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第八話 Worst Experience

第八話 Worst Experience

 噴水のように吹き上がった血がショウタに降りかかる。一瞬何が起こったのか理解出来なかった。目の前で進行している出来事を頭の中が理解していなかった。ただ、無惨に殺されたアキミツの映像だけが網膜に映り込んでいた。だが、ショウタの身体は、本能は、咄嗟に次の行動に移る。

 瞬間移動――

 身体が見知らぬフロアに軟着陸する。もともとジャンプするつもりがなかったので、受け身を取ることも出来ずショウタは尻から落下した。だが、その尻の痛みを感じることもなかった。ショウタの脳裏には今し方見た、目の前で頭を割られる映像が何度もリピートされていた。かたかたと足が震える。立ち上がることが出来ない。手も小刻みに震えている。もう片方の手でそれを押さえようとしてもその手も一緒に震えてしまい、どうにもならない。気が付くと身体全体が震えている。それも仕方がないと言える。この現代日本に於いて、人が殺されるシーンを目撃するなんて、皆無に等しい。せいぜいテレビドラマや映画の中で偽物を見る程度だ。それが自分の目の前で、しかもリアルで展開されたのだ。

 隣のフロアから何かを蹴倒す破壊音が聞こえてきた。

「ぬぬっ! どこへ消え失せたのだ! 奇っ怪な!」

 時代がかった声が聞こえてくる。

 ……。

 ショウタは大きく深呼吸をした。そして何度目かの深呼吸で、ようやく自分の頭が冷えてきたことに気付く。身体はまだ小刻みに震えている。だが頭だけは異常に冴え渡っていた。ショウタは現状を分析し始めた。

 自分が居るこの部屋は、さっきの殺人が行われた大広間の隣の部屋だ。自分は最大五メートルしかジャンプできないから、この推測は間違いない。ということは隣の部屋から聞こえてくる男の声は、アキミツを殺した鎧騎士と同一と考えて問題はないだろう。敵の能力は――今のところ判断は不可能だ。西洋風鎧を着ていたからと言ってそれが何の能力なのか。ただ、敵が室内に侵入したことはぎりぎりまで気が付かなかった。何か隠密行動に適した能力なのかも知れない。

『――ョウタ! ショウタ! どうしたネ?』

 いきなり右耳を聞き覚えのある声が貫いた。

「ゼツボウ!」

『しばらく圏外だったからどうしたかと……。大丈夫カ? 今、一人分星が減ったけど』

「大丈夫じゃない……」

 ショウタは声を潜めて言った。ゼツボウの声を聞いたせいか、それとも他の人間の声を聞いたせいなのか、ショウタはだいぶ落ち着いてきた自分に気が付いていた。手や足の震えもすでに治まっている。ただ、心臓の鼓動だけは未だ激しく鳴り響いていた。

「今、目の前で人が殺された。相手の能力は分からない。声から察するに男のようだ」

『落ち着いてショウタ。怖がった方が負けネ。神出鬼没なショウタの能力の方が相手にプレッシャーを与えているはず。自信を持つネ』

 ゼツボウのそのコメントにショウタは、はっとした。耳を澄ませてみれば、隣の部屋からは「くそっ! くそっ!」と男の焦る声と室内を歩き回る音がしきりに聞こえてくる。

 そうか、とショウタは思った。敵は突然消えてしまった俺に対して、恐怖を覚えているんだ。一瞬にして消えたことで恐らく向こうは、こちらの能力を瞬間移動能力と理解したのだろう。だが、それが敵を疑心暗鬼にさせている。次の瞬間、こちらがどこに現れるか見当も付かないのだ。怖がっているのは向こうもこちらも同じなのだ。そう思ったとたん、すうっと身体中から緊張が解けていった。ショウタは身体をにじり寄らせて、隣の部屋との境界である扉の所まで行った。この扉は一方通行の自動ドアだ。向こうからこちらに来るときは自動で開くが、こちらからは一切開くことはない。昼間のアトラクション仕様なのだ。扉に耳を付けて隣の様子を伺うと、今まで聞こえてきていた悪態や歩き回る音は聞こえてこなくなっていた。その理由は容易に想像出来る。突然姿を現すことの出来る、こちらの能力を警戒しているのだ。その場合、部屋の真ん中に居ることは危険だ。あっさり背後を取られることになってしまう。つまり、敵は壁のどこかを背にして待機しているのに違いない。そしてこちらが室内空間に現れたとたん、何らかの能力を発動させて、迎撃するつもりなのだ。

『……ところでショウタ。エミはどうしたの?』

 ゼツボウの言葉に愕然とした。エミとレイのことをすっかり忘れていた。彼女らはトイレに用を足しに行っている。人目を避けながらだとはいえ、それはさほど時間がかかる行為ではない。恐らくそろそろ戻ってくる頃だ。そしてこのアトラクション『スケアリー・ロッジ』は出口から逆行出来ないような作りと成っている。とすると、隣の部屋の男と鉢合わせする可能性が高い!

