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第十三話 Reproduction

第十三話 Reproduction


「はあ、はあ、はあ」

 二人分の荒い息づかいが交錯する。ショウタとユメはよろめきながらもお互いに肩を貸し合って、ここまでなんとか辿り着いた。

 ここは『ドリーム・ビーチ』というエリアだ。

 外壁に沿って巨大な池が配置されており、海をイメージしたエリアとなっている。そこには砂浜、沖には豪華客船、そして海に関わるアトラクションが点在している。ショウタは力を振り絞り瞬間移動で、その外壁部分に到着していた。園内の雰囲気を乱さないようにするためか、外壁部分には外が見えないように背の高い木々が植えられている。そしてこの『ドリーム・ビーチ』エリアではその部分は小島をイメージして作られている。ショウタとユメはその小島に身を潜めることにしたのだ。水によって隔離されたこのエリアなら、瞬間移動能力を持っているショウタ以外侵入することは出来ない。

 先の戦闘で相当量の血液を流した二人はその小島に到着するやいなや、地面に倒れ込み、起き上がることすら出来なかった。

 ショウタは荒い息を吐きながらも、隣で同じく荒い息を吐くユメを見て、安堵した。そしてほのかに心に平穏が訪れるのを感じた。


 『ユメ』

 首を切られたショウタを救ったのはユメだった。体力強化能力と思われていたユメの能力は、実は治癒能力だったのだ。これにはユメのナビゲーターもユメ自身も勘違いしていた。キリヒトによってばらばらにされたユメの身体は治癒能力によって次第に切り口の癒着を始めた。当然のことながらユメは意識を失っているのでユメが念じてこの能力を行使したわけではない。無意識の内にこの能力が発動されたのは理由がある。ユメの体内で息づいていたスランバーが関係していたのだ。

 共生関係にあるスランバーは宿主が死ぬと、しばらくしてからその命を全うする。宿主の血液から養分や酸素を吸収しているから、心肺が停止してしまうとスランバーも生きていくことができなくなってしまうわけなのだ。だが、これには若干のタイムラグがある。宿主が死んだからと言ってすぐさまスランバーが死ぬわけではない。というのは、宿主が死んでも、しばらくの間は血流もあるし、心臓も動いている場合もあるからである。今回の場合、ユメの取得した治癒能力がこのタイムラグの恩恵を最大限に受けたと入っても良いだろう。一時的に心肺停止に陥ったユメはスランバーが提供し続ける体液によって治癒能力を持続的に発動させることになったのだ。その治癒能力のおかげで、出血を止め、心肺活動を再開させ、ばらばらになった身体を融合させたのだ。ショウタがばらばらになった身体を元の位置に戻していてくれたことは身体の再生にとって最高のアシストだった。もし元の位置に戻しておいてくれなかったら、融合させることが出来なくて息絶えていたのかも知れない。

 そうして奇跡的に復活したユメは、目の前に首を掻き切られているショウタを発見する。ユメは狂乱し慟哭した。そしてショウタの死体に取りすがった。その段階でも自分の能力を理解していなかったユメだが、死の淵へ沈もうとしているショウタの身体を掻き抱き、「生き返って」と心の底から念じたのはごくごく自然の行為だと言えよう。それが結果的にユメの治癒能力を対外的に発動させるきっかけとなったのだ。


 こうして二人は奇跡的に死の淵から生還した。だが、二人とも血液を流した量が尋常ではなかった。ユメの治癒能力は骨髄での血液の増産を促すことが出来る。それでも日常的な行動をするにはまだまだ足りない状態だった。

 しかしレイから距離を取らなくてはならない。ショウタとユメは持てる限りの力を振り絞り、逃走を開始し、そしてこの外壁沿いの小島に辿り着いたというわけだ。ショウタは寝転びながら上着のポケットに手を突っ込んだ。そこからは栄養ドリンクの小瓶がごろごろと転がり落ちてくる。途中の自動販売機で購入してきたのだ。この時間帯ではレストランも土産物屋も開いていない。その為、栄養補給の苦肉の先として、自動販売機を選択した。

