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3年目のバレンタイン

作者: 雨木あめ

 アパートの扉を開けたら、満面の笑みの後輩がそこに立っていた。

 瞬間、反射的に背筋を走る悪寒を無理やり抑えながら、僕は言う。


 「……なんのつもりだ、友香」


 なるべく厳格に、低い声で言葉にしたつもりだったけれど、なぜだか震えてしまっているあたり、台無しなのかもしれない。

 「なんのつもりもなにも。ほら、コレ」

 友香、という僕の後輩は、確かに何の気もなさそうに、けれど上機嫌な声色と表情のままで、なにやら僕の前に差し出してきた。

 綺麗にラッピングされた、はがき大の箱である。

 ……普段なら、そう、喜んで受け取るのだろう。中身も聞かず、この後輩が僕のためにくれるのならば、なんでもいい、とでも言わんばかりに。

 しかし、なぜだろう。今回は違う。違うのだ。

 箱を視認した瞬間に、僕の悪寒はいっそうその強度を増し、頭痛じみたアラートが脳内でがんがん鳴り響いている。

 しかし、原因は不自然なほどに、さっぱり思いつかない。

 ならば、と。

 僕は、さらなる情報の開示を求め、絞り出すように疑問を言の葉に変えた──。

 「何、これ?」

 すると突然、目の前の後輩は、にっこりとした表情を崩さないまま、その箱をいったん下駄箱の上に置き、す、としゃがんだ。

 「うん?」

 おもわず零れた僕の疑問をよそに、友香は謎の姿勢を崩さない。それどころか、両手の指を三本地面につけ、左足をわずかに伸ばして後ろに。そして、外開きのドアが塞いでいない方の通路に、体を向けて、よりその笑みを強くして、こう告げた──。


 「──チョコレイト、です」


 ──次の瞬間、僕がダッシュで逃げ出したのは、言うまでもない。



   ◆


 当然、捕まりましたとさ。まる。

 ちなみに、一世一代捕り物帳の様子は、


 「くそう! クラウチングスタートの構えを日常でぶち込んでくる女子がいるとは思ってなかったぜ!」

 「まーてーこーらー」

 「待てと言われて待つバカがどこに。って、うわあ、なんか全身ふわふわコーデの女の子がすげえスピードで追いかけてくるう!」

 「まーてーこーらー」

 「聞く耳どころか恥も外聞もありゃしねえ! 畜生! 後輩のくせにクラウチングスタートとはどんな了見だこのやろう(混乱)!」

 「猟犬です」

 「誰がうまいことを言えと──いやあ! もうすげえ近い!」


 こんな感じだ。

 うん。ホント、よく通報されなかったと思う。 

 そんなこんなでがっちりハントされた僕は、現在後輩の部屋のテーブルの前に座っていた。

 正座である。なぜか。

 「という訳で、悠さん。バレンタインデイです」

 「ああ、うん。そうですね」

 あー。と、友香は言う。案の定、と言った風に。

 「ほらー。やっぱり忘れてた」

 「忘れてたんじゃない。忘れたんだ」

 この違いは非常に重要だと思うのだが、どうか。

 「まったく。まったく。悠さんはどうしてバレンタインとなるとそう過敏に反応するんですかねー。そんなところばっかり最近の若者なんですか?」

 「お前の所為だろうがよ……」

 「ナンノハナシデス?」

 「とぼけかたが雑すぎる!」

 と、まあ、賢明な諸兄はもうお気づきだろう。そう、この目の前で無邪気に笑う少女こそ、殺人チョコレートの作り手にしてカカオの死神だ。

 実際のところ、僕は二回ほど死に掛けている。

 一度目は高校二年の冬。血のバレンタイン。

 二度目は同じく高校三年の冬。泡のバレンタイン。

 そしておそらう三度目は、今年。一年飛んで大学二年の冬。つまりは、今日である。

 「まあまあ。そう荒ぶらないでください。一昨年までの失敗なんて可愛いものじゃないですか。お茶目ですよお茶目。可愛い後輩の可愛いお茶目。あいはぶドジっこ属性」

 「致死量の食塩を練りこんだり、除菌の出来るJ●Yの混入を、貴様よりにもよって可愛いなどという単語で済ませる気か……?」

 「いえい。ぷりちー」

 「だまらっしゃい」

 忘れていたのだって、実のところ防衛本能である。年一で、累計二回も命の危険にさらされていれば、誰だってそんな忌まわしい日のことなど忘却の彼方に葬り去りたいと思うはずなのである。

