10、再会と足りないモノ
「あ、気付かれましたか?」
ボンヤリとした視界の中、だれかが俺を見ている。瞼が重い。薄らと開いた視界は濁っているが、瞬きをする元気が無かった。おまけに辺りは薄暗く、離れた所で火を灯しているのか、逆光になっていてその誰かの顔は暗く影って余計に見えない。
けれども、その声には聞き覚えがあった。
高い声。子供のような、女の子のような。
『モシ・・・』
ローマ字読みみたいな片言の日本語を喋る女の子。俺がこの世界に来た時、そんな風に初めて話し掛けて来てくれた子の声だ。
「あっ、と」
女の子は慌てた様にそう呟いた。そしてシルエットが息を吐いて佇まいを直すのを気配で感じた。
「気付カレマシタカ?」
女の子は片言の日本語で言い直した。どうやら、俺がこちらの世界の言葉を未だ分からないと思っているらしい。
「・・・分かるから・・・」
唇も重たかったが、頑張ってそう伝えた。女の子が喋る片言の日本語がなにやら不憫で、いち早く言葉が分かる事を伝えたかったのだ。
「・・・ええっ!」
一瞬の間を置いて女の子が驚くのを感じた。驚いて、近づいて来たのか間近に息遣いを感じる。どうやら俺は横になっているらしい。上から近付いた女の子の髪の毛が俺の顔をくすぐる。くすぐったさと息遣いと、微かな体温と、そして御香みたいな匂いがした。
「す、凄いです!神ですか・・・、勇者様は人ではなくて神様なのですか・・・!?」
興奮して様子で女の子が俺の手を握りしめてきた。相手の顔が自分の顔のほんのすぐ側に迫り寄ってきたのを感じて驚き、体が強張る。無理矢理瞼を強く瞑って押し開いた。
綺麗な目だった。瞳孔とほとんど変わらない濃い茶色の瞳は大きくて、周囲の白目が少ない。少ないけどもそこは曇りの無い綺麗な白色で、濃薄のハッキリとしたコントラストが小動物の赤ん坊の様な映り込む物への興味の集中を際立たせている。
その瞳に映り込む俺の瞳。女の子の瞳の中に俺の瞳があった。
近い。分かっていたが近い。
俺は、めいいっぱい顎を引いて可能な限り距離を取った。そして言う。
「・・・離れて、近いよ」
瞬きして顎を引く。それだけの事をしただけで目の前に星が飛んだ。もう一回意識が飛びそうなのを必死に堪える。
「はっ!も、申し訳ありません!ついビックリしてしまって!」
そう言って握り締めていた手を離し俺と距離を取る女の子。それによって離れた所の火の灯りがようやく届き、辺りの様子が見えた。
俺は大きな木の根元に寝かされてたらしい。離れた所に火が焚かれていて、それを挟んだ反対側に乗って来た馬達が繋がれている。トールとノワの姿は見えない。
腰元を探るとそこにあったはずの剣は無く、一瞬焦って周囲を弄ると少し離れた所に鞘ごと置いてあった。ホッと息を吐いてそれを掴んで少し体を起こす。途端に吐き気が込み上げて来て同時に視界がダークアウトしそうになってしまった。
「ああ、急に動いてはいけません。支えますのでゆっくりと頭を起こして下さい」
女の子はそう言って、俺の頭の下に手を差し込んでゆっくりと持ち上げ、木にもたれ掛からせてくれた。
「今、ノワ様とトール様とが必要なモノを側の集落に取りに行っていますので、暫くお待ち下さい」
そう説明してくれる女の子の見て、ああ、この子はこんな顔をしていたのかと、その時になって初めてその子の顔をハッキリと見る事が出来た。
いつも深く被っている布の所為だろうか日焼けの気配の無い肌は白く、シミやソバカスの類は一切見当たらなかった。きめの細かい白い肌は透き通っていて美しく、頬と鼻の頭だけが健康的に紅く染まっている。くりっとした黒目がちの目は俺を映してキラリと輝き、薄く短い眉は常に困った様に下がり、小さな唇は子供の様にポッテリとしていて、彼女の独特な幼さを強調していた。
あの時と同じ白い布を巻き付けた様な服を着ている所為もあってか、夜の始まりの薄暗い森の中で、焚き火の明かりを一身に集めるように眩しく見える。
「覚えておられますか?馬に乗っている時に意識を失われたそうですよ。とても上手に落ちたそうで、私が後から確認しても打ち身等は見当たらなかったのですが、何処か痛い所は有りませんか?」
「・・・特に無い」
痛い所は無かった。けれども軽い吐き気と身体中の怠さが酷く、そして視界が掠れるように良く見えなかった。
「勇者様はこちらの世界で生まれ育った訳では無く、異世界から移動して来られたので、色々と順応出来ていなかったのでしょう」
女の子はそう言いながら、側にあった水桶の中から布を取り出して縛り、それで俺の顔を拭いてくれた。熱があったのかその布が触れた所は冷たく冷えて気持ちが良かったし、顔中がスッキリとした。
「・・・ありがとう」
女の子の顔を見ながらお礼を言った。
「いえ、これくらい。通りすがりに具合の悪い方がいたら誰でもこうします。どうぞお気になさらずに」
言いながら再び布を水桶の中に入れて濯ぎ、再び絞って今度は俺の首を拭いてくれる。
今日の事だけでは無く、俺が初めてこの世界に来た時にも助けてくれた人だ。もっとしっかりと感謝を伝えたい。お礼に上げられる物なんか何も無いが、今後何かあった時に手を貸すとか、何かしたいと思ってしまう。その為には、この女の子がどこの誰なのか、いつもは何をしている人なのか、どんな助けがあると良いのか、聞きたい事が頭の中に溢れて来た。
