26、セーライ
「ノワ」
呼び掛けながら、俺はノワの手を掴んで握った。
ノワの目が俺を見る。不安気に揺れる、小さな子供みたいな目だった。
「ノワ、手伝って欲しい」
話し掛ける俺の顔を見るノワは小刻みに震えていた。
「人を、」
震える声で俺に言う。
「うん?」
俺は返事をしながら手を掴んだのと反対側の手でノワの肩を軽く叩いた。
「人を傷付けられない。僕は、そういう風に作られている」
「そうか」
半分人間。でも半分神様。その神様の部分が、ノワに人を傷付ける事を制限させているのだろうか。
以前見たテラの記憶の中でもそんな様な事を聞いたのを覚えている。
この世界の人を直接傷付ける事は出来ない。何故なら聖母に罰せられるからだ。
相槌を打つ俺の制服の胸元を、ノワが縋り付く様に掴む。
「大丈夫」
安心させる様に俺は言った。
「ノワに人を傷付けさせないよ。逆。守る事を手伝って欲しいんだ」
神様が人を傷付ける場合には、この世界の者を操ってやらせれば良い。
『悪意操作』
テラはそんな風に言っていた。
知能の低い生き物程操作が容易く、高度な生き物は扱いが難しい。知能が高い人間に対してそれを出来る者は、数えるほどしか居ない。しかもそれを実際にやる者など、ほぼ居ないに等しい、と。
騎士達と魔物達が対峙するその向こう側、そこに行かなければならない。
いつのまにか『未来の俺』は消えていた。きっと過去との採算が取れたのだ。さっきまであった焦燥感は無い。けれども、やるべき事は分かる。
デコは相変わらず痛い。その痛みは消えない。痛みの原因がまだあるからだ。
「何を、するの?」
ノワが聞いて来る。本当に子供みたいだった。
「爺さん達が『魔物』になってまで守りたかったモノを、取り除く」
「お止め下さい・・・」
トールが担ぎ上げる肩の上で、1人だけ無事だった爺さんが小声で制止してくる。
この爺さんは、今この奥で何が行われているのか、全てを知っているのかも知れない。
そう思って俺は、騎士達と『魔物』達が戦っているその向こう側を指差して聞いた。
「ねえ、あいつらの向こう側で何やってるの?」
その時、爺さんが俺の顔を見た。長い眉毛の間から両目を見開いて、間近でハッキリと。
そして目を見開く。爺さんの俺を見る目が変わった。
「あ、あなたは・・・!」
俺の事を知っている反応。いや、俺の『顔』を、と言った方が良いだろうか。
「お爺ちゃん、アキラを知ってるの?」
ノワがそう聞く。
その声が聞こえなかったのか、或いは聞こえても無視しているのか、爺さんはノワには目もくれずに俺だけを見詰めて、そして俺の顔に手を伸ばした。
頬に触れる、皺くちゃで硬くて、あったかい手のひら。
「えっと、何?」
戸惑ってそう聞く俺に、ギリギリ聞こえる声で爺さんは言った。
「もう1人の方か・・・」
と。
肩がビクッと震えた。
この爺さんは、耀を知っている。
そう思った、その瞬間だった。
一瞬視界が揺らいだと思うと、頭の中に突如何かの風景が再生され始める。
この場所だった。今立っているこの場所。
ハザンが居た。
ハザンが前を歩いて、その背後に着いて進む誰か。その誰かの視点で薄暗い通路を進んで行く。
ハザンと誰かは、誰に呼び止められる事も無く真っ直ぐ進んで、そして大きな扉の前に立った。
ハザンが一度振り返って、そして前に向き直って扉を開く。
両開きの扉は難なく向こう側に向けて開いて、その先に広がる大きな空間に入り込むハザンと誰か。
周囲には大勢の気配を感じるが、2人は全く気に留めずにどんどん進んで行く。
目の前に現れる大きな水瓶。その中には並々と何か液体が入っていて、近付くに連れてその表面に自分達の頭から体に向けて姿が映り込んで行く。
ハザンが映り、そしてもう1人の誰かの頭が見えた。
脳天、前髪、額、眉・・・。
もう少しで顔が見える、という所で、デコに激痛が走った。
余りの痛さに、俺は両手でデコを押さえて座り込んでしまう。
呻き声を漏らしながら目をギュッと瞑ると、再生されて見えていた風景は消えた。
「アキラ、大丈夫ですか?」
「アキラ!?」
トールとノワが同時に、心配そうに声を掛けてきてくれた。
「大丈夫」
そう答えて立ち上がりながら、俺は分かった気がした。腑に落ちた。
