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 1943年8月31日。5万4000kmを航海してきた日本海軍のUボートI-7とI-8が、フランス大西洋西岸にあるブレスト港に到着した。ドイツの譲渡するUボートU1224を日本へ回航させる乗員60名に、日本人義勇兵として参戦するヤマブシ40名とドイツ語通訳10名。その合計110名の輸送と軍事技術にかかわる特殊物資の輸送を目的に、この2隻のUボートは連合軍の厳重な海上封鎖を突破してきた。この作戦では、ヤマブシ40名の輸送が最優先とされ、その2隻へと20名ずつ分乗していた。


 ドイツの通信社は、『今や日本のUボートでさえもが大西洋で作戦行動中である』と、ブレスト港のUボート・ブンカーに停泊している2隻の日本のUボートを大々的に報じた。1943年8月3日イタリアのシチリア島が連合軍に占領され、同月7日イタリア半島南部への連合国の上陸も始まり、同月12日イタリア王国パドリオ政権は連合国に条件付降伏した。東部戦線の戦況も思わしくなく、そんな暗雲が立ちこめるなか、太平洋で連合軍に優勢を保っている日本海軍のUボート2隻が封鎖線を突破してきたからだ。


 日本海軍の潜水艦乗員である艦長と士官は、パリとベルリンで歓待され、ドイツ国民に熱狂的に迎えられた。下士官や兵も、ブレスト近郊の潜水艦乗員保養所で、90日もの長期航海の疲れを癒していた。その間のドイツ海軍と日本海軍の交流するニュースは、飽きることなく流され続けていた。ヤマブシ40名とその通訳10名の歓待は、武装親衛隊とドイツ陸軍によって行われたが、それがニュースになることはなかった。


 陸軍兵器局は、日本から持ち込まれた12cm迫撃砲弾の先端へ取りつける”ねじ込み式誘導部品”の評価試験を9月7日から実施した。その四枚の羽を持つ矢尻のような”ねじ込み式誘導部品”は、わずかな部品とアムレット(護符)の簡易な構造で、従来の信管同様に取りつけることができる。そして、ヤマブシの目視する目標に誘導された迫撃砲弾が全弾命中していく光景は非現実的なものだった。ヤマブシたちが標的のトーチカから突き出した砲身部分に、「あれに当でれ? ござんなれ(秋田弁)」と直撃させたことにも驚嘆した。


 ヤマブシのアムレット(護符)の供給が前提ではあるが、12cm以上の口径を持つ迫撃砲向けに、”ねじ込み式誘導部品”を製造することはすぐに決まった。空軍でも、日本の陸海軍で使われている”ねじ込み式誘導部品”用に改修された大型の航空爆弾が採用されることになる。この航空爆弾の改修点は、”ねじ込み式誘導部品”との接続部分が強化されていることだ。報復兵器である空軍のV-1と陸軍のV-2は、アムレット(護符)を利用した誘導兵器としても活用されることになった。これらは全てヤマブシ専用の兵器であり、その霊能力(神通力)による戦局の打開への期待の高さでもあった。


 9月21日の忠誠宣誓式では、ヤマブシ40名で構成される武装親衛隊の日本人義勇部隊「パツィーフィク(太平洋)」として編成された。ユダヤ教とヤマブシの衣装の関係を当初から疑われ、「ドイツまで来て、山伏問答するどは思わねがった(秋田弁)」と、それまでの間に親衛隊に取調べされたヤマブシたちの恨み言や、日本大使館からの厳重抗議や、誓約の文言変更などから、親衛隊での二つ名が「ユダヤ人義勇(傭兵)部隊」になっていた。


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