0005 関所 #02
死体を背負っているのかも知れない、なんて考えただけでも、恐ろしさで吐き気がして来る。
晴佳は、できることなら今すぐにでも荷物を放り出したかった。
だが今の立場でそんなことをするととんでもないことになるのだろう、というのも、頭の隅では理解はしているつもりだ。
しかし頭以外では急激な拒否反応が起こっていた。
剥き身で直接背負っているわけでもないし、ニオイがするわけでもない。だが背中の方から得体の知れない恐怖が覆い被さって来るような錯覚に、晴佳はとらわれていた。
さっきまでずっと蒸し暑さを感じていたのに、急に全身に鳥肌が立ち、冷たい汗が背中を伝う。息が浅くなり、このままでは眩暈まで起こしそうだ。
「お前、それを投げ捨てようなどと一瞬たりとも思うなよ? もしも手放したらどうなるか――」
ロードが鋭い声で追い打ちをかける。
「うぅ……だ、大丈夫です。わかってます……頑張ります」
晴佳は半べそをかきながらようやく応えた。
知らなかったとはいえ、今まで背負って歩いて来たのだ。中身がわかったところで今更な話だろう、と無理矢理自分に言い聞かせる。
だがすぐに納得できるわけもなく、晴佳にはやはり自分の足取りが重たく感じられるのだった。
せめて背負っているのが、人間ではなく豚肉や牛肉ならまだよかったのに……とも思った。しかし何が入っているのかを訊いたのは、他でもない晴佳自身。
――訊かなきゃよかった。
だが後悔先に立たずである。
「なんだ、情けないもんだなぁ。そもそもお前がここに入れるなら面倒はなかったんだ。だが入れられなかったから、こうやって歩かせて――」
「修業中、ということにすればよい」
黒い騎士の言葉を遮ったのは、ロードだった。
「ほう? ロードが余所者を擁護するとは珍しい」
小莫迦にしたような声が後ろから聞こえる。
「擁護ではない。私たちがお守りをしなければならぬのなら、荷物になるということだ」
ロードは一瞬肩越しに振り返ったが、顔をしかめてすぐ前に向き直る。
「そうならないためにも、こいつのお守りはこいつ自身がやるべきだと私は思う。どうしてもと身分を問われたら、修業中だと答えればどうにかなるだろう?」
「なるほど、一理あるの……」
レグと呼ばれた老人がうなずく。
「そしてテラー、お前は余計なことを喋り過ぎる。こいつが諜報員である可能性もあるのだぞ」
ロードは不快そうに言葉を続けた。
ちっ、と舌打ちが後ろから聞こえた。テラーというのは黒い騎士の名前らしい。
レグが、ふぉ、ふぉ、ふぉ、と笑う。
「諜報員にしちゃあ随分と間抜けなことよの。迷森のスズナリにやすやすと捕まるのだから」
「スピオン?」
晴佳はおうむ返しに口に出す。初めて聞く言葉だった。
しかし耳に聞こえた音とは別に、その意味はすっと晴佳の中に溶け込んでいた。英語ではなさそうだが、それに似た発音のような気がする。
――俺、どっかでその言葉を聞いたことがあったっけ。なんで意味が……って、やっぱ夢だからだよな。多分漫画か何かで目にした言葉なんだろうな。
異世界に飛ばされた途端に言葉が通じたり魔法が使えるようになったり、突然モテたりするようになるのだろう、と晴佳も淡く期待はしていたが、残念ながら、今のところ言葉が通じる以外の奇跡は起こっていない。
つまりそれは、これが自分の身の程を知ったうえでの夢だからだ――と、晴佳は諦め半分でいた。せめて夢の中くらい、大盤振る舞いでも罰は当たらないだろうに。
身の程をわきまえるというのも善し悪しである。
「よし、ハルよ。お前さんは今から――そうさの、魔道と茸採りの修業中の、茸採師見習いということにしよう」
レグが機嫌のいい声でそう宣言した。
「レグ! それは――」
「こやつが諜報員なわけはなかろう。なに、詳細な話を聞けば、じきに正体も判明しよう。それにはまず宿の確保が先じゃ」
ロードの反論にも聞く耳を持たない様子で、レグは笑う。
「あの、魔道はまだわかるけど、茸採りってなんですか?」
晴佳はおそるおそる問う。
日本にもマツタケ狩りやタケノコ掘りの名人などがいる。それに、どこかの国ではトリュフ掘りの名人というのも多分いるのだろう。
そういえば、中国にも珍しい茸の料理があったような気はする。
だがそういった職業が身分証明として使えるとは、とても考えられなかった。
「茸採師は特殊な職業での。事情を知らない者でも、茸採りと聞けば下手な手出しはしない。例えお前さんが男であろうともな。何故なら茸がなくなるということは、民の生活が脅かされることにほかならないからの」
「イマイチ納得できないけど、時間がないならしょうがない。で、俺はどうすればいいんです? その、何か道具を持つとかカゴを背負うとか、覚えなきゃいけない呪文とか――」
「なに、特に何もすることはない」
「――へ?」
晴佳は拍子抜けする。
レグはローブを揺らしながら愉快そうにまた笑った。
「そもそも魔道師の修業について訊こうとするような不敬者はおらんよ。そして茸採師は──」
「あいつらは、自分のことを喋りたがらないからな。なんせ、採取地を他人に知られてしまえば、即、死活問題だから」
黒い騎士が説明を引き継ぐ。だがその声にはどこかしら莫迦にするような感情が窺えた。
やはりタケノコやマツタケのようなものだろうか、と晴佳は考えた。
きっと、非常に美味しいとか採れる時期が決まっているなどの理由で、高値で取り引きされるようなキノコなのだろう。それなら仕事の内容も、その職業の者たちが口を閉ざすのも、なんとなくだが想像できる。
「まぁそんなわけで、何か訊かれても答えなくてよい。出身地も、本名も、性別すら答える義務はないでの。むしろ口を利かない方が、お前さんの身を守ることになろう。貝のように閉ざしておくがよい」
「はぁ……」
本当に、ただ喋らないでいればいいだけということなのだろうか。
「そろそろ人が増えて来た。ハルはもう黙っておいた方がいい」
ロードがそう言って、会話は終了した。
そんな簡単な話でいいのかと晴佳は半信半疑だったが、疑問はその後証明されることになる。
道の前方に、ローブのシルエットがいくつも見えて来た。晴佳たちが歩いて来たのはずっと一本道だったが、どこかに横道らしきものもあるようだった。
馬車のような乗り物は見当たらなかった。みんながみんな徒歩で移動する世界なのだろうか、と晴佳は疑問に思う。
馬がなくとも他の移動手段はありそうなものだが。
間もなく、朱塗りの大きな門のような建物が彼らの眼前に迫って来ていた。
門そのものは太い木を何本か束ねたような形だったが、そこから左右に石でできた高い塀がどこまでも伸びている。
手形が必要だという会話から想像すると、関所のようなものなのだろう、と晴佳は考える。
旅人たちが列を作っている中に並び、順番を待った。