 ショウタはぞんざいにそのフタを開けると味わうことなく、その液体を口から流し込む。まさに栄養補給であり、エネルギー補給だった。五本も飲み干すと、気のせいか体力が回復したような気がする。ショウタは傍らに同じく寝転んでいるユメを見た。ユメはその栄養ドリンクを手にしてどうやら躊躇しているようだ。

「ユメ。少しは飲んだ方が良いよ。俺たちは血を流しすぎているし、能力も使いすぎている。完璧にガス欠状態だ。無理矢理にでも身体に栄養を流し込まないと」

「……う、うん」

 頭では理解しているようだが、身体が受け付けないようだ。確かに女子高生と栄養ドリンクという組み合わせはギャップがあり過ぎる。

 だが、しばらくの逡巡を経て、ユメは決断を下した。目を瞑って思いきりその液体を口に流し込む。しばらくの間苦虫を噛みつぶしたかのように顔を顰めていたユメだったが、舌の上に残るその味に気が付くと驚いたように目を丸くした。

「あれ? 意外においしい」

「だろ?」

 調子づいたユメは次々と栄養ドリンクを口内に流し込む。ユメ自身理解はしていたのだ。それを身体が、そしてスランバーが栄養を欲している、ということを。気が付くとショウタとユメの周りに何十本もの空瓶が転がっていた。そしてその全てを飲み干した二人は仰向けになったまましばらく寝転がっていた。視線の先には満天の星空が広がっている。そしてショウタがぼそりと呟いた。

「ユメ。生きて帰ろう」

 そんなショウタにユメは驚いた視線を向けた。だが、しばらくしてその顔を優しく綻ばせる。

「……うん」

「そのためにはあと七時間、レイから逃げ切らなくちゃいけない。その為にはレイの能力を解明しなくちゃいけない。ユメはレイの能力はなんだと思う?」

 ショウタのその問いかけに「うーん」としばらく考え込んでいたユメだったが、すぐに音を上げた。

「分からないよぉ。だって私あの子と一緒に居た時間がほとんどないんだもん。ショウタの方が長いこと一緒に居たんだから分かるんじゃないのぉ?」

「……そうなんだよなあ」

 ショウタは自嘲気味にそう呟いた。ユメよりショウタの方がレイと一緒に居た時間は圧倒的に長い。だが、その実レイについては何も知らない。今から思い返すとレイは自らのパーソナルデータを巧妙に隠していたかのように思える。能力はおろか、その身の上すら秘密のベールに包まれている。

『……ヒントはあるネ』

 ショウタの右耳に突然、ゼツボウの声が聞こえてきた。ショウタがニア・デス(臨死体験)を経験してからは初めての交信だ。ショウタはすがるようにその声に問いかける。

「どういうこと? ナビゲーターだけに知らされている情報に何かヒントがあったのか?」

『ううん。そういうことではないネ。こっちでは今までの画像を全て録画してあるネ。それを再生している内にいくつか気が付いたことがあるネ』

「え?」

『その内の一つは殺人鬼のキリヒトがエミを殺した時ネ。キリヒトはなぜ、この時ショウタとレイを殺さなかったのカ?』

「何を言っているんだよ。今は殺人鬼の話じゃなくて、レイの話だろ」

『その時の状況を思い出して欲しいネ』

「状況って……」

 と言いかけてショウタは押し黙った。

 確かエミが殺された後、俺は殺人鬼と対峙した。あの時、俺とレイは殺されていてもおかしくはなかった。殺人鬼も殺すつもりだったと思う。そういうことはだいたい目を見ていれば分かる。だが、俺とレイは殺されなかった。なぜだ?

