次の世界へ
廃墟の研究所内。
朽ち果てゆく実験場の中でヘズの横に座り込むオティックスの話を聞く僕は言葉が出なかった。
憎悪の気持ちは確かにあった。
言いたい事も沢山あった。
目の前に居るこの男は残酷な仕打ちをした。
罵詈雑言を浴びせかけ、手が潰れるまで殴り、足が折れるまで蹴りを入れてもまだ足りない程だ。
なのに何故だ。
何故、声が出ない。
言ってやれ、目の前に居る畜生に『お前のせいで僕はひどい目に遭った』と『死んで詫びろ』と。
そして、今こそ復讐を果たすのだ。
「っ!」
苦虫を嚙み潰したよう顔でオティックスを見下ろす。
それを見たオティックスはふふと笑い。
落ち着いた物腰でゆっくりとした口調で口を開く。
「君は、優しいね」
「何を......」
狼狽える僕に続けて言う。
「私はこれまで途方もない君の同郷の子供達を殺してきた。―――前にも言ったが哀れだとか気の毒だとか思った事はない。だが、まぁ......そうだな。もっと別の道があったのではないのか。そう、思う事もある」
「ヘズは」
「ん?」
「ヘズは生きているんですか?」
「ああ。生きている。今は安定剤を打ち眠っているだけだ。だが、今のヘズはもう......」
「ヘズに何があった!?」
オティックスは絞り出すように僕に向かって聞きたくなかった言葉を聞いた。
「失敗だ」
「っ!!」
身体から力が抜け落ちる。
『殺せ!殺せ!コロセ!!!!』
頭から噴き出しそうな憎悪の声。
膝を付き、その場に崩れ落ちると虚ろな動きで右手を前にオティックスに向ける。
もう、自分の意志か誰かに操られているのか分からない。
ただ、身体がそう動いたのだ。
僕が能力を発動しようとしているのにも関わらず怯えも命乞いもせずにただ、穏やかな表情を持って眼前に居る。
「この世界で出来る事はもうないな」
そう呟き、懐から何かを取り出す。
それは小さな拳銃だった。手のひらほどの小さな拳銃。
「お前何を―――」
「また、違う世界で頑張ってみるよ。成果は得た。確信も確かな希望も......ね。だから、もう少し......もう少しだけ努力してみる事にするよ」
大丈夫、この死に方は慣れてるからちゃんと死ぬ事が出来るよ。
そう言って拳銃を咥えると角度を調節し、最後にもう一度僕の顔を見て小さく笑うと引き金を―――
―――娘を救い。そして、来るべきラグナロクへ。
「待って!!!!」
パンッ!
小さな銃声が広い実験場に鳴り響く。
男は頭から血の雨を降らせながら崩れ落ちる。
小さな口径とは言えそれは銃弾を発射する為の道具。
人の顔面を破壊するなんて造作もないようで床には血と共に顔の部位だった何かが広範囲に撒き散らされ転がっていた。
あっけない最後。
想像もしていなかった結末。
僕を縛り、暴虐の限りを尽くした根源が死に絶えた。
嬉しい反面、肩透かしを食らった気分で男の死体を見下ろす。
「......」
腕に溜めた魔力を霧散させ、今までの事を考えた。
ハンナの事......子供達の事......ヘズの事......。
そして、ふとある言葉を頭を過ぎった。
自由。
誰に縛られる訳でもなく。
自分の生きたい場所に行き、やりたいことをやる。
痛い事をしなくていい。知らない誰かを殺さなくても良い。
そう、自由なのだ。
「そっか......これからどうしよう......」
不快感が波のように引いていく、人格は一つに定まり、頭に響く憎悪の声は何時の間にか消えていた。
四つん這いになり眠るヘズの傍に行く。
未だ起きない眠り姫。
顔に掛かった髪の毛を優しく払い顔を覗き込んだ。
一体どれだけの時間が経っただろう。
その優し気な顔を眺めていると瞼が震え、少しずつ瞳を開く。
初めて見たヘズの瞳。
