19、セーライ神殿へ
ドアの前に来ると、そのままの状態の貼り紙があった。
表側にトールの字で『先に行っています』と書かれていて、裏返すとココナの少し丸っこい字で『もう少し掛かります。後から参りますので先に食堂にお出かけ下さい』とある。
「さっきのままだね」
ノワが言いながら眉を顰める。
トールがドアを強くノックして「ココナさん、いらっしゃいますか?」と、大き目の声を掛けた。
けれども何の反応も無くて、トールはノックをくりかえす。それにノワも加わって、2人分のノックと呼び掛けが、かなりの音量と振動で宿中に響き渡った。
これだけやっても反応が無いのだ。不在か、或いは中で何かがあったか・・・。
俺達はお互いに顔を見合わせ頷き合い、ドアノブを回した。けれども予想通りに鍵が閉まっていて、ドアは開かない。
「どうかしましたか?」
騒動を聞き付けてか、1階で受付をしていたおばさんが階段を登ってやって来た。
「一緒に来た女の子分かる?白装束の神官の子。あの子が『先に行ってて』って言って閉じ籠ったきり出てこないみたいなんだ」
ノワがおばさんにそう説明した。
「もしかすると中で倒れてるのかも知れない」
ノワに続けて俺からも説明する。
「申し訳ないのですが、緊急ですので、合鍵がありましたら開けて頂きたい」
トールがそう続いた。
3人共焦っていた。それと対照的にポカンとした顔のおばさん。
「おばさん、ボーッとしてないで開けてよ」
ノワが言いながらおばさんに縋り付く。
と、おばさんはノワの肩を優しくポンと叩いて、そして俺達3人に向かって言った。
「あの子なら、さっきあんた等が外に出てった少し後に、私に鍵を預けて出掛けたよ。そういやまだ戻ってないね」
「え・・・」
思わず声が漏れた。
それって、もしかして・・・。
「ココナちゃん、1人で行っちゃったんじゃない・・・?」
ノワが呟いた。
「そう言う事だから、静かにして下さいね」
おばさんは溜め息混じりにそう言うと、受付に戻るのだろう、登って来た階段を降り始めた。
「ダメだダメだダメだよ」
俺は、繰り返し同じ言葉を吐き出しながら、狭い階段でおばさんを壁に押し付ける様にしながら追い越す。
「危ないよ」
すれ違い様におばさんが叫ぶ。けど気にしてなんていられない。おばさん、ゴメン。
俺に続いてトールが追い越した。こちらは紳士的におばさんを一度持ち上げて、自分と入れ替えてから丁寧に降ろす。
「失礼」
そう呟きながら。
「はぁ・・・」
おばさんの顔が少し赤くなったのは、気のせいじゃないだろう。
「ゴメンよゴメンよー」
最後にノワが叫ぶ様にそう言いながら、階段の上から1階までおばさんごと一気に飛び降りた。
「ひぃ!」
それを見たおばさんの顔は、赤から青に変わった。
「コラー!危ない事するんじゃ無いよ!」
おばさんの怒りの声が響き渡る中、俺達はセーライ神殿へと走った。
「嵐の様な3人組でしたね」
食堂の入り口の前で、走り去る3人を見ながら私の横で細目の男が呟く。
「まぁ、上手に接触出来たんじゃぁないですか?」
接触。そう、違和感なく自然に出逢う事が出来た。
私は、その出逢いの瞬間の事を思い出す。
私の事を真っ直ぐに捉えて離さない目。伺いながら恐々話す声。
「知人に、似ているそうだ」
その知人の名で私を呼んだ。
「ほぅ、そうですか」
細目の男は、興味無さそうにそう呟いた。
私に似た誰か。それは、少年、アキラにとってはどの様な存在なのだろうか。友人か、仲間か、或いは・・・恋人か・・・。
知人との恋仲を疑った途端に、嫌な気分になる。嫌な気分を味わって、それが何故なのか分からなくなる。
アキラに恋人がいるという事が、私は嫌なのだろうか。私にはカイルがいるのに。カイルという最愛の存在が有りながら、私に似たその知人に嫉妬でもしているのだろうか・・・。
「あれ、俺が貰っても?」
細目の男が、私にそう聞いて来た。
見ると、食堂の中、今迄私達が座っていたテーブルを指差している。テーブルの上には、私が3人に振舞った料理が、半分以上を残してまだそこにあった。
「構わない」
私はそう言って、男に背を向けた。そしてそのまま、3人が向かった方向へと歩き出す。
細目の男は、嬉しそうに「そりゃどうも」と言いながら、テーブルへと急ぐ。
食べる必要も無いだろうに、随分と『人』に染まったものだ。
『外側』の存在は、基本的に食事を必要とはしない。ただ味覚はあるので、食べた物の旨い不味いは感じる。旨いものを食べれば欲求が満たされて満足する。
満足感。ただそれだけの為。
私が欲しいと思うのは、酒だけだった。アルコールによる浮遊感、幸福感。それらは『外側』では得られない。
だから、件の『勇者』を調べるついで、多くの酒を味わう事も目的としている。あくまでもついでだが、良い物と出会う事が出来たなら、足繁く通うことになるかも知れない。
飲食の為に『内側』に通う。
それもまた良いだろう。カイルが許せば、だが。
そこまで考えて、私はふと引っ掛かりを覚えた。
飲食の為に『内側』に通う。
少し前まで、流行っていた事では無かっただろうか・・・。
「ヤギ」
私は、細目の男、ヤギを呼び止めた。ヤギが振り返る。
「何でしょうか?」
「齢12から20の処女は美味いのか?」
私の質問を聞いて、ヤギが固まる。一瞬止まって、そして180度向きを変えてこちらに戻って来た。大股で側まで寄り、そして私の耳元に顔を近付けて言う。
「エリス嬢、あなた何て事を言ってるんですか」
いつもは酷い猫背で曲がっているヤギの背中がピンと伸びていた。そうすると、私よりも背が高くなる。高くなった身長で、上から私に向かって威嚇するみたいに力んで、それでも大きな声にならない様にと精一杯押さえ込んで、その所為で掠れ声になってしまっていた。
「食人は禁止されているんですよ。それなのに、こんな、人通りの多い往来で。聖母の耳にでも入ったら・・・」
「ただ味を聞いているだけでしょ。別に食べようって訳じゃないんだから」
ヤギの声に被せる様にして私は言った。それを聞くとヤギは黙って、そして一拍考えてから溜め息混じりに口を開く。
「どうでしょうね。俺は見ての通り草食ですので」
言いながらボサボサの前髪を捲り上げる。見え辛かった細い目を私に示して見開くと、現れる横一文字の瞳孔。ヤギが『ヤギ』と呼ばれる所以だ。
草食動物特有の横長の瞳孔。誰よりも速く敵を察知する特殊な『目』。
「それでしたら、あなたの護衛気取りの小娘の方が詳しいでしょう。自分で聞いてみたら如何ですか」
そう言ってヤギは前髪を戻した。
「・・・そうだな、そうしよう。呼び止めて悪かった」
私はそう言って、再び3人の向かった方向へと歩き出した。
背後で振り返ったヤギが、既に片付け始められているテーブルを見て愕然としている様子には気付かなかった。




