0040 感染 #01
晴佳は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。
コトウに掴まれた手首の辺りから全身に向かって、関節がミシミシ音を立ててるような激痛が走る。痛む部位は燃えるように熱く感じるのに、同時に寒さで歯の根が合わない。
――えぇぇ……なんだこれ。身体がめちゃくちゃ痛ぇし熱い――いや寒い? インフルだってこんな急になんねぇよ……
「なんか俺、すげえヤバくないか……園田――ソノップ、どうしよう」
「喋るなハル。今ワクチンを投与してやるから」
「従来品じゃ効果がないんだろう? どうするんだ」
テラーのいらついた声が響く。
「俺が作っているのは、あと六時間……いや、四刻半経たないと完成しないんだ。それまではどうにか」
「そんなに待てないわよ! 茸体を菌床にした黒黴病菌は、三刻で全身に廻るのよ?」
レグは責めるような口調になる。
ソノップも大声で言い返した。
「これでも従来より大幅に短縮してんだぞ? これ以上俺にどうしろって言うんだ!」
「……進行を止めることは無理でしょうけど、毒消しと浄化の呪文で時間稼ぎができません?」と、サパーが思案顔で提案する。
「そ、そうね、やれるだけやってみましょう……毒消しの効果を高める呪文なら、あたしができるわ」
レグの声は震えていたが気丈だった。ソノップはサパーとレグを順に見回し、息をついた。
「済まない、大声を出して。俺も使える薬がないか、もう一度在庫を調べてみる――おい、馬車をこっちへ寄せろ! そこ、穴掘りはひとりで充分だろ!」
ソノップはギルドの若者たちに指示を出しながら、今度は馬車へ向かって駆け出した。
「テラー、急いで天幕を用意してくれ。ハルを中に運ぶ」
「あぁわかった――おいラフィ!」
「もう、出してある。さっさとはれ、デカブツ」
フン、と不敵な表情をするラフィの頭を、テラーはぐりぐりと撫でた。
「よし手伝えチビ、ジェル。俺特製の浄化陣を張るぞ。周囲に穴を掘らなきゃならん」
「天幕やテラーの浄化とあたくしの浄化は、それぞれ種類が違います。打ち消し合いませんし、できる限りのことはしましょう。きっと助かります」
香油を含ませた布をロードに手渡しながら、サパーも強い意志を持った声で言い切る。
喧噪と混乱の中で、タラだけがまだ茫然自失として動けずにいた。
* * *
苦痛に襲われ意識が混濁し朦朧としながら、晴佳はそれぞれの声を聞いていた。
自分のせいで大騒ぎになってしまった、ということはなんとなく感じる。でも咄嗟に身体が動いてしまったのだからしょうがない――そう考える反面、このままここで自分が『死んで』しまった場合は一体どうなるのだろう、という不安と興味も湧く。
――あぁ……園田を困らせちゃったなぁ……レグにもロードにも、散々注意されてたのに。俺ってどうしてこう……
耳元で、少し遠くで、そして遥か向こうの方で。幾人もの声が重なる。それはうわんうわんと頭の中に響くが理解できる言葉にはならず、台風の夜に聞いた風の唸り声にも似ている――と、晴佳は熱と息苦しさに悶えながら、うっすらと考えた。
* * *
天幕の中は、黒黴病菌の侵入も遮断されるはずだった。だが、既に体内に入ってしまった菌に関しては手の施しようがない。
彼らに今できることといえば、晴佳の全身を香油で清めること、身に着けていた衣類も同様に清めること――衣類に関しては、生命の心配をする必要がないためもう少し乱暴な方法で『浄化』が完了したが――、そして、毒消しや体力を回復させる効果のある薬を混ぜ、その効果を高めるように呪文を練り合わせで晴佳に処方し、絶え間なく浄化の呪文を掛け続けること。
それくらいしかなかった。
「万能薬ってのは、いつの世も、どこの世界にも存在しないもんだ……」
ソノップが苦くつぶやく。
ギルドの者たちはコトウの看病のため、彼らの治療用天幕を張っていた。
コトウには解熱や体力回復の薬を与え、あとはすることがない。黒黴病の発症直後には流動食を与えてもすべて嘔吐してしまうので、薬の効果を待つしかなかった。
「ところでソノップ。嘔吐しまくる患者に、どうやって薬を飲ませたんだ?」と、テラーが首を傾げる。
「……今はそんなことどうでもいいだろう」
ロードは不機嫌な声でたしなめる。
「今はっつーても、今は何もできないじゃねーか……お前こそ落ち着けよ。もうこうなったらハルの運命に任せるしかない」
「薬はですね、小さい丸薬にするんです」と、ソノップが穏やかにこたえる。
「表面に即効性の吐き気止めをまぶすんですよ。液体状の薬なら、その中に軽く浸すのもありです。もちろん、丸薬より先に吐き気止めを少量飲ませてもいます。ただその薬は即効性もありますが、効き目が切れるのも早くて」
ソノップは身振り手振りをつけて説明する。
「あぁ、なるほどね。だから飲み食いするまではもたないのか」
「そういうことです」
ソノップが話し終えると、三人の間にはまた沈黙が訪れる。
「そろそろ暗くなる頃だろう」
ふいにロードが立ち上がった。
天上の太陽は少しずつ橙から赤味を帯びて来ていた。
「今夜は魔法茸屋がいるから騎士団が陣を張る必要はないだろうが、一応周囲の見回りに行って来ようと思う」
「あぁ、それならギルドの若い者をつけましょうか?」と、ソノップが顔を上げる。
ソノップは騒動が一段落してからはローブを脱いでいた。
会話をギルドに聞かせないようにする配慮だ。彼らの耳茸を使用不可にする手っ取り早い方法は、ローブを身から離すことだった。
ローブの下には質素で簡易的な衣服を身に着けていたが、細いなりに筋肉はついているらしいことが推し量れる。それは実用的な肉体だった。
同じ魔法茸屋の中でも、素材を茸採師や栽培師から仕入れる者もいれば、ソノップのように自分で採集に奔走する者もいる。ギルドに籠って日夜薬の研究と精製ばかりに耽っている者は、ソノップのような体つきにはならない。
「いや、いらない。正直なところ、お前のとこの若いのってまだ役にも立たないひよっこだろう?」
カシャリ、とロードの鎧が軽い音を立てた。
「そう言われますと……実際、そうですけどね。どうしたことか、今回に限っては随分、その……経験の少ないメンバーばかりを駆り出したようで」
「なるほど、自分のための一派を作りたかった、と。そういうわけか」
テラーは鼻で笑う。
「わかりません。そうかも知れないし、そうじゃなく、単に彼らに見聞を広めさせたかったのかも知れませんし……」
ソノップはため息をついた。
「でもそれならそれで、緊急時にも平常心を失わないようにしていただきたかったですね――まぁ、私も他人のことは言えませんが……」
しかしロードはそんなソノップに対して笑顔を作り、首を横に振った。
「あなたはよくやってくれてる――ハルに代わって感謝する」
ソノップが取り乱したのは、友人のことであったからだ。ロードにも過去に憶えがあった。




