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第十四話 Conclusion

第十四話 Conclusion

 華やかなファンファーレが響き渡った。園内に点在する全てのスピーカーから『エンドレス・ワールド』開園を示す演奏が流れ始める。それと同時にエントランスのゲートが開き、客がどっと押し寄せる。昨日まで安心感を抱いていたその人混みが今日は恐怖を感じる。その人混みに紛れて、いつレイが接近してくるのかが分からない。接近されたらその場でジ・エンドだ。接近戦は何らかの訓練を積んでいるレイの独壇場であろうし、おまけに能力が無効化される。

 それに昨日、一般人がいるのにも関わらず、昼間に殺人鬼に攻撃を受けたことが記憶に残っているのも人ごみに恐怖感を抱く理由だ。だが、わざわざこのエントランス付近に来た理由は食糧補給のためだ。

 エントランス付近には開園と同時に開く土産物屋がある。結局一晩中起きていたことと、レイに補足されないようにマメにジャンプを繰り返していたせいで酷くエネルギーを消費していた。そもそも昨晩は死から復活した後、栄養ドリンクしか飲んでいない。かといってこの時間帯レストランは開いていない。まともな食事を望むことは出来ないが、土産で販売している菓子で急場を乗り切ろうと考えたのだ。

 この辺りの心理はレイに簡単に予想されているような気がして、気が気でない。だが、互いにメンツが割れているプレイヤー同士だ。こちらだって周囲に最大限警戒を払っているわけであり、接近すれば気が付かないわけがない。

 ショウタとユメは店員がびっくりするほどの菓子をレジに持って行き、そしてエントランス付近のベンチでそれを片っ端から平らげた。味わう余裕などない。ただ単に栄養補給だ。正直、辺りに目を配りながらの食事など食った気などしない。

 だが、その苦しみもあと一時間を切っている。あと一時間逃げ切れば、勝ちだ。なんなら一時間ひたすらショートジャンプを繰り返していても良い。ゲーム終了後貧血でぶっ倒れても良いのだ。ゲームが終われば殺されることはない。

 落ち着かない食事が終わり、ショウタたち二人はベンチから立ち上がった。もう相当数の来場者が園内にあふれ出しており、人口密集率は上がっている。ユメと二人で周囲に注意を払っていたが、それでも予測をしない方から人がぶつかってきたりして、度肝を抜かれる。もし今のぶつかってきた人間がレイだったら、と考えると生きた心地がしない。

『前みたいに背後が壁の所に移動した方が良いんじゃない?』

 ケイティのその提案に一も二もなく頷く。頭の中で園内マップを広げる。この場所からの近くだと『ドラゴニア・クリムゾン』が一番直近だ。『ドラゴニア・クリムゾン』はファンタジー映画『ドラゴニア物語』に出てくる宮殿をモチーフにした建物だ。この宮殿はコンクリートで出来ており、不思議な曲線でその外壁にでこぼこを現出させている。ショウタはそのくぼみに落ち着こうかと考えたのだ。

 ここからだと歩いて一分もかからない。そう考え、ユメの手を引いて歩き出そうとしたその時、巨大な物体が二人の前に立ちはだかった。思わず立ち止まり、緊張した面持ちで見上げるとそれは『ダムダム・ベア』だ。

 『エンドレス・ワールド』内の人気キャラクターの一つで真っ黒い毛皮と驚いたように目を丸くしている表情が愛くるしく女性に圧倒的な人気を誇っている。その着ぐるみがショウタたちの前に現れ、愛嬌を振りまいている。

「うわぁ。ダムベエだぁ」

 ユメが感嘆の声を漏らす。そう、『ダムダム・ベア』は若い女性の間では親しみを持って『ダムベエ』の愛称で呼ばれているのだ。

「ダムベエぇー」

 ユメはそう言ってふさふさのダムベエに抱きつく。

 ダムベエとか言ったって、中はどうせ男かなんかだろ? と身も蓋もないことを心の中で毒づいていたショウタだったが、その時、はっとあることに気が付いた。

 もしこの中がレイだったらどうするんだ?

