はじめまして 【2】
「あのお、もし誰かに見付かったら__」
「大丈夫です、チェレミー様」
部屋から出て廊下に立ったものの、矢張り気後れしたようなチェレミーの手を取って、ティアレが声を励ました。
「その時はわたしが責任を取りますから、心配しないで」
「そ、そんな、そう言う訳には……」
「それじゃあ、行きましょう!」
「あ、え、でも、やっぱり……」
ティアレに背中を押されてどこか踏ん切りの付かない面持ちのチェレミーが中途半端な足取りで前に進み始めた。他人に見られる事を怖れるチェレミーの躊躇いの理由は、実は怒られたらと言うだけではない。
矢張り、照れがあるのだ。
この恰好自体は初めてではないものの、今までティアレ以外に見せた事は無いのだから、誰かに見られた時の事を考えると、正直恥かしいと言うのがチェレミーの率直な本音であった。
「さあさあ、勇気を出して__」
「ティ、ティアレさあん__」
今度は前に回って手を引くティアレに促されるまま、何となく、しかしワクワクするような気分で恐る恐る歩を進めるチェレミーであった。
そして__その時がやって来た。
とうとうチェレミーがこの姿を、ティアレ以外に見せる時が__否、彼女のこれからを決定するほどの出会いと遭遇する運命の瞬間が訪れたのである。
廊下の奥から、人の話し声が届いてくる。
「こちらで御座いますお客様__」
「ほなら失礼しますよって__」
T字になった廊下の向うから、人影が現れた。出で立ちはチェレミーとティアレの着ているものと同じだった。更に後ろにもう一人。
「あら、ティアレちゃん」
「キエナさん__」
先輩メイドのキエナだった。
「お客様がいらしたから御挨拶して、こちらは__」
後ろにつれてきた来客をティアレに紹介しようとしたキエナは、彼女の後ろに立った、メイド姿の少女の顔を目にすると目を見開いて言葉を失った。
「おじょ……」
キエナが絶句したのも無理は無い。ティアレの後ろに立って身を縮めるような仕草で、恥かしいと言うよりは申し訳ないという趣で上目遣いにこちらを窺う、自分が着ているのと同じ制服を身に付けた少女は、普段彼女が仕えている屋敷の令嬢チェレミーなのだから。
当惑したキエナをフォローするように、上手くその場を取り繕ったのはティアレ。
「ようこそおいで戴きました、お客様。当館で女中を務めております、ティアレと申します。何分にも至らぬ身では御座いますが、お客様のご希望に添うべく、心を込めた御持て成しを致しますので、ユックリと御くつろぎ下さいませ」
予想外の事態に混乱したらしいキエナの機先を制するが如く、慣れた感じで型通りに叩頭したティアレが案内されてきた客に粗相の無いように卒無く素早く抜け目無く、くどい位の挨拶を述べた。
「どうも、御丁寧に__」
ティアレの軽快な勢いに乗せられた如く、ズタ袋を背負った来訪客が小さく会釈を返した。
その客の身なりと言うのが、何と言うべきか、兎も角も粗末と言うか、ボロボロの出で立ちだった。一応風呂にも入って洗濯もしたばかりではあるらしいが、洗いざらして布地も薄っぺらくなった衣装は元の色彩が全く判らないほどに色落ちして、どこからどう見ても日雇いの労働で生活費を稼ぎ、その場を凌いで行き当たりばったりの暮らしを営む、プロの浮浪者といった風情である。
身の丈は普通に比べて若干背が高い程度、擦り切れた道中合羽を引っ掛けた肉体は相当鍛え上げた量感と力感を漂わせていたが、いわゆる肉体労働者とはどこか趣が異なっている。表情をぼかしたような顔立ちも秘めたる知性と共に、不思議と静かな迫力と繊細な自制心を感じさせる。
年頃の少女なら一瞬怯えるような風貌だが、この男の周りに漂う不思議な空気が気分を和ませ、ティアレ達の警戒心を解いている様だった。一つには、顔の作りそのものは鋭いとは言えそれ程悪党面ではなく、どちらかと言えば人の良さそうな面貌だった事も幸いしたのだろう。だが、彼の奥に蟠った言葉にしようの無い、凄みというか磁力のような雰囲気は、その筋の者なら敏感に反応する、油断のならぬ波長を備えている事は、生き馬の目を抜く世知辛い娑婆とは縁の無い、田園地帯の上品な屋敷で優雅な日々を送る少女たちには到底理解し難かったであろう。