1、真夜中の市
道から少しズレた所にある木立の幹に馬の手綱を繋ぎ、川で汲んできた水を飲ませてやる。今日も一日中俺達を乗せて歩き続けてくれた馬達は、然程疲れを見せるでも無く、その水をゴクゴクと飲み干していった。
労う様に首筋を軽く叩くと、それに応える様に小さく嘶く。良い子だ、可愛い。
「アキラ」
背後から名前を呼ばれる。振り返ると、焚火の前に座ったトールが、こちらに向かって棒に刺して焼いた干し肉を持ち上げていた。夕食が出来たらしい。
俺は馬達から離れてトールの横に行き、座って肉を受け取った。
血抜きをして薄く剥ぐ様にして干しただけのイノシシの肉。獣臭い油の味しかしないが、気付けばそんな食事にももう慣れていた。慣れればマズイとは感じないし、それに他の動物の肉よりも腹持ちが良くて、最近ではコレばかりをリクエストしている。
欲を言えば、塩が欲しい。
「後1日進めば、目的の街に着く筈です」
肉に噛み付いて引きちぎった所でトールがそう言った。
ナバラ領を出発してから5日になる。王城からの手紙で指示された次の事件の場所は、結構離れた場所だった。
辺境、と言うのだろうか。辺鄙な場所にポツンとある街で、その街のさらに先にひとつ大きな神殿があり、その先はもう国境だった。
「そこでは、どんな事件が起こってるんだ?」
そう言えば何も聞いていなかった事を思い出す。そろそろ着くならちゃんと確認しておかなくては。
そう思って聞いた俺に、トールは袋の中から出した穀物の団子を渡しながら言った。
「若い女性が消えるそうです」
受け取った団子を二つに割って、その片方を口の中に放り込む。そして「へぇ」と相槌を打ってから少し考えた。
「若い女性だけが消える?」
引っ掛かりを覚えて俺は、頭の中を整理すべく、今迄見て来た魔物達の活性化の様子を思い出した。
体が大きく膨れ上がり、凶暴化し、本能のままに食べたい物を食べ、邪魔する者を容赦なく攻撃する。元の本質をそのまま強化されたかの様なナバラ領での魔物達。
そしてその前に見た、個々に残酷な『呪い』を掛けられて、相反する感情に苦しみながら死んで行った、哀れな魔物達。
『若い女性』という、特定の何かに固執するその特性に、俺は『トカゲ』を思い出した。
『俺の事を殺さなければ』という脅迫にも似た感情を植え付けられていたのに、同時に俺から餌を貰い、雨風から守られて嬉しいと思ってくれた『トカゲ』。
「また『呪い』を掛けられて活性化した魔物なのかな・・・」
声が沈んだ。もしそうだったらと思うと、胸の奥が痛んだ。
「そうかも知れません。または、もっと悪い事が起こっているのかも知れません」
俺のその気持ちを察しているのかいないのか、表情を変えないままでトールがそう言った。
「もっと悪い事?」
「はい。ナバラ領では、人や神も活性化をしていました。獣や純粋な魔物では無く、もっと知能の高い生き物がその様な事を起こしている可能性も無くはないのかと。行ってみなければ分かりませんが」
それを聞いて俺は、そうだ、と思う。
テラの過去の中ではマーリの兄が活性化していた。黒い棘の様な物を肩に刺されて。テラ自身も、彼の友人に同じ様な棘を刺されて活性化していたのだった。
しかもそれには、耀が関係していたのかも知れない。
耀・・・。
考え出すと、思考がいつもそこに辿り着く。
俺の双子の弟。一緒に学校の屋上から落ちて、同時にこの世界にやって来た筈だ。
俺は、運が良いのか悪いのか、こうしてトールと2人焚き火の前で干し肉と団子を食べている。
耀は、今、どこで何をしているのだろうか。
そんな事を考えていた時だった。
トールと2人で囲む焚火の灯りが届くか届かないか、ギリギリの距離の所で、ぼうっと灯りが見えた。その灯りは俺から見て左から右へ、人が小走りに進む速さで移動して行く。
「『真夜中の市』があるんです」
俺の視線に気付いてトールがそう言った。
何事かと少し身構えたが、トールが淡々と説明する様子を見て、俺は緊張を解いて続きを促した。
