第七話 Dual structure
第七話 Dual structure
「こんアトラクションのいっちゃん奥に隠れようっちゃ」
外からの侵入に対して警戒がし辛いから屋内は止めよう、というショウタの提案は敢えなく却下された。
「ウチんテレパシーとショウタんテレポートがあれば、追い詰められても大丈夫っちゃ」
というエミの理屈に押し切られる格好になったのだ。エミは立て続けの二件の殺人に相当な恐怖を感じているようだ。ショウタもそれには同感だった。外敵から身を守るために暗く狭い屋内に隠れる――それは原始の時代からの人の行動原理の一つなのであろうか。
「さ、こっちっちゃ」
エミの引きずられる格好で、ショウタはそのアミューズメント施設の奥へと移動することになった。壁面にデザインされた窓からはいつも何者かが覗いているような気配を感じる。薄暗い通路は木製で、歩を進める度に不気味な音が二人を怯えさせる。そして時折聞こえてくる女の笑い声……
「このアトラクションはひょっとして……」
この段階になってようやくそのアミューズメント施設が何なのか、理解した。
ここは『スケアリー・ロッジ』だ。わずかばかりの怖さの中にユニークさをミックスさせた子ども向けのお化け屋敷である。だが、この誰かに狙われているかも知れない、という状況下ではその恐怖感は倍増する。あの隙間から見ているのはひょっとして、プレイヤーではないか。今、聞こえてきた物音は一体……。
「っちゆうか、閉園しても施設が動いとるんやね……」
エミが消え入りそうな声で言った。それはショウタも気が付いていたことだ。殺人ゲームに興を乗せる為の演出だろうか。
二人は見通しの悪い狭い通路をひたすら奥に向かって歩いて行く。ショウタもエミも一度はこの『スケアリー・ロッジ』を経験しているので、どこで何が脅かしてくるのかは理解している。あと数歩行くと、壁に掛けられている肖像画の目がぎょろりと動く。更にもう少し先まで進むと、突き当たりの袋小路に突っ立ている西洋風鎧が、がしゃがしゃと歩いてくる。あわててその手前を右に曲がると今度は天井から恐ろしい顔の男が覗き込んでくる。それらの予定調和を知りつつも、早鐘のような心臓の鼓動は治まることがない。
「このまま突き進んでも出口に出てしまう。どこかで待機しないと」
「……こん先の食堂で良かっちゃ?」
『スケアリー・ロッジ』はその名の通りロッジ風の作りになっている。設定としては、嵐の夜、道に迷った旅行者がたまたま一晩の宿を借りたロッジが幽霊屋敷だったというものだ。恐怖のメインイベント的なものは大広間にある食堂だ。そこの席に着席すると、テーブルやイスが動き回り、ローソクや食器は空を乱舞し、という一大イベントを体験出来る。ショウタはエミの提案に頷いた。いかに屋内といえども、ある程度は広いスペースがあったほうがいざという時対応がしやすいと考えたのだ。
「中に入ったら壁際に陣取ろう。そうすれば、もしもの時は、俺の能力で隣の部屋にジャンプで逃げることが出来る」
エミは神妙に頷いた。探索に有利なエミの能力であるが、逃走には全く役に立たない。ここはショウタに頼らざるを得ないのだ。いくつもの腕が壁から突きだしている廊下を抜け、突き当たりの扉を開けると、目の前には一人の男が居た。なかなかリアルなホログラフだった。男はワイシャツを来て、ネクタイを締め、いかにも日本のサラリーマンという人間を演出していた。
日本のサラリーマン? いや、待て。この西欧風の『スケアリー・ロッジ』に果たして日本風のサラリーマンなどという登場人物が入り込む余地があるのだろうか。
男は二人の方を振り向いた。そしてその顔は一瞬にして驚愕に歪む。
違う! この男はホログラフでも『スケアリー・ロッジ』の演出でもない!
ということは――
フリーズしかかっていたショウタとエミの思考能力は一気に活動を再開した。
――プレイヤーだ!
