30、惨劇
以来、聖母と会う事は無かった。セーライは神殿に地下を作り、そこに引き篭もった。用がある時は神官達がセーライの元を訪れる。
かつてのテラと同じだ。
キッカケはどうあれ、理由もどうあれ、他者と関わり合いを持ち続ける事に疲れ、1人でいる事を好むようになったのは2人共同じだった。
元来、セーライは人が好きだった。言葉は不安定だったが、コミュニケーションを取る事は出来ていたし、何よりも技術を授け感謝を受ける、そのやり取りが彼に幸福感を与えていた。
何故奥に引っ込むようになったのか。
その1番の理由は、セーライの中にいるアラベルだった。
彼女はセーライの中で暴れた。
油断すると身体を乗っ取られたし、若い娘を見ると触手を伸ばした。
それを抑える為に、神殿の神官達は全て男性になり、またアラベルを抑えようと暴れるセーライを恐れてか、新たに神官になろうと思う者は徐々に減り行きみな年老いていった。
そんなある日の事。
「セーライ、お願いがあるの」
第3夫人が訪ねて来た。
彼女のお腹は大きく膨らんでいた。
「・・・」
何故だかは分からない。けれどもセーライは、そのお腹を見て恐怖を覚えた。怯えるセーライを見て、第3夫人は少し笑う。
「アラベルと話をさせて」
セーライは嫌だと思った。けれどもすぐに考え直す。第3夫人はアラベルの実の母親。自分が2人の邂逅を妨げる権利は無いと思ったのだ。
「2人切りで」
付け加えられたそれの言葉を聞いて、セーライは鳥肌を立てた。断るべきだ、と本能的に察したが、その考えを押し込めて第3夫人の申し出を受ける。
母親が子供に会いに来た。それだけの事だ、と自分に言い聞かせて。
意識をアラベルに渡し、次にセーライが見たものは惨劇だった。
いつもの地下の部屋だと気付くのに時間が掛かった。余りにも変わり果てていたからだ。
薄暗い事は相変わらずだが、汲み上げて巡るようになっていた地下水の流れは赤黒く染まり、壁も、床も、全てが赤黒かった。空気は澱み妙に生暖かく、鉄臭く煙たく、そして何かが焦げたような臭いもした。
頭上から木片が落ちて来た。焦げて裂けた木片。所々パチパチとスパークしている。
「まんまと逃したわ」
第3夫人の声がした。
シュッと音を立てて、少し周囲が明るくなる。
「すぐに行方を追いましょう。そして使命を伝えねばなりません」
聞き覚えの無い、人間の男の声がした。見ると、マントを身に付けた男が5人いて、声を発したのはそのうちの1人だった。
目を凝らすと、マントの5人の男と第3夫人の他に、見慣れた神官達の姿も見えた。そして、もっと下、床を見てセーライは固まる。
床が赤黒く見えるのは大量の血で溢れているから。その血の持ち主であっただろう者達は、全ての血を抜き取られミイラのように干からびて自分の足元に雑に積み上げられている。
「何を、した・・・」
セーライは震える声でそう言った。言って、自分の手を見る。
その手も赤黒く染まっていた。
途端に蘇る感触。柔らかい体を摘み上げて、首を折り、肩から腹を斜めに切り裂いて、そしてギュッと搾り上げる。出て来る血を頭から浴びて、取り込む・・・。
「素晴らしいわ。この娘達の美しさも、若さも、全て私のもの・・・!」
自分の口から発せられた、アラベルの声。
「ちょっとアラベルの力を借りたのよ。時空を越えた向こう側から、邪魔者を退治してくれる勇者を迎える為に」
アラベルは父親の力を多く授かっていた。時空を越えて道を繋ぐ事もその一つ。だがまだ幼く、その力は自在に使えなかった筈だった。
「あなたのおかげよ。あたなの身体に入る事によってアラベルは成長したのと同じになったみたい。素晴らしい力だったわ」
視界の隅で、マントの5人のうちの2人が神官に案内されて出て行った。残りの3人のうちの1人がフードを脱いで顔を露わにする。
見た事の無い男だった。
セーライの手が震えた。怒りと恐怖と、哀しさと自己嫌悪が掛け合わさって膨れ上がって、抑えきれなくなる。
アラベルの気配はほぼ無かった。疲れ果てて深く眠っているみたいに感じられた。
「ご褒美に欲しい物を上げたのよ。そうしたら楽しそうに切り裂いてたわ。ありがとうねセーライ。あの時あの子を助けてくれて」
セーライは叫びを上げた。
あまりの声量に、周りのものがガタガタと音を立てて震える。空気も震える。周囲の者達は皆耳を塞いで後ずさりをする。
