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第一話 Introdauction

第一話 Introdauction

「いかがでしょうか。お目覚めかしら?」

 うっすらと目を見開いて見ると、そこは見知らぬ部屋だった。

 薄暗い。

 部屋には窓はなく、照明もない。照明が点いていないのに、薄暗い、と感じた理由は何なのかと、目覚めたばかりのけだるい頭で考えたショウタは、目の前にあるディスプレイに気が付いた。煌々と光を放っているディスプレイ。これがこの部屋の中の唯一の光源となっているのだ。画面の中ではスーツ姿で隙のないメイクをした女性がスチールのイスに座って足を組んでいた。すらりとした足は魅力的で思わず目を奪われてしまいそうになる。女性はにやりと意味深な笑みを口元に湛えてこちらをじっと覗き込んでいる。

 ディスプレイの大きさは二十六インチくらいあるだろうか。その上には小型カメラが設置してあって、こちらを向いている。女性はそれでこちらの様子を観察しているのだろう。自分はソファに腰掛けていた。意外にそれは高級そうで座り心地が良かった。今までそこで眠り込んでしまっていたのも理解出来る―― 

 眠り込む? どうして自分は眠り込んでいたのだろうか。そしてなぜ、この見知らぬ部屋にいきなり放り込まれているのだろうか。

 ショウタはようやく活動を再開した自分の頭をフル回転させて、自分の記憶をさかのぼっていた。

 そうだ、俺は確かあの時、妙な男に出会ったんだ。それからおかしな話を訊かされて――

 ショウタは数日前の出来事を思い出していた。


                    ***


 ショウタはいつもそこに行く度に気が重くなる。

 白を基調としたコンクリートの巨大で重量感のある建物。いわゆる病院というやつだ。俯き加減で背中を丸めて座っている病人たちで混雑したロビーを抜けてエレベーターホールに入る。行く先はいつもの七階。

 病院はいつも不快な匂いがした。糞尿の匂いと生ゴミの匂いをミックスさせてそれをむりやり消毒液で上書きしたかのような匂い。いつ来ても好きになれない匂いであり、施設だった。重苦しい音を立ててエレベーターが止まり、ショウタを七階のフロアへ吐き出す。

 行く先は決まっている。右から三番目の病室。『如月ユメ』と書かれた名札を目の端で確認してショウタは扉をノックした。しばらくして中でごそごそとした衣擦れの音がした。その音から緩慢な動作だということが容易に想像が付く。ショウタは顔を顰めた。

「……どうぞ」

 中から弱々しい声で返事がある。ショウタは廊下にいる間に思い切り息を吐いた。暗い気持ちを全て息と一緒に吐き出すかのように。

  病室の壁は淡いピンク色だった。そのおかげでこの部屋だけわずかに暖かさを感じる。

「わあ、ショウタ、いらっしゃい」

 窓際にベッドが設置されていて、そこに一人の少女が寝かされていた。

 少女――ユメはその特徴的な垂れ目を優しそうに細めるとにっこりと微笑んだ。そして手元のスイッチを使ってベッドの上半身部の角度を付けようと右手を動かすが、その動作は緩慢でなかなか捗らない。

「いいよ。俺がやる」

 ショウタは素早くスッチを見つけ出すと押した。するとベッドの上半身部分が自動でせり上がってくる。

「これくらいか?」

 ショウタのその問いにユメはこくりと頷き、そしてショウタはスイッチを手放した。ユメはそれだけのことなのに疲れたように小さく息を吐くと、窓の外を見た。六月の緑色の風がカーテンをさわさわと揺らす。ユメは気持ちよさそうに目を細めた。その様子を見てショウタは悲しくなり、嬉しくなり、そしてせつなくなり、やるせなくなる。だが、極力感情を表に出さないように努めた。

