認知症対策を国家戦略に
201X年、「認知症対策を国家戦略とする」と首相が宣言した。
日本の成長戦略の一つにするという。
しかし、具体的な政策を示さず、ただその財源を確保するため消費税を15%にすると言い切った。
その宣言に対し、各メディアの反応は鈍かった。
増税に対して批判したいが、国家財政の赤字は2000兆円、抜き差しならない状況で、
認知症対策のコストは膨大になると誰でも予想されるからだった。
それから1週間後、首相肝入りのプロジェクトが発足した。
医療、介護などに精通した有識者やマスコミ関係者などが意気揚揚と参加した。
もちろん、政治家や官僚たちもだ。
これが成功すれば、一生の手柄になるに違いなかった。
議論は白熱した。
医療関係者は手厚い治療、介護を主張した。
自分たちにお金が落ちるのだから当然だ。
これに対し官僚はその財源を算出し、
その施行が非現実的であることを知らしめた。
しかし、ある報道関係者が官僚に反撃した。
「現在の介護制度の財源に問題はないのか」
官僚たちはうつむき黙り込んだ。
現在の介護制度でも財源的に問題がある。
介護費用を抑えようとすれば、介護ヘルパーの人件費を低く抑えなければならないのが現状だった。
給料が安く、重労働、その割に責任は重く、若者たちは未来がない職業だと見切りをつけて辞めて行った。
老人介護でも大変であるのに、その上、痴呆老人の世話である、
さらにヘルパーの負担は重くなり、コストもかかると誰もが予想できた。
どんなに議論しても、結局最後は財源にたどり着く。
『消費税を15%にする』ということしか具体的な案は出なかった。
会議に出席した局長は部屋に戻り、官僚たちが集まる会議テーブルに資料を投げた。
「これを具体化してくれ」
各省の官僚たちも集められてプロジェクトへの参加を命ぜられていた。
厚生省の課長がその資料を手に取り、会議の内容を全員に説明した。
「この予算作りにかかるぞ」
課長は高らかに叫んだ。
「そんなの、つまんないですね」
一人の若手官僚が声を上げた。
官僚たちは一斉に彼を見た。
彼は科学技術省からの出向者だった。
普段から口が悪い彼は上司に厄介払いされ、このプロジェクトに参加したのだった。
科学技術省は介護ロボットには力を入れているが、
認知症対策には積極的でなく、どうせ予算が確保できないと踏んでいた。
「それじゃあ、どんな案があるのか、彼の高説をうかがおう」
課長は茶化して言った。
「生体マイクロチップをご存知ですか。
現在、試作段階に入っています。
このチップに太田教授の人工知能を搭載すれば、
脳萎縮による記憶障害を改善できると推定されています」
若手官僚が立ち上がって説明した。
「生体マイクロチップ?
そんなことできるわけないだろう」
「このチップが完成すれば、医療費は削減できす」
「じゃあ、具体的な予算を積み上げるぞ」
課長は若手官僚の話を無視して、会議を続けた。
「この生体マイクロチップは日本の切り札になります。
まさに成長戦略です」
若手官僚は食い下がった。
「そうか、それじゃガンバレ」
課長は彼を見ずに言った。
「分かりました」
彼は呟いた。
(後悔しても、知らないぞ)
彼は心の中で呟いた。
首相はプロジェクトチームが作った分厚い提案書を呼んでいた。
内容は予想の内容だった。
首相の諮問機関の意見とほぼ同じだった。
ただ消費税率は18%になっていた。
「これじゃあ、選挙に勝てないな~」
首相は補佐官に言った。
首相は表紙の赤い資料に目をやった。
数ページしかない。添付資料のようだ。
思わず手に取った。
手早くページをめくった。
そして、また最初からゆっくり読み込む。
首相はニヤリと笑った。
『認知症対策として生体マイクロチップ開発を行いたいと思います』
テレビに映る首相は集まった記者の前で高らかに宣言した。
『これにより医療費が削減できるだけでなく、半導体産業の起爆剤になると確信します』
プロジェクトチームの官僚たちは会議室に集まり、首相の記者会見の中継を見ていた。
「これはどういうことだ?」
厚生省の課長が若手官僚に詰め寄った。
「生体マイクロチップの提案書を作り、一緒に添付しておきました」
「なぜ、そんな勝手なことをする」
「えっ、ガンバレって言ったじゃないですか。
だから、頑張って提案書を作りました」
課長はドアを激しく締め、部屋を出て行った。
それから10年が経った。
生体マイクロチップの認可が下された。
実験段階から画期的な効果を発揮し、
認知症中期段階までなら70%の改善が見られるとの結果だった。
日本の半導体メーカーはこの生体マイクロチップに投資した。
将来日本を牽引する産業になるだろうと予想されていた。
導入されて、5年が経つ。
医療費は激減していた。
これにより日本の財政は再建される目途が立った。
しかし、異様な削減額だった。
生体マイクロチップを裏では、『ポックリさん』と噂されている。
痴呆が進行するとポックリと死ぬというのだ。
そのため延命治療などが激減し、高齢者医療費が減ったのだった。
しかし、死者の顔に苦痛は見られなかった。
脳には痛覚を感じる神経細胞がないからだった。
人工知能を設計した太田教授は、そんな機能はないと完全に否定した。
チップ内部を調査したヨーロッパ、アメリカ調査機関も問題ないとしていた。
太田教授は次のコメントを発表した。
「苦しむことなく認知症発症の前に死にたいという願望があるからだろう」
各国政府は生体マイクロチップに副作用がある可能性を警告した。
それからまた5年。
「なぜ、危険性がある生体マイクロチップを移植したんですか」
マイクを持つインタビュアーが70歳を超える男性に質問した。
「最後まで自分の意思で生きたいからな」
「本当に自分の意志ですか?
ポックリと死ぬのはチップの判断じゃないですか?」
「そうかもしれない。
それでも、ポックリと死にたいんだ」
彼は笑顔で答えた。
P.S 生体マイクロチップの導入を提案した若手官僚はどうしたかといえば、
その3年後、「作家か探偵でもやるか」ともらして官僚を辞めていた。