#6 新しい生活の始まり
「行ってきます。」
真新しい制服を着たマリアが、玄関から出て来た。
白いブラウスにチェック柄のネクタイ。
プリーツのスカートはネクタイと同じ柄だ。
紺色のハイソックス、茶色のローファー。
全てが、マリアが通うことになった都ヶ丘高校で、指定されているものだった。
マリアは、家を出ると、黒石神社に向かった。
「おはよう凪。」
本殿の清掃に向かう凪に会い、一緒に歩く。
「今日からか。」
「うん。だから、御弥之様にご挨拶してから行こうと思って。」
凪は、マリアの制服姿を見て、今日が登校初日であることに気付いた。
マリアは、本殿に上がって行く凪を見送り、マリア自身は本殿には入らず、入り口の前で二礼二拍手をして目を閉じた。
今日から、日本の学校、都ヶ丘高校に通います。
どうか、見守っていてください。
B・B達のこと、よろしくお願いします。
行ってきます。
最後に一礼をして、マリアは歩き出した。
本殿を離れ、参道を通り、鳥居をくぐって、階段を下りる。
階段の途中、掃き掃除をしているB・Bを見つけた。
日本に来て、もうすぐ2ヶ月になる。
青竹色の作務衣姿も、もう見慣れた。
今では、本殿や拝殿、神楽殿などの社殿以外の場所なら、自由に歩くことが出来ていた。
「行ってきます、B・B。」
「今からか。」
「そうよ。お努め、今日も頑張ってね。」
「あぁ、マリアも。気をつけて。」
「行ってきます。」
穏やかに微笑むB・Bに見送られて、マリアは階段を下り、バス停に向かった。
外国人が黒石神社で働いている。
日本に来て、すぐに神社の周りでは噂になった。
B・Bのことだけならまだしも、子供の外国人が居るという噂まで広まったので、月城家では親戚中が集まり、大騒ぎになった。
まさか、マリアの他に来ている6人が全員男で、そのうちの5人が子供であるとは、思ってもいなかったからだろう。
それはそうだろうと、マリアは思い、申し訳ない気持ちで一杯だった。
なのに、琴音は、しれっと、言い放ったのだった。
『気にすることはないよ。あれらは座敷童のようなモノさ。いや、座敷童のようなモノになる為の修業を、今、しているようなものなのだから、見守っていておやり。残りの1人も同じようなものさ。周りにも言っておいておくれ。修行の邪魔にならないよう、くれぐれも騒ぎ立てないで居て欲しいとね。』
凪を知る周囲の人達は、皆、B・B達を、神使に近いモノと勘違いをして、噂を、それ以上、広げることも、詮索することもなくなった。
もちろん、B・B達を見掛けても、気軽にどころか、恐る恐るにでも、声を掛ける人は居なかった。
お陰で、B・B達は行動を制限されることなく、善行を重ねることが出来、マリアによって、毒素の排出も続けた結果、見えない壁は、今や、神社内の社殿周囲だけと、驚異的な進展を遂げた。
更には、凪も含めた全員が、琴音の家で暮らしているという、驚きの現状だ。
急に大家族になった琴音は楽しそうだし、1人きりで日本に来たマリアも、寂しいと思うことは無い。
人数が増えたことで、望の負担を減らす為、掃除や洗濯は、マリアを含めた8人が分担することになった。
当初は、違和感しかなかったが、今では、洗濯物を干している凪の姿も、掃除機をかけているB・Bの姿も、多少の違和感はあるものの、表情が強張ってしまうほどではない。
子供を森の中で寝泊まりさせるわけにはいかないと言った新太にも、琴音の家に住むことを提案した元暁にも、それを承知した琴音にも、マリアは感謝していた。
今日から、編入することになった日本の学校、都ヶ丘高校に通う。
不安はあるけれど、同じくらい、楽しみでもあった。
イギリスに居る5人達ほどではないにしても、仲良くなれる友達が1人でも出来ればいいなと、マリアは期待していた。
登校は、『竹林病院経由、花園駅行き』のバスに乗り、『都ヶ丘高校前』で降りればいいだけの、すごく簡単なものだった。
土地勘の無いマリアの為に、登校する道のりが簡単で、帰国子女を受け入れてくれる学校として、都ヶ丘高校をマリアの編入先として、マリアに勧めたのは望だった。
おそらく、色々調べて探してくれたのだろう。
琴音は、制服がマリアに似合うと、即、賛成し、マリアの編入先は都ヶ丘高校に決まった。
幸い、編入試験にも受かることが出来たので、望の苦労を無駄にすることなく、本日、めでたく、編入初日を迎えることになった。
だが、まだバスに慣れていないマリアは、黒石神社のすぐ傍にあるバス停で、『竹林病院経由、花園駅行き』のバスを待ち、間違いなく『竹林病院経由、花園駅行き』のバスに乗ることが出来たら、今度は、『都ヶ丘高校前』で絶対に降りるべく、全神経を耳に集中させなければならなかった。
今日は、二学期初日であり、式典がある為、式典には出ないマリアは、在校生よりも遅い時間に登校して来るように言われていた。
なので、同じバスに都ヶ丘高校の生徒が乗っているはずはなく、マリアは、自分だけの力で『都ヶ丘高校前』で降りる必要があった。
「次は、都ヶ丘高校前です。お降りの方は、降車ボタンを押してください。」
全く親切な放送だ。
マリアは、聞こえたアナウンス通り、降車ボタンを押して、無事に『都ヶ丘高校前』で降りることが出来た。
「月城さんですか?」
バスを降りると、すぐに女性に声を掛けられた。
先日、入学手続きをする為、都ヶ丘高校に望と一緒に来た際、担任になる先生だと紹介された平塚智美先生だった。
『マリア・月城・グレースさん。えーっと……、グレースさんと呼ぶより、月城さんと呼んだ方が呼びやすいような気がするので、月城さんと、呼ばせてくださいね。』
マリアの書類を見た平塚先生は、申し訳なさそうに言った。
平塚先生は、カタカナの名前に慣れていないのだろうと、マリアは思った。
『はい、構いません。呼びやすい呼び方で呼んでください。』
『ありがとう。』
ホッとした笑顔が、幼く見えた。
『平塚先生は、国語を担当しています。分からない日本語は、平塚先生に聞くのがいいでしょう。英語は、三木先生だったかな?もしも、発音が気になったとしても、指摘はしないであげてくれ。あっはっは。』
教頭先生は冗談を言ったつもりで笑っていたのだろうが、平塚先生の引き攣った笑みを見たマリアは、冗談では済まない何かがあるのかもしれないと思った。
「本当、無事に到着出来て良かったわ。1人でバスに乗るの、初めてだと聞いていたので、ちょっと心配していたの。」
平塚先生は、マリアの少し前を歩き、時々、マリアを振り向き、話しながら歩いた。
ゆるくウェーブした明るい髪色と、ほんわりとした笑い方が、柔らかいイメージを与えていた。
「式典はもうすぐ終わるので、その後のLHRでクラスのみんなに紹介しますね。このまま教室に向かいましょう。」
20代後半だろうと思われる平塚先生の案内で、マリアは1年3組に向かった。
この日が、マリアにとって、本当の意味での、新しい生活の始まりだった。