16、左向きと
「始め!」
大きくてキレの良いトールの声が響いた。
木刀を右手で握り、その手を前に構えて体を横向きにする。
「相手の模擬剣を落とすか、頭・胴体・脚の何処かを撃てば勝ちです」
先程トールに言われたそのルールを頭に浮かべて、正面に対峙するジョセを見る。
ジョセは両手で木刀を構えている。日頃は両刃の剣を使っているのだろうという事がその構えから分かった。
同じ両刃の剣の形を構えていても、先日戦った人買いのボディーガードとは全然違う。ジョセの構えには迷いが無く、またコチラが何処に打ち込んだとしても、即その木刀で弾かれるのが目に浮かんで来る。
こういうのを「隙が無い」って言うんだろうな。
俺はそう思った。
それに・・・。
真夜中の市で初めての剣を買ってもらったあの夜に、トールと対峙した時と、何かが大きく違う。感覚に違和感を覚える。
何だろう・・・トールと違う。脳内がバグる。
「アキラ頑張ってー」
考え悩む俺に向かって応援してくれるノワの声が聞こえた。
それを聞きながら俺は、原因を探ろうとジョセの頭から顔、首、肩、腕、脚と、上から下まで順に見た。そして、気付く。
左利きだコイツ。
木刀を持つ手の上下、肩の傾き、前に出る足、全てが逆で、まるで鏡写しになっているみたいだった。
なんだか、打ち込めない・・・。
やり辛さを打ち消せず、正確が見えない。
どうしたもんかな・・・。
考えて、俺は右手に持った木刀を左手に持ち替えてみた。
俺は右利きだ。字を書くのも飯を食うのも右手。痒い所を掻いたり、コケた時等咄嗟に出てくるのも右手だ。
けれども。
剣を握り始めたのはほんの何日か前からだ。まだ『剣は右手で使うモノ』という実感が俺の中には無かった。
そもそもトールは、左右の手に一本ずつ剣を持つ。それを思い浮かべてみると、剣というのはどちらの手でも同じように扱えるモノなのだ、という感覚が芽生えて来た。
大丈夫だ。鏡に写ったジョセと、鏡に写った俺だ。
思って、俺は重心を移動させる。
低く、そして後方に。
尻の下にバネをイメージして、最初の一撃に重さと速さを加味させる。
斜め上に伸ばした木刀の先端のその先の、俺を見るジョセの目の中に揺らぎが見えた。
来る。
俺は、ジョセの軌道を読む。
視線、重心、体の傾き、捻り。
ジョセは、俺の木刀を掴む左手の甲を打ちに来ている。
それが分かった。
ならば、
俺は低い姿勢のまま前へと突進する。相手の木刀の中程を打って軌道を変えて、そのままジョセの手の甲を打って木刀を落とさせようとした。
が・・・。
気付いたら、持っていた筈の木刀が宙を飛んでいた。緩く弧を描いて床に落ちる。
「あ・・・」
余りの呆気なさにビックリしてそんな声が出てしまった。
壁際からはブッと吹き出す声が聞こえた。見ると、後ろを向いたノワが俯いて肩を揺らしている。俺の失態に爆笑しているんだろう。
正面を向くと、俺に剣を落とさせたジョセが、これまた驚きに目を丸くしている。
恥ずかし・・・。
「いや、思ったよりも俺の左手の握力が低かった」
誤魔化すみたいにそんな事を言いながら、左手を握ったり開いたりと繰り返す。
言い訳にもなってない。俺ダサ・・・。
「アキラ」
審判をしていたトールが、落ちた木刀を拾って俺に近寄って来る。そして、再び左手に木刀を握らせて言った。
「左だけで剣を振るうのは初めてですよね?」
そんな分かり切った事を確認してくる。
「あ、うん。そうだけど・・・」
「何故そんな事をしようとしたんですか?」
「えっと、左利きの相手と対峙するのが初めてだったから、どうしたら良いのか分かんなくて。こう、イメージで、左には左を合わせたら上手く行くかなーって・・・」
俺は、バツの悪さを感じながら、しどろもどろに思いついた事を並べる様に喋った。
何を言わせようとしてるんだ、トール。
言葉を並べる程にどんどん恥ずかしくなって来る。顔が赤くなっていくのを感じた。穴があったら入りたい。
「発想は悪く無いです。が、それでしたらまず先に握力を上げなくては」
と、突如トールの指導が始まる。
「こう、模擬剣の真ん中辺りを握ってですね、手を軸に振り回す動きを・・・」
「トール!」
俺は、恥ずかしさも相まって声を荒げてしまう。
「急に教え始めないでよ。そういうの後でいいから」
「そうですか?申し訳ありません。こういうのはすぐにやった方が忘れずに済んで良いかと思いまして」
「それはそうかも知れないけどさ!」
