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第十二話 The end

第十二話 The end


 閉園時間も過ぎ、客のいない『エンドレス・ワールド』内をショウタとユメは手を繋いで歩く。

 レイにはあの池の中の島に留まるように説明し、置いてきた。相変わらず言葉は喋らないが、ショウタの言いたいことは分かってくれたようで、こくりと首を縦に振った。

 各アトラクションは皆、自動で動くように設定してあるようだ。通常は恐らく徘徊しているはずの警備員やメンテナンスのスタッフの姿も見当たらない。普段からこういうことをしているわけがないので、これは完全に『数学者の銀槌』仕様の二日間ということだろう。つまり夜間まるまる二日間をこのゲームの主催者が貸しきりにしているということと同義だ、ということだ。そう考えるとこのゲーム運営組織の巨大さを感じられて改めて無力感と恐怖を感じる。だが、今はそんなことよりいかにユメとこの残された時間を楽しむか、だ。ショウタは極力辺りに注意を払いながら、隣のユメに問いかけた。

「ユメ、何に乗りたい?」

「うーん? そうですねぇ……」

 ショウタはポケットから取りだした『エンドレス・ワールド』の地図をユメに見せた。ユメは地図を食い入るように覗き込みながら、うんうん唸っている。

「ここは、前行ってあまり面白くなかったなぁ。ここは行っていないけどぉ良い評判を聞いていないしぃ。じゃあ……」

「ここ!」と行ってユメが指差したアトラクションを見てショウタは顔面から血の気が引くのを感じていた。

「マジですか……」

 それは国内最大の高低差を誇る最凶の絶叫ジェットコースター、『ハイスピード・サムライ』だった。

 

「ショウタ! ショウタ! 楽しかったねぇ! ね、ね、次はあれに乗ろうよぉ!」

 落下型のアトラクション『ジオ・ゲイト・ランディング』を乗り終えたユメは飛び跳ねながらショウタを促す。

「……はは、そうだね」

 力なくそう呟くショウタは次にユメが指差すアトラクションを見て悲鳴を上げそうになった。それも絶叫系アトラクションの『ロックンロール・サーカス』だ。初めてデートした時は遠慮をしていたのだろうか。こんなに激しい趣味ではなかったような気がする。そのことをユメに訊いて見ると「ほえ?」と不思議そうな表情でショウタの顔を見返す。そしてしばらくしてから何かを思い出したかのようにぱあっと破顔した。

「ああー。確かに昔は絶叫系、好きじゃなかったよぉ。食わず嫌いってやつでさぁ。でも一度でも自分の命の残りっていうのを考えちゃう経験があるとさぁ。後悔っていうか、やり残しはしないようにしたいと思うようになるんだよねぇ。そういう意味で今回ショウタと一緒に絶叫系アトラクションに乗ることが出来て、嬉しかったよ?」

 ショウタは思わず天を仰いだ。相変わらず自分は物事を察するということに疎いと思った。夜空に散らばる星たちの姿がぼやける。それが再びはっきり見えるようになるまで、ショウタは上を向いていた。

「? どうしたの? ショウタ」

「いや、なんでもない」

 ユメから見えないように目を拭ってから、ショウタはにっこりと笑顔を作った。

「よし! そういうわけなら、じゃんじゃん乗ろうか!」

「うん」

「並ばなくても良いから、きっと一時間も掛からずに全部乗れちゃいますよぉ?」

 喜々として笑い、そして一歩踏み出そうとしたユメは次の瞬間、膝からかくんと崩れる。

「ユメ!」

 あわてて駆け寄ってその腕を取る。久しぶりに握った二の腕は驚くほど細かった。その時点でショウタはまたも自分の察しが疎かったことに気付く。

 いくらスランバーの能力で筋力が強化されていると言っても、体力は病室で寝ていた頃のユメのままなのだ。いくら強力なエンジンを乗せたところで、載せるボディが華奢では結局車体が持たないのだ。

「大丈夫か? ユメ」

 ショウタに支えられながらユメはよろよろと立ち上がった。

「……うん、普段あんまり身体を動かしていないからねぇ。でも、大丈夫! さあ、次行こうよぉ」

 ユメはそう言って進行方向遙か先にある巨大なアトラクションを指差した。ショウタはそちらに視線をやる。それは水族館と一体型のジェットコースター『サブマリン・スライダー』。二人乗りのカプセルが水の中を疾走するというシチュエーションのアトラクションだ。そのアトラクションは絶叫系の中でも比較的絶叫度が低いと言われている。ショウタ自身、興味があったので、ユメの提案は望むところだった。

「よし、じゃあ、行くかユメ。でも無理しないようにな」

 と言いかけたところで、ショウタは妙な違和感を感じた。握っているはずのユメの腕の重量感がとたんになくなったのだ。

 どうした――?