優し気な眼に浮かび上がる七色の色彩光。
自分と同じ虹色の目。
「ヘズ......」
「んん......ここは」
雪のように白い瞳を右へ左へ此処が何処かを確かめる様に見渡す。
そして、視界に僕の姿が入ると少し、見つめた後に目を見開き、存在を確かめるように僕の顔を撫でる。
「ヘズ。僕だよ」
「あ.......ああ」
目尻に涙を貯めながら起き上がり、僕の身体を包むように抱き着いた。
声に出すことなく泣くヘズ。
「会いたかった。ずっとヘズに会いたかった!」
栓が抜けたかのように溢れ出す涙。
嫌な記憶が解けていく。
辛い感情が流されていくのが分かる。
「私も会いたかった! もう貴方に会えないと思ってたから!」
「本当に良かった......ヘズだけでも助かって本当に......本当に......」
オティックスがヘズに何かの実験を行ったのは聞いていた。
自殺する前に失敗したと言っていた。
だが、ヘズは何処からどう見ても普通。健康そのものだ。
「わ、たしだけ? ―――え?」
空気が変わった。
歓喜から一転してどんよりした澱にいるような雰囲気。
この世界に来て幾度も味わった不幸が訪れる予兆。
勘違いの筈、何でもない筈、そんな事を自分自身に言い聞かせても運命と言うのは残酷なまでに淡々と物事が進んでいく。
後ろを振り返ったヘズは、漏れたような声で僕から手を離し膝を付きながら、力なく倒れる骸の傍へと近づく。
顔がなくなってしまったオティックスの胸に手を乗せ、嗚咽を漏らすヘズ。
悲しみの雫が骸の上に降り注ぐ。
僕から見れば殺したいくらい憎い男だったが、最愛の娘から見ればきっと良い父親だったのだろう。
幸い、建物は今すぐにでも脱出しないと壊れる程ではない。
気が済むまでそっとしておこう。
そう決めた僕は唯泣き崩れるヘズの背を見ているしかなかった。
「―――っ!? ち、違う! 私はそんな事思ってない!」
突然、声を荒げ、天井を見上げながら何か叫んでいる。
何が起こっているのか分からない僕は恐る恐る近づき、肩に手を乗せる。
あらゆる感情が混じり合ったような名状しがたい表情。
「ヘズ!」
「違う違う違う! 私はそんな事思ってない!」
「へ、ズ? ......」
頭を掻き抱きその場で蹲る。
一体何が起こっている。
解決策が思い浮かばないままただ、傍でヘズを見ている事しか出来ない。
「は、なれてっ」
「何言って―――」
「もう抑えられない!」
次の瞬間。七色の光が僕の視覚を奪う。
身体から伝わる感覚が曖昧になる。
何処が上で何処が下か分からない。
「あがっ!」
そして、気が付くと僕は壁にめり込んでいた。
脇腹に激痛が走り、腹部を見ると壁から飛び出した鉄の棒が突き刺さっていた。
大丈夫。こんな痛み、訳じゃない。
日頃、激痛の伴う実験をやっていた事もあり、並みの痛みでは思考を乱される事はなくなった。
あの地獄のような日々も役に立つものだと自虐げに頭の中で呟く。
「っ! 何だこれ......」
確かな攻撃の感覚が全身を伝う。
桜子達と会った後から五感どころか第六感までもが、研ぎ澄まされた感じがする。
無理やり鉄の棒を引き抜き、その場を飛ぶように避ける。
その瞬間。
ドンッ!! と言う轟音。
さっきまで打ちつけられていた壁は何かの力でその周囲ごと押しつぶされたかのように潰れていた。
態勢を立て直し、衝撃の飛んできた方向を睨む。
床が剥がれ、そこから舞い上がった土煙で前が良く見えない。
警戒しながら見続けていると。
次第に視界は晴れた。
「何で......」
そこには、左手を突き出した、ヘズが立っていた。
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