楽園の対価 前編
9月28日誤字脱字修正を行いました。
2022/8/24 改稿しました。
「はぁはぁ......」
僕は今逃げている。
既に底をついている体力を必死に搾り出し、追いかけてくる奴らから逃れようと頭をフル回転させ、今の状況を何とか出来ないか思考を巡らせる。
息が苦しい。
身体から汗が噴き出し、汗ばんだ肌に髪が張り付く。そんな髪が不快で、顔を顰めると、雑な動作で払う。だが、せっかく払った髪も、走る振動でまた張り付いた。
それを何度も繰り返し、やがては髪を振り払う体力すらなくなり、最後には諦めた。
「っ!」
こんなことで苛立っている場合ではない。
早く、早く逃げないと。奴らに......奴らに捕まってしまう。
そうなれば、僕の身体がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
徐々に走る速度が落ちていく。
息が乱れ、身体を大きく揺らしながら、それでも逃げようと足を進める。
足が痛くても、息が続かなくても足を動かし続ける。
だが、そんなことは引き延ばしに過ぎない。何時かは終わりがやってくるのだ。
後方から魔の手が伸び、遂に僕にも終焉が訪れた。
「つーかまーえた!」
「へぶっ!」
後ろから飛ぶように抱き着いてきた子供。
走りすぎた僕の足はその衝撃に踏ん張ることは出来ず、前に顔面から勢い良く倒れた。
子供達の猛攻はこれで終わる筈もなく、その後ろに同じく僕を追いかけていた子供達が、次々と上に覆いかぶさってくる。
「「「「わぁああああ!!」」」」
「重い重い! 潰れちゃうよ!」
ヘズが居ないのを良いことに、部屋の隅でアメリアと一緒に本を読んでいた僕に狙いを定めた子供達。
最初は二人。しかし、逃げていく内に三人、四人と増えていき、最終的には十五人もの大規模で追い掛け回されていた。
結果は見ての通り惨敗。
敗者は抵抗を許されず、無慈悲にも無邪気な子供達によるのしかかり攻撃を受けている。
一人ならいい。
幼い子供の体重なんてたかが知れてる。だが、一人以上ならどうだ。
三人も乗れば、それは、大人一人にも等しい重さがかかるのは明白。
ともなれば、未だ成長期の子供の自分が耐えられる筈もなく、骨は軋み、内臓は潰れ、吐き出す一歩手前まで来ている。
朝食を食べて直ぐの事だった為、まだ胃の中に内容物が消化しきれていない状態なのだ。
そんな時に、走らされたもんだから先ほどから吐き気が止まらない。
両手を口に当て、上ってきそうな内容物を必死で押さえる。
余りに活発過ぎる子供達に、元気すぎだろと僅かに呪詛を込めた弱音も子供達の叫び声に、掻き消され、もうダメだというところまで来ていた。
「コラー! また、苛めているの!? 昨日やめなさいって言っておいたでしょ!」
「あらあら人気者ね」
危機的状況の中に一人の天使が下りた。
ヘズの他に聞こえる声は、この研究所の中で数少ない信頼できる大人。
「にげろー」
「「「「わぁぁぁぁぁぁぁー!」」」」
三々五々に散っていく子供達。
ハンナに手を引かれながら、小走りでこちらに駆け寄ってくるヘズ。服装や髪が乱れ、倒れている僕を多探りで探し、抱き起こしてくれた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫......じゃないかも」
食道から上がってくる何かを感じる。
それは、ヘズが来たことにより、徐々に引いていくが、違和感が残り何とも言えない気持ち悪さを感じている。
「随分子供達に好かれているわね」
「ハンナ......」
同じように傍にしゃがみ込むと、乱れた僕の髪を丁寧に直してくれた。
「まぁ、でもしばらく休憩出来るんじゃないかしら?」
「何で?」
「今から扉を開放して自由時間だもの。外に遊びに行くわよきっと」
そう言いながら、ハンナは「はーい! 子供達。今から自由時間よ!」と大声で子供達に知らせた。
それと、共に扉が開き、開放される。
「そとであそぼ!」
「おそとでえほんよも!」
そうすると我先に子供達が扉から外に出て行く。
何人かの子供に一緒に行こうと誘われたが、それをハンナが止めた。
「ごめんね。今から―――」
途端顔が曇り、言葉を濁すハンナ。
その顔を見た瞬間、何を求めているのかが直ぐに分かった僕は、子供達の誘いをやんわりと断った。
「分かってる。そんな顔しないで」
「......ありがとう。―――ヘズ。ちょっとこの子と出掛けてくるわね」
「はい。いってらっしゃい」
選んだのは自分だ、ハンナが悪くない......とは言えないが、ハンナの責任とは言えない。
そう思うのは、僕に好意的に接してくれたからだろうか。
もしかしたら、これらの行動も全て、あの青髪の指示によるものかもしれない。
......考えすぎか。
何にしろ、ハンナにそんな顔をされたら、気分が良くない。
ハンナと一緒に出て行く僕達を笑顔で見送るヘズ。
そのまま廊下に出ると、ハンナが手を伸ばしてきた。
年齢的にも周りの目が的な意味でも、躊躇したが、握らないでいると何時までも手を伸ばしたままでいそうなので、最後には僕が折れる形で、その手を優しく握り返した。
「何処に行くの?」
「最初は薬の投与。それから、貴方の現状の能力のデータを記録する為に記録室に行くわ」
聞きなれない名前が出てきた。
記録室とは、どんな場所だろうか、なんて意味のことを考え気を紛らせている。
