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1944年1月3日に発動された”コーンブルーメ”作戦では、1942年春の前線よりも攻勢発起地点が後退していた。そして、失敗した1942年夏の”ブラウ”作戦の反省から、若干の修正が加えられている。”コーンブルーメ”作戦で、アゾフ海沿岸を進む南方軍集団の右翼の攻勢軸は、ロストフ経由で、ドン川西岸を北上してスターリングラードへと進撃することは前回の”ブラウ”作戦と同じである。だが、南方軍集団の左翼の攻勢軸では、前回とは異なっていた。
前回と異なり、左翼の攻勢軸ではヴォロネジを無視する。そして、鉄道や道路による補給を勘案しながら、南東のスターリングラードを目指して侵攻する。”ブラウ”作戦時のような市街戦を可能な限り回避したい左翼の攻勢軸での目的は、そのハリコフ・ベルゴルド方面からスターリングラードまでの間に、反転攻勢するだろうソ連軍を野戦で撃滅することだった。”ブラウ”作戦のように、ソ連軍の包囲殲滅を狙っても、その間に市街戦で消耗するようなことになれば、本末転倒になりかねない。
1月3日、南方軍集団左翼の先鋒である第656重戦車駆逐連隊は、「パツィーフィク」2個小隊の援護を受けて、フェルディナントを先頭に、ハリコフとベルゴルドの間にある前線を半日ほどで突破することになる。そして、それこそ雪崩れ込むようにベルゴルドを占領した。
それからは、長砲身の”7.5 cm KwK 40 L/43”のⅣ号戦車を主力に、それ以上の”7.5 cm KwK 42 L/70”を搭載したパンターで構成された第1SS装甲師団「ライプシュタンダーテ SS アドルフ・ヒトラー(LSSAH)」が、第656重戦車駆逐連隊の「パツィーフィク」2個小隊の配属転換を受ける。そのLSSAHは、ハリコフ・ベルゴルド方面から、南東のスターリングラードへと侵攻方向を変えた。
そこからは、1941年のソ連侵攻”バルバロッサ”作戦での捜索大隊のような、LSSAHのソ連軍の前線を横薙ぎにする攻勢作戦が始まる。ソ連軍が強固な前線をドン川東岸に再構築するまで、ティーガーⅠを主力とした重戦車大隊が、快速部隊となったLSSAHの前に出ることはなかった。「パツィーフィク」2個小隊の最大の価値は、猛進するLSSAHに対して、ソ連軍が対応する時間を与えないことにあった。
一方、左翼の攻勢軸の先鋒だった第656重戦車駆逐連隊は、ハリコフ・ベルゴルド方面の防衛を担うことになった。宣伝中隊によるニュース映画の主役は、久しぶりの大規模な攻勢作戦となった”コーンブルーメ”作戦での第656重戦車連隊のフェルディナントと、ハリコフの南に配置されているティーガーⅡで編成された第510重戦車大隊である。