 あわててユメの方を振り向く。振り向くのに一秒もかからないはずなのに、その一秒が果てしなく長く感じて、もどかしかった。

 振り向いた先にはユメの顔があった。ユメは全てを達観したかのような表情をしていた。そしてその特徴的な垂れ目を涙一杯にしてむりやり笑顔を作っていた。

「ショウタ。最後に……一緒に遊べて……嬉しかったよぉ」

 ショウタは自分が握っているはずのユメの腕を見る。それは肘の辺りで綺麗に切断されていた。切断面からは、しとどに深紅の血液があふれ出ていた。続いて反対側の腕が肩から、そして右足の太股が付け根から、左足首が、そして最後にはその首があっさり切断される。その光景をまるで時が止まった世界から眺めているように見つめていた。ユメの四肢が、そして首が切り離されて、次第に大地に落下していくのを、血がまき散らされて空間を染めていくのを、スローモーションで見ているようだった。

 崩れ落ちたユメであった物体の先には一人の男が居た。茶髪の男は俯き加減でほくそ笑んでいる。その男の顔を見るのはこれで二回目だ。一度目はエミを殺された時。そして二回目は今だ。男はくくっと声を潜めるようにして笑うと、小さく口を開いた。

「常々、誤解されているようなのですが、私は人を殺すことが好きではないのですよ。と言っても私自身最近ようやく、自分で自分を理解したわけなのですがね? 私は、人が死ぬ際に見せる悔恨の表情や苦悶の表情を見るのが好きなのです。獲物を狙おうとしていたら逆に寝首を掻かれたときの驚愕。ようやく人に対して好意を持ち出したときに、命を絶たれるという理不尽さ。そして最愛の思い人と再会を喜び合っていた時にそれを断絶させられるという無慈悲。これらは私に至高の愉悦と最上の恐悦を与えてくれるのです」

 上気だった表情でそんなことを述べる男を何の感慨もなく見ていた。血を浴びて、ショウタは頭からつま先まで真っ赤だった。

 ああ、血って暖かいんだな。

 それがその時にまず、感じていたことだった。

「さて、今度はあなたはどんな表情を見せてくれるのでしょうか? 絶望? それとも憤慨? 激怒? はたまたそのまま放心したまま果てますか?」

 じりっと男が歩み寄った。男は余裕の表情を保ったままだ。

「しばらくあなたのことを観察させて貰いました。結論から申し上げますと、あなたの能力である瞬間移動能力では逃走することは出来ても私を攻撃することは出来ないとこいうことが分かりました。なぜなら、瞬間移動能力で攻撃するには次の三つの方法しかないかと思われるからです。一つは何か重量級のものを私の頭上に出現させて落とすと言うこと。二つ目は私に直接接触し、連続ジャンプを駆使して高所に移動し、そして落下させるというもの。三つ目は私に直接接触して、私の身体の一部を削り取る、というものです。だがこれらの攻撃方法は全て有効たり得ません。なぜならあなたの跳躍距離は約五メートルだからです」

 更に男が一歩足を踏み出す。

「その距離は私の能力の有効範囲をとほぼ同じです。ということは攻撃方法その二とその三は不可能ということになる。そしてその一も私には無意味です。それはこういうことだからです」

