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最終話 Judgment

最終話 Judgment


『第八回、数学者の銀槌イン・ジャパンの優勝者は八ポイント獲得のケイティ・マイスネン嬢に決定致しました!』

 壇上の老人が激しく銀色のハンマーを打ち下ろした。その甲高い音は激しい歓声により打ち消される。その銀色のハンマーを打ち下ろした老人こそ、このデスゲームを考案した数学者ジョゼフ・マックスウェルだ。彼はスランバーの基礎理論を生物学者のグスタブス・ヴォイニッチと共に考案し、そしてそれを金儲けのためのゲームに組み込むことを提案した。スランバーはこのほかにも現在軍事用として調整が進められており、『数学者の銀槌』はその実験場だとも言われている。

 老人、マックスウェルが補助の手を借りて、よぼよぼと壇上から退出すると、それは盛大なセレモニーの開始の合図だった。

 その派手なセレモニーをキースは画面を通して見ていた。

 各競技者に金を掛けている、いわゆる外ウマを行っている人間向けのセレモニーだ。そこには会場に招待され、大騒ぎしている客の姿が映し出されている。彼らの興味は自分の賭けが当たっていたかそうでないかのそれだけに過ぎない。

 くだらんことだ。

 キースは嘆息して、ヘッドホンを放り投げた。その後ろで深々と老執事が頭を下げる。

「お疲れ様でした」

 老執事は、そっとハーブティーを差しだした。そのハーブは眼精疲労に効くタイプのもの。キースは何も言わず、それを受け取り、一口啜る。老執事はその様子を見守りながら、小さく口を開いた。

「キース様、お嬢様との契約はいかが致しますか」

「ふん」

 キースはつまらなさそうに鼻で笑うとこう言う。

「とりあえず、契約通りにするさ。ここで約束を違えると『数学者の銀槌』で公言した手前、信用がなくなる。とりあえず、代表から退かせて貰う」

 そしてにやりと笑った。

「その後、ケイティの失策を一つでも見つけたら、彼女を追い落とし、そしてその後はまた私がトップに返り咲くさ。なにしろ重役たちはすべて私の息の掛かったものたちだ。結局は同じことさ」

 こともなげにそう呟くキースを冷ややかな表情で見つめながら老執事は口を開く。

「そういうことにはなりませぬ」

 キースは耳を疑った。

 なに? 今、こいつはなんと言ったのだ? 「そうはなりませぬ」だと? なぜこの俺にそんな反抗的な態度を?

 怪訝な表情で老執事を見返す。老執事は背筋をしっかりと伸ばし、平然とキースの視線を受け止めている。そしてキースが何かを言おうと口を開きかけた時、老執事の背後にある扉がゆっくりと開いた。

「それは我々が許しませぬ」

 何人かの男が室内に侵入してきた。その顔は見知っている。古くからの重臣たちだ。キースが追い落とした男たち。プライベートルームにいきなり侵入して来たその無礼にも腹が立ったが、その男たちの言うことにも腹が立った。

「はっ。なんだ、お前たちは。何の許しを請うというのだ。何の力も持たないお前たちに。下らん茶番は止してさっさと帰ることだ」

 そう。実際、彼らが許そうと許さまいと、キースのすることを止められることはないのだ。彼らはすでにマイスネン財閥の人間ではない。何の決定権もコネも持たざる者たちなのだ。

「さっさと連れ出せ」

 キースは鼻で笑った後、老執事にそう命じた。だが老執事は元重臣たちとともに無言でキースを見つめている。

 なんだ、これは一体なにが起こっているのだ。目の前にいる人間どもが騒いだところで、何も状況は変わることがない。どうしてこいつらはそれが分からないのだ。頭が悪い人間といると難儀をする。

 そう思ってセキュリティサービスを呼び出そうと電話を手に取ったところで、扉が再び開いた。

「我々も許しませぬ」

 入ってきた面々を見てキースは驚いた。思わず電話を取り落としてしまう。そこに現れた男たちは現在の執行委員、重役たちだ。キースの信用する男たちでもある。初めてキースの表情に余裕がなくなった。

 現重役の代表である副社長が一歩前に出た。そしておごそかにその口を開く。

「我々現役員、全会一致で社長の罷免を宣告致します」

 キースは大きく目を剥く。頭の中がこの状況に対応しようとフル回転する。何がこの状況を引き起こしたのか、原因を探る。だがキースにはそれが分からなかった。

「な、何を言っているのだお前たちは。この会社を最も上手く運営出来る能力があるのは私なんだ。私ならこの会社をもっと良くすることが出来る。もっと上手く活用することが出来るんだ。お前たちは何を言っているのだ」

