俺と練炭と繰り返す死神
知らない山の奥深く。
本来車が立ち入ることのできない場所。
そこに白の軽自動車が停まっている。
車中では一人の男がせわしなく手を動かしている。
男は炭を焼くことに夢中だった。
「やめてください」
だから、いつの間にか後部座席に見知らぬ女性がいても気が付かないのは仕方のないことだ。
「君、どうやって?」
疲れ切った顔をしている男は、特にその女性を咎めようとはしなかった。
ただ密室状態の車内にどうやって入ったのか。
それを死ぬ前に聞こうと思った。
「私は死神です」
「死神だって? 自殺を止めようとする奴が?」
死神を名乗る女性は、確かにやめてくださいと発言した。
男はミスマッチな発言に顔を歪めた。
「面白いね。 久しぶりに笑ったよ」
「私は笑えないですよ。 死ぬかどうかは私たちが決めることです。 ちゃんとワークフローがあるんですよ。 急に仕事を入れられては困ります」
「奇遇だな。 俺もそうだったんだよ。 それで嫌気がさしてね」
「転職すればいいじゃないですか」
男はこの死神は人間社会をよく知らないのだと確信した。
「死ぬか転職するか選べるんだったら、していると思わないか?」
死神は要領を得たかのように目を伏せた。
「それもそうですね。 人間も難儀なものです」
わかってくれたか、と男は自殺をする準備を再開しようとする。
「でも、死なないでください。 あなたにどんな理由があろうと、私の仕事が増えるので」
「それこそ君が決めることじゃないだろう。 人間は生きることを選んでいるのだから、死ぬことも選んでいいんじゃないのか?」
「権利とか自由意思とかは問題じゃないんですよ。 仕事をわざと失敗して先方の仕事を増やすことが正しいとでも?」
「そういうところは知ってるんだな」
「そこは同じなので」
男はしばらく考えて、練炭を袋にしまい始めた。
「わかったわかった。 もう死のうとはしません」
男はこんな漫才みたいな最期は嫌だと考えたのだ。
「本当ですか?」
「本当本当」
死神は納得いかない顔をしている。
「さて、どうやってこの車で帰ろうかな」
車はもう引き戻せないような深みに突っ込んでいる。
普通に考えればもう運転できない。
「そこは私がなんとかしましょう」
「ああ、助かるよ」
「それじゃあ目を閉じて」
男は目を閉じた。
「……もう、来ないでくださいよ。 辛いとは思いますが、思い切って職を変えて、なんでもかんでもしてみたらいいです。 あがいて苦しんで、その結果死んでください。 死神的にはその方が正規の仕事になるので。 それでは」
次の瞬間、男は自宅にいた。
男はいままで自分がなにをしていたか思い出せなくなっていた。
もう来ないでください。
死神は男にそう言った。
男がこの山中で自殺を図ったのは、今回が五度目だ。
その度にこの死神が死ぬのを止めていた。
死神を見た者は記憶を消さなくてはならない。
死神的にはそういうトラブルシューティングがある。
だから、彼はまた同じような人生を歩み、同じように行き詰まり、同じように山に来るだろう。
正直、彼女はもう止めない方がいいのではないかとも思い始めていた。
始末書を書くことになるだろうが、これ以上男が苦しむ姿を見たくなかった。
だから、これが最後。
もし次に来たときは、そのときは――。
死が仕事の死神も、このときばかりは切なくなった。