少年の名は
それは9月にしては、肌寒い季節だった。
薄着だった僕には、少し身が堪えたことをよく覚えている。
当時中学二年生だった僕にも、風は容赦なくその身に襲いかかっていたと思う。
「秋人、何をしてるの?」
ぼうっとして、物思いにふける僕に、ふと背後から声が掛けられる。
ハッとして振り返ると、見知った女性がその場に立っているのがわかった。
「なんでもないよ、命」
「そう……ならいいのだけれど」
心配いらないと彼女に告げて、足を動かす僕。
二本の足を動かしながら、周りを見渡す。
そこには今までの僕らの道のりが、描かれていた。
《最優秀女優賞、立花 命!!》
《『アテナ』、二大賞ダブル獲得!?》
《最年少での獲得、『怪人』一ノ瀬 秋人》
壁にはそこら中にポスターが、あたり一面に貼られている。
その光景に思わず、頭が痛くなってくる。
「やっぱこれ、やめて欲しいな……」
「どうしてよ、胸を張ればいいじゃないの」
「そんな軽々しく言わないでくれ……」
重苦しい顔をする僕に対して、彼女はマジメな顔つきで、述べる。
「コレを否定したら、今までの私たちの頑張りを否定することになるから」
ふんと鼻を鳴らして、彼女は前を向き続ける。
その言葉に、ガツンと殴られたような気分になってしまった。
「それに、これならママも見つかるんじゃないの?」
「……」
そうだ、僕がこれまでの道のりを歩いてきた……本当の目的はまだ、叶っていないのだ。
僕は微笑んで、彼女に感謝を伝える。
「そうだね……、うん」
「やっと笑った……ほら、行きましょう?」
彼女は僕の腕をつかみ、通路を歩いていく。
この先は、銀幕の星に生きる者たちの、最高の舞台。
「ああ、そうだ……」
ぽつりと、僕は呟いた。
ともに歩いている、彼女の耳には聞こえないように。
「母さん、見ていますか……?」
ついに、ここまできた。
あの肌寒い、9月にすべては動き出した。
「貴女はなぜ、僕の前から姿を消したのですか……?」
その日……母は僕の前から、いなくなった。
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その日は朝から、イライラしていた。
その理由は、明白だった。
「ああ、また小粒だらけね……!」
前日に、オーディションがあった。
事務所の社長として、新人子役を目指す子どもたちの、選別を行ったのだ。
「正直、どの子も微妙だったわ、でも……そろそろ選ばなきゃ」
もうすでに、数回のオーディションを自分のワガママで行っている。
オーディションも、タダではない。
必要経費のことを考えると、そろそろ選ばなくてはならない。
「あの子に並ぶ子を探すには、今年がタイムリミットだったのに……」
理由はわかっている、それは事務所の大きさであろう。
私の経営する芸能事務所には、名声が足りない。
スター候補は、まだ一人しかいないのだ。
「ハッ、かつて銀幕の女王と呼ばれた私がこのザマか……」
かつて、銀幕の女王と呼ばれた女優がいた。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
その天から与えられた才能の前には、どんな男優も霞むものだった。
それが、女王『立花 京子』だった。
「それが、いまや中堅事務所の一角か……」
少し昔のことを、考えていた。
だから、ほんの少し反応に遅れてしまったのだ。
「……!!」
信号無視をした原付が、交差点に突っ込んでくる。
瞬時に、彼女の頭は反応する。
「バッ、か……やろー!!」
車のいない、通行人のいない方向に、ハンドルを切ることに成功する。
だが、彼女の脳を持ってしても、確認しきれていなかった場所があった。
「クソッ!!」
道の路肩に車を止め、現場に駆け寄る。
すでに原付の姿は無かったが、その場に横たわる人がいるのがバックミラーから、見えたのだ。
「大丈夫か、少年!?」
その場には、少年が倒れていた。
おそらく、原付に当て逃げをされたのだろう。
声をかけて、反応をうかがう。
「う、大丈夫です……」
少年は声をあげ、その体をゆっくりと起こす。
そして、何事もなかったかのように、立ち上がる。
「!? ……たしかに、当たっていたような……」
私の見間違いで、本当はぶつかってはいなかったのか?
そう思い、ほっと胸をなで下ろす。
「あっ、急がなきゃ」
少年はそう言って、京子の方に顔を向ける。
まだ幼さの残る、あどけない笑顔で。
「ありがとうございます、僕は中学の文化祭があるので、もう行かないと」
文化祭。
そういえば本日、人気子役の少年が文化祭で公開演劇を行うと、話題になっていた。
となると、この少年がその学校の生徒だろう。
「少年、ちょっといいかい?」
「えっ、何ですか……?」
私は、笑顔を作ってから、少年に提案を持ちかける。
それは、現役時代にも勝るとも劣らない、企んだ笑顔だった。
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「ありがとうございます、学校まで送っていただいて……!!」
「いやいや、いいんだよ」
少年の学校まで車で送って行こうと、私は提案をした。
私は学校の場所を知れる、少年は急いでいたみたいなので、WIN-WINの関係というわけだ。
「でも、いいのかい? こんな得体の知れないオバさんの車に乗って……」
ハッキリ言って、十分怪しかっただろう。
なのに、少年はこの提案を却下しなかった。
そんな私に対して少年はまた、あどけない笑顔でこう言った。
「遅刻したら、みんなに迷惑かけちゃうから……」
なんて健気なんだろうか。
目の前の少年を見て、汚れきった自分の心が洗われていく感覚を覚える。
「安心しな、オバさんがきっちり時間通りに送ってやるから」
「あ、ありがとうございます……!」
そう言って私は、アクセルを強めに踏む。
踏んでから疑問に思ったことを、少年に尋ねてみる。
「そういえば、文化祭でやるお題はなんだい?」
「えっ?」
「お題だよ、お題。 タイトルって言った方がいいかい?」
そう、タイトルだ。
文化祭で行う、その演劇。
それが何なのかは、京子は知らない。
「えっと、ロミオとジュリエットです」
「ああ、ロミジュリね」
少年の答えを聞いて、すぐにタイトルが頭によぎる。
ロミオとジュリエット。
かつて京子自身も、主演で映画を撮ったこともある。
「あー、私も一回やったことあるよ」
「そうなんですか? 僕は、一回テレビで見たことあるくらいでして……」
少年は、自信がなさそうに答えている。
その姿を見て、この子は例の人気子役では無いだろうと思い直す。
「ふーん、もう着くよ」
「あっ、ありがとうございます……なんとお礼すればいいか……」
うろたえている少年に対し、京子は答える。
「そういうのはいいよ、頑張ってな!」
「は、ハイ、わかりました!」
校門の目の前で少年を下ろし、その姿を見送る。
ふと、名前をまだ聞いていないことに気づいた。
「おい少年、アンタ名前は!?」
その言葉に、少年は振り返って返事をする。
手を振りながら、再三あどけない笑顔を作って。
「一ノ瀬 秋人です、ありがとうございました!!」
走り去って行く少年をながめ、口の中でその言葉を呟く。
繰り返し、その身に刻み込むように。
「一ノ瀬、秋人……ね」
その少年が、後に銀幕のスターとなることは、まだ誰も知らない。
鬼人の國が10万文字を突破したので、こちらを連載することにしました!!
こちらは月1連載でやって行きます。
もっと早く見たいなどがあれば、頑張りますので教えて下さい‼️