 悲しいかな、その完璧な忘却の所為で、今日という日になんの疑問も抱かず、のこのこと友香の家に来る羽目になっているのだが。

 「やだなあもう、今年は大丈夫ですよ。ちょっと見た目は変わってますけど、臨死体験はしません。それにほら、三度目の正直っていうじゃないですか」

 「それは食品として存在しちゃいけない保証条件だと思う、僕。三度目の正直ってあれか? 三回目だから確実にとどめをさします、ってことか?」

 あと味について言及がないところが地味に怖い。

 「むう。疑り深いんですから、もう。ひねくれてますね、悠さんは」

 「ひねくれてるのは認めるけど、っておい、開けちゃうのか?」

 言いながら友香は箱に手を掛けて、リボンを解く。

 「だってこのまま渡したら悠さん開けるまで相当時間かかるでしょう?」

 「よく解っていらっしゃる」

 「まだるっこしいので、開けて、この場で見てもらいましょう、っと。はーい、では御開帳でーす」

 ぱんぱかぱーん、と不自然なまでのテンションで開けられた箱の中身は、当然チョコレート、だったのだけれど。

 その形は、確かに、これまで見たことのない、変わったそれ。

 「……何これ?」

 僕は思わず尋ねる。そして返ってきた回答は、


 「見ての通り、カエルチョコレートです」

 「か、蛙」


 そう、蛙だ。

 ぱかりと開けられたはがき大の箱の中には、結構な大きさのチョコレートで作られたカエルが、いやに堂々と鎮座していた。

 しかしそうか、これが自信の源だったか。なるほど市販品なら致死率は低いだろう。

 「ああ、例のテーマパークで売ってるっていう例のやつか。でもこれ、いや、聞いてたよりも……」

 「ああ、いえ手作りですよこれ」

 「手作り!? このリアル感で!?」

 一目でテンパリングに気をつかったことがわかる、というか形の所為でガマの油な味わいがあるテカテカ感。そこに完璧な造形も手伝って、今にも自力で飛び跳ねて行きそうなクラスの見た目である。こういう色の蛙だと言われれば、僕はきっと信じる、というらいの。これが、手作りだと。

 「ちなみにこれがモデルの市販カエルチョコです」

 「わざわざ買ってから手作りしたのか!? いやしかしこっちもすげえカエルだな!」

 今にも飛び跳ねて逃げそうな手作り版には及ばないものの、思った以上にカエルである。しかもガマガエルウシガエルサイズ。

 「なんか小さいカエルチョコがぎっしり袋に入ったタイプのやつもあったんですけれど、そっちのほうがよかったですか?」

 「……やめろよ、想像しちゃっただろ」

 これだけ躍動感溢れるカエルが袋詰めにされている様を想像すると、流石にちょっと精神衛生上よろしくない。

 「こっちのほうがいいですよね?」

 「ああ、うん。こっちのほうが──」

 ぞわり、と悪寒が走る。本能的な恐怖。

 言質をとられて、僕はコイツに勝てたことがない。いい、と言ったら確実に喰わされる──!

