35、冥府の門
騎士達の間から「セーライ神だ」と言うような囁きが聞こえて来た。黒い煙を潜り抜けて、セーライの大きな姿を見つけたからだろう。騎士達は皆、構えていた剣や槍の切先を床に向けて胸に手を当てて片膝を付いて敬意を表した。
そんな騎士達の様子を視界に収めて、セーライ、いやアラベルは顎先を上げて目を細め、まるで見下す様な表情を浮かべる。
「若い娘達はどこ?」
地を這うような低い声でそう聞くアラベル。見るからに機嫌が悪い。
床の上が血の池のようになっている。大量の血が流れた形跡がハッキリとあるのに、肝心の女性達が居ないのだ。機嫌が悪い原因がそこにあるのは疑い様が無い。
けれども騎士達は、訳が分からない様子でお互いに顔を見合わせる。そして、最後に全員がシンを見た。
「若い娘達、とは?」
臆さずシンがそう聞く。聞きながら胸に当てた手を槍に戻し、ゆっくりと立ち上がってその槍先をセーライに向けた。
そんなシンの様子を見て、他の騎士達が騒めいた。
女性達は、ニコラと爺さんが連れ出していた。既に命を奪われてしまった女性達の体も、2人が運び出してくれていた。
ここにあるのは、流れ出た大量の血だけ。
アラベルは、屈んで床から血を掬い上げた。膝を付いた状態で手を高く掲げて、掬い上げた血を顔に浴びる。真っ赤に染まり行くセーライの顔。それと共にムッと広がる鉄臭い空気。
騎士達の何人かが、口元を覆って横を向いた。
「ああ、こんな血だけじゃ足りないわ」
言いながらアラベルは、もうひと掬いして今度は頭からそれを浴びる。
「話が違うじゃない」
言って立ち上がると、一瞬手元がブレて見えた。
「ヒッ!」
短い悲鳴が聞こえたかと思うと、アラベルの手元には1人の騎士が摘まれていた。それは煩瑣な鎧の若手の騎士で、逆さまに吊り上げられながらも必死に足をバタつかせてそして持っていた弓を構える。
「セーライ神よ、お許しあれ!」
そう叫んで弓を引く腕に力を込める、捕らえられた若手騎士。
が、矢が放たれる事は無く、若手騎士は構えたままで矢尻や縛った弦の確認を「あれ?あれ?」と繰り返していた。
そんな様子を見て、楽しそうに笑うアラベル。
「セーライが与えた加護が、セーライ本人に向けて放たれる訳があるまい」
そう言うと、摘んだのと反対側の手で暴れる足を掴んだ。左右の指先で両足先を摘み、騎士を逆さまに足を左右に広げて一気に引き裂いた。
ビリッという音と共に、飛び散る血液。それを浴びて、高らかに笑うアラベル。
「何という事だ・・・」
シンが呟いた。
同時にシン以外の騎士達も立ち上がる。一斉に武器を構えて戦闘体制を取った。
「エグ・・・」
横でノワが、そう小さく呟いた。見ると、体中でめいいっぱい力んでいるみたいに全身が小刻みに震えていた。両目は大きく見開かれて真っ直ぐにアラベルを見ている。
何だか爆発しそうだな。
そう思った時、ノワが一歩踏み出した。そしてアラベルを指差して大声で言う。
「あのさ、自分何してるか分かってんの?自分の手で人を殺して、そんな事してどうなるか分かってんの?」
指差す勢いが良すぎて、ノワのフードが捲れ上がった。隠れて見辛かったノワの表情が分かりやすくなる。
シン以外の騎士達が、ここに来てようやくノワの存在に気付いたようだった。何人かが「ノワ様」と声を漏らす。
ノワは、泣いていた。大きく開かれた目から止めどなく涙が流れ出し続けている。それは、引き裂かれてしまった騎士の命が失われた事への講義の涙なのかも知れない。沢山の涙が流れ出ていてもノワの口は達者で、詰まる事なく言葉を紡ぎ続けた。
「人と人が殺し合うのとは訳が違うって事、理解してる?大した理由も無く、しかも何だか楽しそうに、弄んでるよね?こういうのを弄ぶって言うんだよね?お前、こんな事したら・・・」
「私じゃ無いわ」
ノワの声に被せてアラベルが言った。遮られたノワは一瞬口籠って、そして「はあ?」と言った。
「だから、私じゃ無いのよ。全部『セーライ』がやってるのよ」
アラベルはそう言って、2つに引き裂いた騎士の片方を口に含む。含んでしゃぶって、そして真上に引き上げる。血に塗れていたその半身の体は、アラベルの舌で洗われて綺麗になって、そしてアラベルの目の前にぶら下がる。
アラベルは笑った。笑って舌舐めずりをする。悪く無い味だ、そう言っているみたいに見える。
「ぜーんぶ『セーライ』の所為なのよ。『セーライ』が悪いの。私は何にもしてないんだから」
そう言いながら、反対側の手で摘んだ半身の方も口に含もうとした。