 目の前で可愛らしいポーズを取りながらユメの頭を撫でているダムベエ。この中の人間がレイである可能性がない、とは言い切れない。

「ユメ。離れろ!」

「え?」

 もふもふの毛皮に顔を埋めていたユメが不満げな表情でショウタの顔を見返す。と、次の瞬間、大柄な身体で完全にショウタの視界を塞いでいたダムベエの後方から一人の少女が姿を現した。違う、少女ではない。その三つ編みと眼鏡は知っている。レイだ。

 瞬間、ショウタは跳ぶことを念じたが当然のごとく能力は封じられていた。

「ユメ!」

 ショウタはユメを突き飛ばして、自分は後方に跳んだ。能力ではなく自分の足で、だ。レイが持っていたナイフはショウタの寸前で空を切る。次の瞬間、レイはすぐにナイフを懐にしまうので周りの人間はレイがナイフを振ったことすら気が付いていない。ただ、ユメとショウタという二人の男女が尻餅をついたという現象のみを把握しているだけだ。

「くそ!」

 あわてて立ち上がり、レイから距離を取ろうとしたが、すかさずレイは懐に飛び込んできた。その踏み込み、間違いないく素人技ではなかった。直近でレイを迎え入れてしまいショウタは総毛だった。レイは周りの人間から見咎められないように腰の辺りにナイフを溜めていた。

 あわてて身をよじってその攻撃を躱そうとするが、直感でその攻撃は逃げ切れないことは予感していた。まるでスローモーションのようにレイのナイフが自分の腹に突き刺さろうとしているのが、見て取れた。だが、その時だ。巨大で真っ黒な物体がレイの横から飛び込んできた。

「ぐっ!」

 全くの無警戒だったレイはうめき声を上げて物の見事に吹っ飛ばされ、地面に転がった。地面に転がされながらもナイフは他の人間に見られないように隠したのはさすがだと言える。急転直下の状況が立て続けに起こり、いまいち状況が掴めなかったショウタだったが、この機会を逃すほどバカではない。

「ユメ!」

 すかさず呆然として転がっているユメの元に駆け寄ると、念じた。一般人に能力を使うところを見られてしまうが、それどころではない。飛び去る寸前、一瞬で周囲を見回したショウタはその時になってようやく状況を理解した。

 レイを突き飛ばした格好で寝転がっているダムベエの着ぐるみ。そしてそのダムベエの後ろにはすばやく立ち去ろうとしている金髪の少女の後ろ姿――

 彼女に礼を言いたかったが、今のショウタはそれどころではない。短距離ジャンプを繰り返しているというのに、レイが猛然とダッシュをしかけて追尾してきているのだ。道行く人々はショウタたちを驚きの目で見送る。彼らは果たして自分たちをどう思って見ているのだろうか。何か最先端の演出の一部だと思って見ているのだろうか。時折、角度を変えてジャンプして、レイを振り切ろうとするのだが、レイはその都度確実に軌道修正をして追って来る。ショウタの背中がじっとりと汗でにじむ。残り時間はもう四十分もない。レイも本気で捉えに来ている。

 しかし恐るべきはレイの持久力だ。ひたすら走り続けているというのに、全く苦しそうな表情を見せない。逆に連続ジャンプを繰り返しているショウタの方が先に音を上げてしまいそうだった。ついさっきあれほど燃料を詰め込んだというのに、すでにガス欠の感がある。目の前が真っ白になり、時々意識を失いそうになる。時折方向感覚を失いかける。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。立ち止まったらそこで即アウトだ。レイの無効化能力により、ショウタの能力は封じられてしまい、ユメともども命を奪われることだろう。ショウタは歯を食いしばってジャンプを繰り返す。すでにこの広大な『エンドレス・ワールド』をすでに半周している。そしてショウタはとあるアトラクションが目前に見えてきたのを知った。

 それは『ハイスピード・サムライ』。国内最凶にして最大高低差を誇るジェットコースターで、昨晩ユメと乗ったアトラクション。猛スピードで滑走するコースターと絶え間ない絶叫がショウタの耳にも聞こえてくる。それを見てショウタはふと脳裏にとあるアイデアが閃くのを感じた。

