あちら側とこちら側
2022/08/26 改稿しました。
「......」
ゆっくりと瞼を開く。
白い天井が、手首には管が繋がれているではないか。
「目、覚ましたのね」
知らない間に気絶したらしく、ラベルの張られた小瓶が入っている棚が目に付くと、直ぐにここが医療室だということが分かった。
首に装着された首輪を残し、両手足の拘束具が外されているのが手足の感覚で分かり、安堵する。
何の薬が打たれているのだろうか、何て思いながら、ふと先ほどの記憶が蘇えり、己に降りかかる理不尽を憎みながら、気を紛らせようと天井に視線を戻す。
今まで来たことのない部屋だ。
なんとも清潔感のある部屋だ、気のせいか空気までも澄んでいるような感じがする。
......ん? さっき誰かの声が聞こえたような―――
「経過観察をしたいから今日はこっちで泊まってもらってくれ」
名前を知らない研究員が、手に持っているタブレット端末を操作しながら話している。
抵抗する気も失せるほどに、精神的にも肉体的にも疲弊していた僕は小さく頷き、天井に視線を固定し、取り敢えず口を利かないようにすることにした。
何らかの拍子に、怯えられてもしたら、首輪をビリリとされた後に隔離室送り、何てのは御免だからだ。
静謐なる空気が部屋を支配している。
口を利きたくないオーラを出しながら、話しかけるのを待ち受けているが、全然話かけてこない。
話されても困るが、一切話されないのも中々精神的にくるものがある。
あまりに気にも留めない態度だったので、好奇心から研究員に目だけをそっと向けた。
薄い焔のような長髪、気怠げな面持で端末を操作し、白衣から出した棒付きの飴を取り出し、片手で器用に包装を外すとパクリと口に放り込んだ。
「......」
飴だ。
元の世界に居た時は別段好きと言う訳ではなかった。
なのに何故か目の前にある飴に目が離せない。
もしかしたら、元の世界にあった物で見慣れたものだからだろうか。
「何かな?」
「っ......い、いいえ。何でも」
気付かないうちに、隈が色濃く浮き出ている双眸が僕を捉えていた。
目が合った僕は、まるで猛獣を目にし動けない草食動物のようにガッチリと固まってしまう。
直ぐに、視線を外すが、直ぐに、目の前に研究員の顔が見えた。
端末を横に置き、ベッドに乗り出すように、僕の顔を覗き込む女性に、異様な雰囲気を感じる。
「私の顔に何か気になることでもあるのかな?」
「ひっ! な、何でもありません......」
「うむ......」
一切の接触を断つ。
そんなオーラを出しているにもかかわらず、我関せずと言ったようにパーソナルスペースにツッコんでくる彼女に、他の研究員には感じない何とも言えない窮屈さを感じる。
僅かに顔を顰めながら、関わりたくないと顔で表現しているのにも関わらず、それを分かってか分かっていないのか、赤髪の研究員はもう一つの飴を取り出し包装を外すと『口を開けなさい』と僕の口に突っ込んだ。
「え? ―――むっ!」
口内に甘さが広がり、幾分か身体の緊張が解けたような気がした。
「隔離室の映像を見たのだが、やはり君は甘い物が好きなのだな。かく言う私も甘いものには目が無くてね。何時もこうやってポケットに飴を忍ばせているのだよ」
顔の強張りが解けたのを見ると、不健康そうな顔色の研究員は頬を緩ませながらポケットから飴を見せる。
「自己紹介がまだだったね。私はゲルセメ。ゲルセメ・アイスフィールドと言う。良ければ覚えておいてくれ」
「......変な名前」
未だ、訝し気な表情を浮かべながら、棘のある声で言い放った。
そんな言葉を聞いたゲルセメと名乗る赤い髪の女性は、飴を舐めながら小さく笑う。
近くにある椅子を手繰り寄せ、座ると足を組みながら淡々とした口調で話し始めた。
「ふふ......。変な名前か。ここいらでは珍しい名前ではあるが、奇妙な名前ということはないよ。君の住んでいた場所では私のような名前は聞いた事がないのかい?」
「ない......です。少なくとも僕は聞いた事ないです」
「あぁ、敬語は無用だ。―――ふむ、そうか。変と言えば前働いていた場所で相当変な名前の女性が居たな」
取って付けたような敬語に手を振りながらそう言った。
「どんな名前?」
それならばと、敬語を取っ払い普通に話す。
