二十五:拙い刃をかわした先に
水宮社長――三波アラカ。目の前には大企業の若き社長が立っている。
「さて、アポなしで伺った非礼、この場でお詫びします」
「いえいえ、そんな」
「非礼ついでに一つお聞きしたいのですが、私の端末に狂いがなければ、この場にルブランと、うちを取材している記者の一人がお邪魔していると思うのですが」
端末をひらひらと見せながら、暦は冷めた目つきで三波を睨む。終始にこやかな三波は、穏やかに答えてくれた。
「ええ、こちらに来ていますよ」
「そうでしたか。身内がお手数をかけました。引き取るのでどこにいるか教えてもらえますか?」
「はい、構いませんよ。
ですが、先客がいましてね」
「……。私に?」
「さようです、あなたに」
三波がすっと後ろへ下がる。四方に散らばる機会とチューブの影から、入れ替わるようにして誰かが現れた。
「っ、な」
暦の息が詰まった。反射で端末から拳銃データを起動しようとして止める。その人影に発砲してはいけない。いや暦はその者に銃口を向けることは絶対にできない。
美しい金髪が乱れ、新品の制服もすこし汚れている。
足がおぼつかずふらふらしていて、今にもこけそうだ。
暦は憎げに三波を睨みつけるが、睨まれた方は大して気にもしていない。
「これがあなたのやり方か!!」
「そうお怒りにならずに。
ルブラン殿から聞いていませんでしたか? 私のやり方を」
「ええ、最初に聞いていました。それを今の今まで忘れてた自分が憎たらしいです」
「なら、今更驚くこともないでしょう」
(それとまのあたりにするのとでは話が別だけど!!)
暦は三波を意識から離す。彼に構っている暇はない。
目の前の少女をどうにかしなければ。
「……レア、どうして」
学校での長い付き合いとなる少女は、暦の問いにもならぬ問いに答えない。
レアの目はうつろであり、ひとつひとつの行動が、レア自身の意志に反している。
レアの右手には鈍くひかる刀が握られ、刀身からは目視できるレベルの強い瘴気が漂っている。あれがレアを操っているのか?
あの刀を手放させればレアを助けることはできるのだろうか。端末で刀のデータを確認している暇はない。
おそらくは刀に宿るタイプの異形だろう。刀に限らず、物や生き物にとりついて仇を為すのだ。
この憑依タイプの異形は手におえない。
取りついているのが刀だけであるなら、刀を破壊すればすむ話だ。
だが取りついているのは人間だったとしたら。人間ごと殺すのが手っ取り早い。
そしてそれは、友人を自分の手で殺すということにほかならない。
レアが行動を開始した。一歩で暦と距離を狭める。その一振りが暦に迫る。
横に薙がれた刃を、暦は後ろへ下がってやり過ごす。鋭い風が生まれた。かすっただけでも致命傷になりかねない。
チューブに足を引っかけないよう注意しながら、止め処なく繰り出されるレアの剣技を必死に回避していく。
薙いで躱されるなら突きを、突いて手ごたえがないなら斬り上げ、髪先をかすった感覚に笑って暦の逃げ場をなくす。
刃を向けているのが友人であるという事実と、刃物に触れられたら片手が簡単に吹き飛ぶという恐怖によって、暦は反撃の手段を奪われている。銃データは起動したといえばした。だがその銃口を、いくら操られているからといって、友人のレアに向けることができるのか? その問いの答えは分かり切ったことだ。
気が抜けない。瞬きも惜しいくらいだ。
「……っ、レア……! レアっ!! 私がわかんないの!?」
必死に呼びかけてもレアは答えてくれない。長い髪を切ってしまったせいで友人だと気付かないだけだと、暦はそう思っていたかった。
回避しながら暦は煙幕弾のデータを起動する。白煙が暦の周りに立ちこめ、レアの視界を一瞬だけ遮った。
しかしその目くらましに効果はなかった。
レアはまっすぐ、暦に刃を突き立ててきた。味方となるはずの白煙は、かえって暦を惑わす仇になってしまった。
(まず……っ!!)
直撃を免れたのは今までの経験がようやく活きたのか。暦は左肩に刃をかすめただけで収まった。
深くはない。が、痛みが瞬時に駆け巡って来る。
「いっっ、つぅ……」
右手で左肩をぐっと抑える。レアが構え直している隙に、気休め程度に距離を取る。
いつまでもこうして追いかけっこをしている暇はない。覚悟を決めて銃を構えようとする。
暦は実弾データを拳銃データに上書きした。
しかし、やっと決めた覚悟を揺るがすように、三波の声が聞こえた。
「いいんですか? その子はあなたのお友達ですよね」
忘れそうだったことを、あえてご丁寧に思い出させてくれるおせっかいさだった。
「その子に向けて引き金を引けますか?
社長代理としても、あなた個人としても」
(引けるか)
でもひかなければ、自分が死ぬのだ。
ひいたら、レアが死ぬ。
どちらの結末も嫌だ。
(どうしよう。どうすればいい? わかんない、わかんないよ……!!)