「ユメ! あれに乗るぞ! 考えがある!」

「え? どうして? どうやって? やったぁ!」

 こんな状況下だというのに素直に喜ぶユメを余所に、ショウタは一直線に『ハイスピード・サムライ』に向かってジャンプを繰り返す。レイもその目的地に気が付いたのか、訝しげな表情でショウタとそのアトラクションとに交互に視線を往復させる。

『ショウタ! どこに行くの! ジェットコースターなんて危険なだけよ!』

「大丈夫! 俺に一つ考えがある! もし図に当たればレイを倒せるかも知れない!」

『え!?』

 ショウタたちは順番待ちの行列を一瞬で追い抜いて、ファーストパスの列をも飛び越え、今まさに出発しようとしているコースターに飛び乗った。出発しようとしているということは、つまり席は全て埋まっている状況なので、コースターの上に立っている状況だ。

「え? いや、ちょ、ショウタぁ!」

 いくら絶叫系アトラクションが好きだと言ってもさすがにこれは論外なのだろう。ユメは顔面を蒼白にさせてショウタにしがみついた。ショウタは最後列に座っているカップルの背中に触った。とたん彼らの姿は消えて地表に不時着する。続けて、ショウタは駆け足でコースターの上を最前列に向かって走り抜け、驚きの表情で呆然としている乗客に次々と触れていき、全員、地上に着地させた。変わってショウタとユメは最前列に座り込む。席に座り込み、ガードバーを下ろし、ほっと安堵の息を漏らすユメ。だがショウタは息を吐くことなく、背後を振り返る。そこにはプラットホーム脱出ぎりぎりにコースターに飛び乗ったレイがいた。レイはコースタの上に身を屈めて立っている。三つ編みが激しく風になびいていた。

 コースターは一度急角度で曲がった後、ゆっくりとその高度を上げていく。レイは振り落とされないようにコースターの上にしがみついた。着席せずにコースターの上にしがみついているだけの状況では相当に不安定だ。普通の人間なら激しい恐怖を感じて身を竦ませていてもおかしくはない。しかしレイのその表情には一点の陰りもない。いついかなる状況においても平静を保つ。それが常にベストパフォーマンスを引き出すために秘訣であるとレイは矜持しているからだ。

「ショウタ! 後ろに来ている! それに――」

 徐々に離れていく地表を見ながら、ユメの表情は引きつっていた。

「――これじゃ逃げられないっ!」

 そう。ショウタの瞬間移動能力は最長移動距離が約五メートルだ。すでに十メートル以上に地表から離れた現時点では無事に脱出することは不可能だ。

「線路上に移動すればいいことだろ」

 同じく顔を引きつらせながらそう応えるショウタもその難しさを感じていた。高速で走り回るコースターから瞬間移動でピンポイントで線路に降り立つ。どう考えても無理のような気がする。

 コースターは次第に高度を上げていく。まもなく最頂部へと到達する。そこまで行けば後は怒濤の急降下、変幻自在の重力が上下左右から押し寄せてくる。恐らくレイはそこまでに勝負を仕掛けてくることだろう。コースターの全長は約八メートル。あと三メートルも近づけばレイの無効化能力の有効範囲に入ってしまう。そしてレイはじりじりとコースターをよじ登りショウタたちへと近づいてくる。あと六席分よじ登れば、無効化能力有効範囲だ。視線を進行方向に転じる。最頂部まであと五メートルほどだ。だがこの登りのスピードから察するに、急降下に転じる直前にレイの無効化能力の有効範囲内に入るのは間違いがない。

 何か方法はないか? 何か策は?