「訳あって人里で暮らせない人々が、こういった街道沿いでこっそり開く市場です。街や村で暮らす事が困難な転生者や、罪を犯して立入を禁止された者やその家族が、人知れず暮らして行く為の生活用品等を売買しています。公には許されていないのですが、こういったものも必要だろうと言う事で黙認されているのです」
「そんなものがあるんだ」
感心するようにそう言うと、またひとつ灯りが走って行くのが見えた。
「この地の市はそこそこの規模で、普通の商店では見られない様な珍しい物も扱っていると聞きます。アキラ、興味が有りますか?」
トールが俺を見て聞いた。そして立ち上がって馬の方へ歩いて行く。背中の荷物の中から大きな一枚布のマントを取り出すと、頭から被って肩口で留めた。そうすると、いつも目立って見える近衛の鎧も武器も見えなくなり、顔も影って半分以上見えなくなる。
「行ってみましょう」
言いながらもう一つマントを取り出し、それを俺の方へと差し出した。
「なんか、オッサンばっかり・・・」
別に期待していた訳ではない。『真夜中の市』という、ちょっと怪しげなイメージから、もっと色っぽいモノを想像してしまっていただけだ。
薄ぼんやりとした灯りの中で、その市は静かにひっそりと存在していた。規模的には田舎の公園で開催されるパンやら肉やらのフェス程度だろうか。人出はそこそこあるがみんな静かで、必要な会話も小声でボソボソ耳元で内緒話みたいに話している。客側はみんな顔を隠し、店側はオープンだが揃って髭もじゃだ。全員オッサン。
「時間も遅いですしね、女性が出歩くのは危険ですから。アキラも注意して下さい。マントで隠してはいますが、歳若いですし、男色の方の好む相貌をしていますので」
耳元で怖い事を言うトールに、俺はゾッとした。
「え、何だよそれ。怖いな」
「冗談ではありません。一般の人は良いのですが、兵上がりはご注意下さい」
周りが全員変質者に見えてしまう。
「兵上がりって、元兵隊?じゃない人とどうやって見分けるの?」
「・・・立ち方とか、動きが違うからすぐ分かるのですが、そうですね。分からないですよね」
「・・・」
絶対にトールから離れない様にしよう。
そう思って、緊張しながら俺は市を見て回った。
食料品から布や皮、それらで作った服や紐や、薬なのか怪しげな乾いた葉っぱ、ハサミやらインクやら、とにかく色んな物で溢れていた。取引は金銭でする者もいれば、物々交換をしている者もいる。
交渉次第で何でもあり、そんな感じだ。
そんな中、俺は見付けた。
「トール、塩だ。塩がある」
樽の中に山の様に盛られている白い結晶。目が荒く不揃いで、所々にゴミの様な不純物が混ざり込んではいるが、それは塩に違いない。
「トール、買おう。塩。欲しい」
「必要有りません。塩は嗜好品です」
塩に向かって進んで行く俺の首根っこを掴んで止めるトール。
嗜好品って、違うよ。塩は調味料だろ。
「計り売りみたいだから、少しだけ買おうよ」
食い下がる俺。だがトールは折れなかった。
「お金はあります。でもこれは経費として支給されたものです。国民一人一人の税金で賄われているんです。嗜好品を買う為のものではありません」
そんな風に言われてしまうと、引き下がるしかない。
「・・・分かったよ・・・」
ガックリと項垂れて俺は諦めた。
そのまま進んで、トールは俺に、この世界の人達が履いているみたいなブーツを買ってくれた。
「その靴では馬にも乗りにくいですし、戦闘になった時不利ですから」
履いてみるとスニーカーよりもズッシリと重かった。けれども脹脛からギュッと縛り上げて履くので脱げる心配が無く、そして底が厚く硬いので馬に乗る際は鎧に乗せやすい。戦った時には敵を蹴ったら大きなダメージを与えられそうだった。
それから、何軒かの武器を扱う店を覗いて、軽めの片刃の剣を買ってくれた。
トールの持っている2本の剣、片方は両刃で太く重たい。トールは片手で扱ったりもするが、これは両手で持って使うのが一般的で、切るというよりは刺す、叩く、殴り割るのを目的としているのだそうだ。よって手入れが楽で、研ぐ必要はあまり無い。