「もう夏服なんだねぇ。季節が移るのって早いねぇ。私が入院した時って、まだ桜が咲いていたのになぁ」

 独特の間延びしたような話し方で、そんなことを楽しそうに話すユメに少し感傷的になる。本当だったら今頃同じ学年で一緒に学校を通っていたはずなのに、と。だが、ユメと一緒に学校に通うことはこの先永遠に訪れることはない。

 ユメは身体の筋肉が衰えていく難病だった。このまま放置しておくと恐らくあと一年の命ということだった。実際ユメはすでに介助なしでは立ち上がることが出来ない。さっきのようにベッドのスイッチを動かすだけでも難儀をしているくらいだ。日に日に衰えていくユメを見ていくのは辛いことだった。

 ユメと出会ったのは中学一年の始業式の時だった。まだ席も決まっておらず、みな適当に座っていた時、消しゴムを忘れたショウタがたまたま隣の席にいたユメに借りたのがきっかけだった。それから良くお喋りをして、良く一緒に遊びに行って、そしてどちらから告白することもなく付き合いだして――。ショウタはそのままきっと高校に行っても大学に行ってもユメと付き合っているんだろうな。そんなことを漠然と考えていた。ところが、高校一年の夏に彼女は、突然この難病を発症したのだ。

 余命、あと一年だということはユメ自身も知っている。残りの日々を有意義に過ごして欲しいという両親の決断により、それは本人に告げられた。実は治療法がないわけではない。アメリカのとある医療施設で開発された最新の画期的な治療法があるという。だが、それには日本円にして約一億二千万円の大金が必要とのことだった。ユメの両親は募金を募ったりして、いろいろと頑張っているようだったが、現時点に於いて目標金額の十分の一にも達していなかった。漠然と、ダメなんだろうな、という雰囲気が両親にもユメにもそしてショウタの中にも漂っていた。

「ねえ、ショウタ。一緒に『エンドレス・ワールド』に行った時のこと覚えているぅ?」

 突然何を、と思ったがベットの上に置かれている雑誌を見て納得がいった。そこの女性向け週刊誌の表紙には『夏休みに行く、エンドレス・ワールド特集!』の文字が躍っている。

 『エンドレス・ワールド』は国内最大の遊園地だ。広大な敷地の中にありとあらゆるアトラクションが押し込まれており、そのどれもが好評を博している。そしてこの『エンドレス・ワールド』の最大の特徴は、その名前の通り次々と真新しいアトラクションが作られていくことにある。不人気のアトラクションは一年で取り壊し、新機軸のアトラクションを建造するのだ。『終わりのない遊園地』。それが、リピーターを増やしている理由でもある。

「ああ、覚えているよ。いきなり雨が降ってきたんだよな。それでびしょ濡れになって」

「……で、ダムベエが傘を貸してくれたんだよねぇ。……楽しかったなあ」

 ダムベエと言うのは巨大遊園地『エンドレス・ワールド』のメインキャラクターの黒いファンシーなクマのことだ。ダムベエはユメのお気に入りだった。実際このベッドの枕元にもダムベエのぬいぐるみが置いてあるくらいだ。

「……ねえ、ショウタ。また行きたいねぇ」

「……」

 ショウタはそれに対して何も答えられない。なぜなら、これから病状がどんどん悪くなるユメなのだ。一緒に外出することは九分九厘あり得ない。それはユメも分かっているはずだ。そんなユメに対して自分はなんて言葉を返したら良いのだろう……

「……うん、そうだね」

 ショウタはそれだけしか言えない自分を恥じた。ここは嘘でも「おう! 元気になったらじゃんじゃん行こうぜ!」とでも言うべきだったんだろうか。しかしそんな上っ面だけの言葉はユメを傷つけるだけなんじゃないだろうか。