「ユメ! レイの動きを止めたい!ほんの数秒でいい! 何かないかっ!」

「え? え? え?」

 目を白黒させていたユメだったが、すぐに持っていた買い物袋を漁りだした。レイはさらに一席分よじ登る。あと五席。

「あったあ!」

 隣の席のユメがなにやら自分のバックから取りだした。そこから取り出されたのは何か液体の入っているビン。ユメはそのふたを開けるとおもむろに後方のレイに向かって振りかけた。ショウタはそのビンに貼り付けられているラベルを見て取る。

『ダムベエ・オリーブオイル』。

 ダムベエとコラボした調味料シリーズの一つだ。ダムベエには料理が大好きという設定があるので、土産物の中にはダムベエのイラストの入った調味料や料理器具がある。ユメが今、レイに向かってまき散らしているのは恐らくそれだろう。

「いつの間に、そんなものを……」

「うん。さっきね。せっかくだからと思ってお菓子と一緒に買っておいたんだぁ」

 オリーブオイルを垂らされたレイは初めてその表情を変えた。ショウタたちの居るコースター最前列によじ登るため、レイは席の周囲に巡らされている鉄製のバーを補助にして登っていた。だが、そのバーがオイルによるぬめりで掴むことが出来なくなってしまったのである。レイは咄嗟に座席の中に入り両足で突っ張り、懐から出したスカーフで片手を巻いた。それでオイルのぬめりに対処しようという考えのようだ。その判断の速さはさすがだと言える。だが、わずかではあるが、そのレイを踏みとどまらせた時間の存在は大きかった。コースターが最頂部に差し掛かったのだ。

 ここからは落下するのみ――

「きゃああああああああああああああ!」

 ユメの絶叫がこだました。ショウタも日常では味わうことのない重力加速度に思わず身を竦める。正直、レイに気を回している余裕がない。それでもなんとか首を後ろに回してレイの様子を探ってみると、レイは必死に座席にしがみつき、こちらへの攻撃を模索しているところだった。こちらが有利なのはレイはガードバーによって保護されていないと言うこと。上下左右から襲いかかってくる加速度にレイは自力で対応しなくてはならないのだ。

 ……よし。舞台は整った。

 ショウタは先ほど閃いたアイデアを実行することを決意した。正直、こんな高所でしかもこれだけの傍若無人に高速で走り回っているコースター上でそれを実行することは躊躇いがある。だが、これをやらなければ、ショウタとユメの命はない。このコースタの終着地でレイの攻撃を受けることになるのは確定だ。まもなくコースターは最大の山場である急角度の右コーナーに差し掛かる。ここは園外に張り出しかけており、搭乗者は園外に放り出されそうな恐怖を味わうポイントである。ショウタはポケットに入っているスマホを取りだして現在時刻を確かめた。

 残り時間、五分。これなら……行ける。

 コースターは段階的な下りに差し掛かり、そして問題の右コーナーに突進する。そしてその瞬間、ショウタは今までの全てを賭けて念じた。

「跳べぇっ!」

 次の瞬間、コースターは宙に浮いていた。線路からまるで脱線したかのように園外に向けて飛んでいた。

「ええええええっ!?」

 何も聞かされていなかったユメは素っ頓狂な悲鳴を上げる。そしてレイは何が起こったのか分からないのか、辺りを見回して呆然としていた。だが、まだこれで終わりではない。ショウタは額に脂汗をにじませながら、念じる。

 体力の限界に来ていた。ただでさえ、レイに追われて連続ジャンプを繰り返して、ガス欠寸前だったのに、さらにここでの能力行使。いつ気を失ってもおかしくないと思った。だが、ここで気を失うわけにはいかない。あと数分だけでいいのだ。その数分持ちこたえれば、あとはいくらでも気を失っても構わない。

 ショウタは念じた。今度はショウタとユメがコースターから飛び出して、宙空に浮いている。

「えええええええええええええええええぇー!?」

 ユメの絶叫が響き渡る。身体が重力に引かれて落下体勢に入る前にショウタはもう一度念じた。今度は高度を少し落とした宙空に。そしてショウタはそれを繰り返す。

 ショートの連続ジャンプの応用だった。今までは平面方向に連続ジャンプをして高速移動を実現していたが、今回の場合は縦方向の連続ジャンプというわけだ。これにより擬似的な空中移動を可能にしたのだ。

 何度かの連続ジャンプを終え、地上に降り立ったショウタは今まさに園外へと落下していくコースターを見てほっと息を吐く。

 ――これで最後だ、レイ。

 