 男は余裕の表情で大地を指差した。次の瞬間、激しい衝撃音と共にコンクリートで固めているはずの地面が円形に抉れたのだ。男を中心とした半径五メートルの円形状に。

「私はこんな技を編み出しました。能力の発動方法は人によりいろいろあると思いますが、私は平たくて長い布のようなものを『刃』としてイメージしております。一反木綿のようなものを想像して頂くとぴったりかも知れません。今まで私は切断する時に、それを真っ直ぐに対象に向かって発射させるようにイメージしておりましたが、今回あなたのような能力と対峙するにあたって編み出したのが、この方法です。今まで真っ直ぐに対象に向かって発射させるだけだった一反木綿をこのように周囲を取り囲むように回転させることにしたのです。これなら物質による攻撃を受けることはありません。接触される前に対象は全て裁断されることになります」

 男はまた一歩自分に近づいてくる。男はショウタに攻め手が無いことに確信を持っているのか、余裕の笑みをその口元に浮かべている。ショウタの目は焦点すら合っていなかった。近づいてくる男の姿を全く捉えていなかった。それどころか男の話すら訊いていなかった。ショウタの頭を支配していたのは、目の前でバラバラになったユメの身体のことだ。

 早くくっつけないとユメが死んじゃう。助からない。早くこの腕をこの足をこの首を元に戻さないと。戻さないと、戻さないと!

 血まみれの身体でユメの首を掻き抱いた。ユメの表情は最後にショウタに笑いかけた時のままだ。男の接近にショウタは何の注意も払わない。そんなショウタを見て男は眉をひそめた。

「……壊れましたか? それはそれでつまらないですね」

 男は興ざめしたように肩を竦めると、自らの周囲を回転させていた見えない刃物を取り下げた。実はこの使い方は最も体力を消耗するのだ。それは当たり前だ。能力を連続稼働しているのだから。見えない刃の回転を止めたといえども、男は油断することをせずにショウタの五メートル直前で足を止めた。そして小さく念じた。男の頭上に男だけがイメージする薄くて長い布が出現する。そしてゆっくりとその焦点をショウタに合わせる。

「……あなたとの闘いがこのゲームの山場と思っておりましたが。意外にあっけない結末ですね」

 無表情でショウタを見下ろし、そしてその能力を発動させようとした、まさにその時、男は自分を支えている物がふいに消え失せたことに気付いた。

「はい?」

 突然の無重力感とその直後に襲いかかって来た落下感に男の精神は恐慌をきたす。

 なんだ? 一体何が起こった!

 男が果たしてそれを最後まで理解出来たかどうかは定かではない。ただ自分が重力加速度に従って奈落の底にたたき落とされようとしていることと、暗黒に飲み込まれようとしている現状だけは理解していた。


 ポケットの中のスマホが振動する。その振動の意味は分かっている。ゲーム内のプレイヤーが死んだのと、ショウタがポイントをゲットした意味の振動だ。足下にばらばらになったユメの遺骸を掻き抱きながらショウタは大地に崩れ落ちていた。そしてうちひしがれているショウタの周りにはうずたかく積まれた土石の山――。

 ショウタは自分の目前の地面の、深さ二十メートル分の土石を地上へテレポートさせたのだ。咄嗟に、そしてどうしようもない気持ちのまましたことで、何か考えがあってやったことではない。ただユメをこんなにした元凶にどこかに行って欲しいという気持ちがショウタにそんな行動を取らせたのだ。

 初めて明確な意志を持って、人を殺してしまった。だが、罪悪感は少なかった。愛する人を殺されて、その殺した人間に殺意を抱くというのはおかしいことだろうか。理性で感情を抑えつけろと人は言うのかも知れない。報復はむなしいだけだと、識者は言うのかも知れない。だが、そんなものはクソ喰らえだと思った。もうユメは戻ってこないのだ。もうユメと笑い合うことも出来ないのだ。ユメと喋ることも出来ないのだ。心の中のほとんどを占めていたユメという項目の全てが消え失せたのだ。とてつもない喪失感。まるで自分がぺらぺらの紙になったかのようだった。バランスを崩せば、もう立ち上がることも出来ないし、風が吹けばそのままどこかへ飛ばされてしまうだろう。

 人の命を別の人の命で贖う。

 ……なんだ。あれほどこのゲームがクソだ、狂っているだ、言っておきながら、結局同じことを俺はやっているんじゃないか。

 そしてふと思い出す。幼い頃、小鳥の巣を襲ったアオダイショウを叩き殺したことを。蜘蛛の巣に捕まえたコオロギをくっつけてわざと食べさせたこと。そして毎日食卓に上がる、動物の肉。魚。