だが、それも長い間続くものではなく、結局は直ぐに『禄でもない所だというのは確か』と言う結論に至るのが常だ。
まだ始まってすらないのに、これから行われる実験に憂鬱な気分になる。
そんな時に隣には、更に暗い顔で何時もより口数が少ないハンナ。
僕より、足取りが重い彼女の顔を一瞥すると、これ以上陰鬱な気分にさせないでくれと心の中で思いながら、ハンナの顔を覗き込んだ。
「ハンナのせいじゃない」
思ってないことを言い、慰める。
その言葉に、更に気を落とす。
「っ! ごめんね」
「謝らないで」
僅かに抱いた苛立ちを一言に込め放つ。
もう一度、謝ろうとしたのか口を開きかけ、寸の所で口を噤む。
この異常な施設で、そのような顔が出来るのはまともな証拠だろう。しかし、当事者側にいる以上は、幾ら申し訳なさそうにした所で被害者が抱くのは苛立ちや憎しみぐらいなところ。
それなら、いっそきっぱりと立場を固めた方が、互いの為なのだが、それが出来たら元から『ごめんね』なんか言わないだろう。
面倒くさいな。
それから、実験室に着くまでの間。僕とハンナは言葉を交わすことは無かった。
「ここよ」
「......」
部屋の中に入ると、真ん中に物々しい椅子。その座席には手足を固定する為の拘束具が取り付けられていた。
その周りで端末を操作し、機械を調整しているであろう職員が数名。
それから、あの男もタブレット型の端末を操作しながら他の職員達に指示を飛ばしていた。
「おや? すみません。調整に手こずっていまして―――直ぐに終わらせるので六六六をその椅子に座らせておいてください」
「了解しました。―――さあ、行きましょう」
「うん」
ハンナに手を引かれながら椅子まで歩き、座る。
途中で僕を見た職員が口々に何か言っていたが、聞こえない振りをした。
その方が、これ以上イライラしなくてすむからだ。
今は、早くこの実験を終わらせることだけを考えよう。
実験にさえ、協力すればまたヘズと一緒に暮らせる......。
すっかりあの場所が安息の地になっている。これも、青髪の男の策なのだろうとぼんやりと思っていると、時間が来たようで、手足の拘束が始まる。
「いっ!」
拘束が締まる時、一瞬だけチクりと痛みが走った。拘束具の内側に針の様なものがあるのか。
顰める僕に構う様子もなく、テキパキと作業を行う職員達。
「所長。拘束完了しました」
「チューブを装着」
数人の職員達が、拘束具に付いてある穴にチューブを取り付けていく。
最後にきっちりと取り付いているか青髪の男が確認すると『期待しているよ』と僕に言い残し、職と共に外に出て行ってしまった。
「私達は他の部屋でモニタリングしているから......頑張ってね」
「うん......」
ハンナがそう言うと、同じように部屋から出て行った。
始まるな。
身体の中で膨らんでいく不安を抑えようと、深呼吸をする。
心の中で大丈夫を連呼していると、天井に備え付けられているマイクから青髪の声が聞こえた。
『それじゃあ、投与を開始します。少しチクっとしますが、頑張って我慢してください』
そう言い終わると、管から前の部屋にいた時のように色々な色の液体が、少しずつ流れて来て、血管の中に入っていった。
「っ! ああぁぁぁあああぁああっ!!」
いったい! 分かってたけどマジで痛すぎる!
内側から少しずつ切り刻まれているような痛みが断続的に走る。
余りの激痛に拘束を外そうもがくが、頑丈に出来ている拘束具はビクともせずに、見事に僕の動きを抑えていた。
「いだい! がああぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
実験に協力すると言った昔の自分を殴ってやりたい。
今更ながら、ハンナの『ごめんね』と言い言葉に舌打ちをしたくなる。
痛みと共に、荒ぶる感情のままに、心の中でありとあらゆる人物に対して憎悪を膨らませる。
勿論、そんなことをしても、痛みが消えるなんてことはなく。
思考を乱す程の激痛は未だ続けている。
目から涙が絶えず溢れ出し、身体中から汗が吹き出てくる。
叫んだ為か口の中が血の味がした。
何度も意識を失い。
その度に、痛みで強制的に意識を戻されるのを繰り返しす。
どれだけの時間がたったのだろうか、いっそ死にたい。そう思い始めた時にようやく終わった。
『実験は終了です。お疲れ様六六六』
実験室の扉が開き、ハンナが飛び出してきた。急いで僕の拘束を取り外すと叫びすぎて力が出ない僕の身体を抱きしめた。
「ああ! ―――」
また泣いている。最近ハンナは泣いてばかりだ。
色々言いたい事はあるけど、さすがに今は疲れたから何も言わないでおこう。
腕を動かすのもだるい。
ハンナはしばらく泣くと、ぐったりしている僕を椅子から抱き上げ、記録室へ向って足を進めた。
部屋に到着した頃にはハンナは泣き止んでおり、普段の顔に戻っていた。
「ごめんね。もう少しだけ私達に付き合ってね」
「......うん」
思考が渋滞し、言いたいことが纏まらず、おざなりな返事をする。
「来たね」
記録室に到着。
中は、運動が出来る程広く、先の部屋とは違い、機械的な物は殆ど置いていなかった。
ハンナに下ろされると、げんなりとした表情で青髪の男元へと足を進めた。。
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