0032 素顔 #02
「あの、ほんとに俺、テントで寝ていいの?」と晴佳は最後にもう一度確認したが、ロードもテラーも苦笑するだけだ。
レグはため息をつき「いいからさっさと寝なさいよね。明日も早いわよ?」と手振りつきで追い立てた。
ロードはテラーに向き直る。
「お前が同行するのは、あくまでも万が一のためだからな? 自ら仕掛けるようなことはするなよ」
「ったく、めんどくせー役目を押しつけられたなぁ。お嬢ちゃんのお守りかよ」とテラーは大袈裟にため息をつき、肩をすくめた。
ロードはその様子を見てふっと頬を緩める。
「その間に野営の撤去作業をしておく。山越えになるかも知れない。準備が早過ぎることはないだろう。陣は遠隔でも解除できるのだったな」
幼女コンビはテントのど真ん中で、ジェラーノは入り口側で、それぞれすやすやと寝息を立てている。晴佳が寝ても、もう一人ぐらいは横になれそうだ。
晴佳はテントの一番奥に隙間を見つけ、毛布を羽織って目を閉じた。
騎士たちとレグとサパーは、まだ何やら話し合っているようだった。
カサカサと軽い音を立てる枕や毛布も植物のような匂いがする。晴れた草原を渡る風のように清々しく、何か花の香りのようにほのかに甘い。
これも安眠のハーブとやらなのだろうか――と思う間もなく、晴佳は眠りに落ちて行った。
* * *
晴佳は夢の中で焦っていた。
どうしたことか、手が重いのだ。
この身動きが取れない状況は、スズナリにがんじがらめにされていた記憶に重なる。だが今回は全身ではなく手だけだ。
晴佳は夢の中で巨大なスライムの下敷きになっていた。
まん丸の目とニヤリと笑ったような口元の、半透明で薄紫のプルプルしたあいつが、晴佳の両手を挟み込んで離さない。下敷きになっているのに何故その表情が見えるのか……という疑問は頭になかった。夢とはそういうご都合主義がまかり通るものだからだろう。
それよりも、なんとか脱出できないかと晴佳は悪戦苦闘していた。スライムを押し退けてみたりつまんでみたりくすぐってみたりするのだが、どう頑張ってもびくともしない。
そのせいで晴佳は勇者の剣を取ることができず、このモンスターを、そしてこのダンジョンの奥にいるであろうボスモンスターを倒せないまま、時間だけが虚しく過ぎて行くのだった――
* * *
「うぅぅ……」
唸りながら意識が浮上した。身をよじると頭の下でカサリと乾いた音がする。
――あぁ、枕だよな、これ……ってことはここはキャンプの……?
うっすらと昨日の状況を思い出しながら、晴佳は目を開ける。すると、至近距離に人の顔があった。
「――――!」
テントの壁を向いて寝たはずが、いつの間にか反対を向いていた。それは誰しもよくあることだ。
しかし息が掛かるほど近くにいたのがサパーだったため、晴佳は混乱する。
サパーは、日本で晴佳の憧れの女性と瓜二つの容姿をしている。そのため晴佳は、彼女に対してだけはどうしても色々と意識してしまうのだった。
だから、晴佳はなるべくサパーに近寄らないようにしていたのだが……
晴佳は慌てて反転しようとするが、何故か動けない。どうやら手が何かに挟まれているようだ。
さっきまで見ていた夢はこのせいか……と手の行方を見ると、あろうことか、サパーの重量のある胸で思いっきり下敷きにされている。
「ぅぉ……っ?」
驚きのあまり、晴佳は完全に覚醒する。
跳ねる勢いで手を引き抜いたはいいが完全に痺れている。よほど長時間下敷きになっていたのだろう。
心臓が痛むほど動悸する。
起き抜けに心拍数が急上昇したのだから無理もないことだ。痛みで呼吸困難に陥り掛け、晴佳は身動きが取れなくなった。
しかもどうやら、それ以外の理由でもしばらくの間は下手に動けないようだ。
晴佳はそのままゆっくりにじってサパーに背を向け、治まるまでうずくまり、ひたすら耐える。耐える……
「ハル? 起きたのかしら?」
テントの入り口付近からレグの声がする。
――いや、ちょっと待てよ。今入って来られたらヤバくないか? ってか……痛ててて……
晴佳は焦る。
年頃の男子は色んな意味でナイーブなのだ。
レグは知識としては『知っている』かも知れない。だが、だから見られても平気だ、という割り切り方は晴佳には到底できなかった。
どうにか首だけ捻り「えと、目が覚めたけど……もう少ししたらそっち行くよ」と返事をしておく。
その声が微妙に裏返ったのは、寝起きだからということにしておいてもらおう、と思いながら。
* * *
「どうしたハル。あまり眠れなかったのか?」
「いや、そんなことはないですけど……ちょっと色々」
十数分後、ようやくテントから出られた晴佳は、手と顔を洗って朝食の支度を手伝うよう指示された。
火の強さを調整していたロードは、晴佳が朝からぐったりしているのが気になったようだ。
「色々……とは? もしも具合が悪いのなら早めに言うんだぞ? 無理をすると他の者たちにも影響するからな」
――色々のとこ、あまり追及されてもなぁ……ここに男は俺しかいないんだし。
結局、晴佳は日本人が得意とするアルカイックスマイルで「わかりました」と、こたえる。
普段より――というか晴佳にはまだ『昨日より』だが――早めに朝食の準備を済ませ、先に食事を終えたテラーとレグを送り出した。
レグもテラーも黒黴病に対する免疫があるとのことで、道沿いにまっすぐ集落を目指し、途中で自分たちのための中継用耳茸も仕掛けながら移動するという。
「ロードとサパーがいるから、滅多なことでは危険が訪れるとは思わないけど、何かあったらまず自分の身を守ること。忘れないでね?」と、レグはまるで幼児を留守番に残すかのように晴佳に言い聞かせた。
改めて食事の支度をしていると、突然どこかから何かがひび割れるような音が聞こえた。その鋭い音に、晴佳はビクリと身を震わす。
「誰かが近付いて来ている。いいかハル、普通にしていろよ」
ロードが囁く。晴佳は『普通に』どうしたらいいのかわからず、とりあえずジェラーノと一緒に朝食の準備を続けた。
「すみませーん。あの、あなたがたゆうべはここで野営してたんですか? 大丈夫でしたかー?」
やがて聞こえて来た呼び掛けに、『今気づいた』という体でロードたちは顔を上げる。晴佳もスープを器によそいながら、その人物に視線を向けた。
一見黒い布のように見えるが、陽の当たり具合で赤とも紫ともつかない色合いに変わる、つややかなローブ。
そして、海外旅行に出掛けるのかというサイズのスーツケース――だがこの世界にはないかも知れないので、それに似た何か――をゴロゴロと引きずりながら片手を上げ、ぶんぶんと肩から振り回してアピールしている。
「あれか。こんな朝早く、誰だろう」
そうこうしているうちにその人物はどんどん近付き、晴佳たちから数メートル離れた辺りで立ち止まった。
「あら? ヘルフスにいた魔法茸屋じゃない?」とジェラーノがつぶやいた。




