17、眉の上で切り揃えた
「ルベール」
シンがそう呼ぶと、グレー頭が駆け寄って来た。2人で暫く話すと、グレー頭、ルベールが若手騎士達を集合させて、指示を出し始める。
「アキラ、立てますか?」
トールがそう言って俺の前に立ち、手を差し伸べてくれた。俺はその手を掴んで「ありがとう」と言い立ち上がる。
「槍術相手は初めてでしょうに、素晴らしかったです」
と、褒めてくれるトール。やっぱり優しいいい奴だ。
でも、と俺は思う。
全然素晴らしくなんて無い事は分かってる。『勝ち』はしたものの、シンは自分の意思で木刀を投げ放ち、俺はビビって落としたのだ。
こんなの、勝ちじゃ無い。
「アキラー、どうだった?シンさんと対戦するのは」
駆け寄って来たノワが、そう声を掛けてくる。
「・・・怖かった・・・」
正直に、俺は率直な思いを言った。
終わった今になっても、対峙したシンを思い出すと背筋が寒くなる。
「そうだよねー、怖かったよねー。だって殺気みなぎってたもん」
「すまんな。少しだけ試すつもりだったが、止め時を逃してずっと続けてしまった」
ルベールの所からこちらにやって来たシンがそう言った。
それを聞いて、俺は「ん?」と思う。
試す?止め時を逃す?何を・・・?
「もうシンさんダメですよー、初心者相手の手合わせで『殺気』なんか使っちゃ。僕思わず打ち消しちゃいましたよ」
「消されたお陰で少々焦ったぞ。だから、うっかり投げちまった」
ノワと喋ってまた豪快に笑うシン。笑って、そのまま俺の背中を強く叩いた。
「イテッ」
そう言って少し前に飛び出す俺。力加減が強い。
「『殺気』は加護の一つです。相手を怯え震えさせる技で、弱い魔物に使うと戦わずに捕えられたりする事が出来ます」
トールが横から説明してくれた。
「え、加護?そんなの使ってたの?」
驚き聞き返した。
驚く俺を見て嬉しそうに笑うシン。そしてもう一発俺の背中を叩いた。痛いよ。
その時、訓練場の中程から若手騎士達の「えー」という絶望的な声が聞こえて来た。見てみると、頭を抱える者、ルベールに詰め寄る者、側の者と慰め合う者等が居て、何やら大変そうだった。
「今日の手合わせについての報告書を出させる事にしたんだ」
シンが説明してくれる。
「おやまぁ、大変そうですね。逆恨みされる前に帰りましょうか」
ノワが言いながら、俺とトールを出口の方に向けさせて背中を押した。
「じゃあね、お邪魔しました」
ノワの声が訓練場に響いた。若手騎士達が皆こちらを向いて、揃って頭を下げる。トールに。
「はいはい進む進む」
グイグイ押して来るノワに急かされる様にして、俺達はその場を後にした。
「取り敢えず色々と見せておいたぞ」
ノワの耳元で、シン・セギュはそう言った。それは小声で、ノワ以外の者には届かない。
「ご協力感謝」
ノワもまた、他の者には聞こえないように小声で言う。
「貸しな」
「あれま。じゃあ今度薬草をたんまり送り付けておきますよ」
それを聞いてシン・セギュは、自分の肩をノワの肩に強く当てる。
「おわっと、やめてくださいよもう」
ノワは、笑いながら肩を摩って2人を追いかけた。
『もう少し掛かります。後から参りますので先に食堂にお出かけ下さい』
宿に戻りココナの部屋の前まで来ると、そこにそんな張り紙があった。
「いつ張ったんだろう」
俺はそう言いながら、張り紙をぺらっと捲り上げて裏を見てみる。そんな事をしてもそこにココナがいる訳でも無いし、他に有益な情報がある訳でも無い。
「もう少しって、いつから、どれくらいなんだろうね」
ノワが一瞬に捲り上げた紙の裏側を覗き込みながら言った。
「先に行きましょうか」