「うわああああああああああああああああああ!」
「うわああああああああああああああああああ!」
至近距離で鉢合わせしたショウタとエミとその男は同時に驚愕の声をあげた。互いに防御体勢を取ることも、能力を使うことも出来ずにただ悲鳴を上げることしか出来なかった。恐慌状態のショウタは気が付かなかったことだが、この時隣に居たエミは驚きのあまりぺったりと床に座り込んでしまっていた。若干、失禁をしてしまっていたのはもちろん誰にも公言することはなかったが。
視線をずらすと男の背後に一人の少女が隠れていることに気が付いた。首にスカーフを巻いており、三つ編みで眼鏡を掛けたその少女の瞳は恐怖で潤っている。その身体は小刻みに震えており、男のシャツをしっかり握りしめていた。それを確認した時点で、少し毒気を抜かれた自分に気が付く。このサラリーマン風の男と少女のペアからは攻撃性というか、殺意や悪意のようなものを感じなかったのだ。次第に落ち着きを取り戻しつつあったショウタは、次のエミの言葉で完全に我に返る。
「……ショウタ。こん人らは大丈夫。ウチらと同じく『逃げ』に徹しとるグループっちゃ」
エミの言うことに間違いはない。なぜならエミはテレパスだ。二人の心を読んだのだ。
「『逃げ』に徹する?」
サラリーマン風の男はエミの言葉を耳ざとく捉えていた。そしてしばらく値踏みをするかのようにショウタとエミを観察していたかと思うと、ゆっくりと口を開く。
「……ということは、あんたらも『逃げ』回っているグループか」
ショウタはこくりと頷く。その様子を見て、男は初めて警戒を解いたようだ。深くため息を吐き胸元のネクタイを緩める。
「どうやら君たちは信用できそうだな。どうだい? 良かったら今後のことについてそこで話でもしないか」
男はそう言って背後にある大テーブルを指差した。
四人は大広間にある大テーブルに座る。テーブルを挟んでこちら側にショウタとエミ。そして対面に男と少女といった具合に座った。辺りには食器やローソクがふわふわと漂うホログラフが乱舞して鬱陶しいことこの上ないが、緊張のせいか思ったほど気にはならない。腰を落ち着けると値踏みするような目つきでこちらを見つめていた男がまず口を開いた。
「僕の名前はアキミツと言う。こっちの娘は……レイ。この娘に関しては、それしか分からない。たぶんだけど、このゲームに放り込まれて、ショックのあまり失語症になってしまったんじゃないかなと思う。一言も喋らないんだ」
そう紹介された少女、レイはおどおどと上目遣いでショウタとエミを見つめるとすぐに視線をそらせた。その様子を見てショウタは胸を痛める。年端もいかない少女が、人を人とも思わないようなゲームに放り込まれたのだ、心を壊してしまうのは至極当然だろう。というより順応し始めている俺たちの方がおかしいのじゃないだろうか……。
「さて、こちらの自己紹介は終わったよ。君たちの名前を教えてくれないか?」
アキミツの言葉にはっと我に返ったショウタはあわてて口を開く。
「あ、お、俺の名前はショウタ。そしてこっちは」
「エミっちゃ」
すかさずショウタの言葉を引き継いでエミが自己紹介した。猫のような笑みでアキミツを見返す。その微笑みで残りの警戒心も消え失せたのか、見た目にも分かるようにアキミツは安堵する。
可愛い女の子は得だな。その様子を見てショウタはそんなことを思う。
「確認をさせて貰うよ。エミちゃんが指摘した通り僕らは今ひたすら逃げ回っている最中だ。で、キミらも同じく逃げ回っていると。そういうことだね?」
ショウタとエミはアキミツの言葉に頷く。
「ではここからが本題だ。ゲーム終了まで逃げ回る、という目的が一緒なら、行動を共にした方が良いと思うんだ。つまり互いに協力できないかということを提案したい。どうだろうか」
ショウタはエミと顔を見合わす。ショウタは良い提案だと思った。だが、アキミツとレイという二人の人間を理解していないし、信用もしていない。この人殺しのフィールドで、そうあっさり信用して協力体制を取っても良いものだろうか。
そう迷っていると傍らのエミがショウタの腕を小さく引っ張っていた。エミは意味ありげな視線をショウタに向ける。その仕草でぴんと来た。エミはアキミツたちの心を読んだのだ。
「……これは大事な決断になると思うので。もし良ければ、俺たちだけで相談したいのだけど良いですか」
