メカマザー
よく肥えた中年の女。これが僕のお母さんだ。
けども、大きに秘密を蔵している。
それは僕のお母さんはメカだったのだ。
夕方、隠れん坊やら高鬼やらして帰ってくると、まず初めにお母さんの尻をひとつ蹴とばす。そうするとスイッチが入って、目が光って、お米をとぎ出すのだ。でも全部が自動ではなくて、お米を買って来るのはお父さんの役割で、お兄ちゃんが朝学校へ行く前に、お米を釜へセットしておく。
そして一番さいしょに帰って来るのが弟の僕なので、お米をお母さんにとがせるのは僕の役目だ。お米をとぎ終わると、お母さんは屁をひとつひる。それで僕は今度は尻をふたつ蹴とばすのだ。するとお母さんはお米をあっため始める。だいたい四十分くらい経つと、屁をふたつひる。むらしの合図だ。そして二十分経過すると、屁をみっつひる。ご飯の完成だ。
おかずはお父さんが仕事の帰りに買って来る。たまに、このあいだ、お兄ちゃんが家庭科実習の腕前を披露してカレーライスを作ったけども、とてもからかったので泣いたみたいに汗が出て来たのか、汗をかく様に泣いたのか、おぼえていないから、やっぱりお兄ちゃんの言う通り泣いたのかもしれない。お父さんは泣かなかったし、汗も少ししか出さなかった。お兄ちゃんはすごく汗を流した。お母さんは汗も涙もこぼさなかった。
ご飯を食べ終わると、みんなでテレビを見る。お父さんはNHKを見たがるし、お兄ちゃんはバラエティ番組を見たがるし、僕は僕で赤胴鈴之介を見たいと思う、けども、リモコンはお母さんが独占しているから、お父さんも、お兄ちゃんも、僕も見たい番組を見ることが出来ない。たまに見たいチャンネルになるときもあるが、しかし二秒くらいなので充分ではなかった。そんな時は、寝そべっているお母さんのへそを押すのだ。そうすると、お母さんは、目が光って屁をひる。それでお父さんも、お兄ちゃんも、僕も爆笑の渦に巻き込まれてしまう。お母さんは笑いの天才だと思った。
お父さんはたまにお母さんと喧嘩する。そういうときは真剣な目をしているけども、終わると、どこかさみしそうな目になる。そしていつもの優しい目になると、お母さんと二人でお風呂に入った。僕はよく思うのだが、お父さんの、男は上、女は下という考え方は前時代的だと思う。もう今は男女均等の世の中だから、お母さんの顔を踏んだりしても良いと思う。けどもお父さんは男尊女卑をてっていしているから、お母さんには優しくする。その分僕たちには厳しい。だから、あまり調子に乗ってお母さんのへそを何度も押していると大きな声でしかられるのだ。回数はそのときによって違うし、お父さんが難しい顔をしているときは一回だけでも、すぐに怒られたことがある。
それに、お母さんの屁の音は毎度、毎度べつの音なのだ。ひかえ目なときもあるし、豪快なときもある、だからお兄ちゃんと屁の音の当てっこをすることもあった。お兄ちゃんはやっぱり予測がするどいし、頭を使うのが得意だから、よく当てる。僕はすぐに泣き出す。
負けてくやしくて泣くんじゃあなかった。お母さんとお兄ちゃんがぐるになって悪だくみして僕はひとりぼっちのような気がして、悲しくなる。泣いていると、ひとりぼっちの悲しみはさみしさへかわる、お父さんも、お兄ちゃんも、僕もお母さんもみんなひとりぼっちだと思った。それで腹が立って、いつもお母さんの屁で気がまぎれるけども、さみしさのあとの立腹は手の出しようがない。怒っていても夕方になれば腹が鳴って、お母さんの尻を蹴とばす、おかまいなしに黙々と米を炊き始める。
僕のお母さんはメカだった。とても静かなお母さんだ。
屁は出身が出そうですね。
へをやる事を、出す、ひる、ふる、ばる、する、もらす。
本邦の文人諸先輩方は様々に表現して参りました。奥が深いようです。
私の出身地では、「屁を、くゆらせる」と申します。