「……ごめんねぇ。変な事言った」

 ユメはそう言って再び窓の外の曇り空に目をやった。その時だ。病室の扉を軽快にノックする音が聞こえてきた。

「コウジだけど……入っていいか?」

 ショウタもユメもその声に相好を崩す。

「……どうぞ」

 ユメの返事を待って、一人の高校生男子が部屋に入ってきた。

「なんだよ、ショウタも来てんのか」

「俺がいちゃ悪いのかよ」

 そう言ってショウタとコウジは顔を見合わせて、お互いに失笑する。その様子を見てユメも楽しそうに微笑んだ。

 コウジはショウタの親友だった。知り合ったのは中学校一年の時だから、ユメと出会った時期とほぼ同時期と言える。ショウタとユメが付き合いだしてからもコウジと三人で遊びに行く事は多かった。ユメのとってもコウジは仲の良い男友達なのだ。ショウタの誕生日プレゼントの相談などはコウジにしていたようだ。何事もあけすけなコウジはそのことも逐一ショウタに喋ってしまい、誕生日当日は何のサプライズもなかったというのは今から思い返すと良い思い出だった。コウジはいわゆるちょい悪の高校生だった。優等生のショウタはコウジにいろいろと悪い遊びを教えて貰った。学校をサボって遊びに行ったこと。コウジの家で酒を飲んだこと。夜のクラブにナンパしに行ったこと。そのどれもが真面目なショウタには新鮮で面白かった。そして自分の視野を広げてくれたコウジにはショウタは口には出さねど、心の中で感謝をしていた。

「そうそう、ユメ。頼まれていたマンガ買ってきたぜ」

 コウジはそう言ってカバンの中から数冊の少女漫画を取り出す。

「うん。ありがとう」

 ユメはにっこり笑ってそれに答えた。コウジはその笑顔を確認してほっと安堵したような表情になる。ショウタは手渡された少女マンガの表紙をざっと盗み見た。どれもたわいもないギャグマンガのようだ。最近、ユメはストーリーマンガや恋愛ものを読まなくなった。その理由は訊いたことはないが、なんとなく分かるような気はする。

 恐らく『物語』を見たくないのだ。ハッピーエンドもバッドエンドも見たくないのだ。ユメはこの先、物語を紡いでいくことなんて出来ない。たぶん未来にはどんなドラマも待ち受けてはいないだろう。例え素敵なドラマが待ち受けていようとも――一年後にはその全てが終わってしまうのだから。だから最近、ユメは刹那的で瞬間の愉悦を与えてくれるギャグマンガを好むようになったのだ。

 ショウタとコウジはそれからたっぷり一時間はユメの病室で談笑し、そして退室した。ユメの病室からの帰り道はいつも話題に困る。だから最近は前日に見たドラマやバラエティ番組の話題を振るのが日課になっていた。コウジとそんなたわいもない話を交わして、病院から出て、そしてユメの病室の窓を確認して、ショウタは再びコウジと並んで帰途の道へ足を踏み出そうとした、その時――

 隣を歩いていたコウジの足がぴたりと止まっていたことに気が付いた。ワンテンポ遅れてショウタも立ち止まり、怪訝な表情でコウジに声を掛ける

「おい、どうしたんだよ――」

 その声は途中で止まった。コウジの視線が自分ではなく、前方に向けられていたからだ。コウジの視線を追ってショウタはその方向に視線を走らせた。

 ショウタとコウジの行く手には一人の男が佇んでいた。落ちかけた西日をバックに薄気味悪い笑顔をその顔に貼り付けて、こちらをじっと見ていた。完全にショウタとコウジの進行方向上におり、その隈の出来た両の目は上目遣いにこちらを覗き込んでいたから間違いなく、自分たちに用事があるに違いない。どうしてそうなったのかは分からないが、顔は右斜め上に引っ張られたように歪んでいた。

