ヘズ・アーベル
私は目が見えない。
幼い時、突然目の前が真っ暗になり見えなくなった。
その後、母の死を知らされた。
前触れも予兆もなく訪れた不幸の数々。
不安な日々を送り、精神的に追い詰められ、次第に身体を壊し、ベッドから起き上がれなくなってしまった。
そんな私でも父は何も言わず、優しく励ましの言葉をかけて、身の回りの世話をしてくれる。
父は研究者だ。
何の研究をしているのかは分からないが、後一歩と言う所まで来ていると言う事は両親が楽し気に話していたから知っている。
大事な時期に私の世話をしている父を見て、子供ながら迷惑をかけているのは分かっていた。
罪悪感も傷だらけの私の心を更に蝕んだ。
ある日の事。
唐突に父は完成間近だった研究を分野ごと捨て、別の分野へと変えた。
『こっちの方が面白い』そう微笑み突然変えた。
理由は薄々分かっている。
それは私の目を治す為。
思えばその頃からだ、父の空気が変わったのは。
絶えず、穏やかな表情で余裕のある笑みを浮かべ、まるで最初から答えが分かっているかのように行動する。
しかも、その全てが良い結果を出しているのだ。
父は凄い。
短時間の内に成果を出し、皇帝陛下に謁見の機会を賜るまで出世した。
気付けば、父が皇帝から下賜された研究室へと住居が変わっていた。
広い廊下、病院の様な清潔で静かな空気、職員の人達は皆優しく、目の見えない私の事を何かと気を掛けてくれる。
そこで私は職員の一人、ハンナから色々な事を学んだ。
数学、語学、魔導学etc.......etc.......。
一般に子供が学び舎で学ぶ事から、高等学院で学ぶ専門的な分野まで私が求めればありとあらゆる学びを教えてくれた。
近年、魔動機の発明で生活水準が上がり、平民でも勉学に勤しむ事が出来る。だが、まだまだ発展途上で一つの専門的な分野を学ぼうと思ったら家を買える程の金銭が必要になってくる。
それを、無料で無制限に教えてくれるのだから私は凄く幸運なのだと思う。
それから毎日勉強をし、偶にハンナと遊び。
日々を過ごした。
相変わらず目は見えないが、それでも充実した毎日を過ごす事が出来た。
私以外の子供が住むようになった。
ハンナが言うには『孤児院の代わりに使う』と言っていたが突然の事で疑問を感じる。
だが、直ぐにそんなことはどうでもよくなった。
近所に住んでいる子供と偶に遊ぶぐらいで自身と同じかそれより下の子供達と接する機会がなかった。それ故に今まで一人でも寂しいとかそんな感情は湧いてこなかった。
だが、やはり人間は群れる生き物で、幾ら一人で居るのが苦ではないからと言っても子供達と一緒に暮らすのが楽しくない訳ではない。
子供の面倒を見て、遊び、食事を取り、寝る。
それだけのことがこれ程楽しいとは思わなかった。
充実した毎日がより華やいで見えるようになった。
後から聞いた話だと孤児を引き取り余った区画を孤児院として運営するのは父の発案らしい。
父には感謝しなければ。
そして、ある時。また、子供が入って来た。
黒い髪の茶色の瞳。
私と同じぐらいの少女だ。
名前を聞くと単語を並べたような下手なミゼリット語で『花蓮』教えてくれた。
ここいらでは聞かない珍しい名前。
何処の国から来たのと聞くと、怯えた様子で教えてくれなかった。
理由は分からないが、花蓮は何かに怯えており積極的に子供達と関わろうとしない。
定期的に来るハンナ以外と彼女は積極的に接触を持ちたがらなかった。
色んな手を使ったが、結局は里親が見つかりここを去って行った。
それから、定期的にその黒い髪の子供達は現れた。
性別や容姿は違えどその声から伝わる感情は同じ。
『怯え』の声音。
一体何に怯えているのかは分からない。
けれど、何とかして理由を聞いてその子から恐怖を取り除いてあげたい。
