石神村の姫の“め”
正月休憩の時、睦月レストは意識を保っている。睦月レストの時、正月休憩は意識を保っていない。寝ているようなものだ。だから休憩がしたすべての行動はレストに筒抜けなのだが、休憩からしたらレストがどのような行動を取ったか分からない。休憩は読書家で読んだ本はそのままレストのものになるのだけれどレストがいくら芥川を読もうが休憩の知識にはならない。そのため、普段は休憩が表に出ている。人生の九割方は休憩が主導権を握っている。体を鍛えるときと喧嘩をするとき、そんなときぐらいだった。レストが表に出るのは。
状況が一変したのは休憩がプレイヤーとなり、アナザーアースに行ったとき。休憩はすべてを封印されるのだけれどレストは違った。なぜか彼は能力を覚えていた。
だから休憩は決心した。レストの能力を最大限に使おうと。彼を小説の主人公のような存在にしようと。
人生は常に戦いの連続だ。ケンカだけが戦いではない。勉強も仕事も、時には遊びだって真剣勝負そのものだ。勝負ごとに熱中できるから人は生きる実感を得られる。ならば、休憩は? 戦いを放棄することを選んだ。快活に動くだけが人生ではない、時にはサナトリウム小説のように、引きこもって寝たきりの人生でもいいはずだ。寝室に伏せ、一日中寝たきりの人生も魅力ある。妄想に空想を膨らませ、膨大な大海原を旅するのだ。人生の一休み、醍醐味は、何もせず横になることだと休憩は思っている。
そんな正月休憩が、睦月レストと石神魅空の勝負を聞いたのは本屋でだった。勝負からいくばくか時間が流れ、魅空が芸術クラスに編入し、一緒に出掛けるようになったのがきっかけだった。
「へ~本当にレストじゃないんだね」
魅空は不思議そうに首を傾げる。数日間、クラスで休憩と共にしても、まだ二重人格であるという実感はできていない。ちなみに今日の本屋デートを誘ったのは魅空の方だ。休憩に女の子を誘う度胸はない。
「僕とレストは別々と考えてほしい。スマホを通して会話することはできるけど、普段は不干渉だ」
「じゃあ~私のファーストキスは誰になるの?」
「――ぶぶっ?」休憩、咳きこむ。「ごめんなさい、すみません、レストのやつが乱暴でまじごめん」
追記する。休憩にレストのような度胸はない。だからレストが休憩の体を使って勝手に風俗に行こうがギャンブルに行こうがキスしようが、それはすべてレストの責任であって休憩ではない。レストが何人の女を抱こうが、休憩は一度も女を抱いたことはないし、そもそも中二病で二重人格の休憩が世の女性に対して積極的に出れるはずもなかった。休憩にレストのような自由奔放さは期待しないでほしい。だからか魅空にもしかと言いつける。
「君が惚れてしまった睦月レストという人物はいわば二次元の創作物みたいなものだよ」
「だ、だれが惚れたのかな?」
魅空が慌てて否定する。しかし、レストに嘘が付けない彼女は、ゲームが終わった後、レストに根掘り葉掘り弱みを握られてしまったのだ。そのうちの一つが好きな人。レストに気になる人を聞かれたとき、魅空は「睦月レスト」と答え、理由を「キスされたから」とし、大慌てで「べ、別にあんたのことなんて好きじゃないんだからね! ツンデレだから」と言い放ってしまった。これにはレストも大笑いした。
休憩はゆっくり考えて同意する。
「石神さんがレストを好きになるのはごく自然なことだよ。否定しなくてもいい。なぜなら僕は中学生の時に理想の男性像としてレストを生み出した。まるで漫画やゲームのヒーローのような存在をね。彼は男からも女からも好かれるハーレム主人公なんだよ」
休憩は本屋でドストエフスキーの棚を見回した。悪霊のスタヴローギンは類い稀な美貌と並外れた知力・体力をもつ全編の主人公だったことを思い出す。そのほかにも貧しき人々、地下室の手記、罪と罰、白痴、カラマーゾフの兄弟を読んだことを思い出す。数分間眺めた後、レストがギャンブルが好きなのを思い出し、ドストの賭博者を手に取った。これはあまりにも忙しいドストエフスキーが速記者による口述で長編を書くことを決め、わずか二十七日で完成させた作品だ。
本を取ると、横にいた魅空が不思議そうな顔をする。
「ねえ、なんで本を買うの?」
休憩は一瞬、質問の意味を考えた。目を二、三ほど瞬きさせ、やっぱり分からなかったので質問した。
「え、本屋は本を買うところじゃないの?」
「違うよ~本屋は文房具を買うところだよ」
「石神さんは本をどこで買っているの?」
「電子書籍で買ってるよ」
詳しく聴いてみると魅空はコミック派の人であり、漫画ばかりを電子書籍で買っていた。そのため本屋を利用するときはもっぱら文房具を買っているらしい。休憩は将来古本屋を開こうとしている変態だが、まさか一般人と本屋を巡る相違があったことに驚いた。カルチャーショックだ。読書家と一般人の違いは浮き彫りになる。
「え、本屋って本を買うところだよね、そうだよね」
「全然違う~本は高いから古本屋でいいじゃん。本を定価で買うってバカのすることだよ~」
たしかに古本屋に行けば、例えば休憩の買ったドストエフスキーはタダ同然で手に入るかもしれない。しかし、本は本屋で派の休憩は煮え切らない思いで反論した。
「確かに今のご時世、本は古本屋で立ち読みする時代だ。本屋にでさえ椅子が備えられてて買わなくても座り読みできる。でもタダ同然に仕入れた情報に何の価値があるの? 情報は金を払って得たものだから価値があるんだ。本を大事にするし何回でも読むんだよ。昨今のウェブ小説なんてタダ読みが当たり前だけどファンならお金を払って買うべきだと思うんだ」
休憩が早口でまくし立てると魅空がじゃっかん、というか思いっきり苦手そうな顔をしていた。
「う、うん、なんかごめん。たしかに~正月はレストじゃないんだね。全然違う」
どうやら本屋で本を買う派と本屋で文房具を買う派は、分かち合えない深い溝があるようだった。




