31、負傷者達
神殿の敷地内、建物と門の間の開けた場所にシートを敷いてその上に負傷者が並べられていく。
「衛生班はまだか!」
「今こちらに向かっています!」
騎士達の叫び声が右から左から飛び交っていた。
負傷者の数は多い。突入していく人数と、運び出される人数が同じくらいで、効率良く負傷者を産出しているように錯覚してしまいそうだった。
「カロン、震えているのか?」
横から声を掛けられる。
「いえ、震えてなど・・・」
答える声が震えていた。
「実戦は初めてか?恐れる事を恥じるな。震えて当然だと思え。震える事を踏まえてどう動くかを考えろ」
見習いに毛が生えた程度だった。まだまだ訓練生気分が抜けていなかった。実際に戦いの場のすぐ目の前に来てそれを自覚する。
大丈夫だ、自分になら出来る!と自らを鼓舞した。それによって身体中を熱い血が巡るのを感じる。それなのに、剣を持つ手が、身体を支える足が震える。
自覚すればする程、震えが止まらなかった。
本能が、ここから逃げろと言う。それに抗い、踏み止まるだけで体力を消耗してしまいそうだ。
いっそ、待機命令を無視して今すぐ突入してしまいたい。その方が心身共に楽になれそうだった。
そんな極限のジレンマに苦しんでいた時だった。
「大丈夫です。助かりますよ!」
場違いに明るく、可愛らしい声が聞こえた。
その場にいる全員が振り返る。見ると、どこから現れたのか負傷者の手を握り顔を近づけて励ます女性の姿があった。
深く被ったフードの所為で顔は見えないが、頭から足先まで全てが白一色の装束を纏っている。
あまりにも突然、湧き出すように現れたので、誰1人として反応が出来なかった。
女性は周囲を見回して、そして俯き小声で何かを呟き始める。すると、片方の手のひらから黄金の糸が出て来た。
『金糸』だ。
周囲から響めきが聞こえた。
彼女の『金糸』が負傷者を治療し始める。その負傷者は、首元、頸動脈のすぐ横に矢を食らっていた。出血が酷く矢を抜く事が出来ず、短く折った矢が今でもそのまま首に刺さっている。そこを黄金の糸が優しく撫でる。撫でる度に出血量が減って、驚いた事に押し出されるようにして刺さったままの矢が抜け始めた。
「ジェン、矢が取れたら傷口を布で覆って下さい」
女性がそう言うと、脇から少年が現れた。彼が『ジェン』なのだろうと言う事は分かった。だが・・・、
その少年が現れた瞬間、周囲に緊張が走った。少年がセーライ神殿の神官服を纏っていたからだ。
1番側にいた騎士が少年、ジェンの腕を取り、背中側で掴み上げて拘束する。
「うわ!痛い!痛いです!」
少年、ジェンが泣きそうな声でそう言った。
「セーライ神殿の神官か!拘束させてもらうぞ!」
確認する様に叫ぶ騎士。その騎士に向かって女性が、負けない位に大きな声で叫ぶ。
「何をしているのです!人の生死が掛かっているのですよ!無駄な争いをしている暇があるのなら手伝って下さい!」
「なっ・・・」
女性が負傷者から一度手を離し、言い淀む騎士の元へ大股で歩み寄る。そして拘束している騎士の手に触れた。
瞬間、騎士が小さく悲鳴を上げて手を離した。
呆然と顔の前で、握った自身の手と女性を代わりばんこに見る騎士。それを無視して、自由になったジェンの手に布を持たせる女性。そして、ジェンが今し方治療を施した負傷者の首元に布を巻き付けるのを確認すると、自分は次の負傷者の元へと向かう。
唸り続ける負傷者の顔に近付いて、触れそうな距離感で相手を励ます。
「もう大丈夫ですよ!」
手を握り締めて、相手の目を見て笑い掛ける。その負傷者には両脚が無かった。
大の大人、見慣れている筈の騎士ですら目を背けたくなる様な状態でも、真っ直ぐに向き合い笑顔を絶やさない。
白装束が、血と泥で汚れていく。けれども全く気に留めずに治療を続けて行く女性。
「ジェンは私を手伝います。邪魔は許しません」
手を休めずに言い放つ女性に、待機中の手の空いた騎士達が1人、また1人と手伝い始めた。その、手伝い始めた騎士の一人ひとりの手を取り、顔を近付けて感謝を伝える女性。
「ありがとうございます!助かります!」