ショウタはアキミツに対してそう持ちかけた。
「なるほど。作戦会議ってわけだね。いいよ僕らはあっちの隅にいる。君らは向こうの隅で相談するってのはどうだ?」
この大広間の対角線上の角をアキミツは指差した。それに異存はない。ショウタとエミは示し合わせてアキミツたちとは反対側の隅に向かう。隅に到着するやいなやエミが口を開いた。
「二人の心ば読んだけど……なんか変っちゃね」
「変って?」
「まず、あん女の子ん心はまるっきし読めんかったっちゃ。真っ白っちゅうか……たぶん、心ん壊れてしもったちゅうんは本当なんかもしれんけん」
その言葉にショウタはわずかながらに心を痛める。
「次にあんアキミツっちゅうやつやね。……こんがちょっと奇妙で心ん読めるときは読めるんだけど。時々透明になっとう時があっけんね。ううん、違うな。鏡んような感じって言えばよかかな? そうなるとまるっきし読めんちゃ。ひょっとするとアキミツが持っている能力になんか関係があるのかも知れんけん」
「読めるときはどんな感じ?」
「そうね。こんゲームに対する激しい怒りや恨みで渦巻いとる。最後まで逃げ回ろうと考えとるんは本当のようっちゃ」
「……そうか」
心が読めないときがあるというのは気になる。だが読んだ断片の中で、『逃げる』という意志は本当だったということが確認出来てその点は安堵した。ショウタは振り返ってアキミツを見た。目が合ったアキミツは満足そうに頷く。ショウタとエミ、そしてアキミツたちはお互いに歩み寄っていった。
「どうかな? 意見統一は出来たかな?」
こくり、とショウタは頷くそしてエミを振り返った。エミも続いて頷いた。
「ゲーム終了まであなたたちと不戦協定を結びたいと思う」
「良かった。きっとそう言ってくれると思ったよ。でも、それには一つ条件がある」
「え?」
向こうから持ちかけてきた共同戦線を了承したのに、それに対して条件を付けてくるなんて。
せっかく生まれた信用がぼろぼろと崩れ落ちて、それに比例するかのようにアキミツに対しての不信感がふくれあがってきた。
「キミらの能力を教えて貰いたい。教えてくれたら僕の能力も教える」
「……」
ショウタは否定も肯定も出来なかった。最悪、自分の能力は教えても構わないと思う。だが、エミの能力だけは教えたくない。ある意味、こちら側の切り札だ。エミは珍しく動揺した表情を見せ、ショウタとアキミツの間を細かく視線を往復させていた。ショウタは唇を噛みしめたままアキミツを凝視していた。アキミツは楽しそうな表情で眼鏡の奥からじっとこちらを見つめている……。
「……なんてね。ちょっと脅かしちゃったね。冗談だよ。別に能力のことは話さなくていいよ。こっちだってこの娘の能力が分からないんだからね」
アキミツはそう言って隣のレイの頭をがしがしとこすった。レイは迷惑そうな表情でアキミツを見上げた。
「じゃあ、改めて。これからゲーム終了まで仲良くやっていこう。よろしく」
アキミツはそう言ってテーブル越しに右手を差しだしてきた。ショウタは少し戸惑いながらもその右手を握り返す。エミも同様にした。互いの握手が終わるとアキミツは自分のイスに深く腰を下ろし、大きくため息を吐く。
「ようやく、一息吐いた気がするな。ここに至るまで緊張のし通しだったし。それはキミたちもそうだろう?」
ショウタ、そしてエミは頷いた。ショウタにとってはここに至っても落ち着いた気はしないが、それでも今まで緊張の連続であったのは間違いがない。
「変なことを言ったせいで警戒されちゃったみたいだね。仕方がない。信用して貰うために、僕の身の上話くらいは話そうか。僕はね。このゲームに自分から参加したんだ」
「自分から?」
思わず素っ頓狂な声でショウタは聞き返した。この人殺しのゲームに自分から志願? そんなバカな人間がいるのだろうか。
驚愕のあまり、あっけにとられた感のショウタを楽しそうに観察してから、アキミツはおもむろに口を開いた。
『アキミツ』