そう、思って動こうとすると、次の日には消えてしまう。
此処に来る子供達は皆、奴隷として売られていた者や戦争で両親を失った者、子供を育てるお金がなくて親から研究所に預けられた者達。
一年に一人や二人、里親が見つかり引き取られていくが、どういう訳か、黒い髪の子供達は一週間や十日。
一月も経たない内に引き取られていく。
ハンナに聞くと、私達と扱いが違い、孤児と言うより預かっていると言っていた。
黒い髪の子供達の対応をどうしようか迷っている時。それは起こった。
突如鳴り響く警告音。
扉の外は慌ただしく、時折悲鳴に似た断末魔が聞こえて来た。
耳の良い私でなくても直ぐ近くで何かが起こっている事が分かった。
その時、図書室で子供達と絵本を探していた私は、咄嗟に子供達を扉から一番遠い部屋の隅に固まらせ、今にも泣きだしそうな子供をあやした。
次の瞬間。爆音と共に扉が吹き飛び、その扉と同じように室内に誰かが入って来た。
後からアメリアに聞くと長い黒い髪で雪のように白い肌の少女らしい。
その少女が、リーシャが投げつけた絵本を見ながら泣いていたと言う。
直ぐに警備の人に捕えられ暴行を受けていた。
最初自分の耳を疑った。
だが、アメリアに確認すると確かにその少女は蹴られていたらしい。
けして短くない時間をこの場所で過ごしている。
その期間、職員をはじめ、警備の人ともそれなりに交流があった事があるのだが、誰一人として子供に手を上げる様な人達ではなかった。
それ故に、不自然。
意を決し、その事をハンナに話。事の詳細を問いただした。
最初は言葉を濁し、如何はぐらかそうか悩んでいたが、私の真剣な表情を見てか言葉を選ぶように話し始めた。
彼女は強力な祝福を持っており、それが時折暴走するらしい。それを抑える研究をしている最中だと言う。
祝福を抑える研究。
ひいては私の目を治す事につながる為、多少危険はあれど被験者としてこうして研究所に連れて来たらしい。
それを聞いた私は可哀そうな子なのだと思った。
聞くと、ミゼリット語もままならない様で会話が成り立たず、父も困っているらしい。
これだ。
私はその話を聞くと直ぐにハンナに言葉を教える事を提案した。
花蓮の時もそうだったが、黒い髪の子供は皆、言葉が不自由......いいや、ミリゼット語が分からない。
あるいは上手く話せない様だった。
会話が出来なければ相手が何を思っているのか具体的に分からない。
それが原因で無意味な警戒をもたらし、不和が訪れる。
そうだ、会話だ。言葉さえ分かれば少しずつ相手の気持ちが分かる事が出来る。
気持ちが分かる事が出来れば、分かり合う事も可能だろう。
ハンナは寝耳に水と言った感じで暫く茫然とし、『そうね、そうだわ。何で今までそれが思いつかなかったの』と言いながら、居住区から出て行った。
暫く経ったある日の事。あの子に会ってほしいと私の所へやって来た。
最初は少し不安だったが、ハンナはあの日のように暴れる事はないと私を安心させるように言う。
勢いで了承してしまったのは良いモノの、それでも不安なものは不安で、あの日の様に暴れればどうしようだとか悪い事ばかり頭を過ぎり、思わず歩く速度が遅くなる。
怯えていても仕方ない。これも父の為だ。
そう自分に言い聞かせ、扉を開き、ハンナに続くように入って行く。
結果から言ってしまえばハンナの言う通りだった。
普通の私と同じぐらいの子供。言葉はハンナに習い始めてから分かるようなつたない公用語でハンナと会話をしている。
どうやら、彼女は自分以外の祝福を持って生まれた者を見た事がないみたいで今回は他にも彼女と同じような人が居るのだと教えると、単純に話し相手が欲しくて私を呼んだと言う。