 誰も居なくなったコースターの上で、そして確実に園外に向けて落下していくコースターの上で、レイは全てを悟った。

 やられた。

 ショウタはこれを狙っていたのだ。レイ本人に対しては常時無効化能力が発せられているために能力が効かない。それならレイを何か乗り物にのせて、それごとジャンプをさせよう。ショウタはそう考えたのだろう。ショウタの瞬間移動能力は対象の重量、容積の大きさに左右されないことは周知の事実だ。それを知りながら、このことに頭の回らなかった自分を激しく呪った。

 場外に放り出されるとプレイヤーは体内にいるスランバーの拒否反応により死に至ることになる。無情にも着実に園外に向けて放物線を描いているこのコースターから逃れる術をレイは持っていない。『エンドレス・ワールド』の裏側は海となっているので、着水することになるだろう。

 レイは次第にふくれあがってくる腹の中の不快感を感じながらも、着水の衝撃の備えて防御態勢を取った。いついかなる時も生存の道を模索する。それがレイのモットーだが、今回はそれも役には立たないだろう。

 数瞬後激しい衝撃がレイを襲った。それと同時に腹の中で何かが暴れる感触を抱いた。スランバーだ。領域外に出てしまったためにスランバーが断末魔の呻きを上げているのだ。レイは海に次第に沈みつつあるコースターから這い上がりながら、自分が敗北したことを悟った。そして口から血を吐き、その場に倒れ伏したのだった。

 

 ショウタのポケットの中のスマホが振動した。その意味は分かっていたが敢えてスマホを取りだし、そしてその画面を見た。

 左下の人間マークは二つを残し、全て反転。そして右上の星マークは八個が点灯する。と同時に画面中央でカウントダウンしていた時計がゼロを表示する。午前十時になった。

 スマホは今までと異なったパターンで振動し始め、そしてディスプレイいっぱいに『Congratulation』の文字が乱舞する。正直、その画面を見て空々しい気分になる。

 だが、それとは別に果てしない安堵感と達成感がショウタの身体を包んでいく。身の安全を保証された空間に移ったこと。そして生きながらえたこと。そして隣にたたずむユメの姿。彼女もスマホの画面を見入っていた。そして顔を綻ばせてショウタの方を向く。

「……やった。ショウタ、終わったねぇ」

 こくりとショウタは頷いた。そう、傍らにはユメが居る。ユメはスランバーの能力により一時的に病状が緩和しているだけなのだ。これから彼女にはまた辛い病院生活が待っている。だが、ユメは生きている。そして幸か不幸か彼女を治療するための代金は充分過ぎるほど得られた。今まで絶望に縁取られていた生活にわずかながらでも希望が差し込んだのだ。自然、顔も綻ぶというものだ。

「あ……」

 ショウタは自分の腹の中に小さな喪失感が生じたのを感じた。イメージとしては、野球のボール大の雪の塊が次第にさらさらと溶けて行っているような感じだ。

 これはひょっとして――

 ショウタはあることに思い当たり、念じてみた。能力を使おうとしたのだ。だが、思った通り、能力は行使出来なかった。レイの無効化能力などで使えなくなったわけではない。ショウタの中から能力が消えたのだ。それはショウタ自身、感覚で分かった。能力行使時に感じた手応えのようなものが全く感じられなくなったのだ。と、するとユメも……

 ショウタはあわててユメを補助するかのように寄り添う。ユメはスランバーの能力によって一時的に病を治癒したに過ぎない。四十八時間を過ぎたわけだからユメも同じくスランバーの影響から解放されるはずだ。そうなると、元々歩くことも出来なかったユメは、その場に崩れ落ちてしまうに違いない。

 だが、ユメはそんなショウタを「ほえ?」と不思議そうな視線で見返している。

「……ユメ。大丈夫なのか?」

「? 何がぁ?」

 ユメはふらふらと辛そうにはしながらも倒れる様子もなく、しっかり自分の足で立っている。どういうことだ……? スランバーの能力が切れたからユメは自分の足では立てないはずなのに。それともユメの中のスランバーはまだ生きていて、まだ能力が持続しているというのか……?