 ――異相とはきっとこういうことを言うのだろう。

 ショウタはその男と目が合い、ごくりと唾を飲み込んだ。

「いやいや、すみません、すみません。ちょっとお話を聞いて頂いてもよろしいですかね」

 男はそう言って距離を詰めてくる。有無を言わさない強引さ。だからと言って無視を出来ないタイミングと距離の縮め方をその男は知っている。

「な」

 からからになった喉でショウタはようやく声を出した。

「な、なんなんですか、あなたは」

「あれあれ、すみません、すみません。私はこういうものでしてね、恐らく、今のあなた方に必要な話を持ってきたものなんですがね。なんですがね?」

 回避出来ない至近距離で突き出されたその名刺には『押切幸之助』と名前だけが書かれていた。それ以外の情報は全くない。こんなものを名刺と呼んで良いのかどうか。

「うさんくせえ。行こうぜ、ショウタ!」

 コウジが苛立ったようにそう声を荒らげた。そして強引に男を押しのけて先へ進もうとする。うさんくさい。それには同意だ。ショウタはコウジに倣って、男を押しのけようとする。すると――

「あれあれあれ、そんなことで良いんですかねぇ。あなたがたの友人の如月ユメさんを救う方法があると言ったらどうしますか。どうしますか?」

 その瞬間ショウタの動きは止まった。というか止まらざるを得ない。なぜ、ユメの名前を知っている。それにその事情まで! ショウタはその押切という男にこの時点に於いて初めて憎悪を抱いた。

「てめえ!」

 コウジが押切の胸ぐらを掴み上げる。押切は猫背ということもあり、高校生で長身のコウジよりも小さかった。その為、わずかに持ち上げられる格好になる。

「冗談でもそんなことを言うのは許さねえ!」

 ショウタもそれに同意だった。ユメの病状を弄ぶことが許せなかった。あと一年しかないユメの残りの人生を何の関係のない男に話題にされるのが、許さなかった。恐らくコウジもそんな気持ちなんだろう。

 しばらくへらへらと笑い続けている押切の顔を睨み付けていたコウジであったが、やがて突き放すかのようにその胸ぐらを手放した。押切は無様によろよろと蹈鞴を踏む。そしてコウジは押切に一瞥することもなく背を向け、ショウタを促して立ち去ろうとした。

「いやいやいや、良いんですかねえ。このまま立ち去ってしまっても。治療費の一億二千万を稼ぐ方法があるのですがね。がね?」

 驚くべきことに押切は全く堪えた様子がなかった。それどころか、ショウタ、コウジの背中に言葉を投げ掛け続ける。

「ゲームに参加すれば五千万。そこで相手を倒せば一人につき一千万。あなた方二人で参加して、一人ずつ敵を倒せば、それだけでユメさんの治療費が算出される計算です。いかがですか。いかがですか?」

 ゲームに参加すれば一億円。相手を二人倒せば二千万円。

 『ゲーム』という軽いニュアンスの言葉に騙されたのかも知れない。金額の多さに心がぐらついたのかも知れない。またショウタという友人が傍らにいたこともあったのかも知れない。

 コウジは立ち止まってしまった。そして振り向いてしまった。そして押切に応えてしまった。

「……話を聞くだけでも良いんだな?」

「コ、コウジ!」

ショウタは驚いて目を剥いた。押切は卑屈そうに上目遣いでコウジを見上げて、そしてショウタに視線をやった。

「ええ、それは、もう……」


 ショウタたちは数分後、病院近くの喫茶店に移動していた。喫茶店は大手チェーン系の喫茶店。適度に混んでいて、こんな怪しげな中年男性と高校生二人が来店したというのに、誰も注意を払うことがない。押切は二人にアイスコーヒーを甲斐甲斐しく買ってきて、そして自らもイスに座った。

「……さてさてさて、何から説明したら良いでしょうかね。でしょうかね?」

 一口コーヒーを啜った押切は卑屈そうにショウタとコウジの目を覗き込む。ショウタはその目を見ているとイライラしてくる自分に気が付いていた。

「まず、そのゲームについて説明してくれ」

 コウジは押切を促した。自然と口調も尊大に、そして荒々しくなってくる。相手は初対面で、しかも目上だというのに。その気持ちは分かる。押切の言動がいちいち癇に障るのだ。恐らくショウタが受け答えをしても同じ状況になっていたと思う。