そこへ、槍が飛んで来た。槍は真っ直ぐ飛んで、騎士を摘むアラベルの手に刺さった。
「痛っ!」と漏らして思わず手を離すアラベル。落下した騎士の右半分を、駆け込んだトールが受け止めた。そしてそのまま騎士達の元へと飛び下がり、構える騎士達の後ろ側の壁に寄り掛かる感じで座らせてあげた。
トールは、その半分しか無い耳に向かって囁く。
言ってる事は分からない。でも多分「頑張ったな」とか「ここで見てろ」とか「後は任せろ」とか、そんな感じだったんじゃ無いかと思う。
「アキラ」
ノワが俺を呼んだ。アラベルの方を向いていた顔を俺に向ける。涙に続けて鼻水も出始めていた。
「言ったよね?人を守る手助けをして欲しいって。ねぇ、何するの?何すれば良い?僕、何でもするよ」
ノワは俺に詰め寄って胸倉を掴んで来た。いや、縋って来たのか。涙と鼻水は垂れ流しで、そのまま自分のマントや床に落ちている。
「だから止めて。アイツを何とかしてよ。これ以上、人を殺させないで!」
「弓は帰れ!帰って他のと交代して来い!」
ノワの叫びにシンの指示が重なる。
「盾前へ!アラベルを絶対に外に出すな!」
騎士達が命令に従って動き始める。弓の騎士が何人か集団になって来た道を引き返して行く。そして残った騎士達が隊列を組み直す中、シンが俺を見た。
「おい、勇者さんよ!何とか出来るのか?」
俺はシンを見て、そしてノワを見た。
「ノワ、今からノワの未来を持って来るよ」
俺の言葉を聞いて、一瞬キョトンとするノワ。
「僕の未来?」
言いながら首を傾げるノワを見ながら、俺は続けた。
「そう。ノワの未来だ。未来のノワが出来る事が今出来るようになる。だからその未来の力で」
そこまで言って、俺はアラベルを見た。
「アラベルを引き摺り出してくれ」
俺のその言葉を聞いて、ノワの目がキラリと光った。その光は黒目の所を時計回りに一周して、そして真ん中に収まる。一度瞬きをすると、その後の瞳は一回り成長したみたいに力強くなっていた。
「分かった!」
答えるノワ。
俺は「行くよ!」と言ってノワとデコを合わせた。お互いにデコを合わせたままで目を合わせる。ノワの上目遣いの瞳に俺の瞳が映り込んでいる。その瞳の中に点が見えた。点は線になって、縦に一本のラインになる。それが真ん中で折れ曲がったかと思うと、片方がグルリと回転する。360度回る毎にもう片方も少し回り、それがアナログ時計の長針と短針に化けて、時間が急速に進んで行くのを肌で感じた。
どれくらい経ったのか分からない。長かったのか、それとも一瞬だったのか。でも、急に静電気みたいにデコの合わさった所がバチッとなって俺達はお互いに弾かれた。タタラを踏む俺の前で、ノワが屈んだ背を伸ばす。
何で屈んでいるんだ?何で背筋を伸ばすんだ?
そう疑問に思った俺は、改めてノワを見て、そして理解した。
背が、デカくなっている・・・。
伸ばした背筋を追いかけて、長い髪の毛が靡く。
髪まで伸びてるじゃん・・・。
何で、育ってんだよコイツ。
俺の時、見た目変わらなかったのに。
髪を掻き上げると顔が見えた。幼さの残っていたノワの顔が、シャープに、精悍に変わっていた。
ここに来る時に、三叉路の隠し扉の所で見た男の顔とは少し違っていた。今のノワの方が、少し目が丸く大きくて、何となく優しい感じに見える。
やっぱりあれは『過去』で、あの『王』と呼ばれていた男はノワでは無かったのだ。恐らく、現国王。ノワの母方の伯父だから、顔が似ててもおかしく無い。ちょっと似過ぎな気がしなくも無いけど。
ノワが横を向いた。
シンの槍を手に刺されて怒ったのか、アラベルが騎士達に向かって手を伸ばしていた。
体が大きいとは言えその動きは素早い。騎士達も必死で避けつつ盾の間から槍や剣で応戦しているが、成す術も無く対処療法の如く、避けるだけで精一杯といった感じだ。
が、アラベルが突然背後を振り返る。何も無い筈の空間に手を伸ばして、何かを探る様に手を動かした。続けて右側に手を伸ばし、今度は左側。何かに翻弄されているみたいだった。
「槍構え、よーい、撃て!」
アラベルが何かに気を取られている間に、シンの掛け声に合わせて、正面の盾騎士の集団の間から何本もの槍が投げ出された。それぞれに放物線を描いてアラベルの体に刺さる。
低い唸り声を上げて、アラベルが膝を付いた。
「続けて行くぞ、準備!」
シンの声がそう響いた時、アラベルが床スレスレに手を伸ばして、左から右へと広範囲にその手を移動させた。その腕の移動の途中で、何かが引っ掛かる。