 二人に危険を知らせるならチャンスは今しかない。二人は男の居る部屋を挟んで自分とは反対側から接近してくる。自分には部屋を飛び越しての長距離ジャンプは出来ない。とすると一度、男の居る部屋に出現して、もう一回ジャンプするしかない。……果たしてそれは可能か。

「あ、あんた、誰なんっ!」

 隣の部屋からそんな金切り声が聞こえてきた。エミだった。

 遅かった!

 うだうだ考えている暇すらなかったのだ。もはや迷うことはない。ショウタは反射的にジャンプを敢行していた。

 

 正面から、しかも扉を開けてどうどうと侵入して来た二人の女性にケンゴは動揺した。瞬間移動の能力を持つ男が攻撃を仕掛けてきたら、いつでも幻覚能力を発動させるつもりで待機していたのに、虚を突かれた格好だ。

 そもそも今回の戦闘は予想外の出来事のオンパレードだった。ケチの付け始めが狙ったプレイヤーが複数だったということ。ケンゴの幻覚能力は対象一人にしか効力を発揮しない。『スケアリー・ロッジ』の奥まで二人組を追跡したところまでは良いが、途中で合流して四人になってしまった。ケンゴは待機しながら四人がバラバラになる時を待った。途中女性二人組が離脱して男二人が残り、チャンスだとケンゴは判断した。ケンゴは残された男二人組を標的とすることにした。幸い男二人が落ち着いた部屋は、ホログラムの生首や西洋鎧が動き回るという趣向のスペースだった。自分の能力と相性が良い。ただ、相手は二人だ。自分の能力は対象一人にしか効かない。そこからどう対処するかが思案のしどころだった。

 とりあえず、自分の姿を幻覚で隠して、殺す対象まで接近することにした。さてその場合、どちらに対して幻覚を仕掛けるべきか――。

 殺さない方に対して幻覚を仕掛けるべきだろうと、結論に達した。殺す対象には背後から近づく。その真正面に殺さない方がいる。それなら殺さない方に幻覚を仕掛けた方が、対象にぎりぎりまで近づくことが出来る、というわけだ。さて、あとはどちらを殺すか、だが?

 隣の部屋の入り口から室内を盗み見ながら、ケンゴは思案した。一人はサラリーマン風の青年。だいたい二十歳前半だろうか。もう一人はまだあどけなさを残す顔立ちの少年。恐らく高校生くらいか。どちらが与しやすいかは一目瞭然だった。たやすく殺せそうな高校生は後回しだ。先に殺すべきはワイシャツ姿の青年の方だ。

 ケンゴは、アキミツを殺害することに決めたのだ。殺害方法はたまたまこの部屋にあった西洋風の斧を使うことにした。

 自分の手で人を殺す。

 ケンゴの意識の中にそういう感覚は薄かった。これは飽くまでゲーム。普段自分たちがやっている画面の中のゲームと同じこと。特殊な能力や道具を使い、敵を倒し、報酬を得る。一体何の違いがあろうというのか。

 ふふ、しびれますな!

 ケンゴは緊張感溢れるゲームの真っ直中に飛び込んでいることに至福を得ていた。ただ、一つの誤算は殺さなかった男の方の能力が想像した以上に厄介だったことだ。

 瞬間移動能力。それは目の当たりにした瞬間、すぐに理解した。アキミツが殺された直後すぐさまに姿を消したからだ。透明になる能力、または自分と同じ幻覚を見せる能力であるとも考えられたが、姿を消す前の伸び上がるような動作――恐らくショウタの癖なのだろう――が、ジャンプをすることを想起させた。

 ケンゴは瞬間移動能力を持つ男を先に殺さなかったことを後悔した。目の当たりにした通り、瞬間移動能力は逃走に適しているが、攻撃にも融通が利く汎用性のある能力である。もしあの男が自分に攻撃を仕掛けようと考えたのなら、一瞬でこの部屋に舞い戻り、そして自分の背後にナイフを突き立てることなど容易である。わずかな間でそこまで思考を巡らせたケンゴは自分の背中を壁にぴったりと付けた。そして部屋中を見渡せる場所に自分の身体を置き、呼吸を整えた。これで準備は万端だ。あとは室内に突然出現した男に対し、冷静に対応するのみだ。