2人で裏を覗き込んでいる張り紙をトールがそう言って剥がす。そして裏返して、何も書いていない面に文字を綴って、そっちを表にしてドアに貼り直した。
『先に行っています』
こちらの世界の言葉で綴られた文字。
最初は読めなかったんだけどなぁ。
そう思いながら暫く見詰めた。
いつの間にか、読める様になっていた文字。読めるだけじゃ無い。書くことも出来る。
不思議だ。
「アキラ、行くよー」
見ていたら、置いて行かれていた。
「・・・うん」
俺は、返事をして2人を追いかけた。
「トール何?その紙の束」
ノワがトールの手元を見ながら言った。
その紙の束を、俺は訓練場から出る時に騎士からトールへと渡されているのを見ていた。
「騎士団に配布される資料です。各部署から報告書として集められた情報をまとめた物で、特殊な技を使う魔物や各地の情勢等を全騎士で共有する為の物なんですよ」
トールは言いながら、その紙の束を自分の顔の横まで持ち上げる。そしてパラパラとめくりながら説明を続けた。
「何かあった時にすぐ集まってすぐ動ける様に、常に備えるのも我々騎士の仕事です。私の様に移動が長くなると中々確認する事が出来ませんので、今日詰所に寄りこれを受け取る事が出来て良かったです」
そうなのか、と単純に感心した。
「トールからの報告は、あの鳥さんがやってるんだね」
「ええ、そうです」
ノワの声に頷くトール。
俺は、時々やって来る、あの体は鳩で顔だけ羊、鳴き声は赤ん坊みたいな伝書鳩を頭に思い浮かべた。
あれも魔物なんだろうか。いや、毒が無くて食べられるとしたらば動物なのかも知れない。
「で、その資料に何か事件に関係ありそうな事は書いてあった?」
「まだ全部は見ていませんが、今の所これといった事は無いですね」
2人が話しながら進んでいく。その話の内容を耳に入れつつ、俺は一歩後ろから着いて行った。
宿の構造は大体どこも同じらしい。2階が個室、1〜2人向けの少人数用から4人位泊まれる中部屋がそれぞれ何個かあり、1階がベッドの無い雑魚寝客用の大部屋と、宿の規模に合わせた食堂が付いてる。
この宿の食堂は宿と入り口が別になっていた。
受付の前を通る時に、ノワが「ご飯食べて来る」と一声掛けた。それを笑顔で送り出すおばさんは「今はタクラが美味しいよ」と、お勧めの一品なのだろうか、謎の商品名?を教えてくれた。
「タクラって何?」
そう聞くと「んー、淡水に棲むタコみたいな感じ?」と、何となく泥臭そうなイメージの表現を使って説明して来るノワ。
「美味いの?」
「好みが分かれるかなー」
そんな事を話しながら食堂に入る。
晩飯時という事もあってか、中はそこそこの賑わいだった。
「4人で座れる所あるかなー」
ノワがそう言いながら、デコの上に手を掲げて店内を見回した。
俺も習って(手は掲げずに)席を探す。端から順に空いているテーブルを見ていると、1人の髪の長い女性が目に付いた。
その女性は、2人掛けの席でこちらに背を向けて浮浪者の様なナリの男と向かい合って何かを話していた。少しすると立ち上がり、振り返って店内を見回す。
振り返った、その瞬間だ。
俺は、思わず固まってしまった。
見覚えのある、眉の上で切り揃えた前髪。
『『まゆぜん』ってママが言うの。でもこれ『オン眉』だよね』
そんな話をしたのは、いつだっただろうか。多分、俺と彼女が出会ってから、そんなに期間の経っていない頃だ。
『松崎耀の弟?兄?』
初めて会った時、彼女は俺にそう言った。
『双子って本当だったんだ。めちゃ似てる。てかおんなじだね』
言いながら顔を近付けて来た。彼女も距離感のバグった子だった。
『ねえ、友達になろうよ。松崎、何?え?晃?』
名前を聞いて、許可も取らずにいきなり手を握られた。