『こっちからは状況は良くつかめないけど、ショウタはその時、なぜすぐに瞬間移動(ジヤンプ)して逃げなかったのカ?』

「いや、違う。すぐに逃げようとしたんだよ。だけど……」

 ……そう。あの時、二度ジャンプを試みた。だが、一度目は失敗し、二度目は成功した。なぜだ? ジャンプが成功しなかったのは、あの時一度きりだ。どうしてあの時は失敗したのだろう……いや、違う。ジャンプに失敗したことはもう一度ある―― 


 ――レイに首を掻ききられた時だ。

 

『傍証はもう一つあるネ。テレパシーの能力を持っているエミもアキミツもレイの心は読めない、と言っていたネ。二人ともそれはレイの心が壊れているせいだって解釈していたけど、それは本当にそうなのカ?』

 言われてみればそうだ。例え心が壊れていても、腹が減ったとか、小便がしたいという情動は存在するはずだ。だが尿意を催した時だって、テレパスのアキミツは察することが出来なかった。腹が減った時だって、外見から判断したに過ぎない。同じくテレパスのエミはそんな感情の揺らぎさえ読むことが出来なかった。

 思い当たる節はもう一つある。『スケアリー・ロッジ』であの幻覚遣いとエミ・レイペアが遭遇した時だ。あの時エミの「なんなの! あんたは!」という声を俺は隣の部屋で聞いた。ということは、だ。あの幻覚遣いは能力を行使しておらず、素のままの状態の幻覚遣いをエミとレイは見たのだ。そんな馬鹿な話はあるだろうか。幻覚遣いはなぜ能力を使かわなかったのか?

『これらの手がかりから察すると、おのずと答えは見えてくるネ。レイの能力は――』

「相手の能力を無効化する能力、ってことか……」

「そうネ」

 最強だ。

 ショウタは唸った。

 能力がなければ、自分たちはただの一般人に過ぎない。敵と戦う武器もないし、逃げる手段も持たない。だがレイは躊躇なく人を殺せる。しかもそれなりの闘う技術を持っていると思われる。それは実際に殺された自分が良く知っている。あの、何の気配もなくいきなり背後に立たれたときの恐怖。そしてあっさりと首が切られた時、まるでそれが日常の当たり前の動作のような動きだった。ポテトチップの袋を開封するときと同じくらいの当たり前のような動作だった。

「くっ」

 一瞬、殺された時の記憶が蘇り、呼吸が苦しくなる。切られたこと自体は苦痛などは無かったが、血が大量に流出した時の、命の喪失感はもう二度と体験したくない。

 ショウタは上半身を起こしてしばらく大きく深呼吸をする。

 これはトラウマになるだろうな……。

「ショウタ、大丈夫……?」

 ユメは心配そうな表情で身を寄せて来た。そのユメに対してショウタは出来る限りの笑顔を作り右手で拳を作った。

「大丈夫。ちょっと力が出てきたよ。栄養ドリンクが効いてきたみたいだ」

「……私もそうかも」

 と言ってユメはくすりと笑う。自分で言って思ったが、確かに効いてきた気がする。先ほどまであった倦怠感がだいぶ薄れてきているのを感じる。

『対策を考えなくちゃネ。レイに対抗出来る方法を』

 ショウタとユメの会話を遮るようにゼツボウが発言した。

「対抗出来る手段なんてないだろ。逃げ回ることしか。それに俺はもう人を殺したくない……」

『逃げ回るにしたって、対抗手段を講じておくのは無駄じゃないネ。例えばレイの能力の有効範囲とかネ』

 言われてみれば確かにそうだ。無効化能力がどの程度の範囲まで及ぶのかを知っていれば、レイと対峙した時の逃走する一助になるのは間違いがない。

「エミの時を考えてみると、殺人鬼と俺・レイの距離は三メートルも離れていなかった。だけど殺人鬼の能力は発動しなかった。ということは能力有効範囲として三メートルは間違いがないな」

『その時のことを考えると能力のオンオフはレイの意志によって自由に切り替えられるみたいネ』

 なるほど。俺がジャンプを失敗したときのことを言っているのか。……待てよ。

「とすると、レイの無効化能力は対象を指定することが出来ないみたいだな。殺人鬼の能力を防いだせいで、俺の能力も封じてしまったんだから」

『うーん。それは咄嗟の状況だったからじゃないカ? 初めてエミがレイ・アキミツペアと遭遇した時、エミとアキミツは能力を使えたネ』

「そうか。その場面のことを考えるとレイは自分の能力の有効範囲を自由に設定できるということになるな」

 ショウタは自分の頭の中でレイに能力の特徴をまとめてみる。

 一、相手の能力を無効化出来る。

 二、(未確定ではあるが)少なくとも半径三メートル以内の複数の対象の能力を無効化出来る。

 三、その対象はレイの意志によって指定出来る。

 四、能力は自動ではなく、レイの意志によってオンオフが出来る。

 こんなところか……。

 少ない手がかりだとは言え、これだけでもレイと対峙してしまった時のことを考えると大分役に立つ。幸い、こちらは逃走に適した瞬間移動能力だ。レイの能力有効範囲外に絶えずジャンプすれば逃げ切れる算段だ。

