雨の日の出会いに野良猫を添えて
「下校時刻十五分前です。部活動や委員会など活動している団体は、片付けをして下校してください。繰り返します、下校時刻十五分前…」
静かな教室に下校を促す放送が響き渡った。僕は日誌を書く手を止め両手を前に伸ばして「うう」と唸り声をあげる。時計の針は、六時を指示していた。
「ゴミ箱運ばないと」
そう言って、椅子に座っていた僕は立ち上がる。日誌をまだ書ききれていないが、この高校では本校舎以外の体育館やごみ収集所など施設は、下校時刻の十分前に鍵をかけられてしまうため仕方がない。ごみ箱をもって教室の扉を開けて廊下に出る。廊下も教室と同じく静かで自分の足音がよく響く。校舎内に生徒は残っていないのだろう。それもそのはずだ。この高校には、積極的に活動している部活などなくまた、委員会の活動も少ないため下校時刻まで残っている生徒なんてそうそういない。僕だってこんな時間まで残るつもりはなかった。
二十分前、図書委員の仕事である本の整理を終わらせた僕は、教室におきっぱだった荷物を取りに戻った。椅子の上に置いてあった鞄を持ったとき、机に貼られてある付箋に気が付いた。
「日直の仕事やっといて」ということで今に至る。
外にあるごみ収集所から校舎に戻るとき、後頭部に冷たい感触をしたものが落ちてきた。空を見上げると雨雲が広がっていた。教室に戻った僕は大急ぎで日誌を書き上げる。最後に右下の名前記入欄に「柳久保 佑希」と書き、鞄と日誌を持って小走りで職員室に向かう。廊下の窓には雨にさらされる海街が写っていた。職員室の扉の前で軽く身だしなみを整え、扉を開けた。
「失礼します」
先生達の視線が僕に集まる。そんなに下校時刻ギリギリまで残っている生徒は、珍しいのか。出来るだけ視線を合わせずに担任の先生の所に向かう。先生は、パソコンに向かって作業していた。
「先生、日誌です」
「ありがとう、ん?お前日直だったか?」
「いえ、代わりに」
「そうか、ご苦労様」
先生は、日誌を受け取ると思い出したように言った。
「もう高校生活には、慣れたか?」
「はい」
「なら良かった。気を付けて帰れよ」
そう言うと先生は、作業を再開した。
「失礼しました」
職員室を出た僕は、下駄箱に向かった。さっきの先生の言葉、確かに僕は新入生だが今はもう六月なので普通は使わないだろう。しかし、僕は普通じゃない。とある事情によって五月下旬まで学校を休んでいた。
数十分に降り始めた雨は本降りになったらしく、激しく地面を打つ雨音が聞こえる。下駄箱で靴を履き替えた僕は傘を取り出すために鞄に手を入れる。
「ニャー」
可愛らしい猫の声が聞こえた。どこかで雨宿りしているだろうか。傘を取り出し外に出る。
「にゃー」
今度は可愛らしい女の子の声が聞こえた。ん?女の子?足を止め反射的に声が聞こえてきた方向に顔を向ける。そこには、猫と戯れる黒髪ショートな美少女の姿があった。
「ニャー」
「にゃー」
思わずにやけてしまい、吐息が漏れる。すると、その美少女がこっちを向いた。完全に目と目が合う。
「……」
「……」
何も言わずに見つめ合う二人、決してロマンチックなどではない。
「早く帰らないと」
そう言って、僕は傘を広げ歩き出そうとする。
「ちょっと待って‼」
制服の襟を摑まれ物凄い力で引き戻される。
「僕は何も見ていないし聞いてもいないから解放してくれ」
「違います、話を聞いて下さい‼」
「分かった。話を聞くから手を離してくれ」
「駄目です。今、離したらあなたはきっと逃げてしまうでしょう」
「逃げないから、というか、所々食い込んでるから!」
急に手が離され、体が大きく前に傾いた。倒れそうになった体を筋肉と気力をフル稼働させ持ち直す。体勢を整えた僕は、改めて相手を見る。きっちりとした二重に整った形の鼻、それらが白い肌と綺麗な黒髪に組み合わせられ白鳥も逃げ出すような清楚な顔立ちが出来ていた。
「それで、話ってなんだ?」
「あ、そうですね。えーっと、まずは、傘?いや、この子からかな」
彼女は、足元にいた猫を抱きかかえながら話し始めた。脱線(猫の可愛いさについて)が多かったため要点をまとめると、先生の手伝いをしていて帰るのが遅くなってしまった彼女は正門の前でこの猫を見つけたらしい。元々猫が好きだった彼女は時間を忘れて猫と戯れていたが、雨が降り出したため一時的にここへ避難したというわけだった。
「その猫どうするんだ?」
僕が尋ねる。
「え?」
見た所、首輪は付いていなく毛もぼさぼさだ。多分、野良猫だろう。
「飼うのか?」
「うちマンションなので」
「じゃあ、飼えないな」
「でも、こんな雨の中に放置するなんて」
彼女は心配そうに猫を見る。
「一人飼ってくれそうな奴を知っている」
「本当ですか⁉」
急に彼女が顔を近づけてきたので、思わず目線を逸らす。
「あぁ、元々二匹飼っていたんだけど、親戚に一匹を譲ったらしい。結構、最近のことだから飼う為のものとか残ってると思う」
少し後ずさりしながら僕が答える。
「その人ならこの猫を飼うことが出来るのですね‼」
彼女はさらに顔を近づけてくる。距離感が近すぎる。
「あくまで可能性の話だ」