「はいはいはい、そうですね。そこから説明しなくてはいけませんね。いけませんね?」

 押切はコウジではなく、ショウタの瞳をじっと見た。ぞくり、とショウタは身体に震えが走るのを感じた。その言葉を境にして押切の雰囲気が一変したのをショウタは感じた。

「『数学者の銀槌(マツクスウェルズ・シルヴァ・ハンマー)』」

 押切は一語一語はっきり区切ってそう言った。

「そのゲームの名前はそう称されます。エントリーしただけで五千万円が前金として渡されます。ゲームは特定のフィールド内で行われる総勢十名のバトルロイヤルとなります。自分以外の誰かを倒すと一ポイントが加算されまして、すでにポイントを持っている人間を倒すと、その人間の分のポイントも獲得出来ます。ゲームは四十八時間で終了しまして、終了時に獲得していたポイントは一ポイント一千万円にて精算されます」

 そこまで一気に話して、押切は手元にあるコーヒーを啜った。

「倒すって……?」

 コウジが口を挟んだ。そう、そこはショウタも疑問に思っていたポイントだ。倒すの定義はなんなのか。各個人、何かそれに相応する物を持っていて、それを奪えば倒したことになるのか。それともその字面通りに叩き伏せれば良いのか。それともう一つショウタは疑問に感じたことがある。それは――

「……ゲームに参加しただけで……そして誰かを倒しただけで、それだけの大金を手に入れられる理由が分からない。……その大金に見合うだけのリスクみたいなもんがあるんじゃないのか?」

 ショウタが訊く。コウジ、ショウタ二人の質問に対して、深く首肯する押切。

「なるほど、なるほど。お二人ともなかなか理解が早くて助かります。このゲームの根幹に至る部分を真っ直ぐに指摘されてきましたな。これだけの大金をただの一個人がいきなり手に入れられる理由。それは――」

 押切はそこで一度言葉を区切って、そしておもむろに自らの右手を自分の左胸に当てた。

「――命です」

 一瞬、騒がしい喫茶店の店内が静まりかえったような気がした。自分とコウジと押切以外のすべては真っ白に塗りつぶされて、そして無音になった。だがしばらくして、それは自分の錯覚だと言うことに気付く。

 ショウタは耳を疑った。何か似たような単語を聞き間違えたのかと思った。だが、押切の不敵な笑みや、その左胸を押さえているのその行動を見る限り、訊いた通りのことなのだろう。

「つまり倒す、というのは相手を殺す、ということなのです。一人殺せば一千万円ということなのです」

「いい加減にしろよ!」

 ショウタはいきりたって立ち上がった。その様子に周囲の客が一瞬、ショウタたちに注意を払う。押切は表情を変えることもなく、そんなショウタを観察している。

「あらあら。ただ普通のゲームをしただけで大金が貰えるとでも思っておりましたか? そうではないでしょう。あなただって、訊いたではないですか。『大金に見合うだけのリスク』と。これがリスクです。人を殺すこと。その禁忌を越えることが出来るかが、大金を手に入れることが出来るかの境目と成ります」

 周りの視線が気になる。ショウタは乱暴にイスに座り直した。そして押切の目を見ることもなく俯いたまま、身体を震わせていた。そして何かひねり出すようにその口から言葉が漏れた。