 ……とそこまで考えたところでショウタはあることに気が付き愕然とした。

 自分はレイに自分の能力の情報を、どれだけ与えてしまったのだろう、と。何度も一緒にジャンプをしているから、有効範囲は正確に把握しているだろうし、どれだけジャンプすれば疲労するかも分かっているだろう。接触してる物質を他所に飛ばせることも知っているだろうし、殺人鬼とのバトルを傍観していたのなら、その能力が体積や重量に寄らないことも理解しているに違いない。

 背筋に冷たい物が走った。ひょっとして、俺と一緒に行動していたのはこのためか? いや、俺が最後まで残るなんて考えていた訳じゃないだろう。きっとレイは全てのプレイヤーを観察していたのに違いない。最後の最後で勝利するために……。

『ショウタ。残り時間は七時間三分ネ。逃げ切ればショウタの勝ちネ』

 恐らくケイティはショウタの心を和らげようとそんなことを言ったのだろう。だが、その言葉は逆に心にずしりとのしかかった。

 約七時間も――。

 七時間も俺たちは逃げ切れるのだろうか。


『とんだエキストラステージだ。ゴール寸前で落とし穴に落とされた気分だな』

「恐れ入ります」

『謝る必要はない。この程度のことは企業を運営していれば日常茶飯事だ』

 キースはそう言って画面に視線を移した。現在三分割されているウインドウに映し出されている映像はどれも制止している。その理由は分かっている。レイ、そしてショウタとユメも小型カメラを捨てたのだ。わずか三人になった場合、各人に付けられている小型カメラ画像によって居場所を知ることが容易となってしまう。少し知恵が回るプレイヤーならこの程度のことは行って当然と言える。ただこの『数学者の銀槌』の各プレイヤーに金を賭けている観客たちにとっては、動向が分からないもどかしい数時間となるだろう。運営側は代わりに園内に設置してある監視カメラの画像を最大限に提供を始めたようだ。キースも監視カメラの画像に切り替えたが、当然と言っては当然。そのどれにも三人の映像は映っていない。

『追えるか?』

「二時間もあれば充分かと」

『急がなくても良い。制限時間を有効に使って目的を遂行すればそれで良いのだ』

「承知致しました」

『期待している』

 キースはそう言葉を返すと、素早くキーボードを叩いて画面を切り替える。そこに映し出されたのはケイティの画像。

「ふん、思ったより楽しませてくれるじゃないか、ケイティ」

 赤く充血した目がディスプレイのバックライトに照らし出され、闇の中で怪しく浮かび上がっていた。


 『エンドレス・ワールド』は広い。国内最大の遊園地であり、世界的に見ても最大級だ。「一日では回りきれない」とは良く言われることであり、実際併設のホテルに泊まって数日がかりで遊ぶ客も少なくない。それだけ広い『エンドレス・ワールド』なのに、ショウタはレイに見つかる気がして気が気でなかった。

「このままこの小島に居て良いと思うか?」

 ショウタはゼツボウとユメに問いかけた。服に仕掛けてあった小型カメラは、ゼツボウとの相談の上、とっくに外してゴミ箱の中に捨ててきた。ゼツボウからはこちらのことを視覚的に捉えることが出来なくなってしまうが、それは仕方がないと判断したようだ。

 ショウタの問いかけに対してユメはふるふると首を横に振った。それに対してゼツボウはこう言う。

『このまま留まるにしても、どこかに移動するにしても、どちらも一長一短ネ。留まることの長所は、目立った動きをしない分見つかる可能性が低くなること。短所は仮に見つけられたら、ぎりぎり危機的な状況になるまでこちらからアクションを取れないこと』