 対応――そう、それは幻覚を見せること。ケンゴの能力は対象の視覚野に作用する幻覚の能力である。その為、対象の姿を確認しないと能力を発動させることが出来ないのだ。その為、このような一種居合抜きのような作戦を採らざるを得なかった。

 しかしこの直後に第二の誤算が発生する。入り口の扉が不意に開き、二人の女性が戻ってきたのだ。扉が開いて、閉まるまでの間、室内の三人は何もすることも出来ず固まっているだけだった。やがて扉が完全に閉まると高校生くらいの女性が口を開いた。

「あ、あんた、誰なん!」

 それが口火だった。ケンゴは女子高生に対して幻覚能力を行使した。もう一人の大人しそうな少女は与しやすそうと判断したからだ。女子高生に敢行したのは、自分の姿を透明にする幻覚。これで至近距離まで近づき、持っている斧で殺害しようという計算だ。

 だが、その作戦は寸前で阻止される――


 ショウタは室内中央の壁際に着地点を想定してジャンプした。そしてそれはビンゴだった。帽子を被った少しやせぎすの男がエミと対峙していたのだ。男はなにがしかの能力をすでに発動させたらしく、エミは目を見開いて驚愕の表情を見せている。そしてその目は泳いでおり、目の前にいるはずのやせぎすの男を捉えていない。ショウタは男の二メートル後ろに着地した。そこからもう一度、小刻みなジャンプを敢行する。出現と同時のジャンプだった為、男はまだショウタの存在に気が付いていない。こちらを見ていたはずのエミでさえ、その視界に捉えていないはずだ。そして二度目のショートジャンプの後、ショウタはついに男の背後を捉えた。男の背中にショウタは右手を触れた。

「なん!」

 男が驚きで身体を強ばらせて後ろを振り向く。だが文字通り『瞬間』的に作用するショウタの能力に対してその行動は遅すぎる。次の瞬間、男の身体は姿を消していた。ショウタは男ごと隣の部屋――つまり元々ショウタが居た部屋――に跳んだのだ。

 激しい音を立てて、ショウタと男は床の上に投げ出される。三回連続の、そして最後は二人同時のジャンプを敢行したためか、着地の精度が狂ってしまったようだ。肩から落ちたショウタは床の上で半回転しながらも、視線は常に男から外さなかった。男は突然のジャンプと床の上に投げ出された衝撃で恐慌状態に陥っている。

 今がチャンスだ!

 ショウタはそう確信した。ショウタには一つのアイデアがあった。ショウタの瞬間移動能力は念じた物体をジャンプさせることが出来る。それならば、体内に寄生しているスランバーもジャンプさせることが出来るのではないか、と考えたのだ。幸いショウタはスランバーの実物を見たことがある。誤って場外に出て死亡した男の口から這い出してきた爬虫類のような物体。あのグロテスクな物体を男の身体の中にあることをイメージして、ジャンプさせれば、男から能力を失わせることが出来るのではないだろうか。それでいて命は失うことはない。それは素晴らしいアイデアに思えた。そしてこれはショウタの能力でなければ出来ないことなのだ。

 しばらく辺りに視線を漂わせていた男だったが、ショウタの姿を確認するとその目に強烈な光が宿った。それは殺意の光、そして狂気の光。相手は能力を発動させようとしている。もう一秒も逡巡している時間はない。ショウタは自分のアイデアを実行に移す時が来たことを知った。

 ショウタは目を見開いたまま心の中にスランバーを思い描いた。あの事切れた男の口から這い出してきた、おぞましい爬虫類状の物体――

 可能な限り、細部のデティールまで思い出す。身体の襞。色。てらてらと光る粘液。四肢のような触手。それらが自分以外の物体のジャンプには必要なことであると感覚的に感じたからだ。思い出せ、思い出せ、思い出せ。目のような突起物。ぽっかりと空いた口腔。のたうつようなその動き。

 ショウタはダッシュして男に近づき、そして接触した。と同時に念じる。

 跳べ、と。

 次の瞬間、べちゃり、とショウタと男のちょうど中間点に何かが落下した。それが何かを確認するまでもない。スランバーだ。以前、場外に逃げようとしていた男の口から這い出した物とほぼ同型だった。ただ、そのスランバーは身体中に粘液とともにどす黒い血にまみれていた。それだけがショウタには気になった。