『宜しくね、晃。私は・・・』
最初から呼び捨てにされた。でも、それが嫌じゃなかった。
女性は、フロアの中央部に向かって歩き出した。
俺は、女性の一挙一動の全てを見逃すまいと目で追いかける。
女性は何か考え事をしているみたいに見えた。首を傾げ、右手の人差し指を唇に当てる。肩に掛かった髪が落ちる。歩く度に、流れる様なデザインのスカートが揺れる。深く入ったスリットが割れて、綺麗な脚が見える。細い。彼女の脚は、こんなに細かっただろうか・・・。
『校則はどうでも良いの。でも部則がねー』
彼女の所属する水泳部は顧問が厳しく、校則違反を許さなかったらしい。だから彼女は、部活の無い火曜と金曜だけ制服のスカートをウエスト部分で巻き上げて短くしていたのだ。短くなったスカートから覗いた彼女の脚。その脚を思い出して、目の前の女性の脚と比べる。
突然、女性の腕を誰かが引っ張った。女性が驚き振り返る。酔っ払いに絡まれたのだ。
女性が酔っ払いに何かを言う。すると、酔っ払いが女性を引き寄せて耳元で何かを言う。酔っ払いは足元がおぼつかない。かなりの泥酔状態だ。
俺は、その様子に腹が立った。
触るな、顔を近付けるな。
その思いが、自分の中から溢れ出しそうになる。
目の前の女性が『彼女』なのかどうなのか、分からなくなる。
「離れろよ」
無意識のうちに、そう呟いた。
女性から酔っ払いを引き離したい。一刻も早く。
その思いが強く膨らんで、俺は、最短でそれを叶える方法を取った。
気付けば、抜刀していた。それを右手で掲げる。
頭の中に浮かぶ、さっき見たシンの投擲。目に見えぬ速さで、気付けばすぐ横に刺さっていた。けれども、俺はその一部始終を見ていた。
その角度。視線。筋肉と健のしなり。傾き。力の掛け方。
頭の中のシンの動きを、自分の体で実行する。
狙うのは、女性と酔っ払いの間。
タンッ!という大きな音の少し後に、シュッ!という空気の流れる音が響く。
「ヒィ」
店内がシンと静まり返る。全員が注目する中で、酔っ払いが小さく悲鳴を上げた。
いつの間に移動したのか、トールがその酔っ払いの首根っこを引っ張り背後に引き剥がして「大丈夫でしたか?」と声を掛けた。
「アキラ危ないよ。ギリギリじゃん」
横でノワがそう言った。
それに俺は答えられなかった。その女性を見詰める事に忙しかったのだ。
女性の目が俺を見る。見詰める。目を逸らせなかった。
暫くの間、見詰め合っていた。先に視線を外したのは女性の方だった。
女性は、驚く程簡単に壁から剣を抜いて、慣れた手付きで埃を払った。払ったまま、周囲に危険が無いように刃を自分に向けて俺の前まで来る。そして差し出す。
その、扱い慣れた様子に驚かされた。
「ありがとう、助かったわ」
女性の目の中に自分がいた。剣を受け取る自分が。
綺麗な目だった。綺麗で、何処かで見た事のある、懐かしい目。
その目の中に自分が居るという既視感。その感覚に戸惑いを覚える。
「私はエリス。良かったらお礼に食事を奢らせて貰えないかしら」
名乗る女性、エリスの手から、俺は剣を受け取った。鞘に収める間もエリスから目が離せなかった。
その声。頭の中に、響いて来る・・・。
「・・・あ・・・」
やっとの事で口を開き、声を出す。
「あ、?」
ノワが、俺の発した声を繰り返す。
「・・・べ・・・?」
次の文字を紡ぎ出す俺。
「・・・べ?アキラ何言ってんの?」
ノワが疑う様な目で俺を見る。
俺は、女性をゆっくりと指差して、そしてもう一度言った。
「・・・阿部?」
阿部絵里子。俺のクラスメート。あの日、俺を屋上に呼び出した、俺の事を気にしてた子。
エリスと名乗る女性は、阿部絵里子に瓜二つだったのだ。




