0043 龍血 #01
「でもこれ、他人には意味不明のガラクタですよ?」
「莫迦ねえ。筒は丸いんだから、片方にあなたの目盛り、片方にこっちの目盛りをつければいいじゃない」と、レグは温度計を指でなぞりながら笑う。
ソノップの眼が見開かれた。
「あぁそうか。なんで今まで思いつかなかったんだろう」
「だから、難しく考え過ぎてるのよ」
レグは苦笑した。
「ハルとは全然違うタイプなのね、あなたは」
「そりゃあそうでしょう。あいつは元来、素直で楽観的なんだ。俺みたいにひねくれちゃいない」
ソノップはむっとしながら温度計を受け取り、また道具箱に戻した。
「そんな風に自分を卑下するもんじゃない――そういう趣味なら無理には止めないが」
「あら、ロード。ハルの様子はどう?」
「ワクチンが効いているんだろう、呼吸も落ち着いて来たので、テラーと交代して来た」
ロードはソノップと向かい合って座り、息をつく。
「ウィーテたちの寝床用にもうひと張り天幕を出したが、あれは普通の天幕なんだな?」
「そうよ。寝るだけなら問題ないでしょ。それよりロード、あなたまだ顔色がよくないけど」
「珍しく緊張したのかも知れない――ところで、楽しそうだがなんの話をしていたんだ?」
ロードは軽く微笑み、レグたちを見回す。
「ソノップがね、誰でも同じ薬を作れる装置を作りたいって――でもそれじゃぁ、魔法茸屋の仕事が半減しちゃわない?」
「ほう」
「仕事が減るなんてことはないです。小さな魔法茸屋には薬を作るだけのギルド、茸や薬を売るだけのギルドもありますが、うちは両方やっていますから。最近では、薬草や茸の栽培にも挑戦しているんです」とソノップがこたえる。
ジェラーノが三人分のハーブ茶を持って来た。
ソノップは差し出された器を、軽く頭を下げてから受け取った。
「薬を装置が作るようになれば新薬を開発する時間も更に取れます。俺みたいに自ら材料を探しに行ける者も増えるでしょう。何より、大勢の人がもっと早く、安全に助かるようになる」
ロードもお茶を受け取りながらうなずく。
「素晴らしい思想だが、そういう革新的な考え方は、三位といえどもギルドの中で反感を買わないか?」
「まぁ、一部では反感を買ってますよ。ですが俺の考えに反対するのは、前時代的な手続きと無駄な儀式をどうしてもやめたがらない年寄りと、それに感化された弟子たちだけですからね」
ソノップは声をひそめ気味にして続ける。
「今回、このワクチンが承認されていないのだって、マスターは了承してるのに、年寄り連中が首を縦に振らないだけなんだから」
レグが苦笑した。
どうやらタラは『年寄り連中』の仲間に数えられるらしい。
「今までのワクチンだってね、もっと簡単にできるような装置の構想はあるんです」と、ソノップは言う。
「ただ、俺が勝手に作るわけにはいかないんです。革新的な装置を若い連中が作り上げてしまうと、隊長の面子が保てなくなるというので――」
「その隊長ってのは誰なの?」と、レグが口を挟む。
「初めて黒黴病のワクチンを開発した人ですよ。うちの現在のギルドマスターです。俺のワクチンは彼のレシピを元にしているんだから、彼はそれを誇ればいいんです。『俺のレシピがなければ、新型のワクチンだって生まれなかったんだぞ』って。隊長は謙虚だからそうは言わないけど俺はそう思ってるし、隊長にも伝えています。何より俺は隊長を尊敬してますよ。なのにその取り巻きが納得しなくてね」
ソノップは大きくため息をついてからお茶を飲んだ。
「いっそのこと、新しいギルドを立ち上げてしまえばいいんじゃない?」
レグは膝の上で頬杖をつく。
「そうもいきませんよ。隊長には恩義を感じていますし。なにしろ俺を救ってくれたんですから――もっとも、最初は俺で人体実験しようって腹だったようですが」
ソノップは何かを思い出したようにくすくすと笑う。
「まあ、それじゃ恩人とは言えないじゃない」と、レグは憤慨する。
「でもその実験のお陰で助かったんです。彼は研究第一の人なんですよ。それに、俺はあのギルドを盛り立てて行くことに生きる意義を見出したから、簡単に出ることはできないんです」
ソノップは微笑む。
「万が一ギルドマスターが――いや、ギルドが分裂、解体したり、取り潰しになったのなら、話は変わりますけどね」
ロードとレグは神妙な表情でうなずいた。
「ソノップ! コトウが腹痛を訴えているんだが」
幾分年かさの男が、ギルドの天幕から走って来た。
「ソノップ……ローブを、脱いでいたのか……道理で、いくら呼び掛けても、返事がないと……」
走ったのはほんの少しの距離だというのに、男は肩で息をしている。
ソノップは悪びれずにこたえた。
「あぁ、すまない。そういえばそろそろですね……ってことはハルもかな。ちょっと準備が必要になります」
そう言うと、黒薔薇色のローブを羽織って立ち上がる。
「何をするんだ?」
「ワクチンの中に、ペスト菌を強制的に排出するため、遅効性のある成分を入れているんです」
「それってつまり――」と、レグが顔をしかめる。
「解熱鎮痛剤も入っていますから患者も動けると思うんですけど。動けないなら、誰かに運んでもらうことになりますね。とにかくあそこへ移動してもらわなければ」
ソノップが指差したのは、風下の傾斜地に立っている二張りの小さな天幕だった。
「きちんと座れるように作ってあります。手すりもついてますし、室内の温度調整もバッチリですよ。長時間でもいられるようにしてあります」
ソノップはにっこり微笑む。
その笑顔は『悪い魔法使い』のような笑みだった。
* * *
「丁度いい温度になっているはずですけど。どうです? 寒くないですか?」
「寒くはないけど……俺はいつまでここにいなきゃいけないんだ?」
「まぁ、腹痛が完全に治まるまでですかね。多分一、二時間か……もしくは三、四時間」
「まじかよ」
小さな天幕の中で、晴佳は呻く。
しかし、腹痛は徐々に耐えがたいものになりつつある。
朦朧状態からいつの間にか眠ったらしく、次に意識が戻ったのはキリキリと刺すような腹痛のせいだった。
だが、激しい身体の痛みや浮かされるような熱はほぼ消えていた。
途中で死に掛けてたこと、サパーが声を嗄らしてまで詠唱を続けてくれたこと――彼女の声は、まだ少し嗄れていた――それから、瀕死の晴佳にロードが秘薬を与えてくれたこと。
そしてもちろん、ソノップのワクチンが無事に完成したことも、ここまで移動する間に、レグから聞かされた。
そしてここで何をするかというと、ソノップ曰く「これから、黒黴病菌を全部出して下さい」とのことだ。
「穴の一番底には藁が敷いてあります。また、要求すれば水でも食べ物でもすぐに用意させます。自動水洗じゃないのは我慢してくださいね――食欲は?」
「今んとこないけど……水分は意識的に摂った方がいいんだよな?」
「そうですね、脱水症状を予防するためにも水分は必要です」
晴佳はため息をつき、天幕の中心に設置されている円座に腰を下ろした。