それから、少し話をすると彼女はハンナにここから出たいと懇願し、ハンナも分かっていたようで神妙な顔でそれを了承した。
それからはとんとん拍子だ。
次の日には子供達と遊んでいた。
彼女には名前が無いらしく、ただ番号で呼ばれていた。
流石に可哀そうだと思い私は番号では呼ばず『あの』とか『すみません』とかで彼女を呼ぶことにした。
彼女は今までの黒い髪の子供達とは違い、子供達とはよく遊び、感情を表に出すのは苦手の様だが気兼ねなく生活を送っているようだ。
偶に、暗い顔をするが、概ね問題ないようだ。
アメリアが珍しく人に懐いている。彼女がここに来てから良くベッドに潜り込んでいるみたいだ。
アメリアがそれ程懐くと言うのは凄く珍しく、彼女は悪い人ではないのが直ぐに分かった。
それから、色々な事をした。研究所を散策したり、シグルドを迎え入れたり、アメリアのままごとに付き合ったり......。
その過程で彼女は彼という事が判明した。
そうとは知らずに色々やってしまった事を想い返し赤面で身体の熱を感じながら柄にもなく恥ずかしくなってしまった。
楽しかった。これ程楽しいと感じたのは生まれて始めてだ。
そして、それとは別に淡い感情が生まれた。
彼女が彼と分かった次の日から、ことあるごとに彼の音を聞く為に耳を傾ける。彼を見たら胸の奥の所が痛くなる。
ハンナに聞くと『貴方もそんな歳になったのね』と笑いながら言いシグルドに聞くと『く、下らない事を聞くな!』と赤面しながら何処かへ行ってしまった。
そんな時だ。研究の為に外へ行く事が決定した。
廊下を歩いている時に聞こえてしまったのだ。
この事は彼には話していない。話せばその事に気が向いて私に構ってくれないかもしれないからだ。
思えば、胸の違和感が強くなった気がする。いつも以上に彼の事が気になり、苛立ちを感じる。この疑問を彼が出かけるまでに解決し、すっきりした状態で送り出したい。そう思った私は図書館に籠り、アメリアに補助されながら本を読み進めた。
そして、判明した。
私の芽生えている感情は恋。
そうだ、私は彼に恋をしているのだ。
そう思うと、途端に彼の事が恋しくなった。
それと同時に外に出て行ってしまう事に耐えがたい寂しさが襲い掛かる。
彼は私の思いに答えてくれるだろうか。こんな不出来な身体でも私と一緒に居てくれるだろうか。
そんな事を考えていると出発の時になってしまった。
いまいち踏ん切りがつかない。
「分かってる。ヘズ行って来るね」
「はい」
私の想いに反してそのまま外へ出て行く。
行かないで......。
去り行く思い人の背中に手を伸ばすが、直ぐに元に戻した。
覚悟を決めた。
帰って来てから告白しよう。
彼はどんな顔をするだろうか。迷惑がったり嫌がったりはしないと思うが、もしもの事を考えると不安で胸が張り裂けそうになる。
どんな風に告白をしよう。
好きだと直球に言うか、それとも詩でも引用して飾り立てるか............なんだって良いか。
大好きだと伝えたら後は成り行きに任せよう。
早く帰ってこないかな......。
日は流れ、私の所に父が訪れた。
言葉を聞くまでもなく分かる。
私の目を治す手段を見つけたのだろう。そうに違いない。
何てタイミングだ。
これなら、彼の顔を見ながら話をする事が出来る。
私は父の後ろを歩きながら彼の顔を予想した。
可愛い顔か、カッコいい顔か......いいや。
考えるのはやめよう。どんな顔だって良い。
例え顔がただれていようと私は彼を愛せる自信がある。胸の奥で芽生えた感情はそこまで大きくなったのだ。
彼に会いたい......。
頬を僅かに桜色に染めながら、一つの空間へと続く扉へと入って行くのだった。
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