泣きたくなるのをこらえる。泣き顔を三波に見られるのが癪だったからだ。
(データに何か入ってなかったっけ? っていうか異形相手にはどう戦えばいいんだっけ、対ロボ戦とだいたい同じ……?)
白煙が晴れた。虚ろなレアが、瘴気漂う刀を優雅に構えてこちらへ目を向ける。
(考えている暇はない。どうしよう、どうしよう、どうすれば……!!)
璃桜がいてくれたら、状況も少しは前向きに変わっていただろう。「おちつけ」という穏やかな言葉と、「大丈夫だ」という言葉と一緒に暦の震える肩を支えてくれただろう。援護と称して術式データを駆使し、暦が全力を出せるように後方支援をしてくれただろう。
その璃桜は今ここにはいない。いや、いるにはいるが、援護の手は見込めない。
「…………?」
ふと、上着のポケットに突っ込まれて潰れた何かを見つけ出した。暦はそれを取り出して、ある一つの言葉を思い出す。
閃いた、と同時に、端末から即座に飲み水データを起動する。レアが掛かって来るのを、今度は余裕を持ってやり過ごした。
「ごめん!」
暦は駆け寄ってきたレアの足をひっかけて彼女を転倒させる。バランスを崩したレアは、綺麗に受け身を取った。
水を受け取った暦は、ボトルの口をこじ開ける。そして潰れた『其れ』の袋を引き千切って、中身を水の中に突っ込む。
(あの言葉が本当なら、まだ勝機はある)
レアが態勢を立て直した。
暦は端末を駆使して、ボトルのデータのみの消去起動を予約した。思い切り天上へボトルを投げる。
ふわふわとそれは舞い、レアの真上にたどり着く。
「消去!!」
暦の声と共に、ボトルは消え――
天上から、水が降り注いだ。
それをまともに受けたレアが一変する。頭を抱え、苦しそうにうめく。
「っ、ぐぅぅ……っ!!」
この好機を確実にものにした暦は、今度は自分からレアへ距離をつめた。
握っている刀をはたき落とし、レアの手から離れた確認し、即座に発砲した。
三発の弾が刀に命中し、力を奪う。銃に込められた弾は、対異形用の特殊な弾丸である。一発当てるだけでも異形に致命傷を与えることができる。
刀は形を保てなくなり、鈍く輝いていた刀身も柄も、黒い霧と変わり果て、最後には散った。
ふわっ、と髪を踊らせ、レアがくずおれる。暦はすんでのところで抱き留めた。暦も、水をひっかぶった。二人してずぶ濡れだ。
「……なるほど」
三波が一人納得したようにうなずいた。
暦はレアを一瞬だけ抱きしめる。
「ごめん、レア。
すぐ終わるからね」
レアを部屋の隅にそっと寝かせ、暦は改めて三波に向き直る。
「あの水で異形をひるませましたか。なるほど」
「……ええ、まあ」
暦はどうでもよさげに答える。
ポケットに入っていたのは、以前訪れた飲食店『蜃気楼』で、オマケだと言って受け取った桃茶の茶葉だ。
桃は魔除けになる。そう言って渡してくれた給仕を思い出したのだ。
異形は純潔を嫌う。清らかなものに触れるとダメージを受けるのだ。桃もまた、異形が嫌うものの一つだった。
その桃の茶葉を含ませた水であれば、異形に隙を作ることができる、と暦は踏んだのだ。
「とっさの機転、お見事でした」
「恐縮です。
さて、先客とはもう話がつきましたので、いい加減身内を返してもらえませんか?」
「いますよ、ここに」
「……?」
三波に促され、彼の影からこそこそと姿を現す者がいた。飛鷹茜だった。
「飛鷹さん!」
茜は暦の姿を確認し、暦の方へ駆け寄った。
「こっ、暦さぁん……」
「怪我はありませんか? 何があったんですか?」
茜は半べそをかきながら、暦に鳥居の外であったことを説明した。
「ぐす……っ。あの後、璃桜さんと一緒に鳥居の外へ出たんです。
でも外にたくさん人がいて、その人たちが私と璃桜さんを捕まえようとしたんです……。璃桜さんは私を逃がそうとしてくれたんですけど、数が多すぎるし、私がいるせいで全力で戦えなくて……。
それで一緒につかまって、別の車でここまで連れてこられたんです」
「そうでしたか……。ごめんなさい、私の判断ミスで、あなたを危ない目に遭わせてしまった」
「とんでもないっ!! お二人とも、私を守ろうとがんばってくれてたのはよくわかってます……っ。
でも、でも私のせいで、璃桜さんが、璃桜さんが……!」
「璃桜が、どうかしたんですか……? 落ち着いて聞かせてくれませんか?」
茜は嗚咽を漏らして、三波の横にそびえる奇妙な機会を指さした。
「ああ、これでは見えませんね。今お出ししますから」
三波が笑って奇妙なことを言う。
繭型のその機械が、ぱかっと四角い口を開ける。
チューブで繋がれている繭の機械は中も色とりどりのチューブだらけだった。
チューブの間をかいくぐって、何か別の者が入っている。入れられていると言った方が正しいかもしれないけれど。
暦は絶句した。目を見開いて、うそだ、と漏らした。
「り、おう……」