彼の父親は約一年前に不審死した。死因は交通事故による内臓器不全。だが、アキミツはその死因に疑問を抱いていた。そして数日後母親の口座に五千万円もの大金が振り込まれる。振込先は不明で訊いたこともない名前だった。いよいよ疑問が膨れあがったアキミツは、その振り込み主の名前を探偵に調査を依頼する。だが結局振り込み主が何者かは明らかにすることは出来なかった。死体で発見される前、父親は一週間ほど失踪していた。失踪する前に得体の知れない男と会っていたことだけはアキミツは記憶していた。父の遺品を調べていると一つだけ奇妙な名刺があることに気付く。そこには『押切幸之助』とだけ書いてあった。電話番号もなにもない。ただ名前だけの奇妙な名刺。それから数日後会社帰りのアキミツの目の前にとある男が現れた。顔が妙にねじ曲がった男。アキミツはその男の顔を覚えていた。父が失踪する前に会っていた男だ。彼はその異相とも思える顔をにやりと歪ませると、こう口を開いたのだ。
「お父さんが参加したゲームに出てみたくはないですか?」と。
「僕はこの腐ったゲームを主催しているのがどんなやつらかを調べたかった。だが、その痕跡はどこにもない。ネット上で単なる都市伝説的な紹介はいくつもあったが、僕が当たったところはどこも噂の域を出ないものだった。だからこのゲームに参加したんだ」
アキミツはそこまで一気に語ると、大きく息を吐いた。そしてショウタとエミに視線を走らせるとこんなことを訊いてくる。
「ところでキミたちはどうしてここを隠れ場所に選んだの?」
二人の表情を観察するようにアキミツは覗き込んでくる。ショウタとエミは顔を見合わせた。
「……いや、別に。手近で入れるアトラクションがここだったというだけで」
「ただの偶然だったというわけ? なんだ、そうかあ」
アキミツはつまらなそうに背伸びをする。
「キミら、さっきから自分のナビゲーターが何も喋らないのを不思議に思わないかい?」
「え?」
ショウタとエミはあわてて自分のスマホを見た。表示されているアバターは消えている。そして画面右上に表示されている『園外』の文字。アキミツは二人のその表情を確認してにやりと笑った。
「そう、ここの最奥部はこの『エンドレス・ワールド』の中でも有数の圏外スポットなんだ。 これでナビゲーターに邪魔されずゆっくりと喋れる」
そう言って身を乗り出してくる。
「ナビゲーターはキミらの声をしか聞いていないのに、ずいぶんと逐一行動を把握していると思わないかい? それはここに理由がある」
そう言って自分のワイシャツのボタンを指差した。
「これが隠しカメラだ。そしてマイクにもなっている。僕らがスランバーの卵を飲み込んで、眠らされている間にこれは取り付けられたらしい。キミらのボタンもたぶんそうだと思うよ。行動を把握するためにだいたい身体の前部にある装飾品のどこかにカメラはある」
ショウタはあわてて自分のシャツのボタンを調べた。確かに言われてみると第二ボタンが他のボタンと材質が異なるような気がする。だが、これがカメラ? 言われてもそうとは気が付かない。レンズに見えないような特殊加工がなされているのだろうか。
「……どうして、こんなに詳しいんですか?」
ショウタは感心半分、疑い半分でアキミツに聞き返した。アキミツは事も無げににその問いに答える。
「実は僕は一度前回行われたこのゲームのナビゲーターに接触することに成功したんだ」
ナビゲーターに接触? それにも驚いたことだが、ショウタがなによりも驚いたのは――
「前回?」
「お、そっちに食いついたか。そう、この『数学者の銀槌』の開催は今回が初めてではない。すでに僕が調べただけで七回行われているはずだ。そして日本だけではなく、世界各国でね。でも、たぶんキミたちはこのゲームの狂気を半分も理解していないと思う。キミたちはなぜ、このゲームには、ナビゲーターが存在すると考えている?」
「……実は俺もそこは引っかかったところでした。確かにナビゲーターの助言は助かるし、この殺伐としたゲームの中で心のよりどころにもなります。でも一番最初にルールを全提示すれば、不必要なものなんですよね。どうしてナビゲーターが存在するんだろうか」
「……なんショウタ、そげなこと考えとったと?」
エミにそう訊かれた。訊かれたところを見ると、その思考を巡らせているときはエミは思考を読まなかったらしい。考えれば、相当なカロリーを消費する能力をそう四六時中に使うわけにもいかないということだろう。
アキミツはショウタの言葉を訊き、深く頷いた。