 キースは理解出来なかった。なぜこいつらはこんな簡単なことも分からないのか。こんな道理も理解出来ないようなやつらは会社には必要がない。即解任だ。粛正だ。

「それは私どももそう思うところであります」

 老執事は深々と頭を下げて言う。

「確かにあなたは状況を捉えることが上手く、機を見るに敏であり、物事に柔軟に対応でき、部下にも適切な指示を出せる。恐らく最高のトップでありましょう」

「そ、それなら何を……」

「ただ、あなたは一つだけしてはいけないことをしてしまった」

  そしてゆっくりと身体を起こすと人差し指を一本身体の前で立てる。

「お嬢様に危害を加えようとしたことです」

 キースは絶句する。そして口をぱくぱくと開け閉めするだけで何も言葉を挟むことが出来ない。 

「お嬢様がまだ未成年ということで実際に会社に携わらせないことも分かります。そのまま会社から引き離してしまおうとすることも分かります。未成年のお嬢様があなたと同じ事を出来るとも思っておりません」

「なら、なぜ……」

「私たちが許せないのは、お嬢様に危害を加えようとしたこと、その一点です。その他のことなら見逃せましょう。だが、これだけはいけない。それだけは許せない。これがマイスネン家に携わる全ての人間の総意でございます」

 そう言って老執事は深々と頭を下げた。そしてその後ろからまた何者かが部屋に入ってきた。彼らは身分証を高々と掲げて不遜に室内に侵入してくる。

 彼らは、まさか……

「あなた様が地下室で行ってきたことの証拠、出過ぎた真似かと存じますが、警察にリークさせて頂きました。地下室に残っておりました血痕、拷問具の数々、そしてパソコンに保存されている画像などを合わせて警察へ送らせて頂きました。いずれ行方不明の少女たちとの関わり合いなどが判明するかと思われます」

「き、貴様……」

 キースの顔面が驚愕に歪む。

「今までありがとうございました、キース様」

 全員が頭を下げる。ドイツ警察は重役たちの間をすり抜けてキースの前に立ちふさがった。なにやらいろいろと罪状を読み上げているが、キースの頭には何一つ入っては来なかった。

 これは一体、どういう状況だ。どんな悪夢なのか。一体、俺が何をしたというのか。マイスネン家に最大の貢献をしているのは俺だぞ。その俺が――

 警察は銀色で硬質の輪をキースの両腕に掛ける。

 ――なぜ、手錠を填められなければいけない!

「貴様ら正気か! あのガキに会社のトップがつとまるのか! 結局、お前らが俺の代わりをするだけじゃないのか! このままだとマイスネン家はおしまいだぞ!」

 キースはまくしたてた。いつもの冷徹な表情は影を潜めた。目をむき出しにし真っ赤に充血させ。口角に泡を飛ばしていた。こんな表情も出来たのか、と老執事は妙な感慨を抱きながらキースを見つめ返す。

「お嬢様は今回の『数学者の銀槌』に於いて、それは見事にナビゲーターを勤め上げました。そして最後などは自らの身体を張ってまで」

 その言葉を背後にいる重役たちが引き継ぐ。

「先陣を切ってしまう大将は、戦時に於いては困りものですが――」

「――それでも配下のものたちから見るとそんな姿には奮起してしまうものなのですよ」

 口々に語る重役たちの間をキースは連行されて行く。扉の前に立ったとき、キースは髪を振り乱しながら叫んだ。

「バカなのか、お前らは! あんな異民族の血が混入している娘などに会社を、マイスネン家を譲り渡せるわけが――」

「ありがとうございました、キース様」

 キースの言葉は最後まで語られることは無かった。扉がばたんと閉じられ、その姿は見えなくなった。


 コウジがショウタの姿を学校で確認したのは三日前だった。その姿を確認したときには思わず校舎の陰に隠れてしまった。バカな、と思った。殺人ゲームから生還した、というのか。コウジはショウタとは違うクラスだったので、気をつければ顔を合わせずに学園生活を送ることは出来る。だが、それも限界というものがある。

 コウジは押切から『数学者の銀槌』の話を持ちかけられた時、とあるアイデアが浮かんだのだ。大金を得られるが、その代わり命を賭けなければならないゲーム。それにショウタだけを送り込んでしまえば――

 コウジはユメのことが好きだった。自分の物にしたいと思っていた。ユメが死ぬ前に一度でも良いからその心と身体を自分の物にしたいと思っていた。だが、ユメの心は絶えずショウタの方だけを向いており、コウジの入り込む余地は一切無かった。はっきり言ってショウタはコウジにとって邪魔者だったのだ。そしてそれを排除する機会が現れた。コウジは押切に、自分もゲームに参加を決意したとショウタに言うように言い含めたのだ。そうすればショウタは必ずゲームに参加する、と。押切はそれを訊くと嬉しそうににっこりと笑ったのだ。一応、コウジの名誉のために付け加えておくが、初めはコウジもゲームに命を賭けて参加するつもりだった。だが、ショウタを排除できるというアイデアが頭に浮かんでからは、参加の意思は全くなくなってしまった。

 唯一の誤算はユメも『数学者の銀槌』に参加してしまったことだ。そのユメもどうやら無事生還出来たらしい。二人で生還したのなら、治療費は充分に獲得出来たであろうし、ゲームの最中に互いの親密さが増したのは間違いがないだろう。そう考えるとコウジは歯がみをする思いだった。

 それはそうと、ショウタやユメにどう言い訳するか。それが今後の学園生活を送る上に於いて、そしてユメをショウタから奪うに於いてもまず大事なことだった。

 いろいろ考えてみたが、一番無難なのは、直前で臆病風に吹かれた、という設定だ。コウジの株は落ちることになるだろうが、ショウタを裏切った、罠に嵌めたということがバレなければそれで良い。

 本当は参加するつもりでいたんだ。でも、直前でビビっちまったんだ。すまん。情けないヤツでごめんよ! ショウタ!