 「いいですよね?」

 「い、いや」

 目を逸らしたまま、お茶を濁す。

 「いいですよね?」

 「僕は、やっぱり──」

 そうして僕は、三度目の問いかけに拒絶の意思を伝えようと、前を、友香を見る。

 これが、失敗だった。

 「──いい、ですよね?」

 決意。

 不安。

 そんなものが入り混じる、彼女の瞳。

 それが僕をずっと、じっと、見つめている。

 たぶん、僕がうろたえて、目を離していた間もずっと、揺れ動かずに、このまま、僕のことを。


 「やっぱり──……食べる。ありがたく頂戴するよ」


 まったく、何度目だろうか。こうして彼女の瞳に絡めとられてしまうのは。

 さっきから妙に明るく、テンションも高い。これはそう、彼女なりの照れ隠し。もう慣れてしまった、有り難いことに慣れてしまった中学生みたいな友香の癖。

 ああ。そうだ。

 僕は、自嘲の笑みを浮かべながら、ぱあ、と表情を明るくした友香の手からチョコを受け取る。

 「えへへー」

 勝った、と言わんばかりの満足そうな微笑み。

 そうだったそうだった。思い出した。

 言質なんかとられるまでもなく、コイツに勝てた試しなんてないや、僕。


   ◆


 「──さて。それでは」

 「はい。それでは」

 僕と友香は机を挟んで向かい合い、互いにカエルを凝視しながら、言葉を交わす。

 部屋に漂うのは、カカオの香りと妙な緊張感。後に続いた沈黙が、アクセント。

 どこから食べようか、と迷った挙句、一番食べやすそうな足部分を上にして、口元へ。

 ゴクリ、と僕の喉がなる。

 それが合図だった。


 「い、いただきます!」

 「め、めしあがれ!」


 勢いよく叫んでぱくり、と。一口。

 もぐもぐもぐもぐ。

 香ばしい風味。手作りにありがちな砂糖感は一切なく、ビター目なけれど適度な甘み。

 なんというかこう、一言でいうならば──。

 「ど、どうですか、ね。先輩」

 あまりの緊張感からか、昔の呼び方に戻った友香がこちらを覗き込む。

 「……える」

 「ふえ?」

 「喰える! 僕にも喰えるぞ!」

 「むう、そんなどっかで宇宙戦争でもしそうなセリフですか」

 「いや、ゴメン。これ。友香、なかなかの──む?」

 少し不満そうな友香に感想を伝えようとしながら二口目、三口目、という所、はた、と僕は気づく。

 なんだろう。

 何か、不思議な香ばしさがある。こう、カカオじゃない、コクと煎りっ気が混ざったようなアクセント。

 よくよく舌の上で転がしてみると、何やら繊維質のようなものが若干残る。

 「あ、気づきましたか。隠し味ですよ、それ」

 「ほう」手のかかることをしている「そういや前は、柑橘の──いや、違うあれは事故だった」

 除菌の出来るアレだった。

 しかし、そうか。前回が単なる事故ってことは、この二年で友香も成長してるのか。

 「まあ、昔のことはともかく」

 「流すな。あれはもう事件だったからな?」

 「ともかく」

 「……」まあいっか「で、結局何さ、これ。なんかの植物っぽいよな」

 「それはですね、へへー、これです」

 差し出されたのは、小皿に乗った謎の繊維質。山盛り。

 一ミリ以下の細さ、長さは二センチないくらいだろうか。細すぎて色は正確には解らない。

 「うん? なにこれ」

 つまんで少し食べてみる。確かに香ばしくてコクもあって、チョコの中じゃ解らなかったけど、なんかちょっと渋みのような感覚が舌に残る。

 駄目だ。解らないや。

 「なにこれ?」

 僕は再度問う。

 友香はにっこりと、笑って。


 「かえるです」


 「…………。うん?」

 回答は案外あっさりと。

 けれど、僕はそれを正しく認識できない。カエルデス? カードダスとかエクスデスの仲間?

 「蛙」

 「…………」認識「……っ!?」

 ずざあ、と僕は思わず、正座のまま後ずさる。

 「な、なな」

 反論もツッコミも、出てこない。すげえ、人間ってびっくりしすぎるとこうなんるんだ。

 「あ、大丈夫ですよ。ちゃんと食用ですから」

 「そ、そそ」

 そこじゃねえ! という言葉は、やっぱり出ない。頑張れ! 頑張るんだ僕の脳!