 ショウタは首肯する。

『移動することの長所は、絶えず場所を変えることでレイの捜索範囲を混乱させることが出来ることと、逆にレイを補足する可能性があること。短所は動き回る分見つかる可能性も高くなるということ』

 ゼツボウの分析は的確だ。そして今、ショウタとユメが抱えている不安も指摘して見せた。

『たぶんショウタとユメは何もしないでいる内に、どんどん状況が悪くなってしまうことを恐れているネ』

「……その通りだよ」

 こうしている間もレイは自分たちを見つけているのかも知れない。そして追い詰めるための罠を張っているのかも知れない。

『それなら答えは一つしかないネ。移動するネ』

「え? どうして」

 ショウタは目を丸くした。ゼツボウはどちらの策も一長一短だと言った。ショウタもそう思っていたから迷ったのだ。それなのにゼツボウは断言した。「移動するべきだ」と。

『しない後悔ならする後悔ネ。何もしないで待機し続けていて殺されるなら、移動して正面から殺された方が良いネ。……少なくとも私はそうやって生きてきたネ』

「殺された方が良いって……」

 ショウタは苦笑した。だけど、その言葉は心地よく聞こえた。命を賭けた同じ立場に居る者の言葉に聞こえたのだ。ショウタは今のゼツボウの提案をユメに問いかけた。ユメは目をきらきらとさせて頷く。

「うん。私もそうするよぉ」

 元々死期が迫っていることを覚悟していたユメにとっても、その提案は魅力的なものに聞こえのだろう。ショウタは力強く首を縦に振った。

「よし、それなら早速動こう! ユメ身支度をしてくれ」

『あ、ちょっと待ってネ。飽くまで慎重に行動した上で、ということネ』

「分かっているよ。それはそうと」

『なんだネ?』

「もう、無理して言葉尻に妙な『ネ』は付けなくても良いよ。ケイティ」

『え? え?』

 イヤホンの先から、戸惑った様子が聞き取れた。

 そんなゼツボウ、いやケイティに、ショウタは思わず、吹き出してしまった。


 ショウタとユメは小島から脱出し、慎重に園内を進んだ。夜の園内は人の気配は全く感じなかった。ましてやレイの気配などみじんも感じなかった。もしかするとどこかで二人を見つめているのかもしれないが、それは確認することは出来ない。慎重に慎重を期してして二人が到着したのは『スケルトン・フェリース・ホイール』。

 国内最大の観覧車にして、全席スケルトン仕様という代物だ。始めユメがここを希望したとき、また緊張感のないデートの延長線上としての提案かと疑った。だが、

「違うよぉ。ここならレイが仕掛けてくるとしても一周して地表部分のみでしょ? それなら迎え撃つことも簡単じゃない?」

 という尤もらしい説明に納得してしまったのだ。だが言われてみればその通りであるし、また最頂部からは広く園内を見渡せるので、レイの接近を警戒することも可能だ。ショウタとユメは周囲を警戒して観覧車に乗り込んだ。次第に離れていく地表にほっとしつつ辺りの景観を眺める。

 高所から眺める『エンドレス・ワールド』の各アトラクションは色とりどりの電飾で飾られ鮮やかだ。次第に高度を上げていくと今度は園外に乱立しているホテル群の灯りが、そして東京の遠景が目に入ってくる。

「……ぅわぁ。綺麗だねぇ」

 光り輝く夜景をその瞳に映しながら、ユメははしゃいでいた。ショウタもしばらくぶりに緊張感から解放され、その状況を楽しんでいた。考えてみれば、この高所、そして閉鎖空間。それでいて外を見渡せる作り。絶好の待機ポイントではないかと思った。他のプレイヤーならどうだったか分からないが、レイの能力では高所への攻撃は出来ない。

「初めからここに隠れてみれば良かったな」

 ぼそりと思わず呟くと「え? なにぃ?」とユメが不思議そうな表情で見返してくる。そうこうしている内に最頂部に到達した。ここからだと遙か東京の夜景も東京タワーもスカイツリーも見ることが出来る。下を見ると座席も床も透明であるせいで、観覧車の骨組み越しに地面が見える。そもそも高所も絶叫系アトラクションも苦手なショウタはその状況だけで身震いしそうになるが、命の危険にさらされるより全然ましだと考えた。直下を眺めていると、ふとそこに見慣れない物が存在することに気が付いた。

 ……なんだ?

