0014 傷跡 #02
* * *
部屋に戻ると皆それぞれテーブルの辺りに席を取り、くつろぎ始める。
サパーが風呂を使うと言うので、晴佳は衝立に背を向けて椅子に座った。
「お気になさらないでよろしいですのに」とサパーはふんわり微笑んでいたが、晴佳はお気になさるのである。
ウィーテはラフィを伴ってベッドにもぐり込み、あっという間に寝息を立て始めた。ジェラーノも眠そうだ。
ここの時間はまだわからないが、食事や酒を愉しんでいる客もまだ多かったので、晴佳の感覚では午後八時から九時といった辺りだろう。
「ここって時計はないの?」
一応訊いてみるが首を傾げられた。『時計』がわからなかったようだ。
「えっと、じゃあ今何時かとかは……」
駄目元で訊いてみると、
「ああ、それなら今は十六刻を過ぎたところね」とレグが言う。
「時間はなんとなくわかるものよ」
だがそのなんとなくが晴佳にはわからない。やはり時計が欲しい。
「そういやハル、もう現実を受け入れたのか?」
唐突にテラーが切り出して、晴佳は答えに窮する。
「どういうこと?」と、レグが問う。
「こいつ、『これは夢だ』なんて言ってやがって」
「あら……」
「ほう? なるほど」
小莫迦にしたように言われ、晴佳は顔をしかめた。
だがレグは困ったような表情をし、逆にロードは何か納得したようだった。
「なるほどってどういうこと?」
レグが今度はロードに問う。
「いや、それならハルの態度も理解できるな、と。現状を受け入れていないからこそ、逆に混乱せずに済んだのかも知れない。常識がないのも、元々いた場所の知識がそのままあるせいだろう」
「一応理屈は通るけど……でも、『ソト』の世界からこんな状態でこちらに来ることなんてできたかしら?」
レグは首を傾げる。
「たまたま質のいい夷茸でもあったんだろう」
「だとしてもすごい確率よ? ただでさえ今時期、天然物は少ないのに」
「だが実際ハルがここにいるのが、何よりの証拠だ」
晴佳そっちのけで、レグとロードが話し込んでいる。
テラーは話を振ったあとはまた我関せずという態度で、いつの間に持ち込んだのか酒らしき瓶を傾ける。
晴佳はこのなりゆきにショックを受けていた。
一番認めたくないことが、目の前に突きつけられているのだ。
万が一にでも、これが現実だとはまだ思いたくなかった。
何故ここに来たのか、どうやって来たのか、そしてどうすれば元の場所へ還れるのか――まったく見当もつかないというのに。
「そろそろ諦めろよぉ? 一番認めたくない部分をさっさと認めちまえば、後が楽になるぜえ?」
多少呂律が回らない口調で、テラーが駄目押しをする。
「認めなきゃよ――いつまでも前を向けないんだ」
瓶の底を覗き込みながらテラーはつぶやき、「ちっ……ちょっと出て来る」と立ち上がる。
「おいテラー、夜間の外出は――」
「ちょおっと酒調達して来るだけだよ。ついでに情報収集ってやつも、できたらやってやるからよ?」
止めるのも聞かず、テラーはそのまま出て行った。
「相変わらずね」とレグは肩をすくめる。諦めているようだった。
それからレグは改めて、晴佳に向き合った。
「ねえハル、あなたはどこから来たの?」
「どこって……気がついたらあの森にいて」
晴佳はわけもなく緊張し、シャツの裾をいじる。
「その前は?」
「その前は自分の部屋で、ベッドで寝ていたはずなんだ」
「そう……」
レグは頬に片手を当て、首を傾げる。
「あなたがいた所って、太陽が動くんだよね?」
「いやあの……動くのは」
「仕組みは知ってるわ。あたしが訊きたいのはそういうことじゃなくて。ハルがいた所の太陽は――」
レグはすっと右手を上げて天井を指差した。
「――ずっと上にあるわけじゃないのよね?」
レグもロードも真剣な表情だった。
晴佳はゴクリと唾を飲み込む。
「――だったら、俺はどうなるんだ?」
これが夢ならいい。目覚めれば「変な夢だった」で終わる。だが、テラーが言っていたようにこれが現実だったら――
「どうなるって? 逆にハルはどうしたいの?」
レグはきょとんとした。
「――え? だ、だって、俺がここの人間じゃないってことは」
ちらりとロードを見やる。だがロードも要領を得ないという表情だ。
「俺……スパイになっちゃうんじゃないですか?」
ロードは『余所者』や『諜報員』を警戒していた。
ここの人間じゃないと知ったら、文字通り斬り捨てられないとも限らない――晴佳はそう考えていた。
「どうして?」
「何故だ?」
三人ともしばらく無言で互いに見つめ合う。
「……あれ?」
晴佳は首を傾げる。
「お前は何を言ってるんだ?」
ロードは眉をひそめた。
「ハルが諜報員なわけがないだろう」
「そう、ですけど」
「莫迦なことを言ってないでもう寝ろ」
「そうね、今日一日できっと――色々疲れたと思うから」
ウィーテが寝ている方のベッドを使うように、とレグは指示する。
「もう片方は、あたしとジェラーノとサパーが使うから」
確かにその組み合わせなら、ょぅι゛ょとモップの方になるだろう。
「あら、お休みになるんですか?」
ゆったりした長いガウンを羽織ったサパーが笑顔を向けた。
いつ風呂から上がったのか、晴佳は気付かなかった。水音はいつしかBGMとして気にならなくなっていたらしい。
色々あり過ぎた。考え込んで眠れなさそうだと思っていた晴佳だが、枕に頭をつけるとすぐに瞼が重くなる。
「この枕には、快眠を誘うハーブが入っていますのよ――」
サパーの言葉が歌のように聞こえたが、間もなく遠くなっていった。




