0003 迷森 #03
* * *
――そうだ、あの衝撃は……何年か前、捨ててあったブラウン管テレビを悪友と一緒に分解して感電しかけた、あの感じと同じだ……
晴佳は、夢の中で当時のことを思い出していた。
――確か、中学に入ったくらいの――いや園田がまだいたから、あれは小学校の、六年の時だ。そもそもあの秘密基地も、園田が見つけた場所だったっけ。
秘密基地といえば定番のちょっとエッチな雑誌を始めとする、男子の夢と希望が詰め込まれた空間だった。
変わったものを見つけて来るのはいつも園田で、壊れたエアガンやらきれいなアクセサリーやら、不思議な形の楽器のようなものなどまで、晴佳たちは色んなものを溜め込んでいたのだ。
晴佳が特に興味を惹かれたのは、見たこともない文字で綴られた本だった。
アルファベットとも少し違う、どこか象形文字に似ているようなその文字は、到底読めそうになかったが眺めているだけでもわくわくしたものだ。
テレビの分解もその秘密基地でのできごとだったが、それが結局、基地での最後の――
だが晴佳は急に肌寒さを覚え、一度大きく震えて目を覚ます。
――やっべえ。肌掛けを蹴飛ばしちまったんだろうか。
六月になったとはいえ、雨の日が続くとやはり冷える。
ついうたた寝してしまった時などは、寒さで目覚めることも少なくなかった。
晴佳は喉が弱い方なので冷え過ぎた時にはすぐにバレ、母親に口うるさく小言を言われてしまう。
「今、何時だ……」
案の定、晴佳の声は少し掠れていた。寝ぼけたまま片手を喉に当て、もう一方の手を枕元の時計に伸ばす。が、滑らかなシーツの感触とは違う、毛足の長い毛布のような物に手が触れた。
「――なんだ?」
確認しようとして手をもそもそと動かすと、生温かく湿ったものに触れた。同時に息遣いらしきものも感じる。
晴佳の家には今ペットがいない。長年飼っていた犬のスケローも、晴佳が中学の頃に老衰で死んだ。
――なにか、いる。
晴佳はぞっとしながら飛び起きた。
しかし目の前の状況が把握できず、そのまま固まった。
「あら、起きたんだね。ハルくん?」
そう声を掛けたのは、オレンジ色のマントのような物を着た少女。
その声には聞き憶えがあった。
「えっと、きみ確かじぇじぇ、ジェラーノ? なんか、さっきより随分縮んだような……? いやまて、この子がいるってことはこれ、まだ夢の続きなのか」
後半はひとりごちるようにつぶやく。
ジェラーノと呼ばれていた少女は、巨人から普通サイズになっていた。
晴佳よりも小さそうな――つまり、顔の印象通り中学生くらいのサイズまで縮んでいたのである。
「お前さん動けるかのぉ?」
数人が焚き火を囲んでいた。そのうちのひとりが、しわがれた声で問い掛ける。大きな深緑色のフードで顔が見えないが、声や少し丸まった背中などから判断するとどうやら老人らしい。
晴佳はできるだけ丁寧な言葉で答えた。
「えっと、多分大丈夫だと思います。どこも痛くないし……あれ? 俺、捕まったんじゃないんですか? ってか、なんで俺のことハルって」
「質問は後じゃ。ここは少々危険な場所でのう……お前さんを運ぶ手立てがなかったので、やむなく目覚めるのを待っておったが、とりあえず」
そう言って老人は立ち上がった。
随分小柄で、多分百五十センチほどしかない。ローブの裾を払い、他の者に無言でうなずく。仲間たちもうなずき返し、火の始末を始めた。
この一行は、ょぅι゛ょから老人までの六人で構成されているらしい。
「あの、すみませんでした、俺なんかのために……」
所在ない晴佳は、きょろきょろと周囲を見回しながら謝った。
「別にお前のためなどではない。こいつが荷を運べないくらい疲労していたので仕方なくだ」
冷たい声が飛ぶ。
気を失う寸前に叱咤された声だと気付き、晴佳は緊張しながら声の主を探す。
黙々と火の始末をしていた、真っ赤なローブの女性だった。やはりフードで顔は見えない。
こいつ、と指さしたのは晴佳の枕元に寝そべっていた、灰色の毛の塊だった。さっき晴佳の手を舐めたのも、この生き物なのだろう。
ふわふわとした毛足は長く、まるでモップのようだった。耳や尻尾などの特徴をすっかり覆い隠しているため、犬なのか他の動物なのかも判断できない。
「こんな小さいやつが何を運ぶっていうんだ」
夢には理不尽な設定がつきものだと思っても、そうつぶやかずにいられなかった。焚き火の傍らには、小型のテントほどもある荷物の山が見えたのだ。
一行の中でそこそこ体力がありそうなのは赤いローブの人物と、もうひとり、黒いローブから太刀の鞘が見え隠れしている者しかいなさそうだった。
その二人が大きな荷物を分担しても山はなくならなさそうだ。
リヤカーのようなものでもあるかと考えたが、確かさっきは人の足音しか聞こえていなかったはずである。
その他は先ほどの老人や少女で、とても分担できそうには思えなかった。
というかまず、彼らがなんの集団かまったく見当がつかない。
「これを着ろ。そしてお前も荷運びをしろ」
赤いローブが布の塊を投げてよこした。途端に灰色の塊がぶぅぶぅと不満そうな鼻息を立てたが、赤いローブは冷たい視線とふん、と鼻息ひとつで応えた。
「お前、今は着られないだろう……人数合わせにも丁度いいし、少しぐらい我慢しろ」
また、ぶぅ、と不満そうな音が聞こえる。
晴佳は手にした布を広げる。すると中から一足の靴が落ちて来た。そして広げた布が灰色のローブであることを確認し、首を傾げた。
ペット用のレインコートなども目にしたことはあるが、これはどう見ても人間用のローブである。何故このモップが文句を言うのだろうか。
「そのローブは、そこの──」赤いローブが晴佳に向かって顎をしゃくる。
「そこに丸まっている、ラフィスの物だ。後できれいにして返してやれ。靴は先日拾っ――予備のものだから、遠慮なく履くがいい」
「あ、はい」
やはり怪訝に思いつつ返事をして、しかしとりあえずローブを羽織ろうとした晴佳は、そこで初めて自分が素っ裸だということに気付く。
「え、ちょ」
寝ている間はかろうじて、下半身に布が一枚掛かっていただけだったらしい。寒かったのも当然だ。
晴佳は慌ててまた周囲を見回した。
しかし気に留める者は誰もおらず、みな忙しそうに旅支度を整えている。
「いや、なんつーか……俺、男として扱われてないような」
情けない気分で身支度を整え、指示された荷物を背負いながら晴佳は愚痴る。
ぶぅぶぅ、と足元で聞こえたのを見下ろすと、先ほどの灰色のモップのような生き物がジェラーノの方へ歩いて行くところだった。
「じゃあラフィ、お願いね」
ジェラーノはそう言うと、ひとり用のテントくらいの大きさはあるだろう荷物の塊を、ひょいと片手で持ち上げ、モップ――ラフィの背中にくくり付けた。
――ちょ、見た目が普通サイズになっても、やはり巨人並みの怪力ってか。
晴佳は唖然としてその様子を見ていた。