 目の前の男の透明化はストップした。計算通り、策が図に当たった。ショウタは心の中でほくそ笑む。だが――

 目の前の男は透明化しようとした体勢のまま固まっていた。そして目を異常なまでにむき出しにし、宙空を睨み付けたまま、顔面を蒼白にしていた。やがて男はカエルが車に挽きつぶされた時と同じような声を上げて、その場に崩れ落ちたのだ。

「なっ!」

 ショウタはあわてて男に駆け寄った。息をしていない。胸に耳を当ててみたが心臓の鼓動も停止している。

「なんなんだよ、これっ!」

 ショウタはあわてて男を寝かして、心臓マッサージを始めた。昔、学校で保健体育の時間で習ったことをうろ覚えながらの実践だったが、何もしないよりは良いはずだ。ショウタは男の肋骨が折れるのではないか、というくらい力を込めて押す、押す、押す。

 なんなんだよ、なんなんだよ、これ、なんなんだよ!

『無駄ネ』

 右耳のイヤホンから無情な声が聞こえてきた。

「無駄って、なんだよ! まだ心臓が止まって一分も立っていない! 助かる可能性はある!」

『可能性はないネ』

 ショウタの心を逆なでするようなゼツボウの冷静な言葉に、次第にイライラしてきた。

「なんで、そんなことが言えるんだよ! お前は人の生き死にまで分かるのかよ!」

『分かるネ』

 苛立つようなショウタの言葉に、さしたる逡巡もなく即答したゼツボウにショウタの腕は止まった。どういうことだ。まさかナビゲーターはプレイヤーのバイオリズムまで管理しているとでもいうのだろうか。それとも――

 一瞬の間を置いて、ゼツボウは大きく息を吐いた。その吐く音はショウタの耳になぜか印象深く響いた。

『なぜならプレイヤーはスランバーなしでは生きられないからネ』

「ど」

 頭の中が真っ白になった。ゼツボウが何を言っているか分からなかった。この目の前で事切れている男の事を言っているのか、それとも自分のことを言っているのか。

「どういうことだ! 説明しろよ!」

 激高したショウタに、ゼツボウは冷徹に言葉を紡ぐ。

『孵化したスランバーは人体に強固に融合するネ。それこそ組織まるごと一体化してしまうくらいに。そんな状態で無理矢理引きはがしてしまったら、宿主が絶命してしまうのは至極当たり前のことネ』

 ゼツボウの言葉を受けてショウタはがっくりとその場に崩れ落ちた。

 そういうことは早く言ってくれ。

 そんな言葉が口から出かかったが、喉から先に這い出していかなかった。代わりに出たのはこんな言葉だ。

「俺はずっとスランバーと融合したままなのか?」

 自分で自分を笑いたくなった。結局の所、可愛いのは自分の身体で自分の命なのだ。

『ううん。このゲームの制限時間が四十八時間なのはなぜだと思うネ? それはスランバーの寿命が四十八時間だからネ。予めテロメアを四十八時間に調整してあるネ。四十八時間を過ぎると胃の外壁から人体に融合していたスランバーは胃液に溶かされて、最終的には消化されるネ。それと同時に能力も消えるネ』

 脳が感電でもしたかのように麻痺していた。ゼツボウの言葉を理解したのか、していないのか自分でも分からなくなったまま呆然と床の上にへたり込んでいると、その部屋に誰かが侵入してくるのを感じた。

「ショウタ! 大丈夫? ……これって」

 エミとレイだった。一方通行の自動ドアを開けて室内に侵入したエミはその惨状を見て、言葉に詰まった。レイはエミの身体の陰でこちらを盗み見て怯えている。

「ち、違う……」

 何が違うっていうんだ。俺がこの男を殺したのは事実じゃないか。それを今更何を取り繕おうっていうんだ。

「……ショウタ」

 心を読んだのだろう。エミは何かを理解したよう光をその瞳に湛えて、立ちすくんでいる。そんな時だ。ショウタの右耳にゼツボウの声が再び聞こえてきたのは。

『……ショウタ。おめでとう。今、倒した男はすでに三ポイント保有していたネ。このポイントはこのままあなたに引き継がれるから、ショウタは自ポイントを除くと通算四ポイントをゲットしたことになる。これは現在単独一位ネ』

