0039 黒黴 #03
「なんだって?」
ソノップが若者の言葉を聞いて目を剥いた。
「だ、だってタラ師が――第五位が、そうしろとおっしゃって。旅の団長はタラ師ですから、俺らは従わなければならないんです。ご存知でしょう?」
青年はソノップに気圧されて、ガタガタと震えた。
「どういうつもりなんだタラ! この辺りの黒黴病はもう、旧来のワクチンじゃ効き目が弱いと言っただろう? ギルドの工房では既に四、五十回分のワクチンが精製されていたはずだ。何故用意しなかったっ?」
ソノップはタラを怒鳴りつける。
「新型のペストとやらについては、第三位独自のご研究の成果だそうだが――」
タラの声は静かだったが、その眼はますます険しくなった。
「聞けば、ギルドの正式な認可もまだ下りておらぬという話ではないか。そのような怪しげなワクチンを、私の大事な顧客に売るわけにはいかないのだよ」
柔和な笑顔から一転、年齢以上の威厳を現した厳しい表情で、タラは言い放つ。
「でも、持って来るだけならできただろう? 売らなくてもいいから持って来るようにと――俺はそのように伝えたはずだ」
「旅をするのに余計な荷物は持ちたくない主義でね」
フンと鼻を鳴らすタラ。先ほどうっかり口を滑らせた青年は、二人のいがみ合いを目の当たりにしてオロオロしている。
「俺は、この人たちに俺のワクチンを売るつもりだったんだ。余計な荷物なんかじゃない」
ソノップはレグの方へ手を伸べる。
「ほぉ? 常連じゃないから勝手なことをしようというつもりだったんですか? それとも第三位お得意の人体実験ですかな? しかもその新しいワクチンとやらは、旧来の物と比べても二倍の値段がするという話ではないか」
「それ以上の価値があるものを二倍で抑えているんだ。俺は客に吹っ掛けるような商売はしていない」
「ですが、お客さまがそれで納得しますかねぇ?」
タラは肩をすくめ、やれやれといった表情でレグやロードを眺め渡す。
「あなたがたはまんまと騙されたんですよ」と言いたげな様子だった。
ギリ……と歯を食いしばる音が聞こえた。
「先月、今までのワクチンを売ったツァイドゥ村の八割が黒黴病にやられたのを忘れたのかっ? あそこにいた主立った職人は、みんな茸体で……我が領地、我が領主にとっても多大な損害があったのを、お前は忘れたというのか?」
「あれは悲しい出来事でした。質の悪い素材を仕入れてしまったのでしょう……最近の仕入れは若い物に任せていたから、そういうこともありましょう。二位の気まぐれにも困りましたよ」
タラは鼻で笑って、また肩をすくめた。
「……ねえ」
見かねたレグが、両者の間に手を伸ばし割って入った。
「なんでもいいんだけど、そのワクチンって、あなたたちは使ってないの? 身をもって検証しているからこその魔法茸屋じゃなくて?」
レグはタラとソノップを交互に見渡す。
自分で作ったというワクチンをソノップが検証していないわけはなかったが、今ここにあるのは、タラが持って来ている旧来の物しかない。
「もちろんでございますミュフラ。うちのワクチンはそこらの魔法茸屋のものとは違いまして。今回の旅が決まった折にも、黒黴病が出た地域を渡るということもありまして初めて旅に出る彼らに摂取させておりますし――」
そういってタラが指したのは、馬を引いている若者たちだった。
「あぁそうなの。彼ら、顔色が随分いいと思ってたけど、まだ見習いなのね?」
レグは納得がいったという風にうなずく。
「はい。我がギルドには、行商や連絡に出る場合に随従を連れて行くことをよしといたしまして――中にはふらりと単独行動に出る変わり者もおりますが、まぁそういった者の方が稀でございます」
単独行動に出た変わり者とは、どう聞いてもソノップに対する嫌味である。若い者たちを育てようとしない幹部、という批難も込めているのか、タラは自分には後任を何人も育てた実績がある、ということを滔々と自慢し続ける。
晴佳が呆れつつそっとレグの様子を窺うと、うんざりとした表情を隠そうともせず、腕組みをしながら話を聞いていた。
「彼ら、馬を引いているってことは先駆もするんでしょう?」
タラの息継ぎのタイミングで、レグは強引に話を変えた。
口を滑らせてしまった方の青年は、話の流れやこの場のピリピリした空気に緊張しているのか、先ほどから随分汗をかいていた。
「え、ええ、その通りです。経験の少ない者ほど、積極的に経験を積まなければなりませんからね、彼らはゆうべ、この集落に一度来ているんですが――」
ドサリ、と重たい音がして、タラの言葉が途切れた。
「おいコトウ。お客さまの前で見苦しいぞ。立ちなさい」
タラは振り返ると、倒れた青年に顔をしかめた。
「そんなことより、彼、なんか苦しそうじゃないですか? 大丈夫ですか? 熱中症とかじゃ――」
晴佳は思わず口を挟む。だが急に馬が荒れ始めたため、言葉が途切れた。コトウという青年が倒れた際、手綱を無理に引かれ機嫌を損ねたのだろう。
晴佳とジェラーノが咄嗟に駆け寄る。ジェラーノは手綱を取り、晴佳はコトウを抱き起そうとした。
「ハル! 駄目!」
レグが叫ぶ。手を差し伸べる寸前で晴佳は止まったが、苦しむコトウは目の前にあった晴佳の手首を掴んだ。
「黒黴病だ!」と、ソノップが叫ぶ。
晴佳がハッと視線を向けると、コトウの首元から顔に掛けて、ぼんやり煤けたような染みが広がっていた。
「莫迦な!」
「ハルっ!」
茫然としているタラを押し退け、ロードが駆け寄る。
「手を離せ! 早く!」
「お、俺が掴んでるんじゃなくて」
「こいつに言ってるんだ!」
ロードは叫ぶとコトウの手首を掴み、引き千切る勢いで晴佳から外させた。
手を外されたコトウはロードに掴まれた手首を抑えて更に呻き、苦しそうに転がったあと盛大に嘔吐する。
「どっちが風下だ?」
「そこの彼の方ですわ――それよりもハル、早くこちらへ。浄化しなければいけません」
「そんな莫迦な、隊長のワクチンが――いや、そうじゃない、コトウは飲まなかったに違いない」
タラの手はわなわなと震えている。目の前の情景が信じられないようだ。
「莫っ迦かあんた! だからこの辺りのペスト菌は薬剤耐性がついてるって言っただろうがっ!」と、ソノップはタラに掴みかかる。
「ソノップ! その莫迦を殴るのはあとにしてくれ。ハルの処置の方が先だ」
テラーがソノップの肩をぐいと引いた。
「――くそっ!」
ソノップは投げ捨てる勢いでタラを放す。
「ハルに万が一のことがあったらお前も生きていられると思うなよっ」
コトウの方は、既にギルドの他の者たちが世話を始めている。
吐瀉物はその場で穴を掘り、周囲の土ごと燃やすらしい。
「呪符を! 黒黴病菌の拡散を防げ! それから治療用天幕を早く!」
ソノップは馬車に向かって大声で指示を出し、自身はハルの許へ走った。