常に笑顔で的確に動き続ける。
「聖母神殿の神官か?」
騎士の1人がようやく女性に聞いた。
「はい。縁あってこちらにお邪魔していた所、騒動に気付きました。微力ですが手伝わせて下さい」
「そうか、助かる。まもなく衛生班が到着する筈だ。もし可能なら彼等に状況を説明し、協力して治療を頼みたい」
「分かりました」
受け答えをしながらも女性は治療を続ける。脇下から心臓に向けて矢を食らった騎士だった。先程と同じく矢は刺したままになっており、急所は外れているものの動かすのは危険そうだった。
考えるよりも先に体が動いていた。負傷した騎士の腕を持ち上げて、女性が治療をしやすいように固定する。
「!、ありがとうございます!」
女性が満面の笑みで言いながら、俺の手に自分の手を添えて、顔を近づけた。
若い女性特有の甘い良い香りがして顔が赤くなってしまう。
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。仲間を治療してくれて、ありがとう」
赤くなった顔を隠す為に下を向いた。そして思う。
ああ、この女性の距離の近さと溢れる笑顔は職業病のようなものなのだと。自身の気持ちを上げると同時に、周囲も巻き込む明るさと華やかさ。元気な声を聞くだけで負傷者は怪我をしている場合では無いと思うだろうし、負傷者を見た側の我々の沈んだ気持ちも上向きに変えてくれる。
いつの間にか、身体の震えは、止まっていた。
「アリ・ド・カロンと申します。良ければお名前を伺っても?」
彼女の名前が知りたかった。
周囲の騎士達が聞き耳を立てるのが分かった。みんな、彼女の事を知りたいのだ。
凛として、誠実で、気高い。
この一瞬で彼女に惹かれた。恐らくこの場にいる全員がそうだっただろう。
「カロン、出るぞ!」
その時、命令が下った。
まだ待機の騎士が、俺の代わりに負傷者の腕を支える。
俺は心の中で舌打ちをして命令に従った。
立ち上がり軽く会釈して、背を向けて走り出す。
「ココナと申します」
背中に向けて、彼女が叫んだ。
思わず振り向く。と、彼女がフードを捲り顔を見せて微笑み掛けてくれていた。
「聖母神殿のココナです」
透き通る様な白い肌に、少し高揚した薔薇色の頬、黒目がちの茶色い瞳は大きく、その上の眉は眉尻の少し下がっていて、常に困ったような面立ちをしている。
天使かと思った。
時が止まったように感じた。息をするのを忘れる。
「おい、急げ!」
催促の声が響き渡る。その声に焦ってヒュッと息を吸い込んだ。急に吸い込んだせいで、少しむせてしまう。
むせながらもう一度彼女、ココナを見る。微笑み続けるココナに会釈をして、俺は駆け出した。
無事任務を済ませて、早く彼女の元に戻りたい。
心が逸った。
「良い虚だろう?」
突如、耳元で声が聞こえた。
「大きな体に見合った、広大で快適な虚だ」
気付くと、再び真っ暗な空間だった。
首を捻ると、そこに居た。
第3夫人と良く似た情熱的で気が強そうで、胸の大きな女性。
アラベルだ。
「助けられて以来ずっと1人で居たから、己の目で他の者を見るのは久し振り」
そう言うとアラベルは、首を傾げて笑いながら俺に聞いた。
「お前誰だ」
そう言った途端に笑いが消えて真顔になる。美人の真顔って怖い。でもそれに怯む俺じゃ無い。
俺はアラベルを睨んで言った。
「お前が沢山の人の命を奪って、他の世界から連れて来た人間だよ」
それを聞いて、アラベルは合点が一致したのか納得顔で顎を上げて俺を見下すように見てくる。
「ああ、そうか。もう1人の方か」
言いながら俺を指差してくる。そして、急に目を吊り上げて、叫ぶように言った。
「誰の許しを得てここに居る?出て行け!」
言い終わるか終わらないかのうちに、俺は何らかの強い力で背後に弾き飛ばされる。取っ掛かりも何も無い暗い空間では、無重力の宇宙空間にいるみたいに慣性の法則でただただ最初に食らったエネルギーに運ばれ続ける。
両手足をバタつかせるがどうにもならずに、そのまま飛ばされるうちに周囲が光に包まれ始める。光がどんどん強くなって、仕舞いには眩しくて何も見えなくなった・・・。




