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 1943年11月の東部戦線の現状認識について、アドルフ・ヒトラー総統と陸軍総司令部(OKH)の間に、そう大きな差があったわけではない。5月から緩やかな撤退を続けてはいるが、まだ北から南までの全戦線はソ連領内にある。そして、ソ連軍の前線に配置している戦闘車両の軽戦車、軽装甲車の比率が高くなっていること、軍用車両の量的減少が見られること。ソ連空軍が新型機に切り替えていることと、その量的増加の著しいこと。それでも、今後のドイツ軍の東部戦線での方針については意見を異にしていた。すでに、東部戦線全域に展開する「パツィーフィク(太平洋)」7個小隊28名中2名のヤマブシが戦死している。ソ連空軍のIl-2による通り魔的な爆撃だった。


 ヒトラーと陸軍総司令部との間で一致しているのは、1944年1月下旬までに、モスクワ街道以南で前線を押し上げていくことだけである。ウクライナ全域を確保することがその目的だ。だが、ヒトラーは、ウクライナを超えてカスピ海を目指すアストラハン再侵攻を主張していた。クリミア半島東部の対岸にあるノヴォローシスクの港は、いまだにドイツ軍の手の中にある。1942年4月に実施された”ブラウ()”作戦の焼き直しだ。その途上にあるスターリングラードの奪還は、今年2月に全滅した第6軍の雪辱戦にもなる。それに、ヤマブシの誘導兵器は、いずれ西部戦線に上陸してくる連合軍の輸送船団に向けられるべきだと、ヒトラーは確信していた。


 “バルバロッサ(城塞)”作戦時の作戦目標線であった白海のアルハンゲリスクからカスピ海のアストラハンの”A=Aライン”に到達したとしても、ヨシフ・スターリンソ連共産党書記長が降伏することはない。一部の工場をウラル山脈以東に移転して操業を始めてもいる。中華民国国民政府主席の蒋介石は、南京から武漢、さらに重慶へと首都を移転しても降伏することなく、日本軍に抵抗していた。ヒトラーの関心の目は、バクー油田に向けられていた。ヴォルガ川西岸まで進出してバクー油田を占領し、ソ連の石油の最大供給ルートを絶たなければ、ソ連との戦争は終わることはないと。


 10月下旬から、ヒトラーと将官たちとの昼食会や夕食会は再開されていた。東プロイセン州ゲルリッツ村近くのマズーランの森にある総統大本営では、午後2時から始まるカジノIでの昼食会で、中央軍集団の参謀の1人が、ヒトラーに”自転車の荷台”という隠語を聞いたことがあるかと問いかけていた。ヒトラーが、聞いたことがないと答えると、その参謀はこう話し始めた。”自転車の荷台”をどう解釈するのかといった前提条件が、ヒトラーと違うことを気づかないままに。


 たとえば、1941年当時と、現在のソ連の小銃兵師団では、歩兵の数は14パーセント減少した9300名になり、一見弱体化したように見える。だが、野砲の数は、22パーセント増加した44門。迫撃砲は、105パーセント増加した160門。対戦車砲に至っては、167パーセント増加した48門と、”バルバロッサ”作戦時とは、すでに別の軍隊になっている。そして、ソ連の兵力は、開戦時の570万人から減少したのではなく、逆に増加している。師団の定数を減らして、師団数を増やしているのだ。その配備している兵器も新型へと更新されている。KVやT-34といった戦車や、Tu-2やIl-2といった航空機もそうだ。これが、参謀が前線で肌身に感じていることだった。


 そして、“自転車の荷台”とは、戦力外になりつつある軽戦車をタイヤに見立てて、そのエンジンルームの上を跨ぐように、水平になるよう取り付けられた荷台のことだ。車体側面に、底を塞いだ鉄パイプを3つずつ溶接し、その鉄パイプに差し込んで車体から50cmほど横と後ろに張り出した荷台には、その長方形の頂点に手すり代わりの1.5mの垂直の棒が4本立っている。垂直の棒を機銃の銃座に取り替えたものでは、軽機関銃や重機関銃を4丁取り付けたものもあるらしい。軽装甲車のあってないような後部にも、そのような”自転車の荷台”を無理矢理に取り付けたものまであると聞いたヒトラーは驚いた。


 現在の東部戦線は、ティーガーIからなる独立重戦車大隊と「パツィーフィク」からなる先鋒による攻勢防御に、前線が後退したことによる補給路の再編成と再構成で、相対的な戦力均衡を回復しつつある。中止した”ツィタデル(城塞)”作戦での前線突破を目的とした、陸軍総司令部(OKH)直属の重戦車駆逐連隊も温存したままだ。11月中旬に編成された新型のティーガーIIからなる独立重戦車大隊も、来年1月には、前線に投入できるだろうとヒトラーは考えていた。いまとなっては、ゲーリングは信用できず、ソ連空軍の戦力は気になるものの、さすがの連合軍の援助物資も底を突いたはずだとも。


 冬の間は、連合軍も、フランスの太平洋岸での上陸作戦を実施することはできない。その間に、ソ連の石油生産量の7割を供給するバクー油田を占領しなければならない。ウクライナを占領している間は、開戦時のソ連の食糧生産4割を奪い取ることができる。石炭といった鉱物資源もそうだ。ソ連への援助物資は、武器弾薬や、軍事車両、ガソリンだけではない。食料、鉱物資源、生産材や消費財など、多岐に渡っている。ヒトラーは、ソ連への援助物資が滞っているこの絶好の機会を逃すべきではないと決意した。


 その参謀は、やつれ、しなびていたヒトラーの両眼に、かつてあったあの妖しい輝きが戻ったことに驚いた。そして、「そんなことが前線では起きているのか。後方にいてはわからない話を聞かせてもらって、大変参考になった。感謝している」というヒトラーの声の調子に、とても恐ろしいものを感じていた。そして、それは、総統大本営の食堂で、その会話を聞いていた全ての人間が感じているものだった。


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