 「いやあ、リアル感だそうと思って、ちょっとこう、テンパリング前にねりねりと、一つまみ」

 「もう黒魔術だそれ!?」

 よしきた! 処理落ち終了! ツッコミ開始。まずは、冗談もたいがいにしとけよ冗談じゃない! から行ってみよ──、

 「はい、冗談です」

 「じょうだ──うん?」

 機先を制する、とはこのことか。

 意地の悪い笑顔で、友香は言ってみせる。高校時代、僕をいじっては遊んでいたあの頃の表情そのままで。

 「ですから、冗談ですって。それ、アーモンドの皮なんですよ。あと、皿の方だけに、ちょっとだけ鶏の笹身のほぐしたやつ」

 カエルの肉って、鶏に似てるらしいですから、と。

 「……友香」苦笑い「お前、磨きがかかってるな、僕いじり」

 「まあ、私の趣味、いえ、最早ライフワークですから」

 ライフワーク、ねえ。

 そっか。そう言われると、僕としちゃ弱い。ずるいな、まったく。

 「ま、いいよ。蛙じゃなくて安心した。それにしてもアーモンドの──」

 「──それで、どうでした?」

 僕の言葉を、唐突に友香が遮る。

 さっきまでと同じおちゃらけたようなトーンで。正確には、不安な気持ちをうまく隠そうとした、おちゃらけたトーンで、問う。

 主語のない問いかけを、僕に投げる。

 けれど、僕は、聞き返さない。

 意味は解っていた。そういえばそう、ちゃんと言葉にしていなかったなあ、と。悪いことをした、と。

 「うん」

 僕は頷く。そして応える。笑顔で。僕もまた、いつか、あの日々の中でもらえたその表情で。

 「──美味しかったよ、友香。美味しかった。ありがとう」

 例えばだ。本当に蛙肉が入っていたとしても、美味しいチョコだったことは事実だったのだから。

 だから、僕はそれを言葉にするべきなのだろう。

 きょとん、と僕をみつめて。それから、柔らかく、微笑んで。

 

 「──やった」


 そう言って、小さくガッツポーズする彼女は、困ったことに、本当に嬉しそうだった。

 不機嫌そうな顔しか出来なかった、何年か前の友香の面影は、もうあまりなくて。

 本当に美味しく作ろうとしているのに、本気で失敗してしまっていた二年前の彼女も、三年前の少女も飲み込んで、今の彼女は上出来なチョコレートと共に、僕の目の前に佇んでいる。

 なんだかそんなことが、変に嬉しくて、僕は思わず吹き出してしまった。

 あー、何笑ってるんですか! なんて口を尖らせる友香に、ごめんごめん、なんて軽く謝りながら、またカエルの足を一口。

 うん。本当に、本当の本当に、美味しい。

 ようやく、堂々とそう言って誉めることが出来る。お礼を言うことが出来る。

 「そ、そんなに美味しそうに食べられると、なんだかこっちが照れますね」

 「照れとけ照れとけ。そのくらいが淑やかでちょうどいい」

 「む、私はいつだってお淑やかですよ」

 「…………え?」

 「本気! 本気で聞き返しましたね今!」

 そんないつも通りの軽口を叩こうとして、なんだかぎこちなくて、さらにもう一口。


 とまあ。

 そうして、こんな感じでようやく。

 二年越しの、三度目の正直は、めでたくここに成立したのであったとさ。



 ──それじゃあ、さてさて。

 来月のお返しは、何にしようかな。


   ◆





 と、その十分後。 


 「まあ、一回美味しいって言質とっちゃえば、もう中身とか関係ないですよね」

 「本当に蛙じゃないんだよな!?」

 「……んふ」

 「わ、笑ってごまかすな! ちくしょう! やだもうなにこれ怖い!」


 なんて、しょうもない落ちがあったあたり、僕たちはいくつになっても、いつも通りってことなんだろうか。

 そろそろ来てもいいころなんじゃないかなあ、三度目。


 


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