4、13番目の呪われ姫は静かな離宮を好まない。
その宣告は何の前触れもなく唐突に切り出された。
「姫、暗殺しに離宮を訪ねるのしばらく控えていいですか?」
キース・ストラル伯爵は、この離宮の主人である13番目の王女様ベロニカ・スタンフォードにそう尋ねた。
無愛想な顔をしていることの多い伯爵にしては珍しく深刻そうな表情で、ベロニカは猫のような金色の眼を不思議そうに丸める。
「暗殺を依頼している私が言うのも何ですが、なかなか聞かないセリフですね。遂にネタ切れでしょうか?」
「俺も人生上でスタンガン持って姫の離宮に押し入る日が来るとは思ってませんでしたよ」
と、本日の暗殺道具、改造スタンガンを片手で弄びながら伯爵は苦笑した。
この2人、呪われ姫と伯爵はターゲットと暗殺者という関係だ。
とは言えターゲット自ら伯爵を脅して暗殺を承諾させ離宮に招き入れているので、2人の間には全くと言っていいほど緊張感はないのだが。
この国の王家は呪われている。
『天寿の命』
寿命以外では死ねなくなる呪い。呪いの効果が出るのは13番目の王の子と決まっており、不幸にもその番号を引いてしまったベロニカは生まれた時から呪われ姫として陛下の命令で命を狙われている。
ベロニカ本人曰く、呪われ姫と言われ続ける生活に嫌気が差し、本人としては死ぬ気満々なのだが、何せ呪われ姫。
ベロニカを殺そうとすると呪いの効果が発揮され、毒は砂糖水に、弾丸は万国旗に早変わり。ベロニカに殺意は届かず、全く死ぬ気配がない。
数多の暗殺者を送り込まれてもいつまでも死なないベロニカに業を煮やした陛下は、
『伯爵家以上の貴族は最低一回、どんな手段を使っても構わないから、呪われ姫の暗殺を企てろ』
と莫大な褒賞をつけて勅命を出した。
仕方なく離宮に忍び込んだ伯爵の一体何をベロニカが気に入ったのかは謎だが、うっかり彼女と縁ができてしまった伯爵は、今日も律儀に暗殺をしに離宮に足を運んでいた。
「それにしてもこのスタンガン、すごく便利です! 肩凝りがとれました」
とベロニカは満面の笑みで元気アピールをしてみせる。
「……普通、死ぬはずなんですけどね。姫にかかると改造スタンガンもただの低周波治療器に成り下がりますね」
伯爵は結構改造頑張ったんですけどねとベロニカの呪いの効果で無効化され低周波治療器に早変わりした、元スタンガンを肩に当てこれ売り出せないかなと真顔でつぶやいた。
暗殺を試みたあとは恒例となりつつあるベロニカとのティータイムだ。呪われ姫に予算も人員も割かないとばかりにこの離宮は放置されているため、本日もベロニカ自らが用意した薬草茶を頂く。
暗殺者にお茶汲みしている姫なんて世界中探してもベロニカぐらいなものだろうと思いながら、お土産に持ってきたクッキーを小動物の様に頬張るベロニカを見て伯爵は小さく笑った。
「伯爵っ、このクッキーすっごく美味しいです! この前のわさび入りチョコボールとは雲泥の差です!!」
「……根に持ちますね、姫」
眉根を寄せた伯爵は、余程気に入ったらしい幸せそうに食べるベロニカの前に伯爵は自分の分のクッキーを差し出す。
「伯爵の分がなくなってしまいますよ」
「いいです。試作品なんで、家に帰ればあるし。ふっ、その食べ方妹とそっくり。それほど女子に好まれるならこれは採用だな」
どうぞと差し出されぱぁぁっと顔を明るくしたベロニカがまだ幼い弟妹と同じ表情で食べるのを伯爵はおかしそうに見て口元を緩めた。
ベロニカが一通りクッキーを食べたのを見て、伯爵は口を開く。
「それでさっきの話ですが、しばらく本職にかかりきりになりそうなんで、離宮に来るのは控えてもいいですか?」
「……何かトラブルですか? 領地の管理にしても、伯爵の経営している商会にしても繁忙期というわけではないですよね」
薬草茶を飲みながら、ベロニカは金色の目でじっと伯爵を見つめる。
「私を殺せたら借金帳消しどころか、伯爵家が抱える問題を十分過ぎるほど解決できる資金が手に入ります。が、そんな悠長な事を言ってられないほどの"何か"がありましたか?」
ストラル伯爵家は先代が作った莫大な借金を抱えている。その上先代の杜撰な管理のせいで領地も未だ赤字状態。
彼は若くして爵位を継いだその日からずっとそれらを背負って、ストラル伯爵を名乗っている。
「……姫には関係のない話ですよ」
「では、言い方を変えます。私のせい、ですね」
"ですか?"ではなく断定的に言い切ったベロニカに伯爵はため息を漏らす。多分彼女は今自分が置かれている状況を察しているのだろう、と。
「姫のせい、は語弊がありますが、まぁここに来るようになったのが原因でしょうね。俺には他に恨みを買うような覚えもないし」