「……帰ってくれ」

 コウジは驚いたようにショウタを見、そして押切は楽しそうにその様子を見ている。

「悪いが帰ってくれ。……顔も見たくない。これ以上のその話を訊いたら吐きそうだ……」

 押切は堪えた風もなく、ゆっくりと立ち上がり身支度を調えた。

「それでは、この辺で失礼を致しましょうか。ご用の向きがあった時、また参りますので」

 だん! とその言葉を遮るかのように、ショウタはテーブルを叩いた。押切はうやうやしく頭を下げるとくるりと踵を返す。

「あ、ちょっと待ってくれ」

 コウジが押切を呼び止めた。

「あんたは、なんで、俺たちに声を掛けたんだ?」

 卑屈そうな小刻みな会釈をして押切はゆっくりと口を開いた。

「私は大金が必要な人の所に現れます。別にあなたがたは偶然声を掛けたわけではありませんよ。あなたがたの居た大病院みたいなところはそういう人間を捜すにはうってつけのところなのです」

 押切は嫌らしい笑みをその口元に湛えて深々と会釈した。

「それでは失礼致します。致します」


 そこからの帰り道はショウタもコウジも無言だった。押切から貰った名刺は速攻で破り捨てた。そもそも名前しか書かれていない名刺だったから何の役にも立たないだろう。辺りは次第に夕闇に包まれようとしている逢魔が刻。そんな時間だからこそあんな男に出会ったのだろうか。ショウタはそんなたわいもないことを考えつつ、さっきまでの出来事は本当にあったことだったのだろうか、とおかしな疑問を抱き出す。あまりにも現実感がなかった。

 人の命を奪うことによって大金を得ることの出来るゲーム。

 あり得ない。何かの冗談だったのではないか。ショウタは今更ながらにそう考えていた。そもそもあの押切という存在自体が現実離れしている。

「おい、ショウタ」

「え?」

 コウジに声を掛けられて気が付くと、駅に辿り着いていた。ここでコウジとはお別れになる。コウジは上り方面、ショウタは下り方面だ。

「あ、ああ。じゃあ」

 と自分でも妙だと思うほどぎこちない挨拶をして、ショウタは改札口を通る。コウジもカードをかざして、それに続いた。

「ショウタ」

 別れの挨拶を済ましたというのに、コウジはショウタの背中に声を掛けてくる。怪訝な顔で振り向くショウタ。何か思い詰めたかのようなコウジの顔を見てショウタは不安になった。一体、コウジは何を言い出すのだろうか。だが、さっきから二人を包んでいた空気を思い返せば、何の話題が口をついて出てくるのかは、容易に想像出来る。

「ショウタ。さっきの押切って男の話だけどさ」

 やめてくれ。その先を言わないでくれ……。ショウタは暗澹たる覚悟でコウジの次の言葉を待つ。

「受けてみないか」

 ……やっぱり。ショウタは唇を噛みしめ俯いた。

「……正気か、コウジ。あいつの言うことが本当なら、命を賭けることになるんだぞ。そして大金を手に入れるためには、人を……人を殺さなくちゃいけないんだぞ。そんなこと出来るわけないだろ」

「しっ! あまり大きな声で話すな」

 コウジは口元に人差し指を立てて、ショウタを睨み付けた。構内を往来する人々が何事かとこちらを見ている。ショウタはコウジに促されて、構内でもデッドスペースとなっている階段の下へ移動する。

「その金でユメが助かるかも知れないんだぜ」

「……そんなことを言ったって、これが本当だとしたら犯罪だぞ? 俺たちは人殺しになっちまうんだぞ? 例え警察に捕まらないとしても、人を殺したことは死ぬまで永遠に心の中で棲み続けるんだぞ」

