20、今日最後の来訪者
「先輩、交代の時間です」
書類整理をしつつ受付業務を行なっている先輩に声を掛けた。顔を上げた先輩は、私の顔を確認して笑みを浮かべる。
「おお、次はジェンの番か」
そう言って、見ていた書類を慌てて纏めて、机に端をトントンと軽く落として揃える。
「はい。それは何の書類ですか?」
私はそう言いながら、先輩の手元を覗き込んだ。
「あ?ああ、ほら、募集した女の子達の派遣先の資料だよ」
言いながら先輩は、私の目から隠す様に纏めた書類を抱え込む。
「そうなのですか。かなりの人数ですから、大変そうですね。私に何かお手伝い出来る事は有りませんか?」
募集は、今回で2回目なのだそうだ。前回の募集人数では足りず、追加の募集だと言う事だが、より多くの人数が必要なのだと聞いている。
「私はまだまだ未熟ですので、あまりお役に立てないかも知れませんが」
私がこの神殿に来たのは、今から約2週間前だった。まだ正式な神官では無く、見習いの身である。それ故に書類を見せる価値すらないのかも知れない。けれども・・・。
ずっと、先輩方が忙しそうに動き回っているのを見ていた。寝る間も惜しみ、皆疲れ果て、疲労の所為か時には激しく口論する者達もある程だ。今も目の前の先輩は、青白い顔をして目の下に濃いクマが浮き上がっている。
少しでも、負担を減らして差し上げたい。
そう思って先輩の目を見詰めた。
「その気持ちだけで十分だ、ありがとう。この後の受付、最後まで頼むよ」
今現在、神殿内で神官見習いをしているのは私だけだった。まだ剃髪もしておらず、神官冠も頂いていない。それ故、頭髪を耳の位置で切り揃えただけの剥き出しの頭なのだが、先輩方は、皆愛情を込めてよく私のその剥き出しの頭を撫でてくれる。今も先輩が、優しい顔で私の頭を撫でてくれた。
数多く神殿を持つ神が或る中、セーライ神殿は唯一、この街にある一つのみだ。人手が足りなければ他から応援に来て貰える他の神殿とは違って、全てを今いる神官達で賄わなければならない。しかも交流の少ない神所以か神官の成り手が少なく、見習いの私以外、皆年老いていた。
「どうぞ、ゆっくりお休みください」
私はそう言って頭を下げた。
「・・・そうだな。休めれば良いのだが・・・」
先輩の表情が沈む。
「まだ、書類の整理が終わりませんか?」
「ん?ああ。それもあるのだが、それよりも、だな・・・」
言い淀む先輩の言葉に、私は1つ思い至った。
「もしかして、件の『幽霊』ですか?」
『幽霊』、それは前回の募集の少し後から始まったのだと言う。
曰く、夜な夜な白い影が神殿内を彷徨うのだそうだ。
私はまだ出会った事は無いのだが、かなりの数の神官達がそれを目撃している。
その『幽霊』は、特に何かをするでも無く、ただ現れてユラユラと動き回り、そしてしきりに呟くのだそうだ。
『どうしよう』
と。ただそれだけを。
「うむ」
そう頷く先輩。
「時折寝しなに現れるのだよ。お陰で余計に眠れなくてな」
「なんと・・・」
驚いて私は口元を覆った。
只でさえ寝る時間が少ないと言うのに、その貴重な睡眠時間さえも奪われてしまうとは・・・。
「もし、今夜もその『幽霊』が現れましたら、私をお呼び下さい。追い払ってそのまま見張りに立ちましょう」
私はそう言って、先輩の手に自分の手を重ねた。
「あっ、ああ、ありがとう。では現れたら声を掛けさせてもらうとするかな」
先輩は答えて、私の手を振り払った。そして書類を背後に持ち直して力無く笑う。
「では、後は頼んだよ」
最後にそう言うと、先輩は自室に向かって行ってしまった。
そんなにも、私に見せたく無いのだろうか・・・。
自分が何の役にも立たない事は分かっている。でも、少しくらい頼って貰いたい。
どの先輩もそうだ。皆優しいし、息子や孫の様に可愛がってくれる。けれども、それだけだ。難しい事や重要な事は任せてくれないし、関わらせてもくれない。
まるで味噌っカスだ。
そう考えてしまって、私は「いや!」と、首を左右に激しく振った。
まだ私が未熟な所為だ。何もかもが足りていないのだ。
・・・精進、しなくては。
そう思い直して両手で頬を叩き、自分に喝を入れる。そして、本日の来訪者の一覧を上から順に確認した。
用紙には、今日の朝から今に至るまでに神殿にやって来た方の名前と用途が記入されていた。
1番上にはいつも朝イチで来られる穀物屋の名前がある。次にあるのが、こちらもいつも通って来られる老人方(礼拝堂で神に祈りを捧げ、感謝を伝えるのを日課としている方々がいるのだ)。
その次が加護をご希望の旅の方(神官長様が代行を努められ加護を授けられている。セーライ神殿にて得られる加護は『月光』と言われる暗闇を照らす灯りを灯すものや『月矢』と言われる弓の技、『月の瞳』と言われる敵の急所を見抜く技等、色々とあるのだが、中々加護を得られる者が居ないので有名なのだ)で、次から巫女募集で応募の方が5名程続いていた。
募集を開始した当初は、日に10〜20名程来ていたのだが、ここ何日かは勢いが衰えて日に3〜4名来れば良い方だった。なので今日は少し多い。
応募して来られた女性達は、奥に通されて審査を受ける。審査は先輩方がやっているので詳しくは分からないが、殆どの方が合格となり、そのまま奥殿で教育を受けて、国内各地にある『月由来の福祉施設』にて、巫女として雑務他神殿補助業務を行う事になるらしい。
「沢山来ておられるのに、仕事の量は減らないですねぇ・・・」
