0011 宿屋 #02
「じゃあ早速向かいましょう。広い部屋が空いていればいいんだけど、結構時間ぎりぎりだからどうかしらね」
そう言って促したレグも、サパーやジェラーノたちも、くすくす笑う。ウィーテも「おなかへったねえ」などとジェラーノに話し掛けていた。
広場の向こう側に、二階建ての大きな建物が見えている。店という雰囲気の建物はその一帯で一番大きいようだ。そこを目指しているらしい。
「よかった。まだ青い炎だわ」
何かを確認して、レグの声は弾んでいた。
戸口の脇に掛かっている看板の上には炎が三つ点っている。
ガスコンロのような青い炎が二つ、一番奥にオレンジ色の炎がひとつ。レグはどうやらそれを見ていたようだ。
「あれは宿の空きを示している」と、ロードが晴佳に説明した。
「へぇぇ。あれでわかるんだ。便利だな……でも火事とか大丈夫なんだろうか」
晴佳がついつぶやくと、ロードが肩をすくめた。
「火事? 面白いことをいうな……あれが自分の宿を焼くわけがないだろう」
――またこっちの常識なのか。わからないことだらけだなぁ。
それがLEDの炎ということならば晴佳も納得できるが、どう見ても燃えている炎なのだ。
建物の陰に隠れるように見えているのは、厩舎だろう。旅人らしき者たちが、入り口付近や厩舎に向かう細めの通路をうろうろしていた。
ずんぐりとした馬が引かれて行くのが目に入る。身体全体は茶色だが、尻尾とたてがみは黒っぽい。
「馬、いるんだ……」
「あれは人を乗せたり荷物を運んだりする」とロードは説明する。
「馬ってそういうものでしょ? それ以外って?」と、晴佳が首を傾げると、ロードは表情を変えずに「食べる」とひと言つぶやいた。
――あぁ、そういや馬刺しとかあるよな。
晴佳は思わず納得してうなずく。
「ハル、この文字は読める?」
上に炎がちろちろと燃えている看板を指して、レグが問う。村に無事着いたので、知的好奇心がまた湧いて来たらしい。
「よくわからない……記号のようにも見えるし、アルファベットみたいなのもあるけど」
晴佳は正直に答える。
「あれは店の名前で『鉤鼻亭』って書いてあるの。あるふぁべっとっていうのは文字の種類かしらね?」
レグはうなずいてからドアを押した。
入って右側に四畳半ほどの広さのスペースが造られていた。その奥の壁に窓があり、窓の上に何か書いてある。
「一度に十人まで受付けられるけど、全員の姿を見せなきゃいけないきまりなの」
レグがそう説明し、ロードが晴佳の背中を押す。
晴佳たちは七人と一匹だが、ラフィが背負っている荷物のせいで四畳半が手狭に感じる。
これでむくつけき大男の集団が十人などということになれば、もう少し広いスペースが必要ではないのか、と晴佳は疑問を抱く。
人前に出る時にはなるべくローブを着ておくのがマナーらしいが、フードは宿に着いた時点で全員が脱いだ。
建物の中では脱いでもいいのか、もしくは顔を見せる規則なのだろう。
テラーは黒髪のショートヘアで、瞳も黒く切れ長の目だった。
多少目つきがきつくても、多少顔の造りが西洋風ではあっても――多少ならず性格が悪そうでも、晴佳には一番近しく感じられる色合いである。
受付けには中年の男がいた。
「十人くらい泊まれて仕切りができるようになってる広い部屋をお願い」
男はレグの顔をちらっと見てから言った。
「ベッドはいくついるかね」
「大きいのを二つ。あとはどうにかするわ。それから、お湯も使えるようにして」
「……二リンゲル五十ギルダだ」
「あら? いつの間に値上がったのかしら?」
「う、うちは前からこの値段だ」
「そうなの? あたしの記憶違いかしら?」
そう言いながらレグはロードから手形を受け取り、受付けの男に見せる。と、男はため息をついた。
「……性格悪いぜ嬢ちゃん。二リンゲル三十ギルダだ。上の、一番奥の部屋を使うといい。風呂は三ヶ月前から十ギルダ上がってる」
「そうね、それは知ってるわ。一泊分は前金。あとの支払いは出る時でいいわよね? 大丈夫よ。食事でお金を落としてあげるから」
レグは満足気だった。交渉が上手くいったという様子である。
外国では吹っ掛けられたり、客側も値切り交渉をしたりするらしいので、そういうものなのだろう、と晴佳は考えた。
「さ、行きましょうか。階段は狭いから、荷物をほどかなきゃね」
「おいおい、客がつかえてるんだ。そういうのは外でやっといてくれないかね」
「あたしたちの後ろにはもう誰もいなかったわよ?」
レグはしれっとした様子で取り合わない。実際、新たに宿を取ろうと待ち構えている客はいなかった。
「ラフィ」
レグが呼ぶと、灰色のもふもふがゆさゆさと荷物を揺らしながら寄って来る。
荷物の中ほどをレグが触れると、ぱちんと何かがはぜるような音が鳴って紐状の物がほどけた。
「ハル、それをここへ」
晴佳が言われたまま背中の俵を下ろすと、レグはそれを横にして一部を引く。ドラムバッグのファスナーを開けたようにするすると口が開き、様子を見ていた晴佳は慌てた。
「レグ――」この中には死体が入っているんじゃなかったのか?
そう言いそうになったが、ロードに口を塞がれた。
――そういえば、まだ人前では喋っちゃ駄目なんだっけ?
だが、開いた中身は空っぽだった。
「え……あれ?」
「ジェラーノ、手伝って」
ジェラーノは、ラフィの上に微妙なバランスで載っている荷物を次々まとめて放り込む。と、その端から溶けるように消えて行く。
「さて、片付いたわ」
「へえ、こりゃあ高価な品を持っているじゃないか――ミュフラ・フローエン」




