21、シグナル
ずっとデコが痛かった。正確にいつから痛み出したのかは分からない。けれども、この街に入ってからずっと痛かったのは間違いない。
その痛みが強くなっていくのを、俺は焦りの中で感じていた。
セーライ神殿、そこに近付くに連れて増して行く痛み。
ナバラの森の前では、痛みと共に足がすくんだ。その足のすくみの原因は分かっている。
神であるテラのオーラ。
テラが静まる事によって、そのすくみは綺麗に消えた。デコの痛みもそれと共に、いつの間にか消えていたので、俺はその原因が同じだと思っていた。
けれども今は痛みだけだ。
足のすくみとデコの痛み、多分、その原因は違うんだ。
恐らく、そのデコの痛みの原因は、あの時のナバラの森にもあったのだろう。
そしてそれは、今ここにある。
それが何にせよ、俺にとって歓迎出来る物では無いのだろうな、と思った。
進むに連れて増す痛み。
体が、そこへ行くなと訴えている様な気がする。行く事で、何か良く無い事が起こる予感がする。デコが、警告を発している。
でも、進まない訳には行かない。
ココナを、彼女を止めなければ・・・。
どうか、間に合ってくれ。
祈りながら走る。走って分かれ道を右に曲がった。
「アキラ、こっちです」
俺の後から続いていたトールが、その分かれ道で左側を示す。
確かに左側に進めば、セーライ神殿への門があった筈だ。それは分かっている。けれども・・・、
そっちじゃ無い。
デコの痛みがそう告げていた。
俺は、トールの声を無視して右側へと進む。
「アキラ?」
戸惑いの声を上げるトール。俺は心の中で謝った。
ゴメン。でも、急がないとダメなんだ。
気持ちが急いでいた。
そのまま進んで、次を左に、次の三叉路の真ん中を進む。左右の壁が消えて高い生垣になり、それが徐々に手入れのされていない単なる雑木になり、その木々の勢いが増して行って最終的には道が消えた。
そこは袋小路で、行き止まり。けれども周囲よりも空気がひんやりとしていて、そこに至る迄とは違う空気が流れていた。
「アキラ、どこへ向かっているのですか。ここは・・・?」
追いついて来たトールがそう聞いた。その後ろから付いて来たノワは、ただ無言で俺を見ている。
ふと、冷たい空気の流れを感じた。その空気の流れの元を探す。左側、少し下の方。
『此方でございます』
急に、その場にいない人の声が聞こえた。
年老いてしゃがれた男の声。
『お急ぎ下さい。北東の方角と王都の側の村の外れで御座います』
左下から、建て付けの悪い重い扉が開く様なギーッという音が聞こえた。そしてそこから、冷たい空気が一気に流れ出て来て、続けて木々の間から人の手がニュッと出て来た。その手が木々を左右に掻き分けて無理矢理道を作り、そこから人が現れる。俺のすぐ目の前、頭からマントを纏った男だった。
近い・・・!
そう思って焦る俺に、マントの男はそのままぶつかった。いや、ぶつからずに通り抜けた・・・。
なんだ・・・。
驚き固まる俺を全く意に介さずマントの男は袋小路に出て、そしてその後からもう2人、同じ様なマントの男と、そして老人が続いた。
老人は、生成りのローブと、何かの刺繍の入った布を巻いたブーツに、板前みたいな被り物を頭に乗せるという、かなり独特な格好をしていた。
その全員が、俺をすり抜けて行った。まるで、俺がその場に居ないみたいに。
『後は任せた』
2番目に出たマントの男が、老人に向かってそう言った。
それを聞いて恭しく頭を下げる老人。腰を90度に曲げるその礼の仕方は、見た事がある。
風が吹いて、2番目に出たマントの男のフードが少し捲れ上がる。中から覗く癖の無い黒髪と日本人然とした堀の浅い顔立ち。
一瞬、ノワかと思った。間違い無くそれはノワの顔。けれどもその声はノワよりも低く、背はノワよりも高い。それによくよく見れば、ふっくらと張りのあるノワの頬と比べて、無駄な肉の剃り落とされた精悍な顔付きをしている。
ノワが大人になったら、こうなるのかも知れない。
『陛下』
先に出たマントの男が、急かす様にそう呼び掛けた。それに対して頷く、大人なノワ。
・・・待て。『陛下』って、王様とかに対する敬称だったよな・・・?
マントの男達が、今俺達がやって来た袋小路を逆に出て行く。反対に老人が、今し方出て来た木々を掻き分けて、その中に消えた。
気付くと、その3人共が消えていた。
「アキラ?」
トールが、俺の肩を叩きながら呼び掛けた。
俺はビクッとなってトールを振り返った。
「トール、今の・・・」
今の、誰?
そう聞こうと思った。けれども、トールの顔を見て俺は気付いた。
俺にしか、見えて無かったのか・・・?
今来た袋小路を振り返る。そこにいる筈の2人のマントの男の姿は無かった。
過去を見たのか・・・、或いは未来か・・・。でも、何で突然・・・。
少し考えて、そして思い至る。
俺にはそれが、出来るのだ・・・。
ナバラで一度やった事だ。テラの過去を覗き見て、その代償として俺の未来を引き寄せた。
恐らく、今見たのはこの場所の別の時間の出来事。多分、今の3人が誰かとか、過去か未来かとかは、どうでも良いのだ。
俺は、3人が出て来て、そして老人が戻って行った左側の木々を見た。木々の間に両手を掛けて、左右に一気に開く。木々は見た目よりもしなやかに曲がって、新しい道を作り出した。
俺が、この道を求めたからだ。
ココナを危険から守る為に、ココナが行ってはいけない場所に行かせない為に。その為に、俺が先にそこに辿り着く必要があるのだ。
現れた新しい道、木々を押し開いた先には、小さな扉があった。片開きの、縦に細長い扉。取手も何も無いその扉を、俺は押した。
ギーッという音と共に冷たい空気が流れ出て来る。
「!、これは・・・」
トールが息を飲み、驚きを含んだ小声でそう呟く。
デコがズキンッと痛む。一瞬、前に踏み出すのを躊躇った。
大丈夫だ。痛みはバロメータ。何かのシグナル。俺の体に、害は無い。
自分にそう言い聞かせて、俺は足を踏み出した。