「そう、あれはたしかナキラと言う名前だった。字はそうだな」
そう言いながら、端末を掴みメモ帳を開くと、手で思い出しながら書いていく。
そして、書き終わると僕に見えるように画面を傾けた。
その書かれていた文字に僕は思わず声が出てしまう。
奈鬼羅。
「これ」
「ん? 見たこと無い文字であったがたしかこんな形だった筈だ」
「僕の住んでた所の文字......」
「ふむ。それは興味深い。あの女に聞かせてやったらきっと驚くぞ」
「何で僕と同じ世界の人が」
僕の疑問に一瞬考えるような素振りを見せるが、まぁいいかと話し始めた。
ある国が建国して間もない頃。
まだ、人間同士の争いが酷かった時代の話だ。
国としては弱小の部類に入るその国は、領土と資源欲しさに言い訳を付けは戦争を仕掛けられていた。
国力でも軍事力でも周辺国に劣るその国は、争い事が起こるたびに、己の領土を切り渡し場を修めた。
だが、そんなことを続けていてわ、いずれ、国は滅びる。
そんな時、一人の魔術刻印師が編み出した魔術陣。
僕がここに来る切っ掛けを作った『召喚術式』を発明した。
そんな、魔術陣によって召喚された人は、僕に似た黒い瞳に黒い髪の少年。
少年の力は絶大で。
その手に一度剣を握ると数千の軍団を切り伏せ、たった一人で数々の大国の軍団を退けた。
国の民は勿論、王もその黒髪の少年に深く感謝し、未来永劫恩を忘れないと誓いを立てる。
そして、最上級の待遇で迎え入れ、最終的に少年は王女と結婚し幸せに暮らした―――。
「そして、奈鬼羅はその少年の末裔なんだ」
「僕ももしかしたら」
そうなる可能性があったかもしれない。
何て、もしもの話を考えていると、ゲルセメが拾い上げるように答えた。
「有り得たかもしれない」
「......」
気分が沈む。
改めて自分の理不尽さに憂鬱とした気分になりそうになる。
それを察したのか、話題を変えようとゲルセメが切り出した。
「所長も言っていたとは思うが、君は今までの被験者と比べてもかなり優秀な部類に入る。もしかしたら、今回で研究は完成して終了するかもしれないね」
「......そんなこと言われても良く分からない。自分はただ痛いのは嫌でやっているだけだもん」
「まぁ、そうだろうね。私も見ていて気分が良いものではなかった」
「でも、周りの大人は笑ってた」
「周りの連中は何度も同じ実験をしているせいで常識が崩壊しているのだろう」
『私はここに来て日が浅い。だから、あそこまで狂ってはいないよ』と僕に刺さっている管に繋がっている魔動機の画面を確認するゲルセメに、意を決しある疑問をぶつけみる。
「僕。死ぬの?」
僕が発した言葉に咥えていた飴を取り出し、反芻するよう、目を閉じると咥え直し僕の目を見て、平坦な語調で口を開く。
「......私が分かっていることは、今までの被験者はこれだけ生きていたことは無いということだ。これは、他の研究員から聞いた話で本当かどうかは分からないのだが、大体数ヶ月、もっても半年以内に死んでしまうらしい。私が立ち会ったものに一年生きた被検体も居るにはいたが、精神が完全にやられていて生きていたかは怪しいものだった。二年まで生きていた物は見たことが無い。つまり君は稀有な存在だと言うことだ。そんな貴重な君を雑に使い潰すとは考えにくい。しかし、今ままでの実験内容を見ている限りでは、君の身体を考慮して行っているとも言いがたい。だから、私には分からない―――」
「元の世界に帰りたい......」
舐め終わり棒だけになった物を一瞥し、近くにあったゴミ箱に投げ捨てると同じように白衣から飴を取り出し、慣れた手つきで包装を剥がしながら話しを続けた。
「......あれだけ苦痛を伴う実験をこなして身体は壊れず、精神を保っているのは大変珍しい。―――つまり、今の実験が続く限り、つらくはあるが死ぬ事はない......と、思う。私が言えた義理ではないのだが希望を持ちなさい。この危機を脱する機会は、どこかに転がっているか分からないものだ。それを見逃さないようしっかり目を開けて生きなさい」
「そんな勝手なこと」
シーツを深く被ると目を合わせずに、小さく呟くように本音が出てしまった。
勝手に連れて来たクセに。
ゲルセメの言葉に胸の奥にある憎悪の心が膨らんでいくような感じがした。