 なんだ、結局、人は生きているだけで他の命を奪っているんじゃないか。もう初めから血に塗れているんだ、この手は。

 ショウタは自分で自分を責める。そして無意識の内にユメのバラバラになった遺骸を正しい位置に戻していた。バラバラのままではユメが可愛そうだと思ったからだ。この遺体もしばらくしたら『数学者の銀槌』のスタッフが回収に来るのだろう。昨晩、惨劇が繰り広げられた『スケアリー・ロッジ』も今朝、覗いてみたら綺麗に何もなくなっていた。このユメの遺骸も同じく持ち去られてしまうのだろう。

 結局、好きの一言も言えなかった、な。

 そう思うと、今まで何の反応もしなかった涙腺が堰を切ったように涙を溢れさせた。声を上げて泣きたかったが、もうここ数年泣いたことなどなかった。泣き方なんか忘れてしまっていた。ただ顔をくしゃくしゃと歪ませて、心が嘔吐くように何度も悲鳴を上げて、そして身体を干からびてしまうのではないかと思うくらい涙を流して――。

 ――ショウタはいつまでもユメの遺骸の前で泣き崩れていた。


 ショウタ……。

 ケイティは号泣しているショウタを見て心を痛めた。ケイティは今、『エンドレス・ワールド』直近のホテルの一室に居た。目の前にはノートパソコンが広げられており、画面にはいくつかのウインドウで映像が流している。その内の一つがショウタのシャツのボタンに内臓されている小型カメラの映像だ。そこにはショウタの正面に無残に殺されたユメの遺体が転がっている。それと同時にカメラが微妙に上下動し嗚咽するショウタの動作が伝わってくる。もちろん、声もヘッドホンから逐一聞こえてくる。

 恐らく目の前で惨殺されたユメという女性はショウタの想い人だったのだろう。詳しいことはショウタからは訊いてはいないが、ここまでの二人のやりとりを訊いていればそれは分かった。ショウタがユメと再会してからはケイティはなぜか自分の心の中がざわつくのを感じていた。このゲームが始まって、ここまで二人で協力して死線をくぐり抜けてきたという自負があった。いろいろ行き違いはあったけれど、心のどこかで繋がったという感じもあった。だからそこで登場してきたユメという女性にケイテイは激しく不快感を感じていたのだ。だが、そのユメも死んだ。痛ましい死に方と、ショウタの想い人が亡くなったことで胸は痛んだが、心のどこかで安堵していたのも事実だった。ケイティは自分のそんな感情の動きに気付き、激しく自分を恥じた。

 ケイティはぶるぶると小刻みに首を横に振る。

 何を考えてるの、私。今はそんなことを考えている場合じゃない。現状を認識しないと。

 ノートパソコンに向き直り、かたかたとキーボードに指を走らす。殺人鬼の男、キリヒトの所持していたポイントとキリヒト自身のポイントがショウタに移動することになり、ショウタは計八ポイントの獲得となる。キースのプレイヤーは恐らくこのキリヒトだったのだろう。伝え聞いた噂では、キースは自らプレイヤーを指定したと訊いた。本来はくじ引きでプレイヤーは割り当てられるのだが、金を積めば例外的にプレイヤーを自ら発掘し、指定することも出来る。ただ、スランバーを飲み込んだときに発現する能力までは分からないので、せっかく選んできたプレイヤーがたいした活躍もせずに終わることも多い。さすがにキースはそこまで間抜けなことをするわけはないので、恐らく能力無しでも有能なプレイヤーを選択してきたのだろう。それがあの殺人鬼のキリヒトだったというわけだ。刃物を使うことに長けているキリヒトなら、仮にテレパスのような攻撃には不向きな能力を発現してしまったとしても有効に活用出来るわけだ。だが、そのキリヒトも死んだ。残るはあの無害なレイのみとなるので、もうショウタの勝利は確実だった。

 私はキースに勝ったんだ……。

 達成感と安堵感に包まれてケイティは大きく背伸びをした。本当は嬉しくて飛び跳ねたかった。誰かと喜びを分かち合いたかった。だが、今のケイティには誰も居ない。唯一の味方だと思っていた執事は実はキース側の人間だった。ショウタは今は傷心で話しかけられる状態ではない。