呪われ姫の暗殺のために離宮に出入りするようになってから、伯爵が経営している会社に嫌がらせが入るようになった。
遂には取引が円滑にできないなど、相手から一方的に契約を打ち切られる事態が多発し、事業が立ち行かなくなるほどに。
「……ごめん、なさい。伯爵」
自身の無力さを痛感したようにぎゅっと小さな手を握りしめ、視線を落としたベロニカの頭をポンポンと軽く撫でた伯爵は、
「……子どもが心配しなくていい。しばらく離宮には来れないが、まぁ解決したらまた暗殺にチャレンジしますよ」
褒賞は魅力的ですから、といつもと変わらない口調でそう言って、伯爵は引き上げていった。
伯爵がベロニカの離宮に来なくなって、ひと月たった。
「……静か」
自分以外誰もいない部屋のソファーでお行儀悪く寝転んだベロニカはぽつりとそう漏らした。
ベロニカが伯爵に暗殺を依頼してから、最低週1回、平均2〜3回のペースで伯爵は離宮を訪れていた。
律儀に毎回違う内容の暗殺を企てて、失敗を記録に残しながら。
「……この離宮、こんなに静かだったかしら?」
伯爵が来なくても相変わらず沢山の暗殺者が離宮の敷地を訪れるが誰一人としてベロニカがいるこの部屋まで辿り着ける者はいない。
大抵は屋敷に入るより早く、ベロニカのペットのドラゴンやベロニカの良き隣人である人外の何か達を見て逃げ帰ってしまうからだ。
「……退屈」
そうつぶやいたベロニカは金色の目を小さなテーブルに向ける。先月までは暗殺に来てくれた伯爵がそこにいて、2人でお茶をしていたのだ。
呪われ姫であるベロニカが用意したお茶を伯爵は躊躇わずに飲んで美味しいと言ってくれた。
「……寂しい」
ベロニカは侍女すらいないこの離宮でずっと1人で生きてきた。だからそれが当たり前で、寂しいなど感じた事などなかったのに。
「ひとりは、寂しい」
誰もいない静けさの中で、ベロニカはひとりぼっちの寂しさと伯爵に会いたい気持ちで泣き出しそうだった。
「ああ、ヒトという生き物は退屈や寂しさや孤独で死ぬのかもしれませんね」
そうつぶやいたベロニカの金色の瞳から涙が溢れ、床に落ちた。その途端、
『ニャー』
どこからともなく、金の目をした黒いネコが現れた。
『ニャー』
ネコがベロニカを仰いで一声鳴くと、
『ニャー』
どこからともなく金色の目をした闇色のネコがするりと姿を現した。
『ニャー、ニャー、ニャー、ニャー、ニャー』
それらは例えば床に落ちる影の中から、あるいは家具と家具のほんの僅かな隙間から、音もなく現れてどんどんどんどん増えていく。
そして、あっという間に部屋を埋め尽くすほどの数になり、真っ黒なネコの形をした何かは行儀良く座って、金色の瞳をベロニカに向けると、
『ニャー』
と一斉にベロニカに向かって鳴いた。
ベロニカは金色の瞳を瞬かせるとソファーに座り直して、ネコ達に微笑みかける。
「退屈で死にそうです。私からお気に入りを取り上げて、私を殺そうとしているのは誰でしょう? ベロニカ・スタンフォードが王家の呪われた血において命じます。暴き出しなさい」
ベロニカがそう命じると、了承を告げるように一際大きく鳴いたネコ達が暗闇の中に消えていった。
ネコ達が消えた部屋でソファーにうつ伏せになって足をパタパタさせたベロニカは、つまらなそうに笑う。
「私、この暗殺が、一番堪えるようです。だから少しだけ本気を出させていただきますね、伯爵」
静けさの中でそうつぶやいたベロニカの金色の瞳には、静かな狂気と執着が浮かんでいた。
「ごきげんよう、伯爵! ひと月半ぶりですね」
満面の笑みを浮かべたベロニカは、そう言って伯爵を招き入れる。
「わぁー私このクッキーすごく好きです」
お土産に受け取ったクッキーをパクっと躊躇いなく口にしたベロニカは眉根を寄せ、
「毒入りですか。普通に食べたかったです」
今日の暗殺は雑ですねと感想を述べソファーに倒れ込んだ。
「姫、なんか今日はめちゃくちゃ疲れてますね」
そんなベロニカを見ながら伯爵はいつもと同じ口調でそう言った。
「あーー! そうでしたっ! 今日は伯爵にプレゼントがあったんです」
そう言ったベロニカは、ソファーに寝転んだまま伯爵に書類を手渡す。
「サインください。契約書です」
「はっ? なんですかコレ」
伯爵は書類に視線を落とす。
『キース・ストラル伯爵を呪われ姫ベロニカ・スタンフォードの専属暗殺者に任命する』
と書かれており、成功報酬とは別に離宮に暗殺に来た際の固定報酬が書かれていた。しかも王家承認済みの印入りで。
「いやいやいやいや、なんでこんな事に!?」
「今まで伯爵の貴重なお時間を頂いておきながら無報酬でしたから」
今までの分もお支払いしますねとベロニカはそう言って、