 それは車だった。と言っても一般道を走っているようなタイプの乗用車ではない。『エンドレス・ワールド』内のキャラクターがパレードの時に乗るおとぎ話に出てくるようなごてごてとした装飾の付いた車だ。

 観覧車に乗る時にあんな車あっただろうか?

 必死に記憶の底を探ったが、全く思い出せなかった。自分の緊張感の無さを呪う。この観覧車に搭乗する時に充分に警戒したつもりだったのだが、周囲の様子を記憶しておくのを忘れていた。ユメとケイティにも訊いてみたが、ユメも思い出すことが出来ず、そしてケイティは観覧車直下を映し出す監視カメラ画像がないので、分からないとのこと。そうする間も観覧車は回り続け、次第にその高度を落として行く。

 車には誰も乗っていない。だが、高度を落としていったことで分かることがあった。車の置いてある場所が不自然だ。路上のど真ん中にぽつんと置かれている。さすがにそんな場所に車があったら、観覧車に乗る前に違和感を感じているはずだ。

 頭の中で警鐘が鳴った。

 おかしい。あれは絶対におかしい。俺たちの他に園内に人間がいないとしたら、あれはレイの仕業と言える。

 そしてショウタたちの乗っているカゴは地表に到着しようとしていた。

「ユメ、このまま外に出ないでもう一周しよう」

 と言いかけたところで、ショウタは気が付いた。その車にエンジンがかかるのを。そして急発進で一直線にこちらに向かってくるのを。

 やばい!

 瞬間、ショウタはユメと共に瞬間移動(ジヤンプ)をしていた。観覧車の右奥後方の茂みに飛び降りる。その目の前でスケルトン仕様の観覧車と車が激しく衝突する。強化プラスチックが砕け散り、車はフロントを無残に潰して、観覧車に挟まった。そしてその衝撃で観覧車は自動で停止する。車には誰も乗っていない。

 誰も乗っていないで車は動くわけがない。レイは小柄だ。恐らくその身を運転席の陰、もしくは車の下にでも隠して、エンジン起動時だけ、キーに腕を伸ばしたのだろう。では、その後レイはどこへ?

 そこに気付いた瞬間、ショウタは再びジャンプを敢行した。そして何度も連続でジャンプをしてその場の離脱を計った。

 とにかくその場から離れなければならない。ショウタは自分がレイだったら、ということを考えたのだ。

 車を観覧車に衝突させる。当然、相手は能力の瞬間移動で逃げるだろう。だが、その能力は短距離限定だ。なら、そいつが跳ぶであろう場所に予め身を潜めておけば良い。

 観覧車の側に身を潜めておけそうな草むらは二箇所あった。一つは自分たちがいままで居た草むら。もう一つは観覧車を挟んで対角線上にあった草むらだ。恐らくレイはそちらにヤマを張って潜んだのだろう。ラッキーだった。まだ、幸運の女神はこちらに付いている。その幸運の女神がユメなのか、それともケイティなのか。それは分からないが、少なくともこのゲームの天秤を担っている神は俺たちにまだ生きろと言っている。

 そう思い込んでショウタは連続ジャンプを際限なく繰り返し、逃走した。


 煙を上げて破壊された車と、電飾も落ちてしまい止まってしまった観覧車の前でレイは立ちすくんでいた。

 ヤマが外れたか。

 だが落胆した様子もない。そのことは織り込み済みだった。ショウタとユメが逃走した方向に目をやりながら、レイはゆっくりと行動を再開する。

 逃げる者を追うときはその逃げる人間の心理を想像すれば良い。人はまず周囲から隔絶された屋内や物陰に隠れようという心理が働く。だが、そこに隠れている者は外界の様子が分からないという理由からやがて屋外に出る。そして見通しの良い場所に陣取ることになる。これは昼間ショウタと一緒に行動していてその心理の方向性は理解していた。そして、その後、どういう心理が働くか。レイにはそれがまるで手に取るように分かる。ふとポケットに手を入れて、現在時刻を確認した。