もう一本は片刃で、鋭く良く切れる。細く軽くて扱い易いが、肉を切ると油分を纏って切れ味がすぐに落ちる。だから長期戦には不向きで、こまめな手入れが必要。使ったら研ぐ、が基本。
「どっちが良いですか?」
そう聞かれて、俺は深く考えずに「軽い方が良い」と答えた。
「今後は、時間を見付けて稽古をしましょう。教えます」
ハザンが居なくなった代わりの兵は、未だに来ない。あてにするより俺が自身で身を守れる様になった方が良いのだろう。
「分かった。宜しく」
剣を扱う自信なんて無かった。けれども「無理」だと言って何もしないでいるのは、単なる我儘だと思えたのだ。
俺は頷いて剣を受け取った。
と、その時。その武器屋の隣の店の脇から、嫌な気配を感じた。モヤモヤとハッキリしない、胃のムカつきみたいな気配だった。
見ると、布を被った四角い箱の様なものがある。
電子レンジ位の大きさのそれは地面に直に置かれていた。俺はその前にしゃがみ込んで、そしてその布を思い切って退けてみる。
店主が気付いて何かを言ってきた。
その店主の声に反応する様に、気配が強くなる。
黒いモヤ・・・。
それは、飲食店の調理場等でネズミとかを捕まえる罠の様な物だった。中には餌を設置する穴があり、けれどもそこは空になっていて、そして、捕らえられた害獣なのだろうか、小さな生き物が2匹、身を寄せ合うようにして蹲っていた。その生き物から、モヤが湧き出てきている。
「子供の引き付けによく効く薬の材料です。ワリジと言う小型の魔物で、肝を乾燥させて煎じて飲みます」
トールが説明してくれた。
店主がまた何かを言う。湧き出るモヤの量が増える。
「トール、そこの店主、なんて言ってるの?」
店主の言葉に反応している。多分、コイツらは人の言葉が分かるのだ。
『人や他の動物達よりも敏感で純粋。無垢で他者からの影響を受け易い。事に悪意等の『負』の感情に同調、共感、吸収し易く、それらを浴び続ける事によって『負』の活性化を起こすと言われています』
以前、神殿のオッサンが言っていた話を思い出した。
活性化、しかかってるんじゃないだろうか・・・。
「金になりますよ、と。あんまり取れない魔物で、親の魔物を騙してようやく手に入れた。馬鹿な親だった。あんな馬鹿な親はなかなかいないから、こうも簡単に手に入る事は二度と無いだろう。と」
トールが訳してくれた。
なるほど。親を馬鹿にされて、売られて殺される。それを自慢げに話されて・・・。
こうやって普通の活性化は起こるのか。
俺はそう思った。
「アキラ、可哀想だから買って逃したいと思っていますか?」
トールが聞いてきた。
「いや、そうじゃない・・・」
確かに可哀想だとは思う。けど、これも自然の摂理なんだと、そう思った。
「なぁお前ら」
俺は、2匹に向かって言った。日本語が通じるのかは分からない。通じなかったら、トールに訳してもらおう。そう思いながら話し掛ける。
「このオッサンは最悪だけど、お前らの命のお陰で救われる命があるんだ。お前らから作られた薬を買うのは、お前らの親と同じで、子供を助けたいと死ぬ程願う必死な親なんだよ。だからって酷な事には変わりは無いけど」
2匹の魔物が顔を上げて、俺の顔を見た。つぶらな2組の目が、俺の目を真っ直ぐ射抜く。
大丈夫だ、伝わってる。
「お前らの親は馬鹿じゃないよ。お前らの命で救われる子供の親も馬鹿じゃない。こんなオッサンの話、聞かなくて良いよ」
2匹が揃って瞬きをした。そしてお互いを見つめ合って、再び俺を見る。
「分かった。我等は運命を受け入れよう」
頭の中に声が響いた。
黒いモヤが、蒸発する様に消えて無くなった。
そして、2匹は何事もなかったみたいに身を寄せ合って丸くなった。
俺は、ホッと息を吐いて、そして外した布を掛け直した。
「アキラ、一体何が・・・」
トールが変な顔をして俺を見る。
「行こう」
それを無視して俺は歩き出した。
その時、向かいの店のカーテンの隙間から、白い指先が見えた様な気がしたが、見直したら見えなくなっていた。
魔物を売る店のオッサンがデカい声で何かを言ってきた。
「冷やかしか、2度とくるな、と」
「訳さなくても分かるよ」
そうして、俺達は『真夜中の市』を後にした。