 今度は小声で受け答えをした。そんなショウタを見て、コウジは呆れたようにこう言った。

「お前のユメに対する想いってそんなもんだったのかよ」

「!」

 心臓にナイフを突き刺された。コウジの言葉はまさにそんな気持ちにされた。

「このまま放っておいたらユメは一年後には死ぬんだ。この世にはいないんだ。でも俺たちがこのゲームに参加すれば、ユメは助かるんだ。アメリカで治療を受ければ絶対助かる。医者はそう言っていただろう? お前はこのチャンスをみすみす棒に振る気か? 命を賭けることになる? そんなの当たり前だ。一千万近い金がぽんぽん動くゲームだ、それくらいでないと割に合わないだろう。でも俺たちがそれくらいの金を稼ぐには普通に考えたら他には何にもないんだ。うさんくさい話だけど、この話乗っても良いんじゃないかと俺は思っている。このゲームに参加すればそれだけで五千万円。二人で参加すればこれだけで一億円だ。後は二人で一人ずつ他のプレイヤーを倒せば良い。あとは逃げ回っていれば良いんだ。それに二人で参加すれば協力が出来るかもしれない。これは他のプレイヤーに対して相当なアドバンテージだぜ」

「ちょ、ちょっと待った!」

 熱にうなされたように一気に喋りまくるコウジをそう言って止めた。

「お前、あの押切ってやつに煽られて、少し興奮していると思う。普通の精神状態じゃない。一晩寝て冷静になった頭でまたお互いこのことを考えてみようぜ」

「……まだ、そんなことを」

 と不満顔のコウジではあったが、何かを考え直したように不承不承頷いた。

「……そうだな、一晩、もう一度考えてみるよ。そしてショウタ」

 コウジはショウタの目を真っ直ぐに見つめ返して、怖いくらいの真剣さでこう言ったのだ。

「ショウタも一晩じっくり一晩考えてみてくれ。お前がユメと他人の命を天秤にかけてどう思っているかを、な」

「!」

 ショウタがその言葉にショックを受けている間に、コウジは踵を返し、振り返ることもなく上りのホームへと去っていった。後に残されたショウタはしばらくその場に立ちすくんでいた。

「……な、何だって言うんだよ、一体。」


 一晩考えると言ったが、次の日ショウタはコウジと会うことが出来なかった。コウジは学校を休んだのだ。携帯電話の電話帳の『コウジ』に何度カーソルを合わせたか分からない。だがコウジに電話をかけることは、はばかられた。その理由は昨日の出来事他ならない。コウジに連絡を取ればまず間違いなく昨日の話になるだろう。そして訊かれるだろう。ゲームに参加するか否か決めたか、と。

 だがショウタは一晩経った今でも迷っていた。いや、迷っていたという表現は間違いかも知れない。ショウタの気持ちはほぼ九割、参加する気はなかった。その心の動きが十割に向かっていない理由は昨日のコウジの言葉である。

『お前のユメに対する想いってそんなもんだったのかよ』

 ……そんなことはない。ユメを助けたいし、生きていて欲しい。そのために自分の命を賭けようという覚悟もある。だが、ユメの命を救うために、他の人間の命を奪うというのは違う気がするのだ。

 コウジはその垣根を越えることに躊躇はないらしい。ユメの命のために、自分の命はおろか、他人の命を奪うことも辞さないようだ。

 それに対してユメの恋人である俺は一体なんなんだ。せっかくその命を救うチャンスが自分の上に舞い降りてきたというのに、みすみすそれを逃そうとしている。だが、俺には他人の命を奪うことは出来そうにない――思考の堂々巡りだった。こんなこと絶対結論なんて出るわけがない。ショウタは現実から目を背けたくなった。いや、そもそもこれは現実なのか。あまりにも荒唐無稽、まるで誰かの作り話のようじゃないか。たちの悪いドッキリなんじゃないのか、と自分に都合の良いストーリーを構築しながら、放課後、帰途の道につこうとしていたショウタの進行方向上に一人の男が立っているのに気が付いた。

 右斜め上に引きつれた顔。そしてその顔に浮かんでいる薄気味の悪い笑み。そして卑屈そうな視線。

「さてさてさて、あなたの心は決まりましたか。ましたか?」

 暮れ落ちる西日をバックに、道路の真ん中にぽつんと突っ立っている押切を見てショウタは「ひっ!」という情けない声を上げた。


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