「どうやらユメの病は完全治癒したみたいネ」

 突然、二人の間に割って入ってきた声があった。小柄な少女の声だった。彼女はその姿を大きくて瀟洒なピンク色の日傘で隠しているために、誰であるのか分からない。だが、ショウタはその声を知っていた。この『数学者の銀槌』の間、何度もアドバイスをくれた声。そしてユメとはまた別の意味でこの死のゲームをくぐり抜けた戦友。

「ケイティ」

 その大柄な日傘をわずかに傾け、ケイティは顔を見せた。その特徴的な碧眼と長い黒髪をわずかに見せて。

「ショウタ。おめでとう。良くやったネ……」

 それだけ言うとその端正な顔がみるみる内に泣き顔でくしゃくしゃになる。そしてぽろぽろとこぼれる大粒の涙。ケイティのそんな様子を見て、ショウタも四十八時間の出来事が一気に胸の内に去来して、涙腺が緩みかける。そしてケイティは心の中からあふれ出す何かを押さえきれないように、ショウタに抱きつき、その胸に顔を埋めた。派手な日傘は『エンドレス・ワールド』の石畳の上に転がる。

「良かった。……良かった! 死なないで良かった!」

 それはショウタのことを言っているのだろうか。それとも自分のことを言っているのだろうか。いや、どちらもなんだろう。

 ショウタはそう考えた。そして自分の胸の中でまるで幼子のように泣きじゃくっている美少女の頭を撫でると、次第に心が落ち着いてくるのを感じた。

「ケイティ。ユメの病が完全に治ったってどういうことだよ。スランバーの能力は四十八時間限定だろ?」

「……え? あ、うん。そうね」

 ケイティは目をこすりながら、ショウタから身体を離した。その頬は若干、桃色に染まっている。ケイティは視線をショウタに合わせようとせず、俯き加減に口を開く。

「……たぶん、スランバーによって発動されていたユメの治癒能力は、四十八時間で病を完全に治してしまったんだと思う。だからスランバーがいなくなって、その能力を失っても、正常になった身体はそのままなんだわ」

「……マジかよ」

 ケイティの考えは飽くまで推測だ。だが、その考えが大方間違いがないということは二の足でしっかり大地を踏みしめているユメの姿が証明をしている。ショウタはそんなユメの向き直った。

「訊いたか、ユメ! お前治ったんだってよ!」

「ふにゃ?」

 未だ現状を認識していないユメは怪訝な表情で小首を傾げている。

「治ったんだ! もう病院に行かなくていいんだよ! 入院しなくて良いんだよ!」

 ショウタはそんなユメを抱きしめた。ユメはされるがままでその身をショウタに預ける。そして安心したかのように目を細めて穏やかに微笑んだ。

「……良かったねぇ。これでショウタとまたデートに来られるんだぁ」

「……ああ。ああ。いくらでも来られるし、どこにでも行けるんだぞ」

 そうだった。人はやろうと思えばどこにでも行けるし、どんなことだって出来るのだ。だが、普通に生きているときはそのことにどうしても気が付かない。与えられた命の貴重さに気が付かないのだ。だが、今のショウタにはそのことが分かる。この死んで当たり前という死のゲームを経験した今では、命を拾った感がある。やりたいと思ったことは全てやろう。やらないで後悔することはやって後悔しよう。そんな風に意識が大きく変わったことをショウタは感じていた。

 自分が生き残って、ユメが生き残って、その病気も完治して、そしてケイティも残酷な賭けに勝つことになって。これほど素晴らしいハッピーエンドがあるだろうか。……いや、ハッピーエンドではなかった。ただ一つ、喜べないことがショウタにはあった。それは――

「コウジも一緒に生還したかった、な」

 ユメを抱いたまま、そうぼそりと呟いた。

「え? コウジもこのゲームに参加していたのぉ?」

「ああ」

 ショウタはユメから身体を離し、その目をしっかりと見て頷く。

「コウジもユメの病気を治すためにこのゲームの参加を希望したんだ。だけど、最後まで生き残れなかった。ゲーム早々に合流出来ていれば、お互い協力が出来たと思うのに……」