 午前四時二十四分。

 ゲーム終了まであと約五時間半だ。東の空を見るとうっすらと明るくなり始めている。

 今日の開園時間は朝の九時。そしてゲーム終了時刻は十時。本格的な戦闘が出来るのは九時までになるだろう。ならタイムリミットはあと四時間半と見ていた方が良い。そしてレイはそれを明け方だと設定した。ほとんど寝ておらず、緊張状態を強いられているというのにレイは疲労した様子を全く見せずによどみない足取りで園内を移動する。

 ――決着は近い。


 夜陰に紛れて物陰から物陰へと移動するレイの姿を俯瞰する。その姿がアトラクションの陰に隠れて見えなくなる。ショウタはユメと共に、レイの行動を視認出来る場所へジャンプをした。レイはそんなショウタたちに気付くこともなく、辺りを見回して、園内奥の方へと歩いて行くところだった。

『……ショウタ? 今、どういう状況なのかしら。そして何をしようとしているのかしら。教えてくれる?』

 右耳にケイティの声が聞こえてきた。ショウタは声を潜めて呟く。

「今、大事な場面なんだから話しかけんな」

『な!』

 憤慨したケイティの声が耳をつんざいた。ショウタはあわててイヤホンを外す。

『ショウタ! あなたも知っての通り私たちは運命共同体なのよ! あなたの失策でこちらも迷惑を被るの! それに相談してくれれば何か有効な情報を教えることも出来るかも知れない。だから隠し事は止めて欲しいんだけど!』

 あのままイヤホンを付けたままだったら鼓膜が破けていた。そう思うほどの激しい怒号のほとぼりがさめてから、ショウタは再びイヤホンを装着する。

「取り立てて言うほどのことでもないとは思ったんだけど」

 と前置きしてからショウタは説明を始める。

「レイを尾行することにしたんだ」

『尾行?』

「そう。むやみに逃げ回るのは不確定要素が多すぎる。だからレイを尾行することにしたんだ」

 むやみに逃げ回るということは、レイの所在も分からずに逃げ回ると言うことだ。それは常に後手に回ることを意味している。それなら絶えずレイの所在を確認することにしたらどうか? というのがこのアイデアの根幹だ。そして追う者は追われることには気が付かない。鬼ごっこの鬼は普通、自分の後ろに捕まえるべき人間がいるとは思わないものである。考えれば考えるほど、良策に思えてきた。敵の動向を探ることが出来、なおかつ見つかりにくい。これなら残り四時間逃げ切ることが出来るのではないか、という希望も湧いてきたのだ。

「あ」

 そうこうしている内にレイが死角に移動する。ショウタはジャンプをして、見える位置に自分を移動した。尾行に際しても自分のこの瞬間移動能力は適していると思った。普通は立ち入ることが出来ないアトラクションの屋根の上を利用することが出来るのだ。しかもこれなら向こうからは見つかりにくいし、仮に見つかったところで接近しなければ効力を発揮しないレイの能力では、攻撃をしかけることも出来やしない。

『なるほど。それはなかなかグッドアイデアだわね』

 ケイティが感心したようにそう言う。だが――

『園内の監視カメラの画像がようやくレイを捉えて、私も彼を観ることができるようになったけど――。こういう場合はどうするの? ショウタ』

 ショウタの視線の先に居るレイは何を思ったのか、確固たる足取りで、とあるアトラクションの施設内に入って行ってしまったのだ。こうなると屋外からではレイを確認することが出来ない。そしてショウタはそのアトラクションが何であるかを確認したとき、愕然とした。

 『メイズ・オブ・ミノス』

 地下迷宮を模したアトラクションであり、自動で動くカーゴに乗って暗闇の中の地下を移動する。行く先々イベントがあり、その結果次第によりカーゴの行き先は分岐し、最終的な終着地点は園内の六箇所のどこかに到着することになる。そのランダムさを楽しむアトラクションであるはずのだが、今のショウタたちにとってその趣向は最悪だった。なぜなら出口で待ち伏せすることが出来ないのだ。このままだと六分の一の確率でレイの姿を見落としてしまうことになる。

