次第に拙く、子供の声で子供のように喋るようになる。体も縮んだ。小さな子供の姿になる。
俺の中に、弱いものイジメをしているような罪悪感が湧き上がった。
それがアラベルの狙いなのか、はたまた本当はこの幼い姿がアラベルの本性なのか、どっちなのかが分からなくなる。
でも、と俺は思い直した。
子供だからと言って、こんなに大勢の人を殺して良い訳が無い。例え子供でも、大人なのに心が子供のままでも、大人の癖に子供のフリをしていたとしても。
罪の大きさを理解していないという点では、どれでも同じ事だと思った。
アラベルは、罪の重さを知るべきだ。
俺は、背中側からアラベルの上に馬乗りになって、首に腕を掛けて反り返らせた。
「なにすんのよ、くるしい!」
そう言うアラベルの小さな額に、自分のデコをぶつけるように当てる。ゴツンと音がして頭突きみたいに痛かった。
「いたい、やめてよ!はなしてよ!とうさまたすけて!」
ぎゃーぎゃー騒ぐアラベルを無視して、俺は彼女に見せた。
俺が知る限りの、アラベルの仕業による被害者や被害者の親族の苦しみを。
若い女性だけが姿を消す街での、人々の怯えを。娘を攫われた母親の悲しみを。誘拐をさせられた男の末路を。娘を取り戻せないと知った家族の怒りを。姿を消した知人の行方に胸を痛めるココナを。覚悟を決めて自害する様に黒い棘を自らに刺す爺さん達を。攫われた女性達の怯えと諦めの表情を。気が触れた様に女性達を殺すニコラを。
「・・・やめてよ。なによこれ・・・」
嫌がってデコを外そうとするアラベルの頭を、俺は力一杯掴んで俺のデコに付け直した。もう一度ゴツンと音がして、目から星が出そうな位に痛かった。
「いたい!」
「見ろ!目を背けるな!」
活性化した爺さん達と戦って傷付く騎士達を。命を落とす者達を。その死を悲しむ者達を。
「みたく、ない・・・」
アラベルは、そう言いながら目から大粒の涙を流した。ポロポロと流れ続ける涙は、頬に沿って顎から床へと落ちて、赤い血と混ざって見えなくなる。
「お前の流す涙よりも、お前の中の全部の血よりも、もっともっと多くの涙と血が流れたんだ!亡くなった人だけじゃ無いんだぞ!亡くなった人、1人1人を想う多くの人を傷付けて、その全員のこれから先の未来の希望を奪ったんだ!どうするんだよ!どう責任取るんだよ!お前、どうにか出来るのかよ・・・」
叫ぶ様に言いながら、最後の方には俺も泣いてた。
今迄に会った1人1人の被害者の顔を、その怒りと悲しみを思い出して。
女性達の何人かは死んでしまっていた。生き残った人達も、正気では無いだろう。家族の元に戻ったとしても、今後まともな人生を歩めるとは思えない。
それを、分かって欲しかった。自分のした事がどういう事なのかを、理解しようとして欲しかった。
「・・・ゴメン、なさい・・・」
消えそうな小さな声で、アラベルがそう呟いた。流れる涙はそのままに、表情は消えて顔面は蒼白。そして縮んだ体が元の大きさに戻っていった。
「・・・私、分かってなかった・・・」
俺は手から力を抜いてアラベルの頭を離す。馬乗りになっていた体をズラすと、アラベルは逃げようとはせずに、その場に座って両手で顔を覆って泣いた。
少しは、伝わったかな・・・。
「・・・!」
思ってホッと息を吐き、涙を拭ったところで誰かの声が聞こえた気がした。
鼻を啜りながら耳を澄ますと、それはどうやらノワの声みたいだった。
遠くに聞こえるその声を聞きながら、アラベルの今後を思う。
以前見た過去の中の情報で、魂だけの状態だと長くは生きられないみたいな事を言っていた。だからアラベルは、このまま放っておけば消えてしまうのだろう。
消える前に、少しでも自分のした事を振り返れて良かった。
「・・・キラ!早くも・・・」
遠くに聞こえていたノワの声が、少しずつ大きく、そして切迫感を強めて来る。
・・・何だ?
