あめ玉おはじき
子どもと一緒に入った駄菓子屋で、わたしは涼やかな色のおはじきを見ていた。それはとても懐かしく、ふと気づけば子どもに気づかれないように、わたしはおはじきを購入していた。赤と黄色と青と、様々な色のおはじきたち。子どもの頃のわたしは、おはじきを口に入れるのがとても好きだった。
「おはじきは口に入れないの」
母によくそう言って叱られた。
おはじきを口に入れると、少しひんやりしていて、かつん、と歯にあたる。その感覚が心地よくて、母に見つかっては叱られながらも、口に入れることをやめなかった。
「お母さん、これ買ってー」
翔太があめ玉を手にわたしのもとに駆け寄ってくる。子どもの口には大きいあめ玉。ああ、懐かしい、と思いながらわたしは微笑んでそれを了承した。あめ玉のまわりには砂糖がついていて、舐めるとじゃりじゃりという音と共に甘い味が広がる。何色のあめ玉にするかすごく悩んで、わたしはいつもピンク色のあめ玉を買っていた。彼はどうやら、青色のあめ玉に決めたようだ。
「ありがとうねぇ」
店のおばあちゃんの声を背に、わたしたちは駄菓子屋を後にした。初夏の穏やかな風が吹いている。そろそろ本格的な夏がやって来る。まだそこまで強くない日差しに、わたしは目を細めながら、家までの道を歩いた。翔太はわたしと手を繋ぎながら、口の中のあめ玉と格闘していた。そんな様子を見てわたしは小さく笑った。
「ねえねえ、何でぼくにはお父さんがいないの?」
翔太は右の頬っぺたにあめ玉を詰め込んだままで、わたしを見上げた。斜め前にはお父さんとお母さんに挟まれて幸せそうに歩く女の子がいた。
わたしは翔太を見下ろして言った。
「お母さんだけじゃ、いや?」
子どもを困らせたらいけないと分かりつつも、これ以外の言葉が見つからなかった。翔太は、しまった、という表情を一瞬見せて、慌てて首を横に振った。そして、お母さんだけでいいよ、と小さく呟いた。彼の口のなかでは大きなあまいあめ玉が小さくなっていた。
子どもは何て無垢で正直で、それでいて残酷なのだろう。翔太を寝かしつけ、わたしは彼の顔を見ながらそう思った。こんなにもかわいい我が子。この子のためなら、何を犠牲にしても構わない、母としてのわたしがそう言っている。その一方で、わたしは女としての終わりをどこかで感じていた。
「子どもが出来たみたい」
嬉々としてわたしは彼に報告した。結婚を約束していた人だった。わたしの報告に当然彼も喜んでくれるだろう、そう信じて疑わなかった。彼の顔を見るまでは。
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は明らかに動揺していた。部屋の中をうろうろしながら、彼は何かを言おうとしていた。
その瞬間、彼の言わんとする言葉がわたしには容易く想像できた。育てていくなんて無理だよ、と彼の声が形になって飛び出してきた。そのあとの彼の言い訳は覚えていない。ただその場に立っていることで精一杯だった。
彼はわたしを抱き締めて、ごめん、と言った。わたしは彼の腕を振りほどいて、外に飛び出していた。それから彼とは一度も会っていない。今どこで何をしているかも分からない。
わたしは買ってきたおはじきの袋を開けた。赤と黄色と青と。色々あって迷う。わたしはその中から青色のおはじきを手に取った。今日翔太が選んだ大きなあめ玉と同じ色。
そして口に入れた。少しひんやりしていて、かつん、と歯にあたる。あめ玉と違ってちっとも甘くない。今のわたしにはぴったりだ。
わたしはおはじきの感覚を久しぶりに味わった。舌の上で転がしてみると、するんと舌の上を滑っていく。すると、かつん、かつん、と何度も歯にぶつかってくる。いくらなめてもあめ玉のように甘くはなく、また小さくもならない。ただひんやりとした感覚だけが口のなかで広がる。
「おはじきは口に入れないの」
母の懐かしい声が聞こえた気がした。
今となってはわたしが母親だ。翔太の寝顔を見ながら、わたしはおはじきを口のなかで転がし続けた。
駄文失礼致しました。
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