「そこまで考えていたのなら、もう正解の一歩手前だ。そうだな、テレビゲームを思い出して欲しい。テレビゲームはシューティングゲームにしろロールプレイングゲームにしろ、人間の分身たるキャラクターや戦闘機が存在するだろ? そして人間がそれを操って、ゲームを進める。ここまでは分かるな?」
こくりと、首を縦に振る。
「この『数学者の銀槌』はそれと同じ事って事だ。どうだ、これで理解出来るかな」
テレビゲームは人間が画面の中のキャラクターを操る。この『数学者の銀槌』はそれと同じ。一体、どういうことだ? 俺たちプレイヤーは別に何も操っていな――
「あ!」
何かに気が付いたように素っ頓狂な声を上げたショウタにアキミツは面白そうに頷く。
「気が付いたようだね。そう、操られているのは僕ら、プレイヤーだ。このゲームに於いての本当の主役はナビゲーターってことさ。ナビゲーターは僕らプレイヤーを操って、誰が最もポイントを稼ぐかを競っているんだ。この『数学者の銀槌』は決してプレイヤー十人のバトルロイヤルなんかじゃない。本当はナビゲーター十人によるバトルロイヤルなんだ。俺たちは単なるコマに過ぎないってわけだ」
どす黒い何かが腹の奥底に膨れあがるのを感じた。そしてそれは徐々にせり上がってきて、身体中に浸食を始める。『怒り』と言う名のそれは、ショウタに無尽蔵のエネルギーを提供し始めた。だがそのはけ口がない。ショウタの身体は自分の中から生まれたそのネガティブなエネルギーによってちりちりと焼かれるような思いをした。
「僕たちは生か死かの境目を漂っているって言うのに、ナビゲーターは安全な場所でくつろぎながら指示を出していればいいってわけだ。テレビゲームみたいに自分の意志がダイレクトに伝わらない辺りが、面白くて好評らしい。ちなみにナビゲーターはセレブ中のセレブしか参加出来ない。富豪であり、なおかつこの『数学者の銀槌』の運営側に認められないと参加出来ないらしい。だからこのゲームにナビゲーターとして参加出来ることは、セレブの中でもステータスになるらしいよ。どうだい、だいぶムカついてきたろう?」
ムカついてきたどころの話ではない。ということはさっきまで自分に指示を出していたゼツボウもセレブ、ということだろうか。彼女も自分に指示を出しながら楽しんでいるのだろうか。瀟洒な部屋の一室で酒でも飲みながら、片手間に自分に指示や助言を行っていたのだろうか。
確かに思い当たるところがある。ゼツボウはショウタに積極的に殺し合うことを推奨していた。それはつまり、自分のポイントが欲しい為だ。
そう考えたとたんにゼツボウに対する不信感が急激に高まった。だが、電波状況が『圏外』のおかげで、現在ゼツボウと連絡を取り合うことはできない。怒りのはけ口をどうしようも出来ないままアキミツとの会話を続ける。
「この通り『数学者の銀槌』のゲーム内容についてある程度知ってしまっていたり、ナビゲーターの意味を知ってしまっている為、僕は僕自身のナビゲーターと相当仲が悪い。ナビゲーターからすると難易度Aクラスのプレイヤーと言い換えることが出来るのかも知れない」
自嘲気味にアキミツはそう肩を竦めるとふと隣に座っているレイを見た。レイはショウタとエミに慣れてきたのか、怯える様子を見せることはなくなったが、依然としてアキミツの腕にしがみついたまま、こちらの様子を警戒するように見つめている。
「彼女、レイはスマホを手に持ったまま、ぼうっと歩いているのを見つけたんだ。だから、僕が連れて歩いている。あのままじゃ、好戦的なプレイヤーの餌食になってしまうだけだからね」
そう言って傍らのレイの頭を慈しむように撫でた。レイはアキミツには心を許しているのか、目を細くしてされるがままにしている。と、その時だ。そのレイが急に目を見開いて、背筋をぴんと伸ばした。そして急に辺りをきょろきょろと見回したと思うと、困惑の表情を浮かべ、「うううう」とうなり始めたのだ。
「どうした、レイ?」
アキミツは真剣なまなざしでレイを覗き込んだ。ショウタも一瞬にして緊張した。レイの突然のこの変容は一体何なのか。アキミツの様子を見る限り、どうやら今まではこんな様子を見せたことがなかったようだ。
「レイ! 何かあったのか?」
アキミツはレイの肩を掴んで前後に小さく揺らした。だがレイは更に「うううううう」とうなり声を激しくしただけで、険しい表情を決して緩めない。
ひょっとしてレイの能力に何か関係があるのか? それともなにか危機が俺たちに迫っているのか?