「くそ、追うぞ!」

 ショウタは舌打ちをして、ジャンプを敢行しようとするショウタの耳に冷静な声が聞こえてくる。

『ショウタ。それは愚策よ。そして間違いなく、これは罠よ』

「……どうしてそんなことが分かるんだよ」

『今さっきのレイの行動だけど、あなたがレイを視野に入れたのを確認してから『メイズ・オブ・ミノス』に入ったように見受けられたわ』

「そんなはずは……」

『考え直して、ショウタ。相手はあなたを音もなく殺したレイなのよ? たぶん、彼は何らかの訓練を受けているプロ。こんな素人が考えつきそうなこと絶対に予想しているわ』

「まさか……」

 と言いかけて口ごもった。思い返してみれば、レイは途中まで自分の正体を強固に隠し通していたほど、己のミッションを遂行することに忠実である。ケイティの言う「何らかのプロ」というのは恐らく本当なんだろう。そしてショウタ自身、閉鎖空間の恐ろしさは嫌と言うほど身に染みている。あの『スケアリー・ロッジ』での惨劇。敵がどこに隠れているのか、どこまで接近しているのか分からない恐怖。その恐怖が心の中に再び蘇りショウタは身震いした。

 確かにケイティの言うことは一理ある。それにこちらの勝利条件は逃げ切れば勝ち、なのだ。無理して追尾する必要もないのだ。

 ふうっと小さく息を吐いた。そしてゆっくりと目を瞑る。

「分かった。じゃあ迷宮の六つある出口のどこかにヤマをかけることにしよう。そこで見つかったらラッキー。そうでなかったら仕方がない、ということだ」

『それがいいわ』

 スマホの向こう側からほっと息を吐く声が聞こえてきた。ふと隣を見るとユメも安堵の表情を見せている。

「よかったよぉ。あんなところに入るなんて、怖くてしょうがなかったよぉ」

 ケイティとユメの声を聞いてショウタは期せずして自分が最良の選択したことに気付く。そして相談する相手がいるということの有り難さに気付く。もし自分一人だったら、間違いなく『メイズ・オブ・ミノス』の中に突入していたところだ。ショウタはユメににっこりと微笑みを返して、次の行き先へとジャンプを開始した。


 『メイズ・オブ・ミノス』の入り口から外を伺い、尾行を諦めたショウタたちを確認すると、レイは自分の中のショウタの情報を書き換えなければ、と考えた。

 意外に慎重だ。引くときは引かねばならぬことを心得ている。現状を理解出来ない兵士は早死にする。戦場は意地を張る場所ではない。いかに生き抜き、そしていかに敵を下すかの判断を冷徹に行う場所なのだ。そう言う意味でショウタは早死にするタイプではない。――いや、早死にするタイプではなくなった、というべきか。

 レイはふと、一度は自分がショウタを殺したことを思い出した。恐らくは死地を経験して、成長した、ということなのだろう。レイはそう解釈した。

 レイがショウタを捉えるためには接近戦に持ち込まなくてはならない。少なくとも半径五メートル圏内に接近してショウタの能力を無効化しないことには、指の隙間からすり抜ける魚のように、ショウタを逃してしまう。そういう意味で今回の作戦はショウタを接近戦に持ち込むためのものだった。逃亡者は得てして途中から追跡者の背後に回ろうという意識が働く。その意識を利用しようとしたのだが、今回対象はその誘いに乗ってこなかったようだ。

 さて、どうするか。

 レイは時刻を確認する。

 午前八時三分――

 あと一時間もしない内に開園時間であり、あと二時間もしない内にゲームは終了時間を迎える。ふとレイの脳裏に一つのアイデアが浮かんだ。果たしてその策に相手は乗ってくるか? いや乗ってこなくても良い。どちらにしろあと二時間以内でショウタとユメの命は奪わなくてはならないのだ。こちらの用意した策に乗ってこなくとも、二人は力尽くで殺る。これは確定事項と言える。

 そしてレイは再び油断のない足取りで園内を動く。最後の闘いに向けて。


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