前のように超能力が溢れ出るような感覚はなく、ただ純粋な感情。
シーツで顔を隠した僕を一瞥し、微笑を浮かべ席を立った。
「そうだな。―――そうだ、所長から伝言だ。『明日からニ、三日実験は無い。それまで、肉体的にも精神的に休みなさい』確かに伝えたよ」
「貴方は罪の意識は無いの?」
外に出ようと扉を開ける所でゲルセメに問いかけた。
怒りや憎しみによるものではない、ただ純粋に聞いてみたかった。
その問いに、こちらを向かずに僕に聞こえる程度の小さな声で言った。
「分からんよ。この研究が人類を救うと言っているが、この方法が良い悪いなんてもう私には分からん」
最後に『また、遭うことがあるだろう。私の名前、覚えておきなさい』と言い残し出て行ってしまった。
「ニ、三日休み......」
ゲルセメの言葉に不快感を露わにしつつ先ほどの言葉を確かめるように呟く。
今まで、何時来るか分からない実験に怯えてまともに気を抜くことが出来なかった。
ゲルセメはニ、三日実験が無いと言っていた。つまりは、フリーの時間が出来たということ。
これほど、嬉しいことはない。
「休み、何も無い日......」
噛み締めるようにもう一度呟くと、身体を左右に揺らしながら緩みきった表情で飴を舐めた。
ゲルセメが廊下を歩いていると、目の前から見知った女性が歩いてくるのが分かった。
「―――おや? ハンナ研究員」
「ゲルセメさん」
「さんは辞めてくれ。君の方がキャリアも年齢も上だろう」
「何だか貴方と話していると上司と話しているような感じがするからさんが抜けないのよ。......それより、あの子どうだったかしら?」
「どうと言うこともない。体調も安定しているし精神的に問題もない。飴を上げたら嬉しそうに食べていたよ」
「そ、そう」
歯切れの悪いハンナの顔には影が見て取れた。
「ん? 何か気がかりなことでもあるのかな?」
「いいえ。ただ......」
その先の言葉が出てこない。
自分もあの子に酷いことをしている一員だと言うのに、自分だけは違うと自身に言い聞かせ、あの子にもそう思い込ませようと親切な大人を演じている。
日に日に、他の研究者と自分の価値観がずれていくような気がする。
自分と同じ時期に入った研究員も、今では嬉々として実験に携わっているのをみると時折、自分がおかしいのか思い込んでしまう程だ。
自分の生きている世界の為にと、他の世界から子供達をさらい身体中を弄り、死んだらまるで道具の様に捨て代わりの子供を攫ってくる。
そんな悪魔の所業を、平然とやってのける集団の一部であることを自覚しながら、自分だけは違うと自分自身に必死に言い聞かせ日々の業務をこなす。
「―――なんて思っているのではないかな?」
「ッ?! ......貴方、もしかして祝福者?」
目を一瞬見開き、驚愕の表情を露わにするハンナを他所に棒になった飴を眺めている。
「いいや。この場所でそんな顔をしている人間なんて、考えることは皆似たり寄ったりだよ」
自虐的な笑みを浮かべ棒を仕舞い、新しい飴を取り出すと丁寧に包みを取り、口に含んだ。
「私。そんなに顔に出ていましたか?」
顔に手を当て確かめる。
その顔は明らかに疲弊しており、誰が見ても思い詰めているというのが分かる程だ。
「ああ。まぁでも安心したまえ。君の考えは至極正しい反応だ。人間としてのね」
ハンナの肩を優しく叩き、歩き出した。
「私はどうすればいいんですか?」
「それは君自身が決めることだ。一つ助言をするのならば、どっちつかずの立場にいると精神的に参ってしまうよ。早く、自分自身の立場を確立することだね。あちらかこちらか」
「そんなこと!」
思わず声を荒げるハンナに、ゲルセメは立ち止まると振り向いた。
「言っただろう、選ばないと君自身がおかしくなるって。君自身かあの子か、大事なのはどちらか。簡単な選択肢じゃないかな?」
相変わらず疲れているようなゆっくりとした口調。
そう言うとハンナの返事を聞かずに再び歩き出した。
その答えにハンナはただゲルセメの背中を見ることしか出来なかった。
ハンナは暫くの間、その場で立ち尽くし、ゲルセメの言葉を反芻し己を見つめ直したのだった。
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