 ……これしかないだろう。

 放課後の帰宅途中、コウジはようやく自分の心の中が整理が付いたことに満足していた。明日、朝一番にショウタに会って謝ろう。そしてその放課後ユメにも逢いに行こう。

 そう考え、一人でほくそ笑んだその時、自分の目の前に何者かが突っ立って居ることに気が付いた。

 一人は長身の老外国人だ。豊かな白髪をたくわえており、とても老人には見えないようにぴんと背筋を張っている。身に纏っているのは執事服。そんなものは映画やドラマの中でしか見たことはなかった。その隣にたたずんでいるのは長い黒髪と碧眼が印象的な小柄な少女だった。思わず息を呑むような美少女だった。端整な顔立ちと西欧とアジアのミクスチャーはその美しさに思わぬ相乗効果を与えていた。少女は瀟洒でピンク色のごてごてとした日傘を楽しそうにくるくると回していた。

 とりあえず、二人は自分の知り合いではない。だが二人とも自分に用があるのか、こちらの目をじっと見つめている。コウジは激しいデジャヴに襲われた。

 そう言えば押切と出会った時もこんな感じだったな、と。

 すると不意に少女がその可愛らしい唇をゆっくりと開くのに気が付いた。

「『数学者の銀槌(マツクスウェルズシルバーハンマー)』には参加の方法が三通りあります。一つは『勧誘』です。これは直接対象者に話を持ちかけるので自由意志が入り込むチャンスがあるといえます。持ちかけられた人間は話を断っても問題はありません。最も民主主義的な方法ですね。もう一つは自ら参加を希望する『立候補』です。たまに頭のおかしいこんなバカがいます。そしてもう一つは――」

 老執事が指を折りながら、その傍らでゆっくりとカウントしていく。

「な、なんだよ。一体何の話をしている……」

 『数学者の銀槌』? ゲームの関係者か? だけどゲームはもう終わったし、自分は不参加だったから関係ないはずだ。ならこの二人は一体? 

 コウジは怒りと怖れの二つの感情に心を支配されながら、少女の顔を覗き込む。少女の瞳は生物が一切棲むことが出来ないという、地球のどこかにあるエメラルドグリーンの湖のごとく碧かった。

「――『強制』です。これには意志の入り込む余地もなにもありません。理不尽です。不可解です。無慈悲です。でもですね。人生って得てしてそういうもんじゃありません?」

 その言葉が終わるやいなや、コウジは突然、老執事に何かの液体が入ったスプレーを噴霧された。防御態勢を取ることも出来なかった。その霧を吸い込んだとたん急激に意識が薄れていくのを感じた。少女はそんなコウジを見つめながらにっこりと微笑む。

 天使の微笑ってこういうことを言うんだろうな。

 コウジは薄れゆく意識の中、そんなことは思っていた。


 黒い乗用車にコウジが押し込まれるのを見ながら老執事は傍らのケイティにぼそりと呟く。

「これでよろしかったのですか? お嬢様」

 ケイティはその言葉に、湧き上がる不快感を抑え込むように力強く頷いた。

「いいの。運営側にも貸しを一つ与えられるでしょ? 内部に入り込むコネを作るきっかけになるかも知れない」

「かしこまりました」

 そう言って老執事は深々と頭を下げる。

 結局、ショウタは『数学者の銀槌』の組織を潰すこと以外には何の要求もしなかった。それがケイティには歯がゆかった。

 もっと、いろいろわがままを言って欲しかったのに……。

 ケイティはわずかに胸を痛めながら、橙色の景色に侵略され始めた夕暮れの町並みを見つめる。

 これは私からのサービスよ、ショウタ。

 誰にも見つかることなく、黒塗りの車は音もなく、どこかへと発進した。



 Restart

 コウジは、はっと目を覚ました。そこは見知らぬ部屋だった。

  薄暗くて窓すらない無味乾燥な部屋だった。部屋に存在するのは、自分と自分が座っているソファとそして目の前にある大型のディスプレイのみ。画面の中ではスーツ姿の美女がスチールのイスに座って足を組んでいた。女性は口元に笑みを湛えてこちらをじっと覗き込んでいる。

 ディスプレイの上には小型カメラが設置してあって、こちらを向いている。女性はそれでこちらの様子を確認しているらしい。

 やがて女性は挑発するかのように大きく足を組み替えると、ゆっくりとその扇情的な唇を開いた。


「それではルールを説明します」



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