「"専属暗殺者"なんてかっこいい称号ですね、伯爵」
国家公務員ですよ、とソファーで足をパタパタさせながら笑いながら猫のような金色の目を伯爵に向けた。
「ねぇ、伯爵。コレで堂々とここに伯爵が来る理由ができましたね」
だからこれからもよろしくお願いしますと小さくそう言ったベロニカは眠そうにあくびをしてゆっくり目を閉じる。
伯爵はじっとベロニカを見つめその先の説明を待ったが、それ以上ベロニカから言葉が出てくる気配はない。
いつも元気なベロニカが話さずにいるので、2人がいるこの部屋には沈黙による静けさが横たわる。
伯爵はベロニカを見ながら考える。
『何故、経営する商会への嫌がらせが急に止んだのか?』
『何故、呪われ姫と蔑まれ暗殺対象であるベロニカが王家承認済みで、自分が堂々と離宮に立ち入るための身分を用意できたのか?』
『何故、侍女1人おけない、ボロボロの離宮でほぼ自給自足の生活を送るベロニカが、自分に支払う報酬を用意できたのか?』
『何故、今ベロニカはこれほど疲れ切っているのか?』
伯爵は小さくため息をつく。"何故"がどれだけ高く積み上がっても、きっとベロニカは答えない。
伯爵はベロニカに問いかける。
「コレ、内容変更は可能です?」
「……報酬額気に入りませんか? もう少しくらいなら上乗せできますけど」
気だるげに少しだけ目を開けたベロニカがそういうと、伯爵は首を振ってベロニカの銀色の髪を撫でる。
「報酬は、いつももらってますから。暗殺が成就した時の褒賞だけでいいです」
まぁ、また会社が襲撃されたら困るので身分はもらいますが、といつものように淡々と無愛想な表情のまま伯爵はそう言った。
「……私、伯爵に何も返せてないです」
「貧乏貴族が王族とティータイムだなんて過分すぎる報酬でしょう」
お茶やコーヒーを自力で用意して自ら淹れてくれる姫なんて、ベロニカ以外きっといない。
そういう伯爵を驚いたような表情で見たベロニカは目を丸くして瞬かせる。
「ふふ、やはり伯爵は変わっていますね。貰えるものはもらっておけばいいのに」
そう言って笑ったベロニカは、再び目を閉じる。
そのままうとうとし始めたベロニカは、
「頭をなでられるのって、こんなに気持ちいいものなのですね。知りませんでした」
静かに静かにそう言った。
伯爵は何も話さず、ゆっくり優しい手つきでベロニカの髪を撫で続ける。
1人でいる時はただ静かな部屋の中で、寂しさと退屈を抱えていたはずなのに、今はこの静けさも沈黙も心地いいなんて不思議だわとベロニカは心の中でそう思う。
「……私、殺されるならやっぱり伯爵がいいです」
静かな部屋にベロニカの小さな声がぽつりと漏れる。
「そしてもし、来世というものがあるのなら今度は猫になりたいです。こんなふうに、誰かに撫でてもらえるような、愛くるしい猫に」
銀色の長いふわふわの髪を体に纏わせソファーにまるまるその姿はまるで猫のようで、ベロニカのつぶやきを聞いた伯爵はくすりと笑う。
「……ねぇ、伯爵? 私が死んだら、伯爵は……少しくらい、悼んでくれますか?」
ベロニカは薄れていく意識の中で、伯爵に尋ねる。
「……なんて、暗殺を依頼して……のに……厚かまし……かな」
そのまま満足そうな顔をして眠りに落ちたベロニカには、すやすやと規則正しい寝息を立てる。
「多分、泣きますよ。俺」
すやすやと寝息を立てるベロニカの寝顔を見ながら、伯爵は無愛想の顔のままベロニカを撫でてそう言った。
自分の事を見つけると"伯爵"と楽しそうに駆けてくる彼女の笑顔を思い出す。
妙な縁ができてしまったベロニカは、まだ成人すらしていない、自分と同じ人間で、ただの子どもだ。短い付き合いではあるが、彼女が国から殺されなければならない理由が伯爵には理解できない。
「国中が、姫の死を喜んでも。多分、俺だけはアンタを想って泣くんだ」
伯爵は小さくため息をついて、ベロニカの身体にそっと自分の上着をかけてやる。
「だから、できたら呪いを全うして死んでくれないか? ベロニカ様」
暗殺を依頼されている自分が、叶うなら寿命が尽きるまで、姫が生きてくれたらと願うのは間違いだろうか?
夢の中に落ちたベロニカには伯爵の問いかけは届かない。
「また、来ます。どうか、いい夢を」
伯爵はそっとそう囁いてベロニカを起こさなように、静かに部屋を後にする。
伯爵がいなくなった部屋で、夜は静かに、静かに更けていく。
なんだかとても幸せな夢を見た気がするベロニカが、テーブルに置かれた書類に書かれた伯爵のサインを見て、次がある幸せを噛み締めたのは翌朝の事だった。
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