12、潜入と出逢い
「本気ですか?」
丸いテーブルの向かい側で細目の男がそう言う。
不揃いな髪は傷んでボサボサと顔の半分以上を隠している。無精髭に囲まれた唇はカサカサに乾いて割れていて、覗く歯は何本も抜け落ちていてスカスカだった。
男が、汚れて黒ずんだ手指で湯呑みを掴み、入った水を一口飲む様子を見ながら、私は眉を顰めて言った。
「・・・何か文句でも?」
言って、目の前にあるグラスを持ち上げて、中の液体を一口含んだ。途端に、今迄味わった事のない風味が口いっぱいに広がる。鼻から抜ける香りも独特で、好ましい。
強目のアルコールが喉を通って行くのを感じる。同時にフワッと体が浮かび上がる感覚が心地良い。
小さな街の寂れた宿屋の食堂にしては、悪く無い酒だった。男の不快な態度による気分の悪さを払拭する程に。
「いえ・・・。ですけどねぇ、募集要項ちゃんと見ました?」
言いながら、男は懐から一枚のビラを引っ張り出して広げる。
「条件・女性である事、12歳以上20歳未満である事、未婚の乙女である事」
広げたビラの何行かを、指でなぞりながら読み上げられる。
「・・・問題無いじゃない」
グラスの縁に口を付けたまま、ビラを見下ろしてそう言う。
「女だし、12歳から20歳の間の年齢だし、まだ結婚してないわ」
そう付け加えると、男は一瞬動きを止めて、そして汚い指でビラの『乙女』の所をコツコツと叩く。
「ほぼ事実婚じゃないですか。それに明らかに『乙女』じゃない」
そう言う男を、私はギロリと睨んだ。
「・・・様に見えなくも無い・・・かも知れません・・・です。・・・ハイ」
段々小さくなっていく男の声を聞きながら、私はもう一口グラスの中身を飲んだ。
そんな私を見ながら、男が小声で呟く。
「『乙女』はそんな強い酒飲みませんよ」
それを聞いて、私は飲むのを止める。そして口からグラスを離して眺めた。
「ここは神殿のすぐ横ですよ?言わば御膝元。そんな所でガブガブと酒を飲み続ける女を見て、翌日そいつがやって来たら、奴らどう思いますかね」
溜め息混じりでそう言われると、流石に自信が無くなって来る。
私は、持っていたグラスをテーブルに置いて、男の方へと押しやった。
すると男は、眉を嬉しそうに上げて「おっ」と声を漏らした。
「良いんですか?いや悪いですねー、頂きます」
男がグラスを持ち、満面の笑顔で煽る様を見て、今度は私が溜め息を吐いた。
好きな味だったのに。
そう思いながら男が酒を飲むのを見詰める。思ったより強かったのか、一口飲んだだけで耳まで真っ赤に染まった。そして目を見開き「カーッ!」と声を上げて、テーブルにグラスを叩きつける様に置く。勢いが強くて中身が少し溢れてしまった。
勿体無い・・・。
その時、入り口から新たな客が入って来た。若い男の3人連れで、1人は背が高く鎧を纏った騎士。残りの2人は男にしては小柄で、うち1人は黒いマントで全身を覆い、もう1人は仕立ての良い珍しい服装をしていた。
「アレです」
私が見ているのに気付いて男がそう言う。視線を入り口に向けない様にグラスを見続けながら。
「真ん中王都の近衛は清廉潔白、品行方正。『乙女』が『悪漢』に襲われてたら必ず助けますよ」
男は怪しくなってきた呂律でそう言って、ビラの『乙女』の所を再びコツコツと叩く。
私は白い目でそれを眺めながら立ち上がった。そして店内を見回す。
時は夕暮れ。街に辿り着いた旅人や商人が部屋を取り、そのまま食事を取りつつ疲れた体を労う酒を上がりに来ているのだろう。そこそこの賑わいだった。穏和な客層の中でタチの悪そうな輩を探す。居た。カウンターと入り口のちょうど真ん中辺りに無駄に広く陣取る、一際騒がしい一団。
さてどうやって引っ掛けようか・・・。
そちらに向かいながら考えていると、思わぬ方向から腕を掴み引っ張られた。
何かと思い振り返ると、小太りで禿げた男がニヤニヤと笑いながら立ち上がる所だった。
髪は無いが髭は潤沢で、日に焼けて傷んでいた。立ち上がると私と同じ位の身長で、吹き掛けられる息がかなり酒臭い。
沢山飲んで羨ましい事だ。私は飲めないのに・・・。
嫉妬と苛立ちで表情が歪んだ。演技では無く本当に不快だった。
まぁ、丁度良い。
思いながら私は聞いた。
「何か?」
と。
すると、男は私の体を引き寄せて、髪に顔を埋めて深く息を吸い込んだ。
「あー良い匂いだ。綺麗なねえちゃん、これから俺と部屋に行こうぜ」
千鳥足でそう言いながら、両手を広げて私に抱きつこうとしてくる。
・・・こんなになるまで好きなだけ酒を飲めるなんて、なんて羨ましい・・・。
と、そうじゃ無くて。せっかく上手い具合に『悪漢』役が釣れたのだから、ちゃんと演じなくては・・・。
「やめてください」
そう言おうとした。
その時だった。
私とその酔っ払いの男との間の、ほんの少しの狭い空間に何かが飛んで来て、すぐ横の壁に突き刺さった。
タンッ!と言う大きな音と共にシュッ!と空気の流れを感じ、何が?と思った時には、もう刺さっていたのだ。
・・・早い・・・。
「ヒィ」
店内がシンと静まり返る。全員がここに注目する中で、酔っ払いが小さく悲鳴を上げた。
いつの間に移動して来たのか、その酔っ払いの首根っこを引っ張り、背後に引き剥がす男がいた。それは鎧を纏った騎士で、私に向かって「大丈夫でしたか?」と心配そうに声を掛けてきた。
「アキラ危ないよ。ギリギリじゃん」
入り口の方からはそう言う声が聞こえて来た。それは黒いマントを纏った男の物で、横にいる仕立ての良い珍しい服装をしている男に向けて発した物だった。
若い声。どうやら小柄な2人はまだ少年の様で、何かを壁に投げて来たのは仕立ての良い珍しい服装の少年の方だったようだ。
その、アキラと呼ばれた少年が私を見ていた。真っ直ぐに脇目も降らず、ただ私だけを、私の目だけを見ていた。
目が離せなかった。私は、その少年の目に見惚れていたのだ。
上下する肩と、そこから伸びる腕は投擲したままの形で固まっている。私は、その少年の目の呪縛から逃れる為に壁に刺さった物を見た。それは片刃の刀で、私は柄の部分を掴むと力一杯引っ張って壁から外し、振り下ろして埃を払う。払ったまま剣先を下にして、刃を自分に向けて少年に向かって進み、そのまま差し出した。
「ありがとう、助かったわ」
少年の目の中に自分がいた。剣を掲げ差し出す自分が。
良い目だ。何もかもを、そのまま嘘偽り無く写し出す目。
その目の中に自分が居るという優越感。その感覚が私に喜びを与えた。
このまま、私だけを写していれば良いのに。
「私はエリス。良かったらお礼に食事を奢らせて貰えないかしら」
そう言う私の手から、少年は剣を受け取った。鞘に収める間も私を見詰めていた。
順番が違っていたら・・・。
もし、出会う順番が違っていたならば。
私はこの少年の物になっていたかも知れない。
そう思いながら、私はその目を見詰め続けた。