周囲からの刺すような視線を感じる。俺は耐えかねて下を向き目を瞑った。
あー、もう。
「あの、彼はバロー士長の師事を受けているのですか?」
正面で直立不動になっていたジョセが、硬い声でトールにそう聞いた。
ジョセは俺を見ていた。そして、よく見るとその目には鈍い怒りのような物が見える。
俺が余りにも弱かったから、逆にキレさせてしまったのだろうか。
「いえ、私は弟子を取りません。アキラは弟子では無く、私の今の護・・・」
護衛対象。トールはそう言おうとしたんだと思う。
でも、トールの言葉を遮ってジョセは大きな声を出した。
「だったら何で!彼の構えは・・・」
その声が余りにも真剣で、しかも俺に対しての真っ直ぐな怒りを含んでいたから、俺はそれまでの恥ずかしさも忘れてジョセをガン見してしまった。
顔全体が力み引き攣っていて、俺を見る目の力が強い。
体全体で怒りを表すその様子と、怒っているのに不安そうなその表情を、俺は過去に見た事があった。
嫉妬だ。
テストやら成績表やらで、俺の評価の方が良くて褒められた時の耀が、いつもこんな感じだった。
「晃だけズルいよ!いつもいつも!」
俺ばっかりじゃ無い。お前だけ褒められる事だって沢山あっただろうが。
お約束みたいに喚く耀を、いつもの事と冷めた目で見ながらそんな風に思っていたのを思い出す。
その時になって、先程から自分に向けられている、周囲からの刺すような視線が、失敗を嘲笑う物では無い事に気付いた。
改めて見回してみると、手合わせを囲んで見学していた若手騎士の全員がジョセと同じ表情を浮かべて俺を見ている。
何で、負けた俺の方がこんな風に見られてるんだ・・・?
俺がそう戸惑いを感じた時だった。若手騎士達の外側から、低く大きな声が聞こえて来た。
「では次は、俺と手合わせ願えるかな」
若手騎士達の囲みの一部が、崩れて左右に分かれる。開かれたその先には、グレー頭を横に従えて、胸を張って仁王立ちになるシンの姿があった。
若手騎士達から、ハッと息を呑む音が聞こえる。ジョセを含む全員が、そのシンの登場に驚きの表情を浮かていた。
「異界の勇者殿」
付け加える様に言うシンの声に、周囲がざわついた。
恐らく皆、俺が『異界の勇者』という存在だと言う事を、その時初めて知ったのだ。
・・・無理だろ。若手のジョセ相手にこんな失態見せたのに。
シンはどう見たってベテランだ。
コチラに向かって歩み始めるシンに、グレー頭が木刀を差し出した。それを受け取るシンは「もっと長いのは無いのか」と聞いている。首を左右に振るグレー頭に、しょうがないなと諦めて、シンは受け取った木刀を握り締めた。
一歩一歩近付いて来るシン。
それを見ながら、俺は小声で「やだ」と呟いて一歩後ろに下がった。
下がる俺の腕をトールが掴んで止める。そしてトールは、俺の耳元に顔を寄せて囁く。
「セギュ総長は槍術に長けていらっしゃいます。木刀を持っていますが、恐らく槍の如く扱うかと。アキラ、距離を取って下さい」
セギュ総長と言うのがシンの事なのだろうか。それすらも分からないままに、俺とシンの手合わせが決定事項としてアドバイスをしてくるトール。
まだ俺やるって言ってないのに。
俺の気持ちは盛大に無視されて、若手騎士達は周りを囲む様に離れて、俺とシンが対峙して、間にトールが立った。
「始め!」
ひぃ。
開始の合図を出されてしまった。
目の前でシンが木刀を構える。左肩を前に出して左手で木刀の真ん中辺りを持ち、そして右手で持ち手辺りを握り高く上げて、逆に先端を低く床に向ける。
その構え方が、今迄に全く見たこともない形で、俺はもうそれだけで、どうして良いのかが分からなくなってしまう。
何だよこれ、もう、帰りたい。
とりあえず、トールのアドバイス通りに距離を取る事を考えて動こう。
そう思って観念し、俺は木刀を構えた。無理無く両手で。
と、構えた途端にシンが出て来た。突進と同時に木刀を下から突き上げて来る。
胴か。
俺は一歩引いて、その木刀の先端を打った。弾いてそのままシンの脚を打とうとする。
が、木刀と木刀が当たったその瞬間、相手の木刀に絡め取られる様にして俺の木刀が引っ張られた。俺の体がシンの体にぶつかるみたいに近付いてしまう。
なんだコレ。距離を取りたいのに、それを許されない。
シンの顔が俺の目のすぐ前に来る。
その時、シンが言った。俺にだけ聞こえる様に。
「俺のも盗んで見ろ」
「・・・え?」
・・・何、が?