思わずそんな言葉が漏れてしまった。
慣れる迄時間も掛かるだろうし、採用してすぐに多くの仕事をこなせる訳でも無いのだろう。
溜め息を吐きながら、私は次の行を見た。
「・・・王都、近衛騎士・・・」
すぐそこにある騎士団詰所の騎士様であれば、『国境警備騎士』と書く筈だった。先日隊長が交代になり挨拶に来られたばかりなので記憶に新しく覚えていた。『王都、近衛騎士』とわざわざ書いてあると言う事は、『国境警備騎士』では無いのだろう。
「こんな事、初めてですね・・・」
呟きながら首を捻り、そう言えば、と思い当たる。
昼過ぎに掃除をした帰り、先輩方が集まっているのを見掛けた。10名ばかりがわらわらと騒がしく群れており、その中央に背の高い御仁の頭が覗いていた。
豪華な赤毛であったので良く覚えている。
恐らく、あの赤毛の主が『王都、近衛騎士』であったのだろう。
「もし」
その時、扉が開かれて声を掛けられた。
見ると、頭から足先までを白い装束で覆った、小柄な人影が扉の隙間から現れる。
「はい、如何なさいましたか?」
私はそう言いながら、受付の机の前へと導く様に手を差し出した。
小柄な人影は素直にそれに従って私の前に立ち、そして私を見上げる様にした。口元が覗く。ぽってりとした可愛らしい口元だった。
女の子だ。
「実は人を探しておりまして」
女の子はそう切り出す。
「人探しですか」
私はそう返しながら、用紙にその要件を記入する。
「はい。毎月お手伝いに伺っていた孤児院の少女が、前回の巫女募集でこちらに伺ったきり何の連絡もないのです。その子が今どこにいるのかこちらで分からないかと思いまして」
その手の問い合わせは、実は多くあった。
恐らく、出向先で忙しく過ごしていて、皆故郷に便りを送る暇がないのだろう。
「成る程、畏まりました」
そう言って、私は女の子に向かって微笑んだ。
採用した巫女達の行き先は、先輩方か把握していた。なので奥にお通しして先輩方から説明をしてもらう事になる。
「来訪者の記録を取っておりますので、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「はい。私は王都・聖母神殿にて神官をしております、ココナと申します」
名乗って女の子、ココナさんは礼をした。
「聖母神殿の神官様でしたか。しかも王都の。これはこれは、遠い所から大変だったのではありませんか?」
私は心底驚いた。遠くから来たと言う事もそうだが、こんなにも小さな女の子が神官だ、と言う事に。もしかすると、私よりも年若いかも知れない。
「いえ、いつも色々な地を訪問しておりますので、大変では無かったですよ」
そう言ってニコリと笑う口元が、なんとも可愛らしい。
「あの、ではこちらにお名前を頂いても宜しいでしょうか?」
私は用紙をココナさんの方に向けて、筆記具を渡す。「はい」と言ってココナさんが名前を書こうとした所で、たまたま通り掛かった神官長が声を掛けて来た。
「これはこれは、聖母神殿の神官様ですか?」
私とココナさんの2人が顔を上げて神官長を見た。
「ココナさん、こちら我がセーライ神殿の神官長のニコラで御座います」
私は、ココナさんに神官長を紹介し、そのまま神官長に向かって頭を下げた。
「ようこそ、セーライ神殿へ。本日はどの様なご用件で?」
「人探しだそうです。前回の募集で来られた知人女性をお探しだそうで」
私は、間に入って説明をした。
「そうなんです。こちらに行くと伝えて孤児院を出たきり、何の連絡も無いもので」
「成る程、それは心配ですね。ささ、こちらへどうぞ。奥で今どこにいるのか調べてみましょう」
神官長は、そう言ってココナさんを奥へと誘った。
「ありがとうございます」
ココナさんは、そう言って神官長が示す奥へと足を向けた。
「ジェン・・・」
神官長は、ココナさんを案内する前に、私に耳打ちする様に伝えた。
「彼女は私が責任を持って案内します。なので、一覧には書かなくても宜しい」
「は、はい。了解しました」
私が了承を伝えると、神官長は頷いて、ココナさんと共に奥へと消えた。
要件の方は書いたから、名前だけ私が書いても良いのに・・・。
そう思いながらも、私は今書いたばかりの要件を消した。
それからは、閉殿の時間迄来訪者は1人もいなかった。
時間になると、私は用紙を纏めて受付の机を片付けて、施錠する為に門に出た。
ココナさんは奥に行ったきり出て来なかった。恐らく裏からそのまま探し人の派遣先へと向かったのだろう。近ければ良いのだが。近ければ早くに会える。
私は、あの可愛い人が、探し人との再会で喜ぶ様を想像して、顔に笑みを浮かべた。
「これ、貰っても良いかしら?」
両開きに大きく開いた門の片側を閉め終わった所で、誰かに声を掛けられた。見ると、自由に持ち帰りを促している巫女募集のチラシを1枚持った女性がいた。
美しい人だった。
眉の上で前髪を真っ直ぐに切り揃えた、特徴的な髪型。白い肌、細いウエストと脚、整った顔立ちと、大きな胸元。
「・・・」
私は、思わず見惚れてしまった。
「ねぇ、良い?」
何も言えないでいる私に向かって、もう一度聞く女性。
「・・・あっ、はい。勿論!」
私は慌てて、そう答えた。
「ありがとう」
女性はそう言って、チラシを二つに折って、胸元に仕舞って行ってしまった。
少しの間、私はぼーっとその場で立ち尽くしていた。
ハッと我に帰ると、慌てて反対側の門を閉めて施錠し、入り口を閉めてそこも施錠した。