「・・しいだけじゃ、『冥府』のえい・・・」
言っている内容が聞き取れそうで聞き取れない。何を言っているのかが気になり始めて耳を澄ます。
と、その時。
アラベルの体が浮いた。浮いて、そのまま強い力で奥の方へと引っ張られて行く。
驚いた表情を浮かべて、声も無く俺の方へと手を伸ばして来た。
その手を掴もうとした瞬間、今度は俺の体も浮かび上がった。
「・・・何だ・・・よ・・・?」
呟いたその時、耳元でビュー!!っという強風が通り抜ける音が鳴った。鳴ってそのまま、体が引っ張られる。
「魂だけじゃ、『冥府』にすぐ吸い込まれちゃうよ!危ないから早く戻って!」
風の音に混ざって、ノワの声がやっとまともに聞こえた。
「・・・は・・・、はぁ!?」
俺とアラベルが引っ張られてる理由が分かった。分かったけど、既に吸い込まれ始めている現状に、多いに焦った。
吸い込まれるとどうなる?どうなるんだ?そもそも『冥府』って何だ?元居た世界みたいな、ここから見たら異界って事なのか?
「大丈夫」
焦る俺の少し先で、アラベルが言った。
「『冥府』には父様がいるわ。父様は『冥府』の王なのよ。だから私と一緒に行けば、何も怖く無いわ」
落ち着いた様子でそう言うアラベルだが、ノワの次の言葉を聞いて顔色が変わった。
「『冥府』は、罪人の魂の墓場なんだ。罪を犯した者の魂を落とす所で、その内は虚無で満ちている。つまり、暗くて何も無い所だよ」
「・・・嘘よ・・・」
青ざめた顔で、首を左右に振るアラベル。
「入り口は一方通行、落ちたら最後二度と出て来られない。だから早く体に戻って!」
追い討ちを掛けるその言葉に、アラベルはもう真っ青になって、左右に激しく首を振った。
「嘘よ、嘘だわ。だって姉様が!」
そう言って、両手で口元を覆うアラベル。何かに気付いた様子で、小刻みに震え出した。
「姉様が、もしもの時は異界じゃ無くて『冥府』の門を開けって。そうすれば父様が助けてくれるはずだからって・・・。罪人の墓場って何よ。一方通行?聞いてないわ」
「アラベル・・・?」
「兄様はドニに夢中だから、私もドニみたいになれば兄様が戻って来るって、姉様が言った。ドニみたいになる方法も、教えてくれた・・・」
そう言って顔を覆うアラベル。
彼女は気付いたのだ。
自分が騙されて、利用されていたと言う事に。
騙されて、償い切れない罪を犯してしまったという事に。
アラベルの肩の震えが増した。増すのに比例して、引き込まれるスピードも加速する。
ダメだ。このままじゃ、引き返せなくなってしまう。
アラベルも同じ事を思ったのだろう。焦った様に俺に手を伸ばした。
「嫌よ。私『冥府』になんか行きたく無いわ!」
手を伸ばして、引っ張る力に抗ってめいいっぱいもがく。
その手の指先が、俺の手に届いた。グッと指先に力を込めて引っ掛け合って、ちょっとずつ近付いてとうとうアラベルが俺の制服の袖口を掴んだ。
やった。
そう思うものの、俺自身も引き込まれつつある事実は変わらない。
その時、俺の足を誰かが掴んだ。
強く、しっかりと掴まれる。そのままグッと引き上げられて、上着の裾を掴まれ引っ張られる。その反動で俺の上体がガクッと揺れて、アラベルの手が離れてしまった。
「!」
「あっ・・・!」
お互いに息を呑んで、そして視線だけが絡み合う。
徐々に離れて行く、俺とアラベルとの距離。
「や・・・、いや。1人にしないで・・・」
アラベルが俺に哀願した。
「1人はいや!お願い、誰か助けて!」
アラベルの叫び声が辺りにこだまする。けれども、届かない。
その時だった。
手を差し伸べて身動きの取れない俺の横を、何か大きな物が通り過ぎた。
巨大な影は勢いよくアラベルに向けて一直線に進んで、追い付くと彼女を抱き込むみたいに包み込んだ。
・・・セーライだった。
セーライの口元が何かを言った。聞き取れないけど、口の形で何を言っているのか大体分かった。
「1人にしない。一緒に行く」
そう言っているように見えた。
それを見て、俺は伸ばした手を戻した。
引き込まれる勢いは落ち着き、今は逆に元の場所へと戻っているみたいに感じた。
俺は、振り返って俺を掴んだ手を見た。
細くて白い、綺麗な手。そこから辿って手の主を見る。強い風を受けて長い髪を靡かせる、エリスの顔が見えた。
俺は、エリスに向かって手を伸ばした。風が強くて何も喋る事が出来ない。それでも、どうしても「ありがとう」と伝えたくて、俺は無理矢理口を開いた。
エリスが俺の手を掴み、そして引き寄せる。顔が近付いて、そして彼女の腕の中に抱き込まれるのを感じた。彼女の胸の中は暖かく、安らぎを与えてくれた。
そのまま俺は、意識を失った。
失う寸前に、何かが俺達の横を通り過ぎて行くのが、見えた気がした・・・。