 一人でお祝いしちゃおうか、な。

 ケイティは冷蔵庫からしっかり冷えたシャンパンを取りだした。わずかにアルコールが入っているが、ケイティの母国では未成年でもアルコールは問題がない。同じく冷やしておいたシャンパングラスに黄金色のそれを注ぎ込む。そして自分一人で「ツム・ヴォール」と囁いてグラスを掲げた。と、その時。黄金色の液体のその向こう側にノートパソコンの画面のとある一文が目に入った。そこにはナビゲーターのみに知らされる残った生存人数とその性別だ。

 『生存者数 男性二名』

 ――どういうこと?

 ケイティは掲げていたグラスを机の上に置き、パソコンに向き直った。

 ショウタは男。それは確実。そして生き残っているのは男性が二名。ということは必然的にレイも男――。

 レイはニューハーフなの? それにしても女だと偽るのは不自然ね。おかしい。嫌な予感がする……。

 ケイティは画面の中の一つのウインドウの気が付いた。

 さっきからレイの小型カメラから流れてくる画像がぴくりとも動いていない。例え寝ていたとしても人は呼吸のためわずかにでも動く物である。そのことはこの二日間でケイティは嫌と言うほど知った。上下動のする画面を見続けていると酔うのである。しかしその画面が微動だにしない。これは間違いなく小型カメラを外してその場所に置いてきた、ということである。ここまで小細工が出来る人間って……。

『ショウタ! 気をしっかり持って! レイに気をつけて! たぶんレイは――』

 

 ようやく落ち着いてきた。とはいえ心は悲しみで満ち満ちている。何かの拍子でそれは簡単に溢れてしまいそうだった。ゼツボウの金切り声が聞こえてきたのはその時だった。

『ショウタ! 気をしっかり持って! レイに気をつけて! たぶんレイは――』

 レイ? レイが一体どうしたっていうんだ?

 頭がようやく残してきたレイについて思考を始めようとした時、自分の背後に誰かが居ることを感じた。

 とはいえ、物音が聞こえたわけでも、衣擦れの音が聞こえたわけでもなかった。ただ人間が持つ本能的な物が『そこに何かが居る』ということを知らせたのだ。そして本能はさらにアラートを鳴らす。生命の危機を――

「!!」

 跳べ!

 何の逡巡もなく本能に準じてショウタは念じた。それはこの二日間の経験のたまものだった。嫌な予感、というのは全てに於いて理由があるものだ。自分の五感が「今までと違う」「何かおかしい」ということを微妙な差違から嗅ぎ取ったからこそ、「嫌な予感」という感覚を得るのである。それは五感から鳴らされている警鐘なのだ。それに即座に準じるかどうか、それが生死の境を分ける。ショウタはこの二日間でそれを嫌と言うほど理解した。だから今回も意志決定まで何のタイムラグもなかったのだ。なのに、である。

 ――能力は発動されなかった、のだ。

 次の瞬間、聞いたこともないような音を立てて首が掻き切られたのを知った。痛みは感じなかった。代わりに冗談のように自分の血が噴き出しているのを感じた。

 ああ、頸動脈を切ると噴水のように血が噴き出すって本当なんだ。

 ショウタはそんなことをまるで人ごとのように感じていた。そして自分が殺されかけているなんてことも考えてはいなかった。

『ショウタ! ショウタ!!』

 あ、俺、死ぬのか。……でもユメも死んだんだし、それも別にいいか……。

『ショウタアアアッ!』

 ゼツボウの絶叫をBGMにして、薄れゆく意識のなかで、ショウタはそんなことを考えていた。


*****************************************


 『良くやったレイ。さすがは前回の『数学者の銀槌』の経験者にして生存者だ。キミを選んで正解だった』

 「光栄です」

 直接見えてはいないというのに、レイは律儀に頭を下げてキースのその言葉に応える。その声は低くはないが決して高くもない。明らかに女性の声ではなかった。ショウタが崩れ落ちる直前にレイのマフラーを掴んだ。そのせいでレイの首があらわになる。白くてなめらかな肌ではあったが、そこには男性の特徴の一つである喉仏がしっかりと存在していた。