そこから上がる小さな悲鳴。それと共に姿を現す騎士。その数7人。うち2人は見覚えがあった。ジョセとそれから、アリと言っただろうか。共に若手の騎士で、訓練場で手合わせをする時に見かけた奴らだ。(ジョセの方は俺と手合わせをした左利きのヤツだった)
ジョセが右手を上げて合図を出す。すると7人がそれぞれに回れ右をしてアラベルに背中を向けて散開して行く。散らばる途中でその姿が薄くなり、そして見えなくなった。
「『透』だ。珍しい『加護』を持ってる騎士がいるね」
ノワが説明をしてくれた。
あんな『加護』もあるんだ。
感心した所で、アラベルが立ち上がった。刺さっていた槍がポロポロと抜け落ち、刺さったままになっていた何本かを苛立ちと共に抜き捨てる。
俺がアラベルのそんな様子を見ている横で、ノワがサッとしゃがんだ。
「アキラ、行くよ。アラベルを引き摺り出す」
言いながら血溜まりになっている床に手を付く。そこは、俺の体で松明の明かりを遮られた影の中で、そのまま付いた手を握り締めると、影の中から産まれ出た棒のような物を引き揚げる。
血を浴びて紅く染まったそれは、巨大な鎌だった。
大きな鎌の持ち手の端からは鎖が繋がっていて、長く伸びたその反対側には雫のような形の錘が付いている。鎌を持つ手の反対側の手でその錘の付いた鎖を振り回すノワ。色白の肌に黒いフード付きのマントに長い黒髪。その姿はまるで死神のようだ。
死神ノワが、鎖を投げる。それはそのまま真っ直ぐアラベルを捉えて巻き付いた。
「何よこれ!」
叫びながらアラベルが振り向く。ノワと目が合った。合った瞬間・・・。
ノワが飛んだ。飛んで大鎌を構えて、その首を落とそうとする。
アラベルが避ける。避けて落ちていた槍を拾い、それをノワに向ける。
飛んで宙にいるノワは避けられない。
危ない・・・!
そう思ったその時、何かが床の上を走った。滑るような滑らかな動きで2人の間に入り込むと、丁度真ん中辺りで飛び上がる。
カキンッと金属音を立てて槍が弾き飛ばされた。
見るとそれはトールで、2本の剣をそれぞれ左右の手に持ってノワを庇い降り立つ。
「援護します」
言ってすぐに走り出して、アラベルの目を狙う。
アラベルも早いけれども、鎖に縛られた彼女よりもトールの方が何倍も早かった。
寸前の所で首を捻ってトールの剣を躱すアラベル。勢い余ったトールの姿が通り過ぎたその目の前には、ノワの大鎌が迫っていた。
「出て来いよ!」
唸るように叫ぶノワ。その声はいつもよりも低くて、死神そのものの声のように感じた。
避け切れず、アラベルの首にノワの大鎌が掛かった。
ヒュッと息を飲み込む音が響いたかと思うと、首を通り抜けて鎌が擦り抜ける。目を閉じてそのまま倒れ込むセーライの巨体から、ノワの鎌に引っ掛かってくっついて来る光が見えた。
赤黒い、歪な形の光。
アラベルだ、とすぐに分かった。
アラベルは、何とかセーライの中に戻ろうともがく。もがいてもがいて、戻れないと諦めたのか、セーライの体とは反対側へと触手を伸ばした。
伸ばした先には大きな水瓶がある。セーライが出て来た、部屋の真ん中にあるアレだ。
逃げようとしている。
何故だかそれが分かった。
水瓶の水面が波立ち、薄らと光始める。
「・・・!異界への門が・・・!」
いつの間に戻って来たのか、部屋の隅に立つ爺さんがそう呟いた。
アレが、異界への入り口、なのか・・・?
その時俺は、もしかしてあそこに飛び込んだら、元の世界に戻れるのではないか?と考えてしまった。
あの光る水瓶の中に、腐食して折れた手摺りのある、学校の屋上があるのではないかと。
思わず一本前進してしまう。
けれども、何となく違和感を感じた。
何というか、違う気がするのだ。
あの向こう側にあるのは、俺の知っている世界では無い気がする。もっと寒くて、もっと暗くて、もっと静かで、そして、この上なく寂しい所。
「違うよ。あれ、異界じゃなくて『冥府』だよ・・・」
ノワが呟いた。
『冥府』って、何だ・・・?
疑問に思う俺の耳に、誰かの声が届いた気がした。
「・・・助けて・・・」
と。
消えそうな小さな声。女性の、高い声で。
弱々しいその声が、赤黒い歪な光から聞こえているという事に気付くのに、そんなに時間は掛からなかった。
「・・・助けて、父様・・・」
そう聞こえたかと思うと、アラベルはノワの鎌から外れて、水瓶へと一直線に向かう。
逃すか!
俺はアラベルに向かって一気に跳躍した。