このデコの痛みの原因が。
耀だ、と。
耀がいる。今、この場所の側に。
耀に近付くに連れて痛みが増すんだ。
今見たのは、耀の記憶なのだろう。顔こそハッキリ見えなかったけれども、頭から眉までのあの見覚えのある造り。間違い無い。
爺さんがトールに担がれたままで俺に手を伸ばして来た。
「1人は再び儀式を行おうとし、もう1人はそれを止めようとする・・・」
俺に向かってそう言う爺さん。
俺は爺さんを見上げた。
「儀式って何だ?俺はそんなのは知らない。俺はココナを止めに来た、それだけだよ。未来の俺が後悔しているんだ。今ココナを止めないままで進んでいってしまった『未来の世界』を」
そう。今俺の心の中にある1番強い思いはそれだった。勿論誘拐事件の事もある。誘拐された女性達だけでは無く、もっと多くの若い女性達が巫女募集という求人情報に誘われてこの神殿に集められているのだ。彼女達の安否の確認と身の安全の確保と、そして何よりも彼女達の事を待つ家族達の元に帰してあげなくてはならない。
でも・・・。
「セーライ様を、お助け下さい・・・」
爺さんが言った。俺に向かって哀願する様に。
トールがゆっくりと爺さんを下に降ろす。
降ろされた爺さんは、魔物と化した他の爺さん達に加勢するでも無く、逃げ出すでも無く、ただ俺を見詰めて、そして一歩踏み出して俺の手を掴み上げて握った。
「セーライ様は、決してこの様な残酷な事を望んではいないのです。聖母に負けない程に人を愛し、人に尽くして来られた方なのですから。本意では無く、そしてとても苦しんでおられます」
爺さんの言葉を聞いて、俺は口籠ってしまった。
どう言う事だ・・・?
急な説明に思考が付いていかず訳が分からない。分からないながらにも、俺は順番に考えてみた。
「セーライ神ってのは、神殿に居るのか・・・?」
まず、以前聞いた神殿の3つのタイプを思い出した。
神が住んでいる神殿、神が定期的に訪れる神殿、そして、神を捕らえて閉じ込めている神殿。
人を愛し尽くしてるという事は、つまり人贔屓という事だろう。そういう神様は、この世界に住み着いて人に力を貸すとハザンが言っていた。
「はい。神殿の地下にて、人の為に常に祈りを捧げておられます」
爺さんはそう言って、涙を流した。
「何で泣いてるの?」
問い掛ける俺に、爺さんは震えながら言った。
「人を、害する事は、決して、決してセーライ様の望みではありません!セーライ様は、あの方の為に仕方無く・・・」
待て。待て、待て!
穏やかじゃ無い言葉に俺は慌てた。
「害するって、殺すって事?セーライ神ってのは、人を殺してるのか?」
自分で言って、そしてゾッとする。
大勢の若い女性を集める神殿。そこの神様が、人を殺しているという・・・。
神様は、人に危害を加えられないはずだろう?それなのに・・・?
『生贄』という言葉が頭に浮かんだ。
「何それ・・・」
ノワが呟いた。その顔は青ざめて、無意識にだろう俺の服の裾を掴んでいる。
「『儀式』って何?」
もう一言ノワが呟いた。
「・・・」
言い淀む爺さん。
「何?って聞いてるじゃん!」
ノワが俺の裾から手を離して、爺さんの服の襟元を掴み上げて締め付ける。それをトールが間に入って止めるが、ノワの勢いは収まらない。
観念した様に爺さんは脱落して答えた。
「・・・『召喚の儀』でございます・・・」
それを聞いて、俺は頭の中が真っ白になった。
真っ白になって、そして脳裏に浮かび上がる、かつて経験したフラッシュバック。
過去を呼び寄せるとかじゃ無い。それは、俺の、実際に経験した記憶だ。
灯りを使わない、薄暗い地下の石造の一室。強く黒く光りを放つ何かと、その光の点滅に合わせて浮かび上がる赤黒い光景。
ムッとした湿度と温度の高い空気、澱んだ鉄臭い匂い・・・。
小さな悲鳴と、小さな呻き声。
「助けて・・・」耳に焼き付く、子供の声。
赤黒い部屋・・・。
この世界に来て割とすぐに、そうだ、ノワと出会う少し前だ。活性化した大きなトカゲに襲われて、怪我をした兵の血飛沫を見て、それで、一瞬だけ思い出した光景。
学校の屋上から落ちた時の・・・『この世界に来た時』の、記憶・・・。
そうか、アレが『召喚の儀』だったのか・・・。




