23、嗜好と時空と
「そうですね・・・あまり聞き覚えのある事では無いですね」
夕闇の濃くなる中、閉じた門の前で立ち止まる私の耳元で声が聞こえた。先程ヤギにしたのと同じ質問を投げかけてみたのだ。
「聞き覚えが無い、とは?」
私は聞き返した。
先程の声が再び答える。姿は無い。ただ、声だけが私の耳元に届いた。
「食の嗜好として『女肉』の方が柔らかくて良い等はあると思います。『子供』の方がこう、何と言いますか、癖が出る前なのでシンプルな人肉が味わえますね。面白味が無いので私は好みませんが・・・。そこに『男児』『女児』の差はありません。あくまでも『子供肉』として」
成る程、と納得して私は軽く頷いた。やはり、草食動物に聞くよりも、食人経験豊富な者に聞いた方が多くの情報を得られる。
「成人後は、『女肉』はどうしても月のモノがあるので血味が薄まるタイミングがあります。その時期は何とも味気ない。逆に『男肉』はギュッと締まって歯応えが出て来ます。噛み締めると旨味が出て来て、素晴らしい・・・」
「・・・」
徐々に質問した内容から話が逸れて行く様な気がしたが、とりあえず私はそのまま聞いた。
「私は『太った男』が好きでした。大抵裕福な産まれで、子供の頃から良い物を食べて育って来たのでしょう。臭みが少なく、無駄に鍛えていないので硬すぎず、程よく炙って無駄な油を落とすとこれがまた・・・」
「レーナ」
完全に脱線したので、私は彼女の名を呼んで諌める。
「・・・すみません」
シュンとなる様が目に浮かぶ様なしな垂れた声だった。レーナは気を取り直す様に、軽く咳払いをして続けた。
「性経験の有る無しで『女肉』の味に差は無いと思います。あるとすれば、行為自体にストレスを感じて質が落ちるとかでしょうか。喜びを感じれば逆に質は上がりますし・・・。うーん、どちらにしても大差は無いのでは?と。それよりも、それまでに食してきた食べ物による影響の方がよっぽど大きい。なので『若い処女』に特有の味と言うのは無いと思いますし、そこに固執するという話も聞いた事がありません」
「成る程。では美食の目的では無さそうか・・・」
自分でも、なかなかの思い付きだと気分が昂ったのだが・・・。
「食用と言うよりかは、やはり性奴としての募集なのでは無いでしょうか?経験の無い女が好きという性癖は割と多い気がします」
単純に考えると、そうなのかも知れない。
「だとしたら、つまらないな・・・」
つまらないし、私が来た意味が無い。ここに何かがある様な気がしたのだが・・・。私の勘も鈍ったのだろうか・・・。
「娯楽を、お探しでしたか?そうでしたら、ヤギでも狩って参りましょうか・・・?」
そう言われて、私は少し笑った。
「レーナはどうしてもヤギを狩りたいらしい」
「・・・本能には抗い難く・・・周囲をチョロチョロされますと、何とも、こう、首元に噛み付きたくなります・・・」
「あれはあれで、なかなか役に立っている。どうか狩らずにおいておくれ」
私の言葉に、何も言えなくなるレーナ。私がヤギと接触している時は常に我慢をしているのだろう。
無理しなくても良いのに。
「そもそも、レーナは私に付いて来る必要は無いのに。見ているのが嫌なら帰っても・・・」
「いえ!エリス様の行く所には如何なる困難が有ろうとも付いて行きます!エリス様は私の全てですから!」
耳元の声が大きくなる。忠誠心の厚い事だ。
苦笑いしながら私は空を見上げた。
星は見えない。厚い雲に覆われた空から、細かな雨の雫が落ちて来た。
ふわり、と、柔らかい風が吹いたかと思うと、私に降り注ぐ筈の雨が黒い影に遮られて消えていた。レーナの翼が私の傘となって、私を雨から守ってくれているのだ。
「何処までもお供し、お守り申し上げます」
すぐ横に顔があった。
夕闇の雨の中、雲の切れ間から月が覗き、一瞬明るくなる。明度に合わせて、その顔の瞳孔が縦長に狭まった。
肉食獣に良くある、獲物を狙うその瞳孔が私を見ている。
「大丈夫よ、濡れても」
優しい子。
そう思いながら私はレーナの顔に触れた。
その時だった。
異変を感じて私は、閉じた門の奥へと視線を向ける。
横ではレーナも同じ方向を見ていた。
「一つ、可能性を忘れていました」
レーナが視線を動かさずにそう言った。
「そうね、私もたった今思い出した」
私も視線をそのまま動かさずに言う。
その視線の先に、非常に大きなエネルギーを感じる。
門の先、建物の奥、地下に潜った深い所だ。そこにある、大きな歪み。
「あんな事が出来る存在は、そんなに沢山いない筈よね」
私は確認する様にそう言った。
「はい。『時の尊』亡き今、時空・次元を自在に操れる存在は御二方のみです。『聖母』の長子様と、今1人は・・・」
『聖母』には5人の子供がいた。『時の尊』との間に産まれた長男ドウラと長女ドニ、そして『光の尊』との間に産まれた次男アルド、名も無く死産した三男、そして四男のカイルだ。
『聖母』の最初の子であるドウラは、最も『時の尊』の力を受け継いでいる存在だった。けれども彼は常に『聖母』の横にいて、何か事があれば鷲を使いに出す。
なので、ドウラでは無い。
消去法で、今すぐそこに居るのはもう1人の方だと分かる。
「成る程、それで『未婚の乙女』か。事の次第が見えて来た・・・」
言いながら、私は腕を組んだ。
食の嗜好、とは少し違うが、当たらずとも遠からずと言った所か。
「如何なさいますか?妨害を、致しますか・・・?」
聞いてくるレーナ。けれども、私はそれに即答出来なかった。代わりに疑問を口にする。
「しかし、何で2回も?既に2人もこちら側に呼び出しているのに」
「何故でしょうね。それを調べに参りますか?」
再び問い、向かう事を促してくるレーナ。
「・・・」
無言でいる私に、レーナは笑った。
「気が乗りませんか?」
その言葉に、私は溜め息を吐いた。
単純に行きたく無いのだ。
「気狂い女の癇癪を見たく無いのよ」
それを聞いて、レーナは豪快に笑った。
「ですか、ここを避けてしまうと何も分からないままになってしまいますよ。それに、良いのですか?」
一旦笑いを収めて、ニヤリと伺う様に聞いて来る。
「何が?」
「先程の、アキラと申しましたか。あの者、もしかすると死んでしまいますよ?」
アキラ、異界の勇者であるらしいその者の名を出すレーナ。カイルを魔王に仕立て上げ、彼を倒す為に呼び出された存在だ。
消えてくれるのならここで消えてくれた方が、気掛かりな事が減って良いに違いない筈なのに、死んで欲しくないと思う自分がいる。
常に側に居るレーナには、その気持ちがバレバレなのだろう。
「分かった。では、コッソリと覗きに行こうか」
あくまでも手は出さず、遠くから見るだけだ。手助け等はしない・・・と、思う・・・。
「お供致します」
楽し気なレーナの声が響いた。