だから俺はまず、
「俺はアキラって言います。名前、聞いても良いですか?」
そう聞いた。
それに反応して女の子は、一瞬動きを止めて、そして俺の顔を見る。
「ココナと申します。王都聖母神殿にて神官として努めております、アキラ様」
言って俺の首から布と手を離し、姿勢を正して頭を下げた。
恩人に頭を下げられて、俺は焦った。焦って握っていた剣を離して、そして両手でココナの頬を挟んで上を向かせた。
「あの、頭下げないで。逆だよ。下げるのは俺の方だから。ココナさんありがとう、助けてくれて。今も、それからあの時も」
言って手を離して頭を下げた。途端にクラッと来て、そのまま横に倒れそうになる。
「わっ!」
ココナは焦って倒れそうな俺を支えた。
「大丈夫ですか?どうかご無理はなさらないで下さい」
お礼すらまともに言えない。情け無い・・・。
「ゴメン、ありがとう・・・」
謝りながら視線を上げると目が合った。そして、お互いの腰の低さの見せ合いみたいになった今の状況に、どちらからとも無く笑い合った。
あの時も思ったが、凄く良い子だな、と思った。
「アキラ、気が付きましたか!」
その時、トールの声が聞こえた。同時に、少し離れた所から駆け寄って来る足音が2つ聞こえる。トールと、そしてノワの物だろう。
「良かったー。このまま起きなかったらどうしようかと思ったよ」
ノワのその声が聞こえると、2人の顔が見えた。
と、
ココナを押し退けるようにしてトールが俺に抱きついて来た。
「うわっ・・・」
「アキラ、申し訳ありません!私がしっかりしていなかった所為です」
トールの突然の謝罪。
何で謝られているのだろう・・・。
縋り付くようにギュッと抱き付き続けるトール。よく分からない状況に、俺は助けを求めるようにノワとココナの2人を見た。
「脱水症状だったみたいよ?」
ノワが面白そうな顔をしてそう言った。
脱水症状・・・?何でだ?俺普通に水とか飲んでたのに。
俺のその疑問が顔に出ていたのだろう。ノワが続けて説明してくれた。
「ほら、アキラは日本から急にコッチに移動して来たでしょう?だから色々と足りなかったんだよ。コッチで生まれ育っちゃうと、違いが分からないんだけどさ、日本とコッチの食べ物、違ってたよね?」
違うなんて物じゃない。ほぼ干し肉と小麦粉団子しか食べてない。
少し考えて、そして分かった。
「・・・塩・・・」
呟いた瞬間、トールの肩がピクッと動いた。
「ピンポーン!正解!塩分が足りなかったー!」
楽しそうに笑いながら言うノワ。トールは俺を一度解放し、少し離れてそこで土下座した。
「ちょっ」
「申し訳ありません!あの時、アキラがあんなにも塩を求めたのに、私はそれを単なる我儘と諌めてしまいました!」
今さっき、簡単に非を認めるなと言っておきながら盛大に謝罪するトールの様に、呆れと驚き混ぜ混ぜの感情で俺は固まってしまった。
「いや、分かんなかったんだから仕方ないじゃん。土下座なんかする事ないって・・・」
俺は、固まりながらもこの場を何とかしたくてそう言った。が、トールは何故か張り合うように言い返して来る。
「いえ!最悪死に至る所だったのです。謝って済む問題では有りません!」
引き下がらないトール。
「・・・大丈夫だったから良いよ。これから繰り返さなければ問題無いから」
全然怒ってないのに、目の前で謝り続けるトールに悩まされる。悩んで、そして再び湧き上がって来た吐き気に嘔吐いた。
「あ、あの、先にお砂糖とお塩を飲んだ方が」
アワアワとそう言うココナの声。
「うん、そうだね。トール早く飲ませてあげようよ。本当に死んじゃうよ?」
「は、はい!」
2人に促されて、トールは謝るのをやめた?中断した?そして集落で貰ったか買ったかして来た塩と砂糖で、所謂経口補水液を作ってくれた。
「お待たせしました、お飲み下さい」
そう言ってトールが差し出して来た水を飲む。
甘塩っぱく、薄くて生暖かい、決して美味くは無い代物だった。
「まず・・・」
一度口に含むと、あまりの味に、無意識にそう呟いてしまった。
が、
体が求めているのか、2口目からは止まらなくなり、そのまま一気に飲み干してしまった。
「あっ!・・・」
ココナが止めようとしたのか、飲み終わった器を奪い取る。そして中が空な事を確認すると、俺の顔を見て悲しそうな表情を浮かべる。
「ふう・・・」
込み上げて来る満足感と共に俺が息を吐くと、ノワが「あーあ」と言う。
「え?何?」
差し出されたものを飲んだだけなのに、何で2人は残念そうなんだろうか。
「少しずつ飲まないと・・・なのです」
ココナのその言葉を聞いた時、急に激しい吐き気が込み上げて来た。
次の瞬間、
俺は、今飲んだ経口補水液を、そのまま全て吐き出してしまった。
・・・トールの上に・・・。
「・・・ゴメン・・・」
「・・・いえ・・・」
その後、俺の胃液混じりの経口補水液い浴びた服を、トールが洗ってくれた。ノワが新しい経口補水液を作ってくれて、ココナが少しずつ時間を掛けて俺に飲ませてくれた。
俺を交代で看護(介護?)しつつ、4人でそこで一夜を明かし、翌日皆んなでセーライ神殿へと向かうのだった。