 そう言ってショウタは下唇を強く噛む。そんなショウタを眺めていたケイティは、不思議そうな表情でショウタに問いかける。

「ショウタ? そのコウジって人物は何者なの?」

「だから言っているだろ? 俺たちの友人で同じくこのゲームに参加した……」

「それはおかしいわ、ショウタ」

 強い口調でケイティはその言葉を遮った。訝しげな目でショウタはケイティを見返す。

「どういうことだよ、ケイティ」

「私はナビゲーター側だったから、絶えず残存プレイヤーをチェックしていたから分かるわ。考えてみてショウタ。私たちは全十名の参加プレイヤーを全部把握出来るのよ。いい? 始めに場外に出て死んだ男、そして途中で殺された二人の女性。殺人鬼、幻覚遣い、エミ、アキミツ、レイ、そしてショウタとユメ。ね? これで十名でしょ?」

「……え? あ?」

「そのショウタの言う『コウジ』という男が入り込む余地はないわ。この『数学者の銀槌』に参加しているはずがないのよ」

「……そんな」

 ばかな。なぜコウジがここにいない。あれほどユメを愛していないのか、と叱責し、自らこのゲームに身を投じると言っていたコウジが。

「も、もしかすると、このゲームが別会場でも行われているとか」

 ケイティは首を横に振った。

「同時期、そして同じ国で『数学者の銀槌』は開催されないわ。これほどの大金が動くイベントを乱発させるわけにはいかないもの」

 まさか、俺はコウジにだまされたのか? そう言えば、あの押切のヤツも「コウジは決めました」としか言っていない。どちらに決めたとは話していなかったじゃないか。コウジは俺をユメを裏切ったのか。

 ショウタはぎりっと奥歯を噛みしめる。だが、その時ショウタの肩をユメが優しく叩いた。

「ショウタ? コウジはこのゲームに参加していない。ということは生きているってことじゃない? だったらそれはそれで良いことじゃないのかなぁ?」

「……」

 ユメのその慈愛に満ちた表情を見つめて、ショウタは憎悪で黒々とした物が蟠り始めた胸の奥がきれいな清流のような物で押し流されていくのを感じた。

「……そうだな。そうだよな」

 そうだ。ユメがいて、そして二人とも生きていて。それだけあればあとは何もいらないじゃないか。

「さあ、『エンドレス・ワールド』のエントランスに車が二人を迎えに来ているわ。移動しましょう」

 ケイティに促されてショウタとユメは移動を始めた。ケイティは二人と並んで歩きながら、何か楽しいことを企むかのようにほくそ笑む。

「……ねえ、ショウタ。もし良かったら、だけど」

 傍らを歩いているケイティは上目遣いでショウタの顔を覗き込んだ。

「私の会社に就職しない? 私の会社には日本支社もあるわ! もちろん学校卒業してからで良いけど! 私ショウタの機転とか行動力に感心しちゃったの。それは絶対、仕事でも活かせるわ!」

 目をきらきらと輝かせて、素晴らしい思いつきのように語るケイティを見返して、ショウタは苦笑した。

「評価してくれて嬉しいけど……。まだそんなことは考えられないよ」

「……そう」

 ケイティは悲しそうに眉をひそめて俯く。だがそれにも懲りないように彼女は、すぐにまた顔を上げた。

「じゃあ、さ。何か望みはない? ショウタ! 私の会社で出来ることは何でもするよ! 何かない? ショウタ。私ショウタとこれっきっりってのは何か、嫌なの!」

 まるで懇願するような視線を向けてくるケイティにショウタは息を呑む。この美少女にこんな顔をされて無碍に断れる人間はそういないだろう。だが、ショウタは呆気ないくらいに簡単に首を横に振った。