またしても僕は後ずさりしながら答える。背中にコンクリート特有の冷たさを感じる。どうやら壁際まで追い込まれたようだ。
「1%でも可能性があるならそれに賭けてみるべきです」
彼女の鼻息が感じられるぐらい顔が近づけられる。興奮している彼女はそのことに何も感じないらしい。
「今、連絡してみるから」
そう言って、彼女を遠ざける。鞄からスマホを取り出した僕はこんなことになった元凶に電話を掛ける。
「もしもし」
愛嬌のいい声が聞こえる。
「もしもし、僕だけど」
「なんだ、佑希か」
「なんだとはなんだ」
「別に、それでどうしたの?」
「急なんだけど、もう一匹猫飼えたりしない?」
恐る恐る聞いてみる。
「野良猫でも拾ったの?」
「まぁ、そんなところ」
「無理」
答えは簡潔だった。
「そうか、理由を聞いてもいいか?」
猫と戯れている彼女が簡単に諦めるとは思えない。そのため、彼女が納得するよう理由を求めた。
「その野良猫が病気に掛かっていたら、うちのシーナちゃんが危ないじゃん」
シーナちゃんとは、彼女が飼っている猫の名前だ。
「そうだな、ありが……」
「でも、飼う為に必要なものは揃っているから……」
「ん?ちょっと待て」
悪い予感がしたので止めに入るが遅かった。
「佑希が飼えばいいじゃん」
「は?」
「一軒家だし、お父さんも許してくれるでしょ」
確かに、うちは一軒家だし父さんも許してくれると思うがそれとこれとは話が違う。
「それじゃ、今から届けに行くね」
「ちょっと待った、僕は了承してないしまだ帰っていない」
「え?もしかして、まだ学校にいるの?」
「誰のせいだと思っている」
「その野良猫のせい?」
「お前のせいだよ」
見事なツッコミだった。
「それじゃあ、しょうがないね」
どうやら諦めたらしい、と思っていた僕が馬鹿だった。
「玄関の前に置いといてあげるよ」
「は?」
そこで通話が切れた。
「あなたが飼ってくれるのですね」
話が聞こえてたらしい。
「そういうことになった」
別に猫を飼うことは嫌じゃないが、色んな人に振り回されている感じがして悔しい。
「それなら都合がいいですね」
「え?」
「あなたの家に行けば、この子と会えるのでしょう」
こいつは俺の家にまで侵食するつもりか。
「なんでもいいが、そろそろ帰らないか?」
僕は再び傘を手に持つ。
「その」
彼女は俯きながら言った。
「傘を忘れてしまいまして」
僕達が歩き始めてから約五分、彼女は一言も話していない。一緒の傘を使うことが恥ずかしいならさっきの行動はなんだったのか、僕には分からなかった。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな」
沈黙に耐え切れなくなった僕が言う。
「私はあなたのこと知ってますよ」
知ってて当然な感じで彼女は言う。
「え?」
「一年C組柳久保 佑希君、入学式から約二か月間一回も登校していなく、顔を見た人は誰一人いない。売れっ子の俳優や有名な小説家なんじゃないかとか、みんな噂にしてました」
そうだったのか、初めて知った。
「でも、蓋を開けてみればただの民間人だと知ってがっかりしました」
「そうか」
民間人で悪かったな。
「私は、波江野 七樺。一年B組で部活や委員会には入ってないです」
「波江野か」
波江野、何回かクラスの話題に出てきたことがあり、学校一の美少女と言われてた気がする。
「何か変ですか?」
「いや、何でもない。それより着いたぞ」
目的地だった駅に着く。
「それじゃ、猫を預かるよ」
波江野から受け取った猫を駅員から見えない位置で持つ。
「どっち方面ですか?」
無事に改札を抜けた僕に彼女は聞く。
「僕は、東方面だけど」
「それじゃあ、ここでお別れですね」
「そうだな」
「また明日、柳久保君」
そういうと彼女は西方面のホームに続く階段を上がっていった。
僕が家に帰ると玄関に段ボールが何個か置いてあった。それらを家の中に運び入れる。
「ただいま」
「……」
返事はない。父さんは仕事柄海外に行くことが多いため家にいることが少ないからだ。猫と段ボールをとりあえず居間に放置して、奥の部屋に向かう。
「ただいま、母さん」
「……」
返事はない。当たり前だ、人と話しているわけじゃない。仏壇の横の写真はおとなしそうな女性の笑顔が写されている。僕が物心つく前に死んでしまったため思い出なんかない。
「さて、やるか」
居間に戻り、荷物の整理を開始する。段ボールに貼ってあった付箋には中身と野良猫についてのことが書かれてあった。付箋の内容に従い整理を進めていく。猫用のトイレ、玩具などを並べていくと最後に見知らぬ機械が残った。どうやら、餌を入れておくと自動で猫に食べさせてくれるものらしい。試しに餌を入れて動かしてみるとウィーンと機械的な音がなり餌が出てきた。
「ふぅ」
荷物の整理を終わらせた僕はソファーに倒れこむ。付箋には、続きがあった。
「野良猫は病気に掛かっているかもしれないため出来るだけ早く動物病院に連れていってください」
猫の方に目を向けると僕が設置したゲージの中で眠っていた。
「疲れたな」
今日起きたことが頭の中で走馬灯のようにながれ、そのまま自分の意識と一緒に闇に飲み込まれたいった。
色々変えました。