そう考えてレイに問いかけようと身を乗り出すと、
「ちょっ、あんたら大概にしときぃ! ともかくあんたはそん手ば離せんね! レイが立ち上がれんっちゃ!」
「え?」
エミのその突然の指摘にアキミツは目を丸くした。思わずレイを掴んでいた手の力を緩めると、レイはすりぬけるようにアキミツの傍らから脱し、エミの元へ走る。
「え、どういうこと?」
今まで自分にしか懐いていなかったレイがエミの元へ走ったことで少なからずショックを受けるアキミツ。
「本当、男って気遣いの出来んのね!」
そう憤るエミにショウタとアキミツは困惑気味だ。レイを促し、部屋の外に出ようとするエミにショウタは驚いた。
「おい、エミ! どうしたんだよ! 二人だけで外に出たら危ないぞ!」
「せっからしか!」
そんな捨て台詞を吐いてエミは後ろ手で扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
「くっ!」
ショウタは引き留めようとあわてて後を追おうと立ち上がる。その腕を寸前で掴む人間がいた。アキミツだ。アキミツは首を小さく横に振った。
「ショウタ。大丈夫。理由が僕にも分かったよ。問題ない。彼女らはすぐに戻ってくるよ」
「だって……」
ショウタはエミたちが去った扉を顧みる。せっかく四人で共同戦線を約したばかりだというのに、ここで二手に分かれてしまうというのは合理的でない。ショウタがそのようなことをアキミツに言おうとすると、アキミツは間髪入れずに口を開いた。
「ただの生理現象だよ」
「え?」
ショウタは全く予想外の言葉が返ってきたこともあり、間抜けな声を漏らしてしまう。
「……どういうことですか」
「小便さ」
「なんだ……」
それを訊いて一気に肩の力が抜けるのを感じた。と同時に疲れがどっと押し寄せる。いらぬ心配をしてしまった。ショウタは大きく息を吐いた。
「ところで、さ」
一息吐いたところでアキミツが唐突に口を開く。胡乱な表情でショウタはアキミツを見た。
「あのエミって娘には気をつけた方が良いよ」
「え?」
改めてアキミツの顔をしげしげと観察する。その余裕を持った笑みには薄気味悪さを感じる。
ショウタ自身、それほどエミを信用しているわけではない。だが、現在利害関係が一致しているのでさほど警戒する必要もないし、約半日、行動を共にして、そのキャラクターにある程度愛着も湧いてきている。それをさっき会ったばかりの人間にそんな評価をされるのは心外だった。
「あれ? 今日会ったばかりの人間をずいぶんと信用しているんだね。しかもこんな殺し合いのゲーム中だっていうのに」
……何を言っているんだ。このアキミツという男は。そうか。俺の表情から判断したのか?