「……ごめん。何もないよ。出来れば早くこのことは忘れたいくらいだ」

 ケイティの表情が失望に歪む。

 ショウタは『エンドレス・ワールド』を振り返った。

 元々思い出があった場所だったけど。そしてこの二日間いろいろあった場所だけど、もう二度と来ることはないだろうと思った。そして自分が二人の人間を殺してしまったという事実が残っている場所。記録としてどこにも残らないのかも知れないけれど、それでも自分の心の中で残ってしまっている。

 こんなクソゲーム、二度と関わらないことを祈っている。……いや。

「ケイティ。そこまで言うなら一つお願いがある」

「え! なに? なんでも言って!」

 満面の笑みを浮かべてケイティはショウタに向き直った。艶やかな黒髪がなめらかに跳ねた。

「このクソゲーム、『数学者の銀槌』をぶっ壊すことに協力してくれ」

「……え?」

 ケイティの表情に陰りが見える。

 『数学者の銀槌』はセレブ御用達のゲームであり、逆に言えば世界中のセレブに容認、というか支持されているゲームだ。それを壊すということは世界中のセレブ、政財界の人間を敵に回すことに等しい。それにケイティ自身、すでにそのセレブの一員でもある。そのショウタの提案は実質不可能だった。ショウタもそれが分かった上で言った。だが――

「分かったわ」

 何かを覚悟したかのようにケイティは即答した。そして声を潜めるように小声で話す。

「そのショウタの提案を受け入れましょう。時間はかかるとは思うけど協力するわ」

 そのケイティの覚悟の表情を見て、ショウタは思わず息を呑んだ。わずか十代前半の少女がこれほどに冷徹で凄絶な表情をするのか、と。

 彼女はとある財閥の跡継ぎだという。彼女は人の上に立つ資質を備えているかのように見えた。将来彼女の率いる会社が隆盛を迎えることは想像に難しくない。

 エントランスをくぐり抜けて、待機している車を目視すると、彼女は急にぱあっと破顔して、もとの少女らしい表情に戻った。今まで見ていた表情は錯覚だったのではないかと思ったほどだった。

「じゃあね、ショウタ。そのうちまたお会いしましょう」

 ケイティはそのドレスを広げると、映画の中だけでしか見たことの無いような、優雅な会釈をした。


 小さな波の音が彼の耳元をくすぐった。うっすらと目を開けると、自分は小さな浜辺で倒れているようだ。長い三つ編みの髪はほどけかかっていて、海水に浸かっている。眼鏡はどこかに行ってしまったようだ。

 レイはゆっくりと身体を起こした。ここは『エンドレス・ワールド』場外。目の前に高い壁がそそり立っているのと、その中から歓声が聞こえてきているので、それは分かった。辺りを見回すと、浅瀬に半分水没しかかったコースターが波音を立てている。口元を手首で拭った。わずかに血と粘液のようなものが付いている。スランバーが這い出た後だろうか。自分の身体を確認してみる。水面に激突した時の衝撃のせいか、各所に打撲痛はある。だが、しっかりと生きている。これはどういうことだろうか? 

 領域外に出た場合、まずスランバーがショック死する。それと同時に深く融合していた宿主も死に至ることになる。なら、なぜ自分は生きているのか。

 その時だ。正午を告げる鐘の音が『エンドレス・ワールド』に響き渡り始めたのは。場外にも響いてくるその鐘の音につつまれながら、レイはとある推測に至った。自分が場外にたたき落とされたのは、ゲーム終了数分前だ。ゲーム終了時には体内にあるスランバーは、その寿命を終え、宿主の胃液で溶かされることになる。それはレイ自身、前回の『数学者の銀槌』に参加しているので知っていることだ。もしかするとゲーム終了間近で場外に飛ばされたおかげで、スランバーとのショック反応が少なかったのではないだろうか。恐らく、スランバーがショック死するのと寿命を迎えたのがほぼ同時くらいだったのだろう。

 レイは砂浜に立ち上がった。そして空を見上げる。ひょっとすると――

 ――ショウタはこれを考えて自分を場外に飛ばしたのではないだろうか?

 青空に飛び交うユリカモメを眺めながら、レイはそんなことを思った。


 生存者三名。『数学者の銀槌(マツクスウェルズシルバーハンマー)』終了――。

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