 『レイ』

 海外で傭兵を経験した元軍人である彼には女装癖がある。元々小柄である彼が本気で女装すると実際誰も見分けが付かない可憐な美少女に変身する。今回、レイがスランバーによって習得した能力は『相手の能力を無効にする能力』。レイに対して直接行使されようとする能力は彼の意志によって無効にすることが出来る。またレイが能力者に直接触れると対象の能力は無効化される。自らからの肉体を極限まで鍛えたと自負している彼は、スランバーによる能力など不要と考えていた。そんな彼が今回このような能力を発現したのは至極当然と言えよう。ちなみに前回の『数学者の銀槌』で彼が発現した能力は身体を鋼鉄に変える能力だったが、彼はその能力を一度も使うことなく全プレイヤー殺害を敢行した。


 キースとの交信が終わるとレイはスマホ画面を確認した。生存者を現す人間マークは一つを残して全て色が反転していた。そして右上の星マークは九個。それはレイの完全勝利を意味している。それらを確認したところで表情を変えることもなく、スマホを元のポケットに戻し、そして隙のない足取りで歩を進める。一体何を警戒しているのか、レイは油断無く辺りに視線を配り、そしてどんな状況にも対処出来るように身体の重心を保って移動する。これは別に何かが攻撃を仕掛けてくることを警戒しているわけではない。これが彼のいつもの歩き方なのだ。いついかなる時も油断せず。平常時と非常時の区別は無し。それが彼の座右の銘だった。

 しばらくして彼はエントランスへと到着した。この時点で時刻は深夜の三時十三分。当然のことながら閉園時間を過ぎているので、クローズされている。無理矢理乗り越えて退場することも出来るが、果たしてそれは大丈夫なのか。他プレイヤーが残っていないので、レイの完全勝利は間違いがないのだが、ルール上は「四十八時間のゲーム」であり、「領域外に出たら死亡」である。このまま退出したら死んでしまう可能性もあるというわけだ。前回の『数学者の銀槌』ではレイは制限時間ぎりぎりで全プレイヤー殺害に成功した。その為、このケースの知識は持ち合わせていなかった。恐らくそれを危惧したのだろう。

 レイのその考えを察したのか、すぐさまキースから連絡が入った。

『レイ。場外に出るのは少し待て。今、事務局に確認する』

「了解致しました」

 そしてキースからの連絡を待つためにポケットから再びスマホを取り出す。と、その時だ。レイはスマホの画面に不自然な表示を発見したのだ。左下に表示されている人間マークが三つ点灯していたのだ。さっきまでは一つだったというのに……。そして右上の星マークは一つだけに戻っている。これらが指し示すこととは一体……?

『こ、これは……?』

 ナビゲーターのキースもそれに気が付いたようでスマホ越しにうめき声が聞こえてきた。人間マークが三人分点灯し、星マークが一つだけに戻った理由。それは冷静に考えて一つしかない。ショウタとユメが生き返ったのだ。だが、どうやって? 

 レイは自問自答した。

 ひょっとするとあの時、自分はショウタを殺し切れていなかったのだろうか? 確かに自分はショウタの死を確認しなかった。だが、あの首の頸動脈を完全に切断した状態から生き残れる人間などいない。とするとなぜ?

 すぐさまレイは行動を開始する。油断のない足取りはもちろんのこと、今度は物陰に身を潜めながら『エンドレス・ワールド』園内を移動する。やがて、辿り着いたのはつい先ほど、ショウタを殺害した現場だ。そこにはショウタとキリヒトの戦闘の痕として、うずたかく積み上げられた土石がそのままに残っていた。そしてその周囲にはまき散らされた血液が赤黒く染みている。だが、その血液をまき散らしたであろうショウタの遺体がない。それどころかユメの遺体もない。スタッフが早々に処理したのかと考えたが、それならこの大量に積まれた土石も同時に処理しなければ不自然である。

 レイは目の前にある事象から冷静に結論を下した。

 ショウタとユメは生きている、と。

 そう結論づけた後のレイの行動は早かった。すぐさま直近の木陰に隠れるとそのまま気配を消した。そして木陰から木陰へとまるで猟犬のように貪欲に、それでいて密かに移動を開始する。

 狩りが始まったのだ。

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