叫び、息継ぎをし、また叫び。
何度も繰り返すセーライを、神官達が支えた。
あまりの煩さにか、第3夫人も、残ったマントの男達も退散した。
「セーライ様」
セーライの名を呼び続ける神官達。彼等は名を呼び、大きな身体を支え、撫でて、そして涙を流し続けた。
「なんという、罪深い、事を。私は、こんなにも、沢山の人間を、殺して、しまったのか」
セーライの心は壊れる寸前だった。涙を流し、大声を上げる事で辛うじて正気を保っていた。
「聖母にも、なんと言えば、良いのか・・・。こんなに、沢山の、人間を、殺して、聖母が、怒らない、筈無い」
声を上げ続けるセーライに、神官の1人が言った。
「聖母様がお怒りになる事は無いでしょう・・・」
そう言って、力無く俯く神官。
その神官の言葉に、セーライは静かになった。
「・・・」
1人の神官が俯くと、それに続いて他の神官達も下を向き始めた。彼等の肩が小刻みに震え始める。
みんな、泣いていた。
「殺したのは、私達でございます。セーライ様は、死んだ娘達の身体を傷付けただけ・・・。罪は、私達にございます」
「例え意識を乗っ取られていたとしても、セーライ様に罪を犯させる訳には参りません。代わりに私達が、やりました」
「セーライ様は何も悪くありません!」
セーライは、再び大きな声で泣き始めた。泣き崩れ、支える神官達を抱き寄せて、ただただ泣いた。
再びアラベルを呼び出したい。
そんな打診があったのは、それから10日程経った頃だった。
今度は第3夫人は姿を見せず、代わりにマントを被った男が3人でやって来た。以前見たのと同じマントだったが、中身は別の人間のようだった。
勿論セーライは断った。神官達も拒絶した。けれども、彼等は断る事が出来なかった。
断れば、全てを聖母の耳に入れる。
そう言われたからだ。
全てが聖母の知る所となればどうなるか。
アラベルの魂はセーライから取り出され、存在を消されてしまうだろう。
アラベルは、聖母に身体を燃やされて以来ずっとセーライの中にいた。セーライの中でまるで時が止まったかのように、あの時のままの幼い思考のままで。セーライにとってはずっと子供で、ずっと庇護する対象。2人の関係性は、2人がひとつの身体の中に収まる前と後とで何も変わっていなかった。
アラベルを守りたい。
その気持ちが、人間を殺めたく無いという気持ちよりも勝った。
神殿で、若い娘の募集が始まった。
前回は全てアラベルが仕切っていたが、今回はセーライが行った。
あの日以来アラベルは、セーライの中から出て来ない。余程疲労が激しかったのかも知れない。
若い娘の数が多い程、アラベルの力は大きくなる。
それは、前回の儀式でセーライにも感じられていた。だから、今回は前回よりも多くの若い娘を集めなければならない。儀式の後、アラベルが疲れ果てて出て来られなくならないように。
マントの男達は、再び異界から新たな者を呼び出そうとしていたが、セーライは違う事を目論んでいた。
このままでは、アラベルの力を利用する為に、何度も同じ事をされる可能性があったから。
そうする訳には行かない。沢山の罪の無い命を、こんな事の為に奪う訳には行かない。
だから、考えたのだ。
異界から招くのでは無く、こちらから送り込んでしまおうと。
異界へアラベルの魂を逃そうと。
その方が、こちらの世界で利用され続けるよりも余程良い。
セーライも神官達も、マントの男達に従うように見せかけて、最後の最後でセーライが表に出てアラベルを送り出そうと。
けれども、その計画は寸前で頓挫する事となってしまった。
すっかり、騙されていたのだ。
あの日以来、何の音沙汰も無かったアラベル。
疲労しているのかと思った。表に出て来る事が出来ないのかと思っていた。けど、違ったのだ・・・。
ずっと、幼いままだと思っていた。けれども、それも演技だったのだ・・・。
彼女は、力を隠していたのだ。前回、娘達から吸収した血と力。異界との道を繋ぐのに使った力よりも多く、沢山の力を蓄え、それを隠して眠りについたのだ。
何の為に?
それは、全てを奪い、自分の物にする為に。
セーライの身体、セーライの力、神殿、そして、この世界をも。
それが出来ると思ったのだ。
元来持っている父譲りの巨大な力に加えて、姉から授かった『他者の力を奪う』力があれば。