「違うよ。僕はキミの心の中を読んだんだよ」
「!」
イスを蹴飛ばしてあわててショウタは立ち上がった。そんなショウタの姿をアキミツは面白そうに観察している。
「ここで能力をばらしてしまうのもどうか、と思ったけど、キミの心の中を読んだ限りでは、この先逃げ回るというのは嘘ではないようだし、信用しても良いかと思ったんだ」
この人もテレパス? 警戒するあまり身体中に緊張が走ったが、冷静になってみれば、警戒したところで、状況が好転するわけもない。ここはエミと接していたときと同じような態度を取ることしかないと気が付き、再びイスに腰を下ろした。
「さすが、理解が早いね。これはやっぱり同じテレパスのあの子と一緒にいたからかな?」
「……」
返事する気にもなれず押し黙っている。だが、どちらにしろ相手には心を読まれるのだ。 「あの子には僕の能力はバレなかったみたいだね。たぶん、あの子の心を読んでいる僕の心をあの子が読んだから、なんだか分からなかったのかも知れないね。僕自身もしばらく理解不能だった。まるで合わせ鏡みたいだった」
そう言えばエミが言っていた。ガラスか鏡のようだ、と。それはこのことだったのか。でも、それなら、どうしてアキミツはエミがテレパスだと推理出来たのだろう。
「それは、キミの存在だよ。キミの心を読んで、あの子が僕と同じタイプの能力だと分かったっていうわけだ。逆にあの子は僕の能力を理解出来なかったみたいだね。そりゃそうだ。レイの心は真っ白で読めるわけないから」
「……そうか。エミはレイの心を読めなかったから、あなたがテレパスだということを推理出来なかったのか」
「そういうこと。で、彼女らが戻ってくる前に手早く説明するよ。あの子、エミは最終的にキミを裏切ろうとしている。彼女はどうやら多額の金を横領して使い込んでしまったらしい。その金額が約一億円。だから彼女は自分のノルマを五人と決めているらしい。キミと一緒に行動しているのはある意味、保険だ。二ポイントゲットしているきみの存在は、イコール二千万円だからね。今回僕らと合流したことで計四千万円、あと一千万円だ、という計算も頭の片隅でしていた。彼女はゲーム終了まで逃げ切る気はないよ。終了直前で裏切るつもりでいるらしい。気をつけな」
「……」
エミに対して湧いてきていた情が、次第に疑いの念に変わってくるのを感じた。頭のどこかでは、アキミツの策略ではないか、という考えも浮かんでいた。だが、実際問題、自分とエミを仲間割れさせてまで得られるものがアキミツにはない。
「その通りだね。キミが理性的なので助かるよ。僕はキミを罠にハメようとか思っていないよ。心が壊れているレイ。父親の死んだ理由を探していて参加した僕。そしてゲーム最後まで逃げ回ろうとしているキミ。その中において本気でポイントを獲りに来ようとしている彼女に存在は明らかに浮いている。この中では異分子だ。そういうわけでキミにも知って貰いたいと思って話したわけだ」
ホログラフの生首がアキミツとショウタの間の空間を横切る。それに対し鬱陶しそうに眉をひそめるアキミツは言葉を続けた。
「というわけでゲーム終盤はエミの動きに二人で気をつけよう。おっとまだ僕にも疑いがあるね。それならそれで構わない。ただエミにだけは油断しないようにして欲しい」
心が読まれた通りだが、それはそれで良いと思った。このアキミツも百パーセント信用しきれない。それならアキミツを疑いつつエミにも警戒する。そういうスタンスで行こうと考えたのだ。
二人の周囲をホログラフの食器が飛び回る。ふとショウタはエミとレイが遅いな、と思い振り返った。
「そうだね。いくらトイレと言ってもそれほど遠いところにはないのだし。……まさか誰かから攻撃を受けているのか?」
「……まさか」
二人の安否が心配になり、勢いよく立ち上がったその時、ショウタは室内を徘徊していた中世風の鎧騎士のホログラフがアキミツの背後にぴたりと立ち止まったことに気が付いた。そしてそいつは手に持っていた禍々しい斧を大きく振りかぶる。
ホログラフによる演出だとは思ったが、今までのホログラフとは格段の異質さを感じた。そう、通常のホログラフは同一の映像が同じコースを行ったり来たりするだけなのだ。それが今回のこの西洋鎧騎士のホログラフは違った。異なる軌道、異なる動き、異なる映像でこのアキミツの背後に回ったのだ。
ぞくり、とショウタの背筋が泡立ったように感じられた。ショウタの表情の変化で気が付いたのか、ショウタの心を読んだのか、アキミツは怪訝な表情で、ゆっくりと自分の背後を振り返る。
「誰だ、お前は!」
アキミツはそう言おうとしたのだと思う。だが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。思い切り振り下ろされた斧はアキミツの頭蓋を叩き割り、脳漿を飛び散らせ、口蓋まで抉った。