訳が分からなくて、頭の中が一瞬真っ白になった。
ハッとなって、俺は右足を高く上げて、シンの胴を踏みつけるみたいにして押し出し、無理矢理体を離した。そしてそのまま飛び下がって距離を取る。
盗むって何だよ。何なんだよ。分かんないよ。
頭の中が混乱する。
手合わせは続行中。シンが再び同じ構えを取る。
背筋を何かがゾワリと這った。
・・・怖い・・・。
目の前の初老の男に対して、俺は恐怖を覚えていた。
『アキラ、距離を取ってください』
トールのアドバイスを思い出す。思い出しても、どうしたら良いのか分からない。
迷っていると、シンが前に出て来た。慌てて木刀を構える俺。
木刀、そうだ。木刀だ。本物の剣じゃ無い。切れないから大きな怪我なんてしない。せいぜい痣やタンコブが出来るくらいだ。怖くなんて無い、筈なのに・・・。
シンが迫る。俺が引く。迫る、引く、迫る、引く。
逃げてばかりじゃ何もならないと分かっているのに、どうしても踏み出せない。
「アキラー、逃げずに向かっていかないとー」
ノワの声が聞こえた。それに気を取られた瞬間、その一瞬だけ怖さを忘れた。
シンとの距離が詰まる。突進と同時に突き上げられる木刀。
また胴だ。
俺はそれを、下がって逃げずに木刀で受けた。
絡め取られる俺の木刀。その角度、円を描く様なシンの木刀使いをしっかりと見る。
円のどの位置でどう力を加えるのか、その匙加減で俺の腕が、体がどう引き摺られるのか。
それが分かった。見えた。
それならば。
俺は、シンの木刀の動きに合わせて自分の木刀でも円を描いた。同じ方向に丸く動かす。
すると、掛けられるはずの力が掛からず、引き摺られる事がなくなり、腕と体が自由に動くようになった。
間を置かず俺はそのまま木刀を前に突き出した。シンの左脇腹へと向けて。
それを寸前の所で避けるシン。と、同時に視界からシンの木刀が消えた。
まずいと思い、俺は後ろに飛んで距離を取った。
刹那、背中に衝撃を受ける。そこには壁があったのだ。
逃げ回るうちに、端に追いやられていたらしい。
正面を向いたまま「しまった」と思った瞬間だった。
ガツンッという大きな音が、振動と共に左耳に入って来た。その所為で全身がビクッとなる。手から力が抜けた。
少しの間を開けて、カランッという乾いた音が響き渡る。
俺は、持っていた木刀を落としていた。
でも・・・。
顔を左に向ける。俺の目に飛び込んで来る、ツヤツヤとした木目のアップ。
シンが持っていた筈の木刀が、俺の顔の横の壁に刺さっていたのだ。
「えーっと、これはどっちの勝ち?」
静まり返った訓練場に、呑気なノワの声が響いた。
「先に手から木刀が離れた俺の負けだろ」
俺の前で、腕を組んで仁王立ちするシンがそう言った。
シンはそのまま俺の前まで歩いて来ると、壁から木刀を引き抜いて言った。
「つい、な。本気になって投げちまった。すまない」
そして、俺の頭の上に手を乗せてわしゃわしゃと撫でながら豪快に笑った。
勝った、のか・・・?
腰から下の力が抜けて、俺はそのまま床の上にへたり込んでしまったのだった。