 まるでバスケットの試合で選手にアドバイスを送っているコーチのようにゼツボウは淡々と説明を重ねていく。

「やめろ」

 四ポイント。単独一位。

 その単語に反応してショウタは思わず自分の両の手のひらを見た。それはすでに四人分の命を奪った手のひらだ。そして自分の肩には四人分の生命がのしかかっているのだ。

「やめろ、やめろ」

 ショウタはその汚れきった手のひらで自らの顔を覆った。そしてそのまま額を床に落とした。

「やめろああああああああああああああああああああああああああああ」

 いつまでもその慟哭を止めようとしないショウタに対して何をするわけでもなく、エミは自らの胸をぎゅっと掻き抱いて、その場に立ちすくむのみだった。


 現在十五時間十八分経過。生存人数残り五人――


******************************************


 その部屋には、瀟洒で重厚な調度品が嫌みにならないスマートさで配置されていた。一番奥の壁面には大型のディスプレイが一面に広がっている。そこに映っているのは『エンドレス・ワールド』のどこかのアトラクションのようだ。ライブ映像らしく、画面は絶えず揺れ動いている。凝視していると酔ってしまいそうなので、キースは少し画面から視線を外すことにした。

 そして小さくため息を吐き、肩を回す。

 思ったより重労働だ。昼間は会社の仕事をこなしながらプレイヤーに指示を行い、夜は夜で逐一動向を見守らなくてはならない。ゲーム開催期間の二日間は寝る間もないということになる。唯一の救いは操るプレイヤーが有能であるということ。敵に悟られることなく、今のところ如才なく行動している。その攻撃力や能力は疑うべき所はなにもないので、仮に他のプレイヤーと遭遇したところで上手く立ち回ることだろう。

 四十八時間、片時も目を放せないので、二人一組でナビゲーターを持ち回す者もいるらしいが、せっかくのこの愉悦のゲーム、一人で楽しみたい。キースはそう考えていた。そもそもキースは仕事に於いても、物事を成し遂げるために支払う苦労は、苦労と思わない傾向にある。成し遂げた達成感がそれらを凌駕するのだ。

 部屋の扉が硬質の音を立ててノックされる。キースは一呼吸置いてから了承の言葉をかけた。

「失礼致します」

 見事な銀髪の初老の男性が慇懃に低頭し、入室した。ティーセットが載ったカートをゆっくりと押しながらキースの傍らまで到達する。初老の男はバトラー服を着込んでいるところをみると執事のようだ。ぴんと張った背筋、きびきびとした動きを見る限り、まだまだ矍鑠としている。

 老執事はよどみない手つきでティーポットからカップで紅茶を淹れる。キースは老執事の方を見ることもなく、そして老執事もキースの方を見ることもない。お互いに邪魔にならないタイミングや空気が分かっているようだ。やがてキースのテーブルサイドに湯気の立つティーカップが音もなく置かれ、キースはそれを当たり前のように受け取り、口へ運んだ。そして満足そうに眼を細める。今日一日の疲れがすうっと取れていく感じがした。

「お嬢様の操るプレイヤーの特定は出来ましたか?」

 老執事は穏やかな口調でそっとキースに問いかけた。キースは大型ディスプレイに時折目をやりながら、口を開く。

「いや、まだ名前だけしか分かっていない。だがある程度は当たりは付いている」

 そう言ってかすかに口元に笑みを浮かべる。

「お嬢様は移動しながらプレイヤーをナビゲートしているようですね。最後の報告では、現在日本に居るようです」

「ふん。さすがに盗聴を警戒するくらいの知恵は回るようだな」

 キースは嫌らしい笑みを口元に浮かべ画面から目を離した。

「しかし、よく日本になど行く気になるものだ。やはり半分血が混じっているだけはあるというものか」

 吐き捨てるようにそう呟くと、キースはくるりとイスを回して老執事の方へ向き直った。

「それにしても今回の『数学者の銀槌』によくケイティを引きずり出してくれた。礼を言う」

「いえいえ。私めなぞ、何の力にもなっておりません。それにまだ、これからではありませんか。最終的にお嬢様の操るプレイヤーに勝利しないことには」

 うやうやしく老執事は腰を曲げる。大げさな動作が嫌味に見えないのはさすがに年の功と言える。

「勝利することがベストではあるが、ケイティをあのあばら屋から引きずり出したことで目的はほとんど達成していると言って良い」

 そう言ってキースは再び、大型ディスプレイに向き直った。そしてキーボードを数回叩き、そこに一人の少女の画像を浮かび上がらせる。

 艶やかな黒髪。透き通るような白い肌。あどけなさは残るが、整った彫りの深い顔立ち。そして宝石のような碧眼。欧州系なのにところどころにアジアテイストが感じられてそのエキゾチックさが、美しさを際立たせている。

 キースは嫌らしく口元の両端をつり上げてその画像に見入った。老執事は低頭したまま。その様子を何の